比翼の鳥

風慎

第39話 砂漠の真ん中で

「うわぁああん!!」

 半分やけくそになったような泣き声が響く。
 時折、砂煙が宙を舞い、鈍い振動が断続的に続く。

 《 リリー。目で追っちゃ駄目。空気の振動、匂い、音、魔力……感覚の全てを使って知覚するの。 》

 砂の上を半分、逃げ回るように移動するリリーの目の前に、そんな文字がでかでかと浮かんでいた。
 障壁内で寛ぎながら鑑賞……いや、見守る皆からも読めるほど大きな文字である。

「そ、そんな事、言っても……きゃぁあ!?」

 間一髪、リリーは自分の足元から吹き上がった砂柱を避ける。
 それは、先程からリリーを執拗に狙っていた、ワーム状の生き物だった。
 便宜上、サンドワームと脳内で呼称しているが、あながち、間違いでもないだろう。
 探知と視覚の情報を総合すると、この未知なる生物は、ミミズや蛇のような筒状の細長い形の生き物であることが判った。
 まぁ、口径部が直径2m位の円柱状で、全長が30m以上の、文字通り化け物じみた大きさなのが問題ではあるが。
 リリーの様な小柄な体格の者なら、あっさりと飲み込まれてしまう程、大きな生物である。
 そして、ミミズや蛇と違い、体表は硬い岩盤で覆われているようだ。
 更に、口と思われる頭頂部には、鋭い槍の先を思わせる歯のような物がびっしりと生えており、あれで捕食した獲物を細切れにするのだろうと伺える。
 目のような物は無いのだが、先ほどから正確にリリーを狙って、まるで曲芸のようなドルフィンジャンプを決めていた。
 下から上から。或いは変則的にフェイントまで織り交ぜてくる。なかなかに出来る奴だ。

 そんな未知の生き物に、熱烈なアプローチを受けているリリーは始終涙目である。
 ちなみに、何でこんな事になっているかと言えば……。

 《 リリー。怖がっちゃ駄目。声も上げないほうが良いよ? けど、体はツバサが障壁で保護してくれているから、例え食べられちゃっても大丈夫だからね!  》

 と言う感じで、早い話、特訓中なのであった。
 本人に自覚はないだろうが、ルナの言動がかなり鬼畜なのは、この際置いておくとして……。
 まぁ、言いだしっぺはリリーなので、その辺りは自業自得である。

 あの後、一人だけ、ワームの来襲を感知できなかったリリーは、自ら探知と戦闘に関する訓練を申し出てきたのだ。
 うん、そこまでは良かった。その気概は良かったのだが……。
 教えを請うたのがルナだったのが、致命的だったのだ。

 なんせ、前よりかなり成長したとは言え、つい最近まで、お子様だったルナだし? いや、今もある意味、中身はお子様……いや、だから、そんな悔しそうに睨まないようにね? そう思われたくなかったら、もっと色々勉強しなさい。
 と、まぁ、そんな訳で、ルナに指導経験などあろう筈もなく。
 また、ルナは少々……いや、かなりの天才肌なので、ますますもって、教え方が……何と言うか、直感的な物になるのだ。
 俗に言う、考えるな! 感じろ! 的な。
 何処から見ても、完膚なきまでにスパルタです。

 ちなみに、リリーの体は、動きを阻害しないよう、伸縮性のある表面強化型の特殊障壁に覆われている。
 衝撃等は遮断できないし、音、光、匂いといった物は素通しなので、その辺りを攻められると役には立たないが、熱、酸などの激烈な化学変化、魔法、対刃防御には優れているため、この程度の生物の攻撃であれば、何の問題も無いだろう。

 そんな訳で、リリーは泣き叫びながら、サンドワームからの攻撃を、紙一重で避けていた。
 この足場の悪い砂の上で、何とか避けられているのも、獣人族の身体能力のなせる業だろう。
 だが、そんな能力だけに頼った避け方が、いつまでも続くはずも無く……。

「はぁはぁ……あっ!?」

 炎天下の中、徐々に体力を奪われていった結果……足を砂にとられて体勢を崩してしまった。
 その瞬間を見逃さないのは、流石、この苛酷な環境に生きてきた生物である。
 リリーは、叫び声を上げる間もなく、サンドワームに飲み込まれた。

