比翼の鳥

風慎

第63話 誤算

 嵐のように過ぎ去った彼らを見送った俺は、しばし呆然としながら、椅子にへたり込んでいた。
 ふと見ると、足元から見上げるように、クウガとアギトがつぶらな瞳を向けている。

「ああ、すまん。何でも無いよ。うん。なんでもない。」

 いや、実際はかなり色々あるのだが、とりあえず、俺は現実逃避も兼ねて、2頭の頭を両手で撫でる。
 そうして気持ち良さそうに目を細め、弛緩する彼らの姿を眺めながら、俺は改めて、奥へと引きずられていった彼……ライト氏の事を考えていた。

 叡智の輪冠の影響により、獣人への忌避感を抱きながらも、その本質に迫り、それ故に、ねじれた愛情を注ぐ彼は、紛れも無く変態ではあるが、同時に、数少ない真理への到達者でもある。
 まぁ、到達した真理が、微妙な位置にあるのは、彼の目指した方向のせいだと思うが、だとしても、それはそれで、恐ろしいまでの執念と精神力のなせる業であったことは、疑いようがない事実だな。
 俺はその精神力には、敬意を評したいと素直に思えた。

 その精神力の源が、非常に残念な場所にある事を除けば……だが。

 そして、同時に、叡智の輪冠がおよぼす、獣人族への呪縛が、徹底している事を、まざまざと見せつけられた結果となった。
 正直、薄ら寒さを覚えるほどの悪意と執念を感じさせる。

 叡智の輪冠から与えられる忌避感は、徹底している。
 それは、単に嫌悪感を湧き上がらせるだけでなく、ある一つの残酷な処置をもって、完成されているのだ。

 考えても見て欲しい。
 いくら獣人に対して嫌悪感を持ったとしても、獣人は人と同じように動き、意思疎通できる訳なのだ。
 そう。紛れも無く、獣人たちは、生物であり、人なのである。

 いくら嫌悪感を喚起されたとしても、それが人の位置にあるならば……そして、意思疎通できるのであれば、場合によっては、先ほどのライト氏のように、獣人達に目を向ける人々が、もっと出てきてもおかしくはない。
 しかし、実際には、それは限りなくあり得ないようになっている。

 なぜならば、叡智の輪冠の一番恐ろしい呪縛は、獣人という種族へ抱く価値その物を、下げる所にあるからだ。

 どういうことか? つまり、簡単に言えば、獣人たちは、生物として認識されていないのである。
 人族と同じような価値に上がることができない……有り体に言えば、物と同じように認識されるのだ。

 分かりやすい例を上げるなら、元の世界のロボットがそれに近いだろうか?
 ロボット自体は、物だ。
 人間の生活を豊かにする、便利な道具として扱われる。
 獣人族と人族の立ち位置としては、ロボットと人間の関係性によく似ている。

 しかし、根本的に違うのが先程出てきた、価値その物を下げる呪縛である。

 ロボットの立ち位置はあくまでも物ではあるが、それがもし、限りなく人と近しい仕草をするようになった時、人はそれをただの物として認識し続けることができるだろうか?
 まぁ、達観した人は、そのまま、便利な道具として、使い続けることも出来るだろう。
 どんなに人間らしく泣き叫ぼうが、笑って酷使し、壊せる人もいるだろう。
 尤も、そういうお方が、人としてどうかと思わなくもないが。

 そういった特殊な方はさて置き、恐らく、大部分の人は、無意識のうちに、そのロボットを、人と同じような何かとして認識するようになるのではないだろうか?
 更に、人によっては、感情移入し、人と区別することも出来なくなる程、その存在を近しいものとするのではないだろうか?

