比翼の鳥
第52話 精霊の涙
暫くの間、俺の胸で号泣していたディーネちゃんだが、その声が徐々に弱々しくなり……そして、しゃくりあげる声だけが響くようになった。
俺は、そんな彼女の頭を代わり映え無く、一定のリズムであやす様に、撫で続ける。
そういや、春香もこんな感じだったなぁ。
ふと、元の世界でも、そうやって妹である春香を、良くあやしていた事を思い出す。
彼女は、ああ見えて、とても臆病で繊細だ。
一見するとぶっきらぼうだが、あれは殆どが虚勢であるし、その裏に隠された素顔は兄として心配になるほど無垢で、純粋である。
まぁ、肉体言語だけは何とかして欲しいが、あれがあるからこそ、彼女は強さを演じることができる訳で……なかなかに難しいものである。
と言うか、女性でも時々、そういうツンとした人がいることがある。
しかし、そんな人こそ、実は結構、中身が乙女な方が多いと、俺は経験則で知っていた。
そして、時折垣間見える、その乙女な部分が、男性には何とも眩しく見えるものなのである。
俗にいうあれだな、ツンデレとか、ギャップ萌えとか、そういう部類の物だろう。
まぁ、狙ってやってる人も多いから、良し悪しではあると思うが……。
俺は、そんな詮無い事を脳裏で垂れ流しつつ、ふと視線を感じディーネちゃんに顔を向ける。
「ツバサちゃん……こういう時に、他の女の子の事を考えるのは無しだと思うの。」
見ると、数えきれないほどの泣き腫らした目が、俺を一斉に貫いた。
う……流石に、凄い罪悪感が。ただでさえ潤んだ瞳が、倍率ドンである。
いや、ちゅーか、めっちゃ怖い。いっそ、呪われてしまっても、おかしくないと思える光景である。
そんな潤んだ瞳たちの視線に晒された俺は、背中に汗をかきながらも、
「はい、すいません……。」
と、素直に謝った。もう、全面降伏である。
確かに、この状況では、迂闊だった。
俺だって逆の立場だったら、あまり面白くは無いだろうし。
心が読まれているからこその弊害……と言うところだろうか。
「もう……。女の子はね、そういうの敏感なのよ? 私はまだ良いけど、ルナちゃんの時には、特に気をつけるのよ? あの子、一途だから……お姉さん、心配だわ。」
うん、俺も心配です。
あれだな、言葉を話せなくなってから、あまり目立たなくなっていたが、元来、ルナはかなりの焼きもち焼きである。
声に出てないだけであって、彼女だって色々、感じ取って考えているはずなのだ。
そう思えば、兆候は至る所にあったような気がする。
この辺り、やはり、恋愛経験値の少ない俺だからこその、朴念仁っぷりなのだろうか……。
「ふふ……そこが、またお姉さん的には、たまらないんだけどね。」
それは、とどのつまり、初心な俺が良いと言うことでしょうかね……。
「そう! 最近、少し慣れて来ちゃったみたいだけど、根っこは、やっぱり変わらないわ。そこが、お姉さんの心をくすぐるのよねぇ。」
そんな風に、恐らくニヤニヤと言う擬音がつきそうなほど、満面の笑みで俺を見ているであろう、ディーネちゃんだが、逆に俺は、改めて現実を突きつけられた気がしていた。
だって、それって、俺があまり進歩してないってことだろう?
確かに、考えれば考えるほど、ディーネちゃんだけでなく、ルナにも……そして、我が子達にも、気を配れていない現実が浮き彫りになっていく気がする。
状況に流されている感は多々あるが、こんな状況でルナは今、水球の中で、何を思っているだろうか?
どう考えたって、楽しい状況じゃないだろう。
我が子達だって、一生懸命、俺に尽くそうとしてくれているが、俺はそれに応えられているのだろうか?
いや、全然駄目だろう。そもそも、俺はどうしても自分自身が元の世界で理想とする、子供と言う価値観から脱却できないでいる。それは、ある意味、当たり前のことなのだが……それでも俺が何とかしなければ……と、焦燥にも似た、縮れた気持ちが、浮かんでくるのを、俺は止められないでいた。
ティガ親子に至っては、完全に頼りっぱなしだし、何も返してやれてない気がする。
ペットの延長上の対応じゃないのか? 俺はクウガとアギトにちゃんと何かしてやれているのか?
