第３０話　起床、そして穏やかな日々（１２）

　あの訓練場の騒動から、一週間が経過した。

　そして、あの時の騒動がきっかけとなって、俺の団内での地位は一気に変化したのだ。

「姉御、兄貴、お疲れ様です」
「ちぃっす！　姉御！　兄貴！」
「お嬢、若、今日も精がでますの。ほっほっほ」

　リリーに背負われ、廊下を歩くと、そんな声がそこかしこから、俺達に掛けられる。
　まぁ、結果的には良かった。うん、結果的には、だが。
　しかし、そんな俺達の前に、当たり前の様に、立ちはだかる影が一つ。

「よう、ツバサ、お嬢。今日も一戦やろうぜ」

　そう、言わずもがな、戦闘狂のダグスさんである。
　その顔には、光を放ちそうな程、清々しいまでの笑顔が張り付いている。そんな彼の出で立ちは、あの時以来、スッキリとしてしまった。
　いや、スッキリどころか、ツルツルとでも言おうか……。

「駄目です。もう、ツバサ様には指一本、触れさせません」

　対して、リリーはあの一件以降、ダグスさんを警戒していた。
　まぁ、そりゃあんな奇襲を受けりゃそうなるだろうなとは思う。
　そして、この問答は毎日の風物詩と化している。
　そんな取り付く島もないリリーの言葉だったが、頭から光を放つダグスさんも、負けてはいない。

「いや、そう言わずによ。ちょっとで良いんだよ。あ、せめて魔力だけでも、な？　先っぽだけで……ぐほぉ！？」

　先っぽて何よ？　と思う間もなく、リリーの拳が、ダグスさんの腹に綺麗に決まった。
　一瞬、彼の身体が浮き上がり……そして、そのまま沈む。

「馬鹿な事言ってないで、さっさと若い人達を訓練して下さいね？」

　もう、人を見る目ではなく、汚い物を見るかのような冷たい視線を彼へと向ける。
　うーむ、絶対零度の眼差しとは、こういう物か。

　悶絶する事すら許されず、意識を刈り取られたダグスさんは、床で痙攣するのみ。
　そんな彼に、心でそっと同情しつつ、俺はリリーに運ばれるがまま、その場を去る事になった。

　あの日、ダグスさんの一撃を受け止める為に、俺は特殊な障壁を張った。
　そうした理由は色々ある。
　数ある理由の中でも一番大きな物は、やはり魔力の問題だ。
　今の魔力量は簡単な魔法を発動するには、十分に足るものだが、それでも以前と比べて遥かに少ない。
　なので魔力消費量を度外視して作ってきた今迄のやり方を再現するのは、非常に難しいと判断したのだ。

　障壁は、その特性上、多くの魔力を消費する。
　魔法を使った際、その魔力の消費量と、発現させる面積・体積は相関関係があり、基本的には比例する事が分かっていた。
　障壁の強度を上げる場合、魔力の密度を上げるか、多重に敷くかと、大きく分けて2通りの方法があるのだが、どちらも空間的に限界がある。
　そして、どちらの道を選ぶにしても、その必要魔力量は、膨大なものとなった。
　冷静に考えてみたら、納得のいく話だ。どちらの方法にせよ、魔力という物をその空間に満たさなくてはならないのだから。

　だから、あの時、俺は以前から考えていた別の手法を試す事にしたのだ。
　受け止めるのではなく、同じ力をぶつける事で、対消滅を狙うと言う方法だ。

　そこで、俺の脳裏に浮かんだのは、元の世界にあった、とある防御手法である。
　確か、リアクティブアーマーとか、何たらと呼ばれていたような気がする。
　尤も、厳密に言えば、元の世界の技術は、爆発その物で威力を減衰させる訳では無いはずだったが、着想的にはその辺りを参考にしたのだ。
　魔力の力を魔力で相殺する。だが、それを目指すには時間が足りなかった。
　あの一瞬で、構築できる魔法には限度があったのだ。
　だから、更に俺は、その魔法に手を加え、魔力を相殺するのではなく、物理的に推進力を削ぐ方向で構築した。
　結果、サンドイッチの様な積層状構造の魔力障壁を形成するに至り、その間に爆発を起こす魔法を挟み込むことで、物理的に威力を相殺しようと考えたのだ。
　分かりやすく例えるなら、ミルクレープの様に、クレープ部分の障壁と、生クリーム部分の爆発魔法の層を、何重にも重ねたのだ。