 つまり、ロボットというただの物が、人間と同等、或いは近い価値へと昇華する可能性があるのだ。
 簡単にいえば、人がロボットを擬人化することによって、人と同じ存在して認識するようになるのである。

 ペットだってそうだ。
 あれは生物ではあるが、人ではない。
 だが、家族になりうるし、人の良きパートナーとなり得る。
 それは、ひとえに、その人にとって、ペットが人と近いところまで価値が昇華したからなのだ。

 しかし、獣人族にそれは起こり得ない。
 呪縛により押さえつけられた思考は、その考えを起こさせもしないからだ。

 つまり、無意識のうちに、獣人族はとして扱われるのである。

 だからこその、ライト氏の対応なのだ。
 一見すると彼は、獣人族のクリームさんを、大切にしているように見える。
 しかし、それは、物としての大切さであって、人としてのそれでは無いのだ。
 だから、彼は、チグハグとも取れる行動をしていた。

 俺は、リリーやクリームさんを人として認識しているが、彼は、物として認識させられている。

 より詳しく言えば……。

 俺は、彼女たちを綺麗なとして認識しているが、彼は、お気に入りのとして認識させられている。

 凄く乱暴な言い方をすれば、彼にとってクリームさんは、お気に入りの本とか、香水とか、服とかそういう物と同義なのだ。
 だから、彼はクリームさんに対して深い愛はあれど、対応は一見すれば鬼畜のそれとなる訳である。

 なんとも、もどかしいな。

 そいういう経緯もあって、彼は、お気に入りのクリームさんを、ちょっと面白い本でも読んでもらうかのように、簡単に貸してしまえるのである。
 そこにある本質は、物の良さを知って貰いたいという欲求からくるものであり、彼にとって、クリームさん自体は物でしか無い。
 よって、その行為は、本を汚して返すことはないだろうと言う、俺に対しての信頼程度にしかなく、クリームさん自体への心配と言うものは、微塵も起こらない。

 胸糞悪い呪縛だ。本当に。

 これが、どこかの教団が施した、獣人族への仕打ちの全容である。
 やり過ぎだと思うのは、俺だけなのか? そもそも、なんでここまで徹底しているんだ? これを考えた奴は、獣人族を心底憎んでいるのだろう。

 俺がそんなやりきれない思いを、ため息を付いて吐き出したと同時に、奥の扉が開き、皆が出てきた。

「あの、ツバサ様……クリームさんが、どこかへ行かれたまま、帰ってこないのですが……って、どうしたんですか? お疲れのようですけど。」

 リリーがそう口にしながら、首を傾げ、こちらへと歩いてきた。

「いや、何でも無いよ。ちょっとあってね。うん、ちょっとね。」

 そんな俺の言葉に、リリーは更に首を傾げてしまうが、そのすぐ後ろから、頬を膨らませながら歩いてくるルナの姿を見て、俺は頬を引きつらせる。

 えっと、まだお怒りですか? いや、あれは仕方ないんだよ。条件反射みたいな物なんだってば。
 ひぃ!? 冷気はやめて! と言うか、妄想くらい勘弁して下さい。男はそういう愚かな生き物なんですって。

 俺が汗をかきながらそう心で懇願すると、流石に、ルナも理解はしてくれているのか、そのまま、乱暴に俺の膝に収まり、後頭部を胸にグリグリと押し付けてきた。
 こら、クウガとアギトがびっくりして離れちゃったじゃないか。

「そうそう。さっきからルナちゃ……ルナ様のご気分が優れないようなのですが……ツバサ様、何かしました?」

 そんなリリーのジト目に、俺は思わず目をそらす。

 俺は何もしていない。無実だ。
 って、はい、わかったから! 撫でますって! 誠心誠意、撫でさせて頂きますから、冷気を放出するのはやめて!?