 餌を得た喜びを全身で表すかのように、そのまま勢い良く砂上に飛び出したサンドワームであったが、次の瞬間、その体は霜に覆われる。
 同時に、今までの機敏さが嘘のように、そのまま砂の上に砂塵を撒き散らし、地響きを起こしながら、ぐったりと横たわった。
 ルナが一瞬にして、その体を捉え、熱を奪ったのだ。
 流石、無脊椎動物もどきだ。変温動物の例に漏れず、温度変化には極端に弱いようなのである。

 動きが止まったサンドワームを良く見ると、口からリリーが這い出してくるところだった。

「うぅ……ベトベト……生臭い……シクシク……。」

 泣き声にも力がない。
 良い感じにトラウマになったようだ。
 唾液だか胃酸だか良くわからん粘液を滴らせながら、正に、這う這うの体ほうほうのていで、サンドワームの体内から脱出してきたリリー。

 ……粘度の高い粘液にまみれた、和服の美少女……。

 一瞬、何とも表現のしようもない……いや、表現したら色々とまずい気持ちが沸き起こる。
 いや、ルナさん、そういう期待の篭った目で見ないで頂きたい。こら、興味深そうにサンドワームの口の中を覗かないの。

 薄いとは言え、ちゃんと防護障壁に包まれているので、実際にはリリーの服も髪も濡れてはいないのだが……やはり、なかなかに強力な絵面である。
 何がどう強力かは、俺の口からは言えない。うん。

 暫く、ウズウズしながら、サンドワームの口へと視線を向けていたルナだったが……へたり込んでいるリリーを心配してか、ルナは虚空から水を出すと、そのまま粘液まみれのリリーを、優しく洗い始めた。

「……ルナちゃん……ありがとう……。」

 半泣きのまま、そう礼を言うリリーに、ルナはニッコリと微笑む。
 その笑顔は、リリーにとって……いや、傍から見ている俺達にも、女神のように神々しく見えた。

 《 ね? 大丈夫でしょ? あ、次が来たよ? じゃ、次はちゃんと相手を感じて避けてね! 》

 ……前言撤回。鬼である。
 一瞬にして顔を蒼白にするリリー。

 そして、それから暫くの間、リリーの悲鳴がこの広い砂漠に響く事になったのであった。


 何も、リリーをいじる……いや、特訓する為にここに残っているわけではない。
 俺なりに、少し考えてから移動したかったと言うのがあるのだ。

 当初、俺はリリー達を置いて、ルナと二人で人族の町に潜入しようかと思っていた。
 だが、それはリリーの強い想いを目の当たりにして、やめる事にしたのだ。
 そこで次に考えたのは、他のメンバーを隠蔽化して、一緒に連れ歩く事だった。
【ステルス】を使用した障壁を張れば、とりあえず見つからないだろうと、俺は考えていたのだ。

 だが、そこでふと気がついてしまったのだ。
 先程から、リリーに熱烈なアプローチを繰り広げている、このサンドワーム達……ちなみに、今は三匹目にリリーが丸呑みされた所だ。そして前の二匹同様、こいつもルナに半凍結させられて、今は砂の上に横たわっている。

 そんなこいつらは、隠蔽化された障壁内にいたリリーに、迷うことなく向かってきていたのである。
 つまり、こいつらには、隠蔽化が効いていない。
 恐らく、俺の知らない探知方法……恐らくは、魔力系に関する物で、リリーを捉えているのだろう。
 まぁ、それなら、リリーではなく、他の仲間達を襲っても良さそうな物であるが、今まで他の者には目もくれていない。
 リリーをまっしぐらに襲っているのだが……その原因が判らないのだ。
 もしかしたら、獣人族だけの特有の何かに反応しているのかもしれないが、そこは余り重要ではない。

 つまるところ、隠蔽は完璧ではないと言うことが問題なのだ。
 もしかしたら、人族はそこまでの技術は無いかもしれない。けど、少なくとも、隠蔽を破る方法があるかもしれないという事が、現実問題として、突きつけられてしまった形となった。
 もし、仮にだが、人族の町で、あっさりと隠蔽が破られた場合、言い訳は出来ないだろう。
 その場は力技で凌げるだろうが、その後が色々とまずい事になる可能性が高いわけだ。
 更に、その町の問題で済めば良いが、指名手配でもされた日には……動きづらくなる事は間違いない。
 また、あるかどうかは判らないが……もし、嘘を見抜く魔法とかがあって、嘘が見破られるような事があれば……完全に詰んでしまう。
 力押しは、出来ればしたくない。情報を集めるのには、町に自然に溶け込むのが一番早いのだ。

 ……ならば、いっその事、堂々と正面から入ってみるか?