　その考えの方向性は良かったと思う。

　勿論、そのままでは、俺とリリーも爆発に巻き込まれるので、色々と工夫をこらした。
　まず、最終安全装置の意味も兼ねて、障壁の底は、何重にも重ね、強化した障壁にした。
　正直に言えば、この障壁だけでも、魔力量上は彼の攻撃を受け止めきれる計算だったのだが、そこはそれ。
　そして、リリーの安全を最優先とし、可能な限り対策を講じた結果、発動した物は、過剰なまでに複雑な障壁と化したのだ。
　結果、俺が急造した障壁は、あのダグスさんの攻撃を見事に跳ね返した。

　ああ、綺麗に跳ね返した。もう、全く危なげなく。これは、咄嗟にやったにしては、良くやった方だと思う。

　だがしかし……加減を誤った。しかも、大幅にだ。
　これが拙かった。本当に失敗だった。

　爆発魔法の威力が、想定以上に高すぎた上に、積層構造にした障壁の強度が想定以上に脆すぎたのだ。
　しかも、積層構造にした結果……本来、攻撃が届かなかった層にまで、爆発の衝撃が届いてしまい、結果、全ての層が起爆した。

　もう、皆まで言う必要も無いだろう。

　一層が爆発した時点で、瞬間的に、全ての爆発魔法が連鎖的に起爆。
　それはもう、いっそ清々しい程の大爆発であった。

　そして、そんな大爆発をもろに目の前で食らったダグスさんは、見事なまでに物理法則にのっとって音速で吹っ飛び、森の中へと消えた。
　空に向けて構築したとはいえ、申し訳程度に周辺へと配慮した障壁は、魔力量の関係から最小限だった事が災いした。
　その脆弱な最後の砦は、一瞬拮抗し、爆風を若干減衰させたものの、見事に呆気なく砕け散り、ノックダウンしていた若者衆達と、見学していた獣人達とを一緒くたに吹き飛ばしたのだ。
　空にはきのこ雲が立ち登り、轟音が遥か遠くの王都にまで届いたというから、その規模は推して知るべしであろう。

　幸い、けが人と呼べる程、傷を負ったものは皆無で、爆心地にいたダグスさんですら軽い火傷で済んでいたから驚きである。

　この時ばかりは、彼や獣人達の頑丈さに感謝した。
　だが、そんな頑丈な彼も、体毛までは守れなかったらしい。
　うっとうしいまでに彼の皮膚を覆いつくしていた白銀の体毛は、あの大爆発を至近距離で食らった影響で、軒並み焼失していた。
　そんな訳で、今の彼は、スキンヘッドに加え、暑苦しい筋肉を惜しげもなく晒す、ボディビルダーの様な様相を呈している。
　何となく、その姿に違和感がないのが、救いなのか、何なのか。
　まぁ、元々、この人があんなアホな事しなければ良かったのだから、ある意味自業自得ではある。

　そんな床に転がり痙攣する筋肉の塊を見送りつつ、俺は溜め息を吐いたのだった。

　そのままリリーに連れられ外へと出た俺は、その瞬間、例の不思議な感覚に包まれる。

　これも、時間があったため、暫く観察して、何となくではあるが仮説がたった。
　あの時は、突然の事だったので慌ててしまったが、落ち着いて考えてみたら、非常に心当たりがありまくる事だったのだ。

　この世界は、どうして滅びの危機に瀕しているのか？
　影や魔物と呼ばれる、未知の生物が原因だと、揚羽は言っていた。
　そして、その謎な生物の出どころは、俺の魔力だ。

　そんな謎の生物が出現してしまう程、この世界は、俺・の・魔・力・で満ちている。

　そうだ。この感覚は、俺の魔力なのだろう。
　そして、慣れ親しんだ俺の魔力だからこそ、嫌悪感も出ず、それどころか、どこか安堵感すら感じたのだと思う。
　ただ、これは不思議な事ではあるのだが、人が極端に密集した場所であったり、屋内では、俺の魔力はあまり感じられなかった。
　このことは、追々、検証していく必要があるだろうが、今は棚に上げておく。

