比翼の鳥

風慎

第62話 変態

「えっと……すいません。良く聞きとれなかったので、もう一度お願いできますか?」

 俺は汗を垂らしながら、必死に考える。
 いや、今、この爽やかイケメンは何と言った?
 リリーの太ももに顔を埋めたい? ハハハ……そんな馬鹿な。

「はい。ツバサ様の所有しておられる、あの素晴らしい金の毛並みの獣人様の太ももに、顔を埋めたいのです。出来るなら、その匂いや、毛並みを存分に顔で! いえ、五感全部で堪能した……。」

「はい。ストップ。ちょっと待ってね。」

 ガチでした!

 俺はグルグルと回り始めた思考を整理すべく、深呼吸をして息を整える。
 こめかみを揉みながら、俺は合理的に物を考える為、必死に今の状況を整理しにかかった。

 まぁ、リリーは金色の珍しい毛並みだから、獣人族に理解があるとすれば、その毛並みに何か感じ入る事は分からないでもない。
 俺もリリーの毛並みは綺麗だと思う。それは思うし、撫でることも好きだ。あの手触りは何物にも変えられない至高のものである。
 だが、普通に考えて、それを踏まえたとしても、女性の股に自分の顔を突っ込みたいとか、言えるのか? 股ということは……つまりは、そういう場所なのだろうか? それは、イケメンだから今まで許されて来たのか?

 いや、白状しよう。俺も男だ。
 確かに、そういう願望が時折、いや、本当に極稀に胸をよぎる事はある。いや、きっと全人類の男は、一度はそんな淡い妄想を抱いた事がある筈だ。……あると思っている。いや、あって欲しい。割と本気で。じゃないと俺が立ち直れない。
 いや、それはどうでもいいとして、そもそも、そんなことを口に出すのは、話が違うのではないだろうか?
 だいたい、薄暗い欲望の塊を、普通、赤の他人に言うか? 自分の彼女ならまだしも……いや、場合によっては彼女にだって言わないよなぁ? それともイケメンは言ってもいいのか? そういう物なのだろうか?

「あー……一度、整理したいんだけど、つまり、俺の奴隷のリリー……ああ、金色の毛の獣人ね。この子の股に顔を挟みたいと? そういう事?」

「はい!」

 爽やかで迷いのない返事が返って来る。
 あれ、俺がおかしいんだろうか? 確固たる自信と、俺の中にある何かが揺れる。

「えー、ちなみに……何で?」

「それはもう、あの獣人様の毛並が素晴らしいからです! そう思ったらもう、触って舐めて臭いを……。」

「すとーっぷ!」

 いや、そんな、今良い所だったのにみたいな顔されても。

 とりあえず、今のやり取りで、俺が単なる変な勘違いをしているという線は、ほぼ確実に無くなった訳だ。

 このイケメンが、リリーの股に顔を埋める??
 おう……流石にむかっ腹が立って来たぞ?
 俺だって、リリーには純粋な好意を持っている。勿論、ルナのそれとは形が違うが、大きさで言えば引けは取らないと自負している。
 そんな想いのある子を他人に良い様にされるとか、どうやっても無理だ。
 ましてや、リリーも一途にあんなにも俺を慕ってくれているのだ。
 そんな子の想いを踏みにじるとか無いわ。それ以上に、俺だって独占欲の欠片はある。

「という訳で、全力でお断りします。」

 俺が自分の中で完結した言葉を、遠慮なくぶつけてやった。
 その瞬間、この世の終わりが来た様に、絶望を体現し、膝から崩れ落ちるライト氏。
 そして、わなわなと体を震わせると、涙を流しながら、俺へと視線を向ける。

「何故ですか……!」

「いや、何故も何も、リリーは私の可愛い……奴隷、ですし。」

「それは、分かります! あのように着崩れてはいますが、怪我も無く健康そのもの。何より、毛並みの芯の部分は非常につややかで、大切にされているのは良く分かります。なので、ちょっとだけで良いんです! 別に、ツバサ様から奪おうとするわけでは無いんです!」

「いや、そもそも、自分の好きな子の太ももを他人がしゃぶりつくしてたら、普通に嫌でしょう?」

 俺は嫌な想像に、またも心を揺らされ、眉をひそめて、少しキツ目に口にする。

「え?」

「え?」

 あれ? 俺なんか変な事を言ったのかな?
 何故か、その言葉を聞いたとたん、ライト氏はポカーンと口を開けて動きを止めてしまった。
 いや、想定と全く違う反応で、流石の俺も戸惑う。
 そうして目の前のイケメンは呆然と俺を見ていたが、何かに気が付いたのか、体を震わせ、一変して、今度は、俺の方を神々しい物でも見るかのように、涙をたたえた瞳で見つめて来た。

 ちょ、何その信じきった澄んだ目は!?

