比翼の鳥

風慎

第21話 先駆者

「そりゃぁ……ツバサよぉ。一体、どういう事だよ?」

 皆の意見を代弁するかのように、カスードさんが声を上げた。
 そんな彼を見据えつつ、俺は、丁寧に答える。

「そりゃ、そのまんまの意味ですよ。結界を張っているのは、ナーガラーシャ様と言う竜神様で、結界を通り抜けたいなら、やはり管理している方にお願いするのが、一番スマートなやり方かなと。」

 そんな俺の言葉に、獣人族の皆は、ため息を吐きだす。
 そして、桜花さんが、俺を真っ直ぐ見つめると、言い聞かせるように、口を開く。

「良いか? ツバサ殿。それは無理なんじゃよ。」

 ふむ、無理。無理ねぇ。
 俺が、不思議に思うと、それを読み取ったのか、桜花さんは更に言葉を続ける。

「そもそも、ナーガラーシャ様は、あの契約の儀式以降、眠りについておってな。何処にいるかも分からぬ。それに、元々、契約できたのも、あの方の気まぐれじゃ。獣人族が何かしたわけでは無いのじゃよ。勿論、呼び出す方法など、皆目見当もつかぬ。」

 ハッキリとそう言う桜花さんに、俺は驚く。
 そんな事言っていいのだろうか? 仮にも一族の長として。
 良く見ると、シャハルさんも、レイリさんも、驚いていた。
 そして、ヨーゼフさんが、思わずと言う感じで、声を上げる。

「桜花殿。それは、秘匿にすべき話では。特に、ここには……。」

 と、チラリとシャハルさんを横目で見て、その勢いを無くす。
 そんな様子に、桜花さんは黙って首を振り、それを見たシャハルさんが声を上げた。

「いや、それは、もう何代も前の決め事です。前の族長であれば、憤慨したかも知れませんが、今の族長である私には、それ程、重要な事ではありません。」

 何故か少し楽しそうに、シャハルさんはそう言い切った。
 それを見て、皆の緊張が、解け、場に張り詰めていた空気が、霧散していくのを感じる。
 そんな様子に安堵したのか、カスードさんが、話を受け取って続ける。

「まぁ、何だ。つまりよ、俺達は偶然、助かっただけで、本当に何もしてねぇわけよ。けどさ、当時の狐族と翼族の族長様は、それを情けねぇと思ったんだろうなぁ。どうにも、その情けなさに我慢が出来なかったらしくてよぉ……俺らが……と言うより、狐族と翼族が中心となって、竜神様を呼び出したって事にしたわけだな。」

 まぁ、良くある話である。
 歴史は美化されるという、典型的なパターンであろう。

 そして、そんな事、今迄の各氏族の状況を見たら、分かる話だ。
 でなければ、ここまで追い詰められる前に、どの氏族も、ナーガラーシャ様に懇願しているだろう。
 特に、娘たちを愛してやまない桜花さんが、そんな風に指をくわえて何も出来ない状態でいる筈は無い。
 もし、ナーガラーシャ様と話を出来るのならば、娘の命をどうにかして助けて欲しいと懇願したはずだ。
 だが、実際にはそうなっていなかった。
 俺と会ったばかりの頃は、完全に諦めていたのだ。
 そして、俺がこの村に滞在して以降もそう言う話が出なかったという事は、そもそも、そんな事出来ないと分かっていたからだろう。
 だから、俺は、ナーガラーシャ様を呼び出して対話と言う線は、もとより考えていなかった。
 だって、すぐ傍に、本人……或いは、本人に意志を伝えられそうな人物がいるんだから。

 俺は、桜花さんやカスードさんが、苦々しい顔で、俺に説明する様子を見ながら、そんな事を考えていたのだった。

 そんな風に、説得とも、報告ともつかない話を続ける2人の話をさえぎる様に、一人の獣人が廊下を足早に掛けて来る音が響く。
 一瞬にして、部屋に静寂が戻り、その足音がこの部屋の前で止まると、戸の奥より、声が響いた。