 無理に隠そうとするから、かえって難しくなる。
 ならば、殆どの事実に、少しの嘘を混ぜて隠すのはどうだろうか?

 俺は、相変わらず響くリリーの悲鳴を聞きながら、黙考する。

 ……小道具は……ある。
 例の冠は……えっと……ひーふーみー……七個か。
 俺と、ルナ、リリーと……此花、咲耶は精霊だから、つけていると逆におかしいかな?
 ティガ親子も、獣だから要らないだろう。
 そして……うん、ああ、あった、あった。1つだが、丁度いいだろう。

 後は……俺や皆の設定をどうするか……だが……。

「ヒビキ、咲耶、此花、ちょいと、どいてくれる?」

 そう言うと、今までべったり俺にくっついていた二人と一匹は、素早く俺から離れてくれた。
 俺は礼を言いながら立つと、リリーにかけているものと同じ障壁を身にまとい、隠れ家化した障壁から、リリーがサンドワームとダンスをしている場所と、真逆の方向へと出る。
 外に出た瞬間、障壁内部は見えなくなる。しかし、リンクを調節すれば、俺の目には直ぐに中の皆の挙動がわかる様になった。
 ちなみに、リリーにも障壁にリンクをしてあるので、障壁の場所も、中の皆も見えている。
 ルナには何もしていないのだが、何の問題も無く見えているようだ。現に、俺が立ち上がった時、興味深そうに視線を寄こしてきたのだ。流石、ルナである……。

 俺は皆の視線を浴びながら、生物の気配が全く感じられない砂丘へと向き直った。
 距離にして200m程先にある砂丘へ、右手を伸ばし、なるべく、魔力を集め、放つ。

 放たれた魔力弾は、そのまま砂丘へと到達し……轟音を上げて砂丘もろとも、周囲の砂を巻き込んで吹っ飛んだ。
 腹に響く鈍い振動が到達し、爆風で視界が遮られ、巨大な砂埃が発生する。

 ……おいおい……極小でこれか。

 俺は、集中し、なるべく弱く、小さく、薄くなるように魔力の出力を調整して、再度、魔力弾を放った。
 しかし、先程と威力は変わらず、抉れた砂の大地は、更にその深さを増す。

 その後、何度も出力調整を行い、幾度と無く魔力弾を打った。
 最終的に、額に汗を貼り付け、極限まで集中、制御した結果……魔力量を極小・密度を最薄にして出来たのは、手のひらサイズの炎の矢である。
 それすら、地面に衝突した瞬間、天を突くほどの業炎を立ち昇らせた。

 結論。俺、手加減できません。

 頭を抱えて、俺はその場にうずくまる。
 あああ……まさかの一番ヤバイのって、俺じゃないですか!?
 宇迦之さんとの戦いで何となく判っていたが、俺が持っているのは、完全にオーバーキルしか出来ない攻撃力である。
 むしろ、力いっぱいぶっ放した方が、遥かに制御が楽だったと言うオチだった。

 こんな威力の魔法を、人前で使えるわけがない。
 と言うことは、必然的に、手加減するには魔法陣を使う事になる訳だが、それだって、人族にとってどう言う位置づけか判らないと、怖くて使えない。

 魔法が使える……と言うのは、少し抑えて設定するとして……うーん……。
 俺は、腕を組みながら、皆を見回す。

 相変わらず悲鳴を上げながら、それでも、最初の頃よりは無駄の無い動きで、サンドワームの動きを回避しているリリー。

 その様子を、柔らかい笑顔で見守るルナ。

 何故か、クウガと、追いかけっこをしている咲耶。

 どうやってか、アギトと、『あっち向いてホイ』をしている此花。

 寝そべってチラチラと、リリーの様子を心配そうに伺うヒビキ。

 これをどう纏めろと? どういう集団として説明しろと?
 ……もう、あれだ。雑多すぎて、どうにもならない。
 うん、決めた。流れに任せよう。そうしよう。

 俺は完全に細かい事を棚上げにすると、ため息を吐き、障壁内へと戻った。
 丁度、リリーが足を滑らせて、四回目の捕食タイムに入ったようだったので、俺の意見を伝える為に、皆を呼び寄せ、集まってもらう。

「ふぇーん……もう、べとべとやだぁ……。」

 約一名、幼児退行しているが、問題は無い……よな?