何も出来てないじゃないか。
リリーだって、そうだ。
あれだけ、一途に俺に好意を向けてくれるのに、俺は何ができていると言うのだ?
中途半端な力を与え、更に過酷な状況に引きずり込んでいるだけだ。
……やはり、俺には過ぎた状況なのだろうな。
俺一人の力で、これを纏め上げ、そして率いていく事自体に、無理があるのでは無いか?
そんな疑問が俺の脳裏に浮かび、そして、こびり付いたように、残る。そして、そんな思いに完全に俺の意識が囚われた時、
「こーらー。ストップ。駄目よ? ツバサちゃんの悪い癖。」
突然、ディーネちゃんに額をうりうりと突っつかれる。それで俺の思考は、現実へと引き戻された。
そして、俺の視界は、目に埋め尽くされたディーネちゃんの顔に覆われているわけで……。
うお!? いつの間に……って言うか近い! 近いですってば!?
俺が焦った事で、彼女はその顔を離すと、腰に手を当てため息をついた。その表情を視認する事は叶わないが……呆れたような物である事はすぐに分かる。
ディーネちゃんは、腰に手を当てたまま、少し胸を……おおう、揺れる揺れる……じゃなくて、胸を張ると、
「いい? ツバサちゃんは、万能じゃないの。だから、全部自分でやろうとする必要は無いのよ?」
そう、俺に言い聞かせるように、ゆっくりと語りかけてきた。
そんな風にディーネちゃんに言われ、俺は、はっとする。
それは、確か、あの糞勇者と対峙した時にも言われた事だったはずだ。
『全く~。ツバサちゃんは~一人で~~頑張り過ぎなの!』
『そうよ? もーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと周りをいっぱい頼った方が良いわね。』
遠い記憶の端から、そんな彼女の声が、思い起こされた。
うん、そうだった。確かに、そんな事を言われた。
そして、俺もその言葉に共感し、実践してきたつもりではいた……が、どうやら、また俺は、同じ過ちを繰り返そうとしていたのだ。
改めて、俺は自分の行動を振り返り……そして、自分が思う以上に、背負い込みすぎていた事実を認識する。
例えば、宇迦之さんの事はどうだ? 俺は、全て自分で背負おうとしなかったか?
ルナにサポートを頼みこそしたが、他の皆には、特に何も言わなかった。
勿論、憶測の域を出なかった事もある。
皆を危険に巻き込みたくない思いもあった。
だが、こうも思っていたのだ。
俺がやってしまった方が楽だ。
何故ならそれは……。
「そう。その方が、ツバサちゃんにとっては……簡単だったのよね。普通は逆なんだけれど。」
ディーネちゃんが、困ったような、そして、どこか哀しい響きを滲ませて、溜息と共に、その言葉を吐き出した。
そう。俺一人が背負った方が、責任の所在も、全て俺の中で、完結できる。
そうしてしまった方が……自分自身で全てを終わらせる方が、俺にとっては、遥かに労力が少ないのだ。
しかし、そんな俺の行為が意味する所は……とどのつまり……。
「そうよね……もう少し、皆を頼ってもいいと思うの。勿論、ツバサちゃんが、皆を巻き込みたくないって思う気持ちは判るわ。けど……それって、裏を返せば……皆を信頼して無いって事にならないかしら?」
ディーネちゃんには珍しく、はっきりと言い切ったその言葉が、俺の胸を切り刻む。
「そんな事は……。」
「本当に無い……と言い切れるのかしら?」
「それは……。」
言い切れない。
そう。本当に皆の事を信じているならば、俺は全てを任せても良い筈だ。
此花だって咲耶だって、戦闘力だけで見れば、俺より遥かに上だ。
宇迦之さんの時だって、二人でなら多分、勝てただろう。
勿論、あれは力試しの意味合いもあったから、二人が戦って勝ったからと言って、それに意味があるかどうかは別だが。
先ほどの試験の件だって、俺は自分自身でやろうとした。
それは何故か? その方が楽だったからだ。
不確定な要素が多いから? それもある。
子供達を戦わせるのが忍びない? それもある。
だが、本当のところ、根っこにあるのは……皆に苦労をかけたくないと言う我侭な思いに他ならない。