「大事な会議中、失礼しやす。狐族の村より、離反者一行が到着致しやした。」

 その言葉に、宇迦之さんだけでなく、他の長老もその声の方へと顔を向ける。
 俺は、そんなある種異様な空気の中、いつも通りに言葉をかける。

「ベイルさん、お疲れ様です。とりあえず、詳しい報告をお願いします。」

 その言葉と同時に、「失礼しやす。」と、再度声を上げ、戸を開けた後、一礼をするベイルさん。
 その姿には、最初の頃の様にオドオドした様子も無く、しっかりと地に根を張った巨木のような安心感があった。
 そんなベイルさんは、廊下に片膝を付いたまま、こちらを見据え、報告を始める。

「当初の予定通り、狐族の村からの離反者4名を、ルカール村第2外壁部、第3村落に案内いたしやした。今の所、特に困った事も無いようでして、皆、落ち着いておりやす。」

「了解です。護衛、ありがとうございます。後で、俺達も様子を見に行きますんで、引き続き、宜しくお願いしますね。」

「ツバサの旦那、合点でさぁ!」

 そう言うが早いか、意気揚々と、「失礼しやした!」と、声を上げ、ベイルさんは去っていた。
 久々に見たが、彼も充実しているようで何よりだ。
 魔力の巡りも上々だし、昔と比べると、かなり強くなったのを肌で感じた。

「ふむ……狐族もこれで、一気に崩れ始めるの。」

 そんな風に、ポツリと漏らした桜花さんの言葉に、皆、一様にうなずく事で、意志を示す。
 しかし、宇迦之さんだけは、不安そうな顔で、何かを考えているようだった。
 その肩をレイリさんが叩き、「宇迦之、大丈夫ですよ。私達がついていますから。」と、少し不敵とも思える笑みで、微笑みかけている姿を見て、俺は安心する。
 ふと、宇迦之さんが求めるように俺を見つめて来たので、「いざという時は、任せておけ!」と言う気持ちを込め、俺は真剣な顔で、頷いて返した。
 それで、ようやく腹が決まったのだろう。
 宇迦之さんも頷き返すと、音も無く立ち上がり、声を上げた。

「では、わらわは、村の皆に挨拶をして来る。中座する事、許してほしいのじゃ。」

 そんな宇迦之さんに、皆、思い思いに、声をかけていたが、レイリさんも、立ち上がると、

「では、私も、少しサポートしてまいりますわ。何せ、ちびっこだけでは、威厳も足りませんし……。」

「にゃ、なにぉぅ!?」

「ほら、宇迦之。行きますよ。」

 そう言うと、未だに不満を口にする宇迦之さんを引きずるように、レイリさんは立ち去ったのだった。
 そんなデコボココンビを、皆で生暖かく見守る。

「まぁ、レイリがいれば、大丈夫じゃろ。」

 ポツリと、桜花さんがそう言うと、ヨーゼフさんが口を開く。

「ええ、彼女達でしたら、黒も白に変えてしまうでしょう。特にレイリさんがいれば問題ありません。」

 と、一応褒め言葉なのか迷ってしまう発言をする。
 その言葉に乗っかる様に、カスードさんが、

「しっかし……予想以上に、早く崩れたよなぁ。」

 と、呆れた様に呟き、それに現状を完全には理解していないシャハルさん以外が、頷く。

「まぁ、それだけ、ひっ迫した状況だったんでしょうね。何せ、結局の所、援助した食料ですら族長の懐に全部抱え込んでしまって、村にいきわたらなかったようですし。」

 その言葉に、シャハルさんは驚き、他の皆は呆れた様に頷いた。

 俺等が狐族の村に向かい、屈辱を受けて返って来た時から、俺はこの村を絶対に許さないと決心していた。
 だが、それはそれとして、暴力に訴えるつもりは無かったのだ。
 結局の所、そんな事をしても、反抗心は消えず、むしろ火種を抱える結果となるからだ。

