比翼の鳥

風慎

春香の章 第一話

 目覚ましが鳴る。裏拳で、ぶっ飛ばして止める。
 もう……朝か。
 私はゆっくりと、ベッドから体を起こすと、縁に腰掛け、ボーっと壁を見つめる。
 別に壁が好きなわけじゃない。何かポスターがある訳でも無い。
 単に私の前に壁がある。ただそれだけだった。

 しばらくそうして、頭を緩く起こしつつ……私は、ふと、カレンダーを見る。
 11月11日。今日はゾロ目か……。何か良い事でもあるだろうか?
 デジタル時計は、6時32分を指している。
 11時11分になったら、何か奇跡でも起きるのかもしれない。

 そう思った後、その自分のあまりにも滑稽な思考に、苦笑してしまう。
 何がゾロ目だ……何が、奇跡だ……。
 そんなものに頼る様になるとは……もしかしたら、私は自分が思う以上に、疲れているのかもしれない。
 ふと、小さな棚の上に立てかけてある写真に目が行く。
 そこには、私と、ちょっと疲れた顔をして、微笑む中年の男が写っていた。
 その写真を見て、苦笑する。
 この世に神はいない……。私の信条だ。

 もし、神がいるのなら……こんなに泣く人が多いはずがないのだ。
 そう、兄貴のように、社会との軋轢に苦しんだ挙句に、やっとつかんだ小さな足がかりも、気まぐれのようにやって来た病魔に刈り取られてしまう人が出る訳が無い。

 神などいない。悪魔ならうじゃうじゃいるかもしれない。
 じゃあ、ここは地獄なのかな?
 だとしたら、罪深い人間のなんと多い事か。

 そして、ふと気が付いた。
 じゃあ、私も罪人だな……と。
 ふと、窓の外を見ると……今日も憎らしい程、良い天気だった。

 やっと動き始めた頭を振り、私は階段を下りて居間へと向かう。
 居間には、既に朝食の準備がされていた。
 テレビより、朝のニュースが、垂れ流されてくる。
 私は、ジャージに半纏と言う、女性としての何かを投げ捨てた恰好で、椅子に座る。
 そんな私に、母は、みそ汁を渡しながら、

「あらあら……春香ちゃん……顔……洗ってきたら?」

 と、少し呆れたように言う。
 三十路を超えた娘にちゃん付けも無いだろうと思うけど……実家に身を置かせて貰ってる以上、そんな事は言わない。
 新聞バリアーを張る父も、新聞越しに何となくこちらを見ているような気がした。
 全く……この父はいつも、新聞で顔を隠してばかりだ。
 しかも、滅多に声を出す事は無い。家族の私でさえも、1週間に一度、まともな会話が出来れば良い方だ

 そんな父の状態を確認し、改めて謎の多い人物だと再評価した私は、「ああ」と返事をして、洗面所で顔を洗う。
 やっと少しすっきりしたか。これだから、朝は苦手だ。
 完全に目の覚めた私は、改めて席に座り、納豆をかきまぜはじめる。

 テレビからは、7時のニュースが流れ、アナウンサーが深刻そうな顔で、文面を読み上げている。
 いつも思うのだが、この人達の演技力は素晴らしいものがある。
 動物と触れ合う子供の様子を真面目に語るとか、私には絶対できない。

 そんな失礼な感想を心で思いつつ、納豆をご飯にかけ、胃に流し込んでいると、

『次のニュースです。 突発性クライン・レビン症候群と診断され、入院した患者は、先月末現在、205人にのぼる事が、厚生労働省の調査で分かりました。』

 と言うニュースが飛び込んできた。
 私は、思わずそのニュースを凝視する。
 父と母も、そのニュースを見守る。
 アナウンサーに促され、専門家が、この病気の特徴を説明し始める。

『この奇病は、ある日、突然発症し、そのまま昏睡状態のまま眠り続けると言う物であり、未だ、原因の特定には至っておりません。ただ、患者の脳の一部分に、特殊な腫瘍が形成されており、これが原因と言われております。しかし、どのような経路でこの腫瘍が形成されるかは未だ、判明しておらず、研究の更なる推進が必要とされております。現在、日本国内でのみ、確認されており、回復例も2例しか報告が……。』

 そこで、父が黙ってテレビを切る。
 私は、そのニュースを聞き、深いため息をつく。
 家族全員に重苦しい雰囲気が落ちるのを避ける事は出来ない。
 今ニュースにあった、突発性クライン・レビン症候群は、兄貴が罹患りかんした病気だ。
 あんだけ苦労しておいて、今度は原因不明の奇病にあっさりと掛かり病院送りになった。
 今もベッドの上で、一人、昏々と眠り続けている。