そもそも、森を発たねばならなくなった時……あの状況下で、急かされた部分があるにせよ……俺は、森の皆を半ば、放棄する形で出てきてしまった。
普通であれば、俺はそんな事はしないし、出来ないが……あの時、俺は思った。
この森は俺がいなくても、もう大丈夫だ。
それは、宇迦之さんの言葉や、レイリさんの後押しによって、ようやく認めることの出来た、俺の偽らざる思いであった。
そして、それは、裏を返せば、皆に森を任せても良いという、いわば俺の勝手な信頼の証でもあったのだ。
勿論、そんな事、俺は懇切丁寧に、皆にふれて回った事は無い。
しかしだ……きっと、桜花さんや、カスードさんを初め、他の皆も判ってくれるだろうと、確信めいた物が俺の中にあったのは事実なのだ。
だから、状況に乗っかる形ではあったが、俺はある種、皆を信頼して……もっと言えば、皆の好意に甘えて、自分のやりたい事を優先させた。
だが、外に出た後、俺は基本的には、皆の力を積極的に頼る事は無かった。
より正確に言うならば、皆の力を当てにする事を、恐れたのだ。
何故ならば……。
「良いのよ。ツバサちゃん……。自覚できるなら、それ以上は良いの。私はただ……。」
「いえ、ちゃんとハッキリさせておかないと、俺は先に進めません。」
「ツバサちゃん……。」
ディーネちゃんの声に、少しだけ哀しさが混じる。恐らく、言い過ぎたと思っているのだろう。
そして、表情こそ見る事は叶わないが、彼女が俺のこの状況を臨んでいないのは、百も承知だ。
だが、俺と言う不器用な人間は、こうでもしないと変われない。それは、経験からいやと言う程、知らしめられてきた。
自己否定と再生。
それが俺の処世術だ。駄目だと思った事は、それを駄目な自分として自覚して受け入れる。
必要であれば、俺は今までの自分ですら否定する。
世界が俺を受け入れられないのであれば……俺は、世界にあわせて自分を変える。
世界が変わらないのなら、俺が変わればいい。
その方がずっと楽だ。
だからこそ、俺は自己否定を望む。
そうすれば、俺はまた一つ、生まれ変わることが出来るのだ。
そうして、俺がそれを心に深く意識し、決断として心に刻んだ時……
―――― 比翼システムから通知 シンクロラインを形成 ――――
ふと、聞きなれないが、どこかで聞いた声が響いた。
―――― シンクロライン解放 不確定因子を排除 ――――
その瞬間、俺の心にわだかまって停滞していた、ある感情が薄れるのを感じる。
そして、そんな不思議な感覚に戸惑う間も無く、その声は更に無機質なアナウンスを続けた。
―――― 不確定因子排除に伴いシンクロラインの安定化を確認 ――――
……何だか判らないが、俺は自分自身の変化に戸惑っていた。同時に、深く納得もしていた。
そう。これこそが、このシステムの……このシステム?
このシステムとは何だ?
―――― ロック解除 比翼システムは第二段階へと移行 ――――
それは遠く、彼方より降り注ぐ。その声は……俺に何かの予感を抱かせる。
同時に、俺は、一瞬にして自分の中の何かが変質したのを実感した。
だが、それが何だったのか? そもそも、それがどういう意味を持つのか、考える事が出来ない。
それは霞の彼方へと連れ去られるように……その考え自体がそもそも、存在していなかったかのように……それは……あれ? それって何だったっけ?
「……ツバサちゃん?」
ふと遠慮がちな声に振り向くと、ディーネちゃんが、心配そうな表情で、俺の様子を伺っていた。
「ああ、いえ、ちょっと考え事を。」
「え……考え事って……。だって、お姉さん、途中からツバサちゃんの考えが、何も読めなくなっちゃったのよ? こんな事初めてだから……。」
ん? そうなのか?
そう言えば、ディーネちゃんに、俺の悪いところを指摘されて……その後は……。
ああ、そうか。皆の力を頼らない事が、そもそもの問題なんだもんな。
それをディーネちゃんに指摘されたんだった。そうだそうだ。
ならば、話は簡単だ。皆の言うとおり、もっと色々と役に立ってもらおう。それがお互いの為に良いだろうし。
「……えっ? ちょっと、ツバサちゃん?」
うーん、そうすると、俺も、皆の思いに応える為に、もっと意見を聞かないとな!