　俺は、屋外など、魔力が満たされている場所であれば、魔力を身体に循環するか、ある程度使用すると勝手に補充されるらしい。
　特に、魔力を身体に循環させた場合は、周辺の魔力を物凄い勢いで、かき集め蓄積する現象が発生する。
　あの日、俺の身体に魔力が無尽蔵に集まり続けたのはそういう理由だったらしいのだ。
　ただ、検証した結果、どうやら、蓄積できる魔力は限界値があるらしい。
　どうも、蓄積量は１００万程度で頭打ちになり、そこからは伸びなくなったのだ。
　残念ながら、これではファミリアを作ることも、魔法陣を作ることも出来ない。やはり地道な努力が必要となりそうだ。

　尤も、この現象については、何でそんな事が起こるのか、不明なままだ。
　不明だが、とりあえず利用できるので、今は、有意義に活用させてもらっている。

　そんな訳で、外に出たときから、俺は魔法を使い、魔力を枯渇ギリギリまで減らすと言う作業を続けていた。
　時折、制御に失敗して、白目を向くことがあり、リリーが大慌てするという微笑ましいエピソードもあったりするが、そこはご愛嬌だろう。
　魔力が枯渇しかかり魔力消費を抑えると、直ぐに周辺の魔力が俺に集まり回復する。使う。回復する。これを外にいる時は、意識的に繰り返し続けた。
　この一見、無駄に思える作業だが、自分の限界値を肌で知る練習になるだけでなく、それ以上に大きな恩恵があった。

　３・／１３６２

　そう、魔力の最大値が増える。
　魔力を枯渇させることで、魔力の最大値が何故か増える。理由は不明だが、増えるなら増やす。
　１週間、外に出たらずっとコレばかりやっていたが、漸く、目に見える効果が出てきた。

　ちなみに、余談ではあるが、前に酷いことになった循環による隠蔽法では、魔力増加の兆候がなかった。
　前の時と条件が余りにも違いすぎるので、その辺りの原因は不明であるが、この事から地道に、鍛錬する他ないと結論づけた。

　そうして、努力し続けた結果、今なら屋外に限りだが、常時、身体強化がかけられるし、【サーチ】も、数十秒なら継続できるようになったし。
　白目をむきながら、頑張ったかいがあったというものである。

　そんな作業の最中【サーチ】を何気なく使った時、見覚えのある反応が一つこちらに近づいてくる事を察知した俺は、リリーに呼びかけ、その事を告げる。
　リリーは、そんな俺の情報に、少し考え込むと、笑顔を向け、次いで口を開いた。

「あ、ツバサ様、ありがとうございます。リザが何の用でしょうかね？　定期連絡の時期にはまだ早いと思うのですが」

　そう、あの縦巻きドリルが見事なお姫様の反応だった。
　ちなみに、彼女は、俺が大爆発をやらかしたその日の内に、早馬で単身、怒鳴り込んできたりしていたのだ。

　その日、皆で後片付けやら安否確認をしていた訓練場に大声が響いた。

「あの爆発は何なの！？　リリーは！？　無事なんでしょうね！？」

　どうやら、リリーの事が心配で駆けつけてくれたらしいのだが、リリーの無事を確認し、安堵していたのも束の間。その後、ダグスさんが奇襲を仕掛けてきたと言う件で、眉間にしわを寄せ始め、俺が迎撃して大爆発が起きたという件で、彼女はあっさりとブチ切れた。

「貴方達！？　一体、何をしでかしたのか理解しているの！？　あの爆発音は、王都にも届いたのよ！？　幸い、大きな混乱が無かったから良かったようなものを……時期が悪ければ、国家反逆罪で、しょっ引かれてもおかしくないのよ！？」

　その言葉を聞いて、返す言葉もない俺は、黙って反省の意を示すも、何故かリリーが首を傾げる。

「そうなんですか？　あの程度の事で？」

　その言葉で、呆けた表情を浮かべるお姫様。
　あのな、リリー……過去の俺の無茶苦茶な状況を見ているからそう思うのだろうが、普通じゃないようだぞ？
　って言うか、俺も別に、狙ってやっていた訳じゃないんだぞ？　……本当だぞ？
　一瞬、ちょっと自信が無くなった俺だったが、そんな事はお構いなしに、話は進む。