 では、どうするか?
 話は簡単だ。向こうからこちらに、喜んで加わって頂けばいいのだ。

 今の狐族の村を支えているのは、族長による独裁だ。
 現在は、彼に全ての権力が集中しているので、皆、誰もそれに逆らえない。
 そして、それを助長しているのが、閉鎖的な環境である。
 その村落の中だけで世界が成立してしまうほど、閉じた空間の中に生きていれば、族長は神と等しい立場を享受できるのだ。

 村民とて、別に苦しい生活がしたくて、しているわけでは無い筈だ。
 他に生きる方法を知らないから、そうなっているのだ。
 対して、族長とその取り巻きは、生活に困る程の状態では無いように思えた。
 そして、それは、一部の利益を受ける者達が、意図的に、村落を犠牲にして成り立つ構図である。
 これが、村民全て、ある程度の生活水準を維持できているのなら、不満も出ないのだろう。
 しかし、今の狐族は、生産性が皆無に等しい。
 そうなると、食料だけで無く、生活に必要な物すべてが、手に入らなくなる。
 当然、村民の中から不満も出る筈だ。
 それを、どうやって解消していたか。

 生贄スケープゴートである。

 そして、その哀れな羊が、宇迦之さんだった。
 巫女と言う立場から、特別な待遇を受けられる事に、やっかみが交じったのだろう。
 俺達の貴重な食料を、ただ巫女であると言うだけで恵んでやっているのだから……。
 そう言う思想を村民に広め、不満のはけ口を巫女に求める事で、あの村落は成り立っていた。

 この辺りは元の世界と変わらないなぁと、実感する。
 敵を作れば、人は団結するのである。
 悪口を皆で唱和すれば、それだけで仲間になり、一致団結できた気になるのだ。
 元の世界でも、多くの国がその方法を好んでとっているのは、それが手軽で効果が高いからである。

 だが、そのやり方は危うい。

 悪意を常に刺激し続けられた人間は、それが当たり前になる。
 人間性を変質させ、コントロールの出来ない野獣を作り出す事になる。

 知らないでいるという事……。
 そうして、与えられた情報をただ、呑みこむだけ。
 何が本当で、それがどういう事を意味するのか、思考しないという事。
 思考を放棄し、垂れ流された美麗美句と、罵詈雑言を唱えるマシーンとなった時、人は獣と化す。

 正直に言えば、狐族の村もあのまま放って置けば、近い将来壊滅しただろう。
 なんせ、その生贄たる宇迦之さんは、俺が引き抜いてしまったのだから。
 そうして、新しい生贄さんが立てられるのだろう。
 俺は、一瞬、それでも良いかと思った。
 自滅していく姿を、安全で満たされた位置から見下ろす。
 何とも、優雅で心地よいではないか。
 俺は、聖人君子では無いのだ。
 あそこまで家族をコケにされて、笑顔で許せる程、度量の深い男では無い。

 しかし、宇迦之さんは言ったのだ。
 諦めたくないと。皆で笑い合える村にしたいと。

 その言葉に、俺は心を打たれた。
 だから、こんな回りくどい事をしてでも、救える人を救おうとしている。
 そして、ついでに、あの族長どもの絶望する顔を見ようとしている訳だが。

 狐族の村に行ってから、他の村との交流や、新生代たちの登場により、この森は一気にその文化レベルを上昇させている。
 特に、発信源であるルカール村……いや、正確にはもう既に都市だが……その周辺は、開発が凄い速度で進んでいるのだ。

 まず、市壁は現在、3枚ある。
 これだけでも、ルカールがどれだけ発展したか分かるだろう。
 俺も帰って来てびっくりした。
 幾ら新生代が力を貸しているとはいえ、異常な速度で拡張されているからだ。