 ……よし、決めた。
 今日は、兄貴のお見舞いに行こう。
 折角取った有給だ。好きなように使う事にする。
 そうと決まれば、まずは、このご飯を片付けてしまわなくては!
 私は、納豆とごはんとみそ汁を勢いよく、かき込み始めた。

 その様子を見て、母は、「これだから……貰い手がいないのよねぇ……。」と、嘆いているが、そんなものは縁だ。
 この程度の姿を見て、引かれる様なら、そんな男こちらから願い下げだ。
 私は、そんな事を思いながら、朝食を平らげたのだった。

 思い立ったが、吉日。
 早速着替え、兄貴の入院している市大の附属病院へと向かう。
 地元では有名なこの病院は、いち早く、例の奇病の受け入れ基地となって、今も増え続ける奇病の患者を診ている。
 奇特な事だ……と思っていたのだが、いつも付き纏う後輩の高橋陽子によれば、国からの補助金やら、出所不明の金が入り込んでいると言っていた。
 まぁ、奴の話は8割がた嘘だから、適当に流しておくのが良いだろう。

 私は、バスを2台乗り継ぎ、市大へと向かう。
 今日は天気も良く、からっとした気候だったので、思い切って長めのスカートと、カーディガンをはおって、女性らしい装いで外に出た。
 いつもは、パンツ系が中心なので、私にしてはちょっとした冒険だ。
 道行く人の視線を感じる。
 ふふん。私もまだまだ捨てたもんじゃないだろう?
 長い黒髪を後ろで止め、腰まで垂らす。
 長いとそれはそれで手入れが大変なのだが、ある理由から私は髪を伸ばし続けていた。
 兄貴も、家族も、そして、友人たちから言われるが、私は黙っていればいい女なのだそうだ。
 黙って無くても良い女のつもりだが、皆が皆、全否定をする。
 全く……。若干、乱暴で、言葉遣いが荒く、手と足が出やすいだけではないか……。
 世の男は、忍耐力がなさ過ぎる!
 兄貴を見習え! 私の機嫌が悪くて、ちょっと回し蹴りを10発……いや、15発だったかな?八つ当たりで入れても、許してくれるんだぞ!
 なんかその後しばらくは、兄貴も私に近寄って来なかったけど……。

 兄貴が倒れてから6か月。半年か……長いようで短かった。
 最初に、知らせを聞いた時は、訳が分からなかった。
 私は、丁度残業で会社に残ってて、終電で帰って来たから、クタクタで……。
 だから、母親に叩き起こされた時は、安眠を妨害されて、理不尽にも倒れた兄貴に怒りすら覚えた。
 けど、そんな事も、病院で寝ている兄貴を見たら、全部吹っ飛んだ。
 いつも、困った様に笑う兄貴が動かない。
 どついて、怒って、大声で呼んで、それでも動かないから、悲しくて……。

 規則正しく、寝ているだけのように見えたけど……原因不明だって言われて、実感がわかなかった。
 同じ様に、全国で一斉に倒れた人が出て、そこから一ヶ月は、あっという間だった。
 連日、ニュースで語られるのは、この奇病の事ばかり。
 何回か、取材も来たけど、全部断った。
「今のお気持ちをお聞かせください」と、しつこかったな。
 悲しいの一言だ。それ以外何だと言うのだ? そんな事聞いている暇があったら、奇病の原因を探って来いと言いたかった。
 それでも、カメラ持った人がうちの周りをうろちょろしてたから、ちょっと脅したら二度と来なかった。
 陽子に「流石先輩ですぅ!! 惚れ直しますぅ!!」とか言われたので、蹴っておいたら、逆に気持ち悪いほど陶酔した目で見られた。
 ああ、そういう奴だったと、思い出す。いつもは普通だから、時々、その事実を、忘れてしまう事がある。
「せ、先輩の……ご褒美……ハァハァ……。」と、呟くので、思わず条件反射で蹴ってしまった。
 嬌声を上げながら、痙攣する変態を見て、いつも後悔するのだ。
 こいつも、これさえなければ、良い後輩なのだが……。

 変態の話はまぁ、いいだろう。
 最初の内は毎日の様に、お見舞いに行っていたのだが、変わらない病状に、容赦なく過ぎて行く日常。
 今は、母さんが2日に一度見に行くだけで、家族揃って見舞いに行けたのは、最初の1ヶ月だけだった。
 私も来れて、週に1度。特に最近は足が遠のいていた。
 分かってる。慣れて来たんだ。兄貴がいない生活に。
 そして、恐いんだ。今の兄貴の姿を見るのが……。