「え、リリー？　いえ、だって、あの爆発よ？　普通じゃないわ」

「それは、ツバサ様ですから、当然です」

　でた、良く分からないリリー論理。そして、起立する獣耳。
　そりゃ、俺を信頼してくれるのは嬉しいが、そりゃ、人に対する説明には使えんだろうよ。
　ほら、お姫様がめっちゃ殺意が滲む目で俺を見てくるじゃないか。

「だ、だって……あ、でも、リリーはいつも目立つような事しないじゃない。そうよ、こ・れ・が全部悪いのよ！」

　そして、俺を指差しつつ、勝ち誇ったように意地悪い笑みを浮かべる彼女。
　うん、いっそ清々しいまでの憎まれようである。つか、結局そこに持っていきたかっただけなのだろう。

「いえ、派手なことをすると、変な輩が寄ってきて、結果として、ツバサ様に迷惑がかかるので避けているだけです」

　しかし、リリーは淡々と、説明を続ける。そして、その声の色が徐々に無機質な物に変わっていく。

「それに、私、何回か、王都の塀を壊していますけど？」

「そ、それは、そうだけど」

　リリーさん？　一体、何やってるんでしょうかね！？　と、心で叫ぶも、脳裏に俺がやらかした事の数々が浮かび、数瞬後に、盛大に自爆していた。
　うん、俺も何やってんだか。今回も黒歴史の一つだし。
　そんな項垂れる俺を他所に、話は進む。

「一回、王城の尖塔を、崩壊させたことがありましたね。そうそう、王都の一画を崩落させた……なんて事もありましたよね」

「いや、あれは、ほら、えーっと……」

　何というか……何が起こったらそういう状況が生まれるのか、逆に興味があるんだが。

「そう言えば、王城で変な男をぶっ飛ばして、半殺しにしたこともありましたね」

「あれは、あの王子ゲスが悪いから良いのよ」

「けど、あの人、継承権を持つ王族って聞きましたけど？」

「王族の恥晒しだったから、丁度良かったわ。お父様も喜んでいらっしゃったわよ？」

「ふーん、そうなんですか」

　なんだろう、この会話内容。聞くのが怖くなってきたんですけど。
　内容が色々と、恐ろしい方向に行きかけていたが、リリーが漸く本題に入る。

「とりあえず、これだけの事を、私もしておりますが。もし、仮に……ではありますが、ツバサ様が罰せられるのであれば、まず私を罰するべきかと。そうは思いませんか？　姫・様・」

　無機質な声が、お姫様を貫いた瞬間、彼女はビクリと身体を震わせると、涙を湛えたまま、こちらを睨む。
　しかし、必然的に、リリー越しに俺を、睨むことになるので、その視線もすぐに外れてしまった。
　そして、彼女は涙を乱暴に袖で拭うと、真っ赤な目をこちらに向け、

「わ、分かったわよ！　今回は、特別だからね！　けど、次はないわよ！？　お、覚えておきなさい！！」

　そう捨て台詞を残して、乱暴に足音を響かせ去っていった。
　こら、お姫様、がに股で歩かない。はしたないぞー。
　そんな風に、俺が心で、彼女の背中に声をかけていると、リリーが息を大きく吐き、少し重い声で呟く。

「ツバサ様、ごめんなさい。あの子、悪い子ではないのですが、妙にツバサ様に突っかかってくるんです」

　うん、そりゃそうだろうな。ありゃ、完全に嫉妬ですわ。まぁ、きっと彼女なりに複雑な心情があるんだろう。
　どうにか、彼女とも友好な関係を築きたいものなんだがな。
　そんな事を彼女に伝え、リリーが寂しそうに微笑んだ姿が、脳裏に焼き付いて離れないのだった。


　そうして、そんな風に別れた彼女が、一週間後、またここに来た。

　そして、今度は、ちゃんと護衛も数人連れてきているようである。
　だが、どうやら、その護衛達はこちらの敷地の入り口で待たせたようだな。護衛と思われる集団と別れ、一人でこちらに向かってくる様子が、確認できた。
　俺は、その方向を告げ、リリーを誘導する。特に迷う事も無く、お互いの距離が縮まっていく様子が、確認できた。

　しかし、あの不思議な魔法の正体を聞くチャンスはあるだろうか？
　……いや、それ以前に、彼女は俺に対して、まだ態度を硬化……と言うより、半分憎んでいる様子だったしなぁ。

　今度も、変な事にならなければ良いんだけど。

　だが、そんな俺のささやかな願いを聞く者は、この世界にはいなかったのだった。