 その市壁は、村の広場を中心として、そこから近い順に、第1、第2、第3市壁と、命名されている。
 それは、円状に設置され、高さは、先に建っていた第1市壁と同じか、少し低い位だ。
 第1市壁を囲む様に堀が掘られており、そこから更に放射状に東西南北にのびる水路は、市民の水源として、生かされている。
 第2市壁は、元々、その村落の外に作られた田畑や、新しく移住してきた他の氏族の住居がドンドン増えて行き、野ざらしのままでは問題だろうという事で、急遽作られた外壁であった。
 しかし、それから更に、田畑と、移住者の数は増え、気がついたら、その中には納まらなくなったので、拡張されたのが第3市壁である。
 ちなみに、余談だが、温泉は第3市壁の更に外に作ってある……のだが、これの近いうちに、第4市壁が出来て、都市内に呑みこまれる予定だ。
 そうなったら、いっその事、各家庭に、温水を配る施設でも作ろうかと考えている。
 家でも風呂に入れるようになれば、健康面でも、娯楽としても充実度が更に高まるだろう。

 ちなみに、そんなに多くの獣人族がいるのか? と俺は思っていたのだが……。
 結果から言えば、増えているのだ。
 生活水準が上がった事で、全ての獣人族の出生率が、恐ろしい勢いで上がっているらしい。
 特に、子族と卯族が、本当に目を覆う勢いで増えているらしく、そのせいで、その村落から、こちらに移住する家族が、続出しているのだ。
 何故なら、1家族で、30人とかいたりするのである。
 野球チームでも作るつもりなんですかね? と言う数字であるが、元々はこれ位普通だったらしい。
 とにかく、卯族も、子族も、まだ、村にそこまでのスペースがないため、数を増やしすぎて手狭になった家族は、こぞってルカールへと出て来るのである。
 そして、今までだったら、それは命がけの旅になる筈だったのだが……これまた新生代の活躍である。
 現在、物流業は、主に卯族と子族が中心に行っているのだが、これが、かなりいい感じに進化しているのだ。

 まず、行商人と言う物から、商店が生まれ始めた。
 各村で、様々な店が立ち始めたのだ。
 しかし、商品が無くては立ち行かない。
 そして、その物流を支える、配送業が成り立ち始めた所で、新生代の登場である。
 馬さんが、その配送業を下支えするようになったわけだ。

 何せ、早い、そして、エサはルカールで手に入る。しかも、安価。
 ちなみに、彼らのエサは、魔力を凝縮した真っ黒な米だ。
 対して、俺も含め、獣人族の食べている米は、ほぼ白い米である。
 この黒い米は、獣人族を始め、普通の人では食べるどころか、長時間持つ事すら困難なほど、魔力を凝縮した物であるらしい。
 らしいと言うのは、俺には何にも害がないからだ。
 ぶっちゃけ、食っても問題ない。そりゃ、自分の魔力だしなぁ。

 しかし、他の人が、もっていると手がピリピリするらしい。
 それでも、我慢していると、手がしびれて、持てなくなる様だ。
 俺の魔力って、毒かよ……とかへこんでみるが、新生代の皆がそれを美味しそうに食べるのを見て、少し元気を取り戻す。
 ちなみに、それでも食べようとした猛者がいたらしく……口に運んだまでは良かったらしいのだが……その後、呑みこむ前に吐き出して、昏倒したらしい。
 その噂が広まって以降、そのような無謀な挑戦をする者はいないとの事だ。
 ちなみに、その人は、かなり長い間、寝たきりになったと、風の噂で聞いた。
 何か居たたまれないが、俺のせいじゃないと、強引に思い込むことにしている。

 そんな馬たちも、最初こそ10数頭だったが、この1ヶ月ちょっとの間に、50頭近くまで増えた。
 どうやって増えたかは、市民には謎とされているが、ぶっちゃけると、魔力を蓄えた馬たちがこぞって子供を生しに行ったからである。
 そして、生まれた時から既に、成体。謎な仕様である。仔馬も見たいんだが……。
 此花と咲耶とヒビキから、上がってくる報告で、俺はそれを知る事が出来るのだが、使う方としては、数が増えるのを喜びこそすれ、嫌がることなどある筈も無い。
 そうして、気が付くと、馬も増え、運ぶのは荷物だけでは無く、人も運ばれるようになり、今では、乗り合い馬車や、タクシーのような物も出来始めているようだ。