 思わず、後ずさる俺。
 しかし、俺に追いすがるライト氏。なにこれ?
 だが、流石イケメン、男なのに、こんな状況でも、腕力で押しのけるには気が引ける。これが、イケメンバリア!?
 俺のそんな動揺も我関せずとばかりに、しきりに頷くと、彼は口を開いた。

「そうですか……そういう事だったのですね。それなら理解できます。我が同志よ!!」

 いきなりそう叫ぶと、生き返ったように手を広げ、歓喜を露わにするライト氏。

 誰が同士だ!? 誰が!?
 呆然とその変貌ぶりを見る俺を置き去りに、彼は更に饒舌に、その口から言葉を吐き出していく。

「つまり、貴方もまた、獣人愛に目覚めた一人……。そう、彼らの見た目は確かに醜い。しかし、その奥から湧き上がる愛おしさ。吐き気を催すようなドブの臭いの中にそっと秘匿された森の様な清々しい臭い。触るのも忌避されるようなその毛の中にも、艶やかな天上の一瞬があるという事を! そう! 貴方も、そうして、彼らの素晴らしさを知り、夜な夜な彼らの体をまさぐり、その不快な泥の中に埋もれた一滴の聖水を求め……。」

「しねぇよ!? そんなこと!?」

 思わず素で、しかも大声で反論してしまった。

「いやいや、私には分かってしまいました。そう、ツバサさん。貴方は獣人を愛しているのです!」

 何故か一瞬、荒波をバックに抱えたように、凄い勢いで、俺を指さすライト氏。後ろに波しぶきが上がる幻想が見えた。

「いや、まぁ、落ち着け。話をしようか。」

 俺は内心、気力をゴッソリと持って行かれながら、そう呟くも、ライト氏は、完全にキレのあるターンをしながら、音がしそうな程、鋭く、俺に指を突き付け、俺に迷いなく言葉をぶつけて来た。

「ツバサさん! あの金色の毛並みに……貴方も、魅了されているはずだ!」

 一瞬気圧されながら、俺は考えてしまう。

 まぁ、確かに、リリーの毛並みは、素晴らしい。
 あのなで心地。肌を通る時のあの、極上の感触。あれはリリー独自の、そして、彼女の清らかさを体現している奇跡であると言っても良い。

「さらに! その芳しい匂いも、嗅いだことがあるのでは無いだろうか!?」

 まぁ、そうだな。少し甘めの匂いはする。特に、一緒に寝た後の起き抜けは、一際強く香るな。
 あの匂いを嗅ぐと、不思議と、気持ちが安らぐんだよなぁ。

「時折、可愛く鳴いてくれる声を、貴方は聞いたことがあるのではないかな!?」

 時折どころか、いつも可愛いぞ。リリーは、俺にとって心のオアシスだしな。
 あの少し甘えた声で、自分の名前を呼ばれることが、どれだけ俺にとって癒しになっていることか。

「そして、そんな金の大地に、自分の顔を埋め、その奥に眠る未知の味覚を堪能し、舐めとる……これこそ究極の……。」

「だから、絶対にしねぇよ!?」

 危ねぇ!? 危うく洗脳されるところだった……。
 こ、こいつは侮れない。ちょっと良いかもって思ってしまった俺がいる。
 俺は思わず叫んでしまい、息を整えるので必死である。

 そんな、ある意味追い詰められた俺が何か言う前に、更に、彼は言葉を続ける。

「待って下さい! 皆まで言う必要はないのです。そう、これは恥ずかしい事では無いのですよ。間違っているのは、そう……世界の方だ! 獣人達のあの素晴らしさが理解出来ないなんて……なんて嘆かわしい。街の獣人達を見ましたか? あんな風に毛並みも崩れるほど酷使され、やせ細ってしまって……あれでは、何も堪能できないではないですか!」

 一瞬同意しかけた自分がいて、少し嫌になったが、言いたい事は良く分かる。
 何をどう堪能するかは、この際、置いておくにしろ、俺も、獣人が虐げられているのを見るのは嫌だという点に関しては、同じ気持ちだからだ。
 しかし、何故だろうか? 一見、同意したくなる彼の言葉に、素直に頷くには非常に抵抗がある。

「え、ええ。まぁ、獣人達が可哀想だとは思います。もっと良い待遇にしてあげたいですね。」

 なのでやんわりと同意するに留めたが、彼はそれを聞いた瞬間、水を得た魚のように、目をきらめかせ、俺の手を握って来た。

「そうでしょう! やはり私の見込んだ通りのお人だ。ああ、何と言う素晴らしい日だ! こんな日が来るとは!」

 一方の俺は少しげんなりとしながら、発光でもしてるんじゃないかと思うほど眩い笑顔を見て、苦笑するに留める。

「そうだ……同志よ……それなら、こうしましょう。まず、私の信頼の証として、私の奴隷であるクリームを堪能して下さい。それでもし気に入ったのなら、貴方の奴隷を少しの間でいいから貸してほしいです。」