 食事のとれない兄貴は、今や皮と骨だった。
 ぽっちゃりしてて、ダイエットしなきゃとか、言ってたのに。
 ちょっと減らしすぎじゃないか? このままだと……死んでしまうぞ?
 そう思うが、それでも、兄貴は目を覚まさない。
 そして、それはお前が無力なせいだと、言われているようでやるせなかった。

 そう言えば……2ヶ月ほど前だろうか?
 何故か兄貴は突然、原因不明の発熱を起こした。
 その時は、家族皆が気が気ではなかった。
 医師からも、「今夜が峠です……」などと、ありがちながら聞きたくも無い台詞を聞かされた。
 しかし、幸いにして、なんとか兄貴は持ち直したようだった。
 そこから1ヶ月近く、容体が安定しなかったようだが……。
 ちなみに、原因は未だに不明だ。
 それが、余計に、不安をかきたてる原因なのかもしれない。
 分からないと言うのが一番怖い……。

『次は……市大付属病院前……次は……。』

 と言うアナウンスに、ハッと意識を現実へと引き戻す。
 幸いにも、ここは下りる人が多いので、誰かがブザーを鳴らしていた。
 いかんな……今日の私は、何か感傷的だ。

 頭を振り、降りる人ほぼ全てが高齢者と言う現実を見ながら、私はバスを降りる。

 バス停から少し歩いたところで、信号待ちをしている間、私は車道の向こう側に広がる病院を仰ぎ見る。
 吸い込まれていく老人たち。
 吐き出されるように出て来る人々。
 ここは、まるで……工場か、墓標か……。
 そんな事を思った時、私の携帯が音を鳴らす。

 ふむ……。また陽子の奴が、下らん話でも送って来たのか?
 そう思い、メールの文面を見て、私は眉をひそめる。

『件名: ¨兄 ³ ñ Í ¶ « Ä ¢ Ü • æ

 本文: æ è ß µ ½ ­ È ¢ Å •  ?』

 単なる、いたずらメールだろうか?
 何か腑に落ちない物を感じつつ、私は携帯をしまい、ついでに電源も落とす。

 そう言えば、兄貴はスマホだったな。
 貧乏人の癖に、無理してスマホとか手を出すから罰が当たるんだ。
 購入して1ヶ月でベッドの上とか、笑えないにも程がある。
 しょうがないので、支払いは私がしている。
 起きたら、精々、馬車馬のように働いて貰う事にしよう。

 病院に到着した私は、面会手続きを済ませて、兄貴のいる病室へと向かう。
 特別な病気という事で、今は国から補助が出ているので個室で治療を受けている様だ。
 兄貴が知ったらきっと、驚くと思う。それで、値段を聞くんだろうな。貧乏人だから。

 私は、兄貴の病室の前まで来ると、気合を入れる。
 よし! 元気出していこう!

「兄貴ー。可愛い妹が見舞いに来たぞー!」

 そして、その部屋には何故か先客がいた。
 そばかすの残る頬に、綺麗なクリクリとした目。
 中学生くらいだろうか? 制服に身を包み、学生と言う特権を惜しげも無くアピールしている。

 その目が吃驚した様に見開かれ、私を見て来るが、吃驚したのは私の方だ。
 まさか人がいるとは思わなかった。
 ちょっと恥ずかしいが、もう、後の祭りだな。
 私は、咳払いをすると、その少女に声をかける。

「すまんな。まさか先客がいるとは思わなくて。」

 そんな私の言葉を聞いて、「あ、いえ! こちらこそすいません!」と、何故か謝る。
 そして、おずおずとした様子で、私に声をかけて来た。

「あの……もしかして……春香さん……ですか?」

「おや? もしかして会った事があるのかな? すまんね……ちょっと思い出せないのだが……。」

 そんな私の言葉に、少女は慌てた様に、

「いえ、お会いするのは初めてです。あ、申し遅れました! 私……今井ほのかって言います!」

 自己紹介をしながら、お辞儀をする彼女の後ろにふと目が行った。
 棚に置かれたデジタル時計に吸い込まれるように視線を合わせると、11時11分だった。

 その時の私は気が付かなかったが、どうやら奇跡は人知れず、起きた様だったのだ。

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コメント

  • くあ

    異世界転移は、病気だったのか?

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