 ただ、馬に限らず、新生代の管理は、借受けと言う形に統一している。
 個人で所有するには、過ぎた力を持った者達だ。
 悪用されることにでもなれば、折角頑張って来た皆の生活を、壊す事になりかねない。
 そこで、新生代の皆を借り受ける場合は、ルナ、此花、咲耶、ヒビキ達を通さないといけない事になっており、そのサポートを、ルカール村の長老たちに割り振ってある。
 彼女らは悪意に、とても敏感である。
 借受けを希望する人々と面接を行い、その資格を見定める役目を負っているわけだ。
 まぁ、今までそのような人はいなかったので、思った以上に獣人族は、純粋なのだろう。

 ともかく、今、この森は、繁栄を謳歌している所だ。
 しかし、狐族の村は、完全にそこから切り離されている。
 それも、知らなければ、問題ないのだろうが、わざわざ、隠すとか、そんな事をしてやる義理も無い。
 思いっきり、その実情を、伝えてやっているのだ。物品付きで。

 俺の頼みを受けた、子族の行商が、週に1度ほど、商いに狐族の村に行き、その状況をつぶさに報告してくれている。
 最初の内は、森の発展や、新しい物品にはそれ程、興味を示さなかったらしい。
 それどころが、嫌味や蔑みすら、毎度の様に言われる始末だったようだ。

 しかし、食料品が充実し始めたころから、態度が一変したらしい。
 新しい食物に加え、加工された肉や、衣類は特に食いつきが良かったようだ。

 そこで、俺はこんな事を頼んでおいた。
 試食、試供品の提供である。
 食材そのものから、実際に現地で料理した物を振る舞ってみたり、とにかく、美味しい物を食べて貰った。
 シャボンの実(洗剤が添加されたスポンジ)や、ペーパーの実(剥がすと紙のように使える)を配り、その使い心地を試して貰ったりと、色々企てた。
 全て、結果は上々だったらしく、皆、次もそれを求めた。
 しかし、次からは物品との交換である。
 困窮を極めている狐族の村に、その様な交換できる物は無かった。

 そして、その結果、この様な事が起こる。

 どうしても、品物が欲しかったのだろう。
 一部の村民が威圧するように、声を上げる。

「賤しい子族の分際で、誇り高き狐族を侮辱するのか! その品物は全て、狐族に差し出すのが当り前であろう!」

 そうして、それに呼応するように、村民が語調を激しくし、子族の行商人に詰め寄る。
 しかし、行商人は、顔色一つ変えず、なおも、対価を要求するのだ。
 その堂々とした様子に、狐族の村民の一人が手を上げようとしたその時、

「先生方。出番です。」

 まるで、予定調和のように、行商人が声をかけた瞬間、一瞬にしてその背後から膨れ上がる闘気。
 刹那の時に、行商人に届きそうになった手を、簡単に受け止める手には、白い毛。
 そう……そこには、完全に獣化した、白い人の形をした兎が、金色の光に包まれ、立っていた。
 そして、その横には、狼男……としか言いようのない風体の男が、これまたいつの間にか佇んでいたのだ。

 いつの間に……先程までいなかった筈なのに……。
 その風体と、威圧感も手伝って、畏怖し、退く村民たち。

 そこに族長が登場する。
 そこで、またもや、先程と同じ言い合いに発展するも、行商人はその言う事を聞かない。
 逆上した族長は、火球の魔法をその行商人に向かって打ち出した。
 火球が、行商人をとらえようとしたその時……それは、やすやすと、狼男に弾き返される。
 そして、寸分たがわず、族長の右耳を掠めるように飛んで行った。
 そんな事を意にも介さず、まるで何事も無かったかのように、行商人は声を出した。