 俺は、空気が氷結する音を間近で聞きながら、焦ったように心で叫ぶ。

 それを聞いて、少しだけ気を良くしたのか、再度後頭部を、俺の胸へと押し付けてくるルナ。
 いや、なんだかんだで、この子は、こういう甘え方が上手いんだよなぁ。こういう反則な仕草は、どこで覚えてくるんだ?
 もし、本能でやってるなら、女の子と言うのは、最強だな。

 俺はそんなルナに愛しさと恐怖を覚えつつ、優しく頭を撫でる。
 リリーはそんな俺達のやり取りを不思議そうに見守っていたが、瞳の奥には「羨ましい」と絶叫するが如く書いてある。リリーよ、耳が小刻みに震えているぞ。ちゃんと宿に帰るまで我慢しなさい。

 そんな風に、ルナを撫で始めてからすぐに、カウンターの奥より、クリームさんが慌てて戻ってきた。

「お客様、大変失礼いたしました。あ、ルナ様、リリー様、お待たせしてしまい申し訳ございません。」

 そう口にするや否や、見惚れてしまう程、完璧に深々とお辞儀をしてくる。

「いえいえ、こちらは大丈夫ですよ。ご主人とも、興味深いお話が出来ましたし。どうぞお気になさらず。」

「いえ、本当に、申し訳ございませんでした。ご主人様は、ちゃんと私が責任をもって縛り上げておきましたので、もう降りてくることはありません。ご安心下さい。」

「え、ええ……。お疲れ、様でした?」

 縛ってんのかよ。

 少し気になったので、知覚を広げて様子を伺ってみたが、特に泣き叫んでいるような様子は無い。
 なんかいい感じにエビ反りになって、宙に浮いているようだ。どういうことよ……。
 まぁ、体調が悪かったり、絶望しているようでは無さそうだ。
 むしろ、何か体温が上昇して、鼻息が荒いんだが。

 ……見なかったことにしよう。

 俺は、知覚を絞り、通常運転に戻すと、未だに頭を下げているクリームさんに向かって、問いかける。

「ところで、服はどうでしょうか? 何か良い物はありそうでしょうか?」

 そんな俺の問いかけに、彼女は顔を上げると、

「はい。お連れの方の服は、ほぼ決まりました。後は、お客様の方になります。」

「それは良かった。リリー、ルナ、良いのあった?」

 そんな俺の問に、リリーは笑顔で、ルナは俺に背を向けて、スッポリ収まっているので表情は見えないが、それぞれ頷いていた。
 どうやら、良い物があったようで何よりだ。

「そっか。じゃあ、俺もお願いしようかな? クリームさん……って、名前は失礼ですかね。すいません。」

 そんな俺の様子に、クリームさんは、一瞬、動きを止めるが、すぐに笑顔になると、

「いいえ、お客様が宜しければ、是非、私の事を名前でお呼びください。……宜しければ、ですが。」

 と、少しゆっくりと口にした。
 その言葉の奥に潜む何かを俺は感じ、瞬時に、その意味に行き当たった。
 そうして俺は、この店に来てから、完璧に失敗していた事にようやく気がつく。
 あー、しまった。素でやってしまった。流石に、何度かやってるし、これは、完全にバレたな。

 俺は自分が犯してきた、痛恨のミスを悟る。
 同時に、その辺りを想定していなかった事が悔やまれた。まさか、獣人族の接客など有るわけがないと、決めつけてかかっていたのも、まずかった。そう、そんな事が起こるとは、考えてすらいなかったのだ。

 俺は、最初から獣人と、接してしまっていたのだ。

 先程の話の通り、獣人族の忌避感は絶大である。
 なので、ならば、獣人族の接客など、出来るわけがないし、あるわけが無いのだ。
 獣人がどんなに完璧な接客をしたとしても、接客される側は、獣人の接客など望まないわけだし。
 だから、俺が普通にクリームさんに気を使うなど、あってはならないのだ。

 つまり、彼女は完全に気がついてしまった。
 俺は、獣人族を忌避しないということ。

 それだけでなく、恐らくは、姿で見えているということも。

 俺はため息をつくと、覚悟を決める。
 まぁ、やってしまったものは仕方ない。どうせなら、この状況をそのまま良い方向に持って行こう。
 そうだな。仲間は多い方が良いに決まっている。
 ……まぁ、漏れ無く、あの変態もついてくると思うと若干萎えるが、致し方あるまい。

 俺は、クリームさんへと右手を差し出し、

「ええ、喜んで呼ばせて頂きます。宜しく、クリームさん。」

 そう笑顔で答えたのだった。

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