これは、宿を取ったら、皆と話し合いだなぁ。
さて、どういう形で纏めるのが良いんだろうか?
「ちょっと! ツバサちゃん!!」
何故かディーネちゃんが、大声で俺に呼びかけてくる。
ど、どうしたんですか? ディーネちゃん? いきなり大声で。
「どうしたじゃないわ? どうしたはこっちの方よ。ツバサちゃん、いきなりどうしちゃったの?」
え? いや、どうしようもないんですが……何の話でしょうか?
俺は突然のディーネちゃんの、詰問に近い勢いに押され、思わず腰が引ける。
見ると、ディーネちゃんは、何か焦ったような、困ったような……いや、それ以上に心配そうな表情で、俺を見ていた。
真剣な目で俺を見るディーネちゃんと、何が何だかわからない俺。
暫し、そんな睨み合い……と言うより、一方的に俺が睨まれる構図が続く。
「本当に、自覚が……無いのね。」
それは、ディーネちゃんの溜息共に吐き出された言葉で終了した。
自覚……? 何の話だろうか?
ディーネちゃんに言われた事は、俺なりに考えているつもりなのだが……まだ、何か俺は考え違いでもしているのだろうか?
「違うのよ。そうじゃないの。ツバサちゃんはついさっきまで、皆の力を頼る事に消極的だったでしょ? 勿論、それをお姉さんは、指摘したわ。けど、そもそも、ツバサちゃんが皆の力に頼りたがらなかったのは、皆の事を思っての事でしょう?」
ああ、なるほど。確かに、俺は何故か皆の力を使う事を躊躇っていた。
だが、今の俺にはそのような気持ちが、不思議と沸いて来ない。
俺は、皆の力を使うことで、皆にかえって危険が及ぶことを懸念していたのだ。
それぐらいなら、俺がなるべく矢面に立った方がいいと考えていた。
考えてみたらアホらしい話である。
そもそも、俺が矢面に立ったとしたって、俺に危険が及べば、皆が黙っていないだろう。
どの道同じ事なら、最初から連携していた方が、後々、何かあった時に良いだろうし。
何より、今の人族程度の力なら、俺達の力でどうにでもなる事は判っている。
それこそ、いざとなれば、強引に押し通れるのであるし。
勿論、力任せになるのは不味いが、最悪仕方がないだろう。
まぁ、そんな事したら、色々と悲惨な事になりそうなのでしたくないが。
そんな俺の考えを読んだのだろう。ディーネちゃんは、真っ青な顔でこちらを見た後……徐に水球に視線を向けた。
その水球が突然、破裂し、中からルナが吐き出されるように地に落ちる。
「ルナ!? ちょっと、ディーネちゃん何を!?」
「ツバサちゃんは黙ってて!!」
俺の言葉を遮るように、鋭く声を上げるディーネちゃん。
その声には、今まで聞いた事も無いような、大きな感情が宿っていた。その迫力に気圧され、俺は思わず息を呑む。
な、なんだ? どうしたって言うんだ?
そ、そうだ、ルナは……大丈夫か?
見ると、ルナはうな垂れる様に、ずぶ濡れの床に座り込んでいた。
その長い白銀の髪が水を吸って、うねる様に顔を隠して地へと這っている。
とりあえず、ルナの状態を確認し、怪我も無さそうだと知れ、俺も一安心する。
しかし、良く見ると、その表情が髪で隠れている事もあり、いつもの快活さがまるで感じられない。
そんなルナの前まで、ディーネちゃんは滑るように移動すると、見下ろすようにルナの前に立つ。
それは、まるで……王と罪人のような、隔絶した者同士の光景に、俺には思えた。
「ルナちゃん…………何をしたの?」
冷たい声がルナへと静かに振り下ろされる。
それは、今まで穏やかな海のような包容力のある声を出していたディーネちゃんから発せられたとは思えないほど、冷たく鋭く……そして容赦が無かった。
そんなディーネちゃんの容赦の無い声に、ルナは弱々しく首を振る。
「あれは……ルナちゃんがやったんじゃないの?」
その言葉に、ルナはまたも弱々しく首を振る。
「じゃあ、誰がやったの?」
その問いに……ルナは答えなかった。
いや、良く見ると、拳を握り締めていた。それは、まるで何かに耐えているようにも見える。
「ルナちゃん……。お願い……。」
それは、本当に心からの懇願だった。