「では、また来週に来ますので……また、ご利用の程、宜しくお願いします。」

 そう、ぺこりと一礼する子族の行商人と、それに付き従う兎男と狼男を、狐族の村人たちは言葉も無く、見送ったのだった。

 それから、しばらくの間、同じような事の繰り返しだった。
 中には、なけなしの着物を持ち出して来た者もいたが、それを交換してしまえば、後は同じ結果である。
 そうして、この生産性の無いやり取りが続いてから、1か月。

 つい、先週の事だ。
 こんな事件があったらしい。

 いつもの通り、物欲しそうな目で囲まれはするも、相手に交換できるものも無く、そろそろ店じまいかと思っていた時、一人の狐族の中年の男性が声を上げて近寄って来た。

「だ、誰か! 頼む! 何か食べる物を分けてくれ! 少しで良いんだ!!」

 そんな声を聞いた瞬間、皆、そそくさと逃げるように、我先にと粗末な家へと戻って行った。
 その様子を呆気にとられた顔で、見守る行商人。
 対して、絶望に染まった顔で、悔しそうに見る男性。

 そして、2人の目が合った時、男性は、必死に訴えて来た。

「た、頼む。私の妻が、調子が悪いんだ……だから、頼む! 何か食べられる物を、少しで良いんだ。お願いだ。いや、お願いします。」

 そう言って、頭を地面にこすり付け、土下座するように、懇願してくる男性。
 そこに、狐族の誇りなど、微塵も無く、ただ必死に懇願する、哀れな男の姿があった。
 それを見て、行商人は、そっとその手を取ると、

「わかりました……。とりあえず、あなたの家へ行きましょう。」

 と、優しく声をかけた。
 そんな言葉に、茫然とした表情を返した後、ただ、繰り返し、「ありがとう……ありがとう!」と、涙を流し礼を述べる男だった。

 男の家は、周りに漏れず粗末で、隙間風の入る様な家だった。
 床こそ、辛うじてある物の、壁は薄く、夜の冷気がしみこんでくる。
 例の如く護衛として着いてきていた兎男と狼男が、家の周囲の様子を見張っている。
 その中で、藁の布団に寝ていた女性が弱々しく、その青い顔を上げた。

「このような恰好で……ゴホ……失礼します……。」

「いえいえ、そのまま寝ていてください。今、栄養のある物作りますから。」

 そう言って、行商人は手早く、米を煮込み、ついで、数種の調味料と野菜を煮込む。
 10分ほどして、良い匂いが家じゅうに広がると、それを売り物の木の器に盛り付けて、2人に渡した。

 2人とも、最初は本当に食べて良いのかと……信じられないと言った顔で見つめていたが、行商人が笑顔で、

「冷めないうちに、どうぞ。」

 と、言うと、男性が貪るように食べ始めた。
 しかし、女性は、本当に調子が悪いらしく、上手く器を持つ事が出来ないようだった。
 そこで、行商人は、木で出来たレンゲを取り出すと、それに料理を掬って、女性に食べさせる。
 そんな様子を見た男性が、