 俺が、イケメン光に焼かれそうになっていると、目の前の彼は、俺の心が砕けそうなほど、とんでもない提案をしてきた。

「ちょ、あのね。それはいくらなんでも……。」

 人として駄目だろう。
 どこの世界に、自分のお気に入りの女性を差し出す奴がいるんだよ。
 あ、ここか。

 そんな俺の言葉を全く聞いていなかったように、しきりに頷き、「うんうん、名案だな。」と、一人満足している目の前のイケメンは、一体、どういう思考をしているのだろうか?
 俺が呆然としていると、

「ああ、そうそう。その後、クリームがどんな感じだったか、感想を聞かせて欲しいのですよ。彼女もなかなか肉厚で良い香りを持っているので、ツバサさんならお気に召すかと思いますよ。これなら、お互いに損はないですよね。それでも仮に、貴方が、自分の奴隷を他人に預けるのが嫌なら、それはそれで本物の獣愛だ。私は、涙を呑んで引く事にしますよ。」

 そう言われて、一瞬、先程の獣人のお姉さんの股に頭を突っ込む自分を想像してしまい……次の瞬間、奥の部屋から、何か騒ぎ声が聞こえて来た。

 しまった!? 一瞬、想像してしまった。
 いや、ルナよ……違う! 無いからな!? 絶対ないからな!?
 俺は、奥から発せられた魔力の暴発を感知し、背中から冷汗を流しながら、声にも出す。

「い、いえ、全力で遠慮しておきます!」

 慌てて俺が、大声で叫ぶと、奥からの音がやむ。
 あ、あぶねぇ。危うく、色々と粉々になるところだった。

 そんな俺の冷や汗に気が付く事も無く、目の前のライト氏は、見るからに残念そうだ。「そうですか、良い案だと思ったのだが……。」と、しょげてしまっている。
 いや、あんたは危うく、この店を消し飛ばそうとしたんだよ! とは、流石に言えず、俺は「ご期待に沿えず、申し訳ない。」と、お茶を濁す様に、呟くに留めた。もう疲れたよ、俺は。

 しかし、よくよく冷静に考えたら、あのクリームと呼ばれた獣人を俺に売り渡そうとするその行動自体、外道ですからね!?
 っていうか、それ以前の話として、もし俺が了承したら、まず、俺の命が潰えるのが先だろう。主にルナとリリーによって。
 先程も、ルナの暴走でヤバそうなことになっていただろうし。

 この店の危機を救った俺に、感謝すらして欲しいぐらいだ。
 ……待てよ? いや、むしろ、いっその事潰れてしまった方がこれは良いのだろうか?

 半分本気で考えながら、そうため息をつく俺の視線がライト氏の額へと向かい……その額に納まった銀の輪に吸い込まれると同時に、重大な事に気が付いてしまう。

 待てよ? そう言えば……この人、叡智の輪冠してるじゃないか!

 と言うことは、あれだ。彼には獣人は、毛むくじゃらの化け物に見えてる筈なんだよな。
 そう思い返し、今迄の言動の端々を思い出すと、確かに、その兆候が見て取れる。
 普通ならば、獣人は汚らわしく、嫌悪感を引き出す様に思わされているはずだ。

 視覚からの情報は、見るだけで目を背けたくなるように。
 嗅覚からの情報は、嗅いだだけで吐き気を催すかのように。
 聴覚からの情報は、聞いただけでイライラするように。
 味覚……がいじられているのか定かでは無いが、獣人を食す傾向が無い所を見ると、それもいじられているのだろう。
 触覚は、ヘドロでも触ったような身の毛がよだつ感触のものに。

 その様に、徹底的に、忌避感を喚起するように、いじられているはずである。
 という事は……彼にはその忌避感を乗り越えて、その向こうにある獣人本来の良さを堪能できている……という事か?
 もしくは、その不快感そのものが、彼にとって一種の快感として感じられてしまっているのか、どちらかだろう。

 つまり、こいつは……あれだ。
 前者であろうが、後者であろうが……その忌避感を快楽に変えてしまっている、奇特な人種。
 フェチズムを追求しつくし、更にその先へと到達した……言わば、まごう事無き……変態なのだ。

 となると、俺が違和感を覚えていた、彼の獣人族への対応の雑さも、ある意味納得がいく訳だ。

 俺がそれを理解し、納得すると同時に、奥から先程のお姉さんが出て来て、

「お客様? 何か叫び声が聞こえたよう……ですね。」

 この状況を見て全てを察したようだ。
 彼女は音もなく、早足でライト氏に近づく。対して、それに気が付いた彼は、満面の笑みで

「おお! クリーム! 聞いてくれ! 私は今、非常に……いた!? 痛いぞ!? そこは耳だ!」

 クリームと呼ばれたお姉さんに耳を引っ張られ、その顔を歪ませていた。
 そんな悲鳴を上げるライト氏を見ることなく、お姉さんはこちらに向き直ると、

「すいません、お客様。お見苦しい物をお見せいたしました。出来れば忘却して頂けると助かります。この変態はしっかりと調教しておきますので。」

 と、にこやかに一礼して両者ともに、カウンターの奥に去って行った。
 それは正に一瞬の、嵐の様な出来事であったのだった。

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