「り、リリー良く頑張っているな。最初の頃より、格段に動きが良くなっているよ。大変だろうけど、頑張ろうな。」

 俺はリリーをそう励ました。
 すると、彼女は耳をピンと立て、

「は、はい! 頑張ります! こんな事で、負けてられないもん……。あのベトベト位、へっちゃら……へっちゃら……ううう。」

 またも、どよーんと、頭の上に雲を垂らすリリーに、俺はかける言葉も無く、そのまま話を進める。

「とりあえず……これからどうしようか、少し考えてみたのだけれど……正攻法で行こうと思う。まず、俺達の関係についてなんだが……。」

 そう切り出し、俺は説明を始めた。
 要約すれば、こうだ。

 俺達との出会いや関係性については、脚色は殆どしない。
 ただし、俺は暫くの間、森の中で謎の集落にお世話になった事にする。
 まぁ、ルカールでの初期の状況を、少し端折って説明しておけば問題ないだろう。
 咲耶と此花は、精霊から授かり、俺が父親として育てている事にする。これも、事実なので問題ない。
 ティガ親子に関しても、クウガとアギトの名付け親と言うことで、そのまま強引に話をもっていく事にする。
 ルナの事も、成長した事だけ隠しておけば、そのまま森の中での事を話せば良いだろう。

 若干の脚色は入るが、整合性は取れていると思う。……多分。

「……と言う感じにしたいと思うけど……何か問題はありそうかな?」

 俺の問いに、一同首を振る。それを見届けた俺は、

「じゃあ、とりあえず、そんな感じの設定で行くとして……ルナ、リリー、君たちにはこれをつけて貰う。」

 そう言って取り出したのは、銀色の円環である。
 それを見て、ルナは顔をしかめた。
 此花と咲耶も、その表情を硬くする。
 逆にリリーは、その円環を見て、不思議そうに首を傾げると、

「ツバサさん。それ、なんですか?」

 そう聞いてきた。
 まぁ、リリーは知らんよな。これを見ているのは、俺とルナ、レイリさん、そして、子供たちだけだ。

「これは……とっても素敵な機能がついた、魔法のサークレットさ。」

 俺はあえて茶化すように、そう言う。
 益々、首を傾げ、クエスチョンマークを頭に乱舞させるリリー。

 これは、今井さんと糞勇者が頭につけていたサークレット……の模造品だ。
 本物は解析の結果、あまりにも危険な物と判明した為、俺の異次元空間にしまってある。
 効果を知ってしまった後では、とても身に着けようとは思えない物だが、どうやらこれは、人族に多く普及している物らしい。
 なので材質と形だけは、ほぼ同じといって良い物を作成しておいた。
 とは言っても、あくまで模倣出来たのは形だけだ。
 人族の町に入ったら、このサークレットの技術を、どこかで学ぶ必要がある。
 都合の悪い部分だけを削って、改造した物を着けなければ、いずれ偽物とばれてしまうだろう。
 だが、そんな物なので、カモフラージュとして、着けておいた方が良いと判断したわけだ。

 俺は、その模造サークレットを自分の額へと装着する。
 正直、違和感しかない。だが、慣れるしかないだろうな

「う、うーん。いつもは着けていない物だから、変な感じです……。」

 《 ツバサはそれ、無い方が良いなー…… 》

 と、言いながら、ルナとリリーも俺に習って、自分の額にサークレットを装着した。
 ルナよ。俺も、着けたくは無いんですけどね? 仕方ないのですよ。
 正直、年を考えれば、恥ずかしさしか浮かんできやしない。
 それでも、これは必要だと思ったからこそなのである。
 慣れればきっと、気にならなくなる……はずだ。
 俺は落ち込みそうになる心を奮い立たせると、リリーへと視線を移した。

「それとリリー。はい、これ。」

 そうして、俺はリリーに声を掛けると同時に、異次元空間から取り出した、を手渡す。
 それを不思議そうに受け取り、しげしげと眺めるリリーに俺は、更にこう言った。

「リリー。申し訳ないが、俺の奴隷になって欲しい。」

 そんな俺の無防備な言葉に、場の空気が一瞬にして凍りついたのだった。

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