「す、すまん……後は俺が……。」

 と、女性より自分の食事を優先してしまった事を恥じるように、顔を真っ赤にし、頭を下げる。
 食事も終わり、2人から改めてお礼を言われた行商人は、本題を切り出す。

「さて、こんな事を言うのは、気がひけるのですが……対価を請求しないといけません。」

 そんな言葉に、言葉を無くす2人。

「しかし、見た所……価値のある物は無さそうです。そこで……貴方たち2人とも、村を出る気はありませんか?」

 そんな行商人の言葉に、言われたことが理解できないと言う顔をする2人。

「正直に申し上げて……食べる物に困ると言う生活をしているのは……ここだけの話ですが……貴方たちの村だけですよ?」

 2人とも、驚愕した様子で行商人を見つめる。

「あ、あれは、族長が根も葉もない噂で……他の村より、狐族の村は優れていると。」

 そんな男性の言葉に、行商人は、肩を竦めると、

「やれやれ、じゃあ、何で私が、こんな所まで、物を売りに来られるのですか。それこそ、余裕でも無いと、こんな事できませんよ。」

 その行商人の言葉に、言い返す事もできず、口を紡ぐ2人。

「あのね……ハッキリ言ってしまいますけど、貴方たち、騙されていますよ? 食料だって、本当は沢山ある筈なのに、実際はこんなんだし。」

「そ、それは……どういう事ですか?」

「どうもこうも……ルカール村の援助で、私は毎週、山ほどライヤモ草積んで来ているんですよ。それを族長に渡しているので、実際はここまで酷い食糧事情では、無いはずです。」

 そんな言葉をにわかには信じられない様子の2人。
 その顔を見て、行商人は、「まぁ、そんな事、どうでも良いんですけどね。」と、前置きし、

「で、どうでしょうか? もし、村を出るのであれば、住居と当面の生活は保障しますよ? あと、仕事は山ほどありますし、旦那さまが働けば、食べて行くことは簡単だと思いますが?」

「そ、そんな上手い話が……ある訳が……。」

「いやー、それがですね……あるんですよ。なんせ、村を出て来た勇気ある狐族の皆さんには、特別に優遇しろって、依頼主にお願いされているんですから。」

「依頼主……だと?」

「ええ、知りません? 魔導王 ツバサ様。凄い方ですよ。何せ、森をあっという間に、統一してしまいましたし。ああ、そうそう、狐族の巫女の、宇迦之様も婚約者として養われているようですし。宇迦之様も大分、こちらの事を気にしているようですよ? 誰か出て来る様ならば、支援は惜しまないって言っていますし。」

 その言葉に、2人は心底驚いたような顔をした後、突然、項垂れ、

「そうか……宇迦之様が……。」
「宇迦之様……。」

 と、嘆くように口にした。
 そんな様子を見て、手ごたえを感じた行商人は、

「まぁ、取り敢えずは、保留にしておきますよ。けど、可能であれば、村を出た方が良いと思いますよ。じゃないと……死んじゃうんじゃないですかね?」

 そう言って立ち上がる。
 そして、出口に向かって歩きつつ、何か思い出したように、振り返ると、

「ああ、そうそう。気が変わったら、私に声をかけて下さいね。移動も含め、全てこちらでお膳立てしますから。」

 そんな言葉を残し、その場を去ったのだった。
 そして、その1週間後。
 そのまま家に置きっぱなしになっていた器を、綺麗に洗って返しに来た男性は、小声で、

「夫婦で決めた。頼む。」

 と言い残して去ったのだった。

 そして、先程、その夫婦と、更にもう一組が一緒に、ルカール村へと移住してきた。
 勿論、族長に許可など、取ろうはずもない。
 今頃、めっちゃ悔しがっているだろうなぁ。ざまぁみやがれ。
 おっと、思わず笑みが……。

 しかし、本人たちは、敢えて、その身を晒し、狐族の村民に罵られながらも、皆にその姿を見せ付けて、こちらへと移住してきたのだ。
 これは、可能であれば、と言う前提でお願いした事ではあったが、並の決心や努力では出来ない事だろう。

 そして、この最初の移住者が出たという事は、非常に大きな意味を持つ。
 前例が出来たのだ。
 そして、ここからは、この移住者たちが、どれだけ裕福に生活できるようになるかも重要である。
 勿論、甘やかすつもりは無いし、しっかりと働いて貰う。
 しかし、そこまでのお膳立ては、ちゃんと責任をもって行う予定だ。
 そうして、先駆者が成功すればそれだけ、後に続く人が増える。

 その第一歩が刻まれたことで、これから先、狐族の村の崩壊は、加速度的に広がっていくだろう。
 俺は、その様子を頭に描きつつ、来るべき時をジッと待つのであった。

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