ディーネちゃんが何を思って、ルナを執拗に問い質しているのかは、俺には全くわからない。
だが、彼女はそれが本当に必要で、一歩も引かない覚悟で、その問いを発しているのが判ってしまった。
だから、一見、ルナを一方的に追い詰めているようにも見えるこの状況にも、俺は手を出せなかったのだ。
暫くの間、静けさが場を包む。
そして、少し経った後、ルナがポツリと、口を動かしたように見えた。
丁度、俺の位置からでは、ルナの口元は見えないが、濡れた髪が少しだけ動いた気がしたのだ。
いや、気のせいじゃなかった。どうやら、ルナは声こそ出ないものの、口を開いて話しているようだ。
そして、それをディーネちゃんは黙って聞いている。時々、頷いていることから、どうやら何故かルナの言葉は伝わっているらしい。
しかし、そのディーネちゃんの表情は、段々と険しくなっていく。
そして、ポツリと
「なんて……事を……。それじゃあ……。」
そう、ディーネちゃんが一言呟いたのを皮切りに、ルナは髪を振り乱し、その素顔を見せた。
泣いていた。
涙を流しながら、それでも溢れ出る言葉を止められないかのように、狂ったように口を動かして何かをディーネちゃんに訴えかけていたのだ。
それは、俺には読み取れなかったが……それでも、端々での言葉を拾う事は出来た。
その中に、良く知った名前と、ユグドラシルシステムと言う単語、そして、比翼と言う言葉が頻繁に出てきたのは判った。
ルナがディーネちゃんに涙ながらに訴えかけるその姿を見て、俺は少しの嫉妬と、そして、それ以上の安堵を覚える。
漸く、彼女は……自分の抱える物を、一旦下ろせる機会を得たんだと。
それは、俺ではなかったが、それでも、苦しんでいた物を吐き出せる場所が、今ここに出来たことが、何よりも嬉しかった。
まぁ、この状況を見るに、どうやら、ルナが俺に何かをやらかしたんだろう。
実のところ、その事自体は、何となく予想していたし、想像もできた。
どうも、最近の俺の状態がおかしいのである。何がおかしいかと言うと判らないのだが、違和感があるのだ。
元の世界にいた時の自分と、今の自分を比べると、どうにもおかしいのである。
そのズレは、最近になって特に大きくなった事を自覚せざるを得なかった。
だが、上手く説明できないのだ。
自覚はあるが、どこが変わったのかは良く判らない。いや、判らなくなっていると言うべきか。
そして、何より、それがルナのせいだとしたら……それはそれで良いかなと思っている自分がいるのである。
俺の運命は、もう彼女無しには語れないレベルで融合しているんだろう。
それが今回、明確に判ってしまった。
それならそれで望むところである。ルナみたいな可愛い女の子と一蓮托生なのも悪くは無い。
こういう考えがおっさんなんだろうか?
ふと見ると、何故か溜息をついてこちらを見る、水の大精霊様。
そして、少し恨みの篭ったような視線を追加してきた。
あ、そう言うこと? いや、これは不可抗力じゃないの? だって、ルナですよ?
俺のそんな考えがそのまま伝わったのだろうか?
突然、傍から見て、盛大に不安しか沸いてこないような意地悪な笑みを浮かべると、徐にディーネちゃんは、ルナを抱きしめた。
「判ったわ。ルナちゃん……良く今まで頑張ったわね……。お姉さん、良く判ったから。もう良いの。」
それは、聖母のような優しい抱擁であり、まるで光が差し込むような、暖かい光景でもあった。
「そんなルナちゃんにご褒美よ。実はね……ツバサちゃんがね……。」
あれ? 何か、雲行きが怪しく……?
俺の不安はどうやら的中したらしく……ディーネちゃんは聖母の笑みを貼り付けたまま、ルナの耳元で何かを囁き……次の瞬間、ルナの頭から、音を立てて湯気が出る。
いや、ちょい待て。何を吹き込んだ……そこの大精霊様。
そんな慈母の姿を体現しながら、完全にオーバーヒートしているルナから離れると、空中をスキップするかのように、俺の元へと飛んでくる。器用だなぁ。
そんな俺の面白くも無い感想を聞いて、
「もう、ツバサちゃん! そこは、もっと騒いでくれないと! お姉さん、寂しいわ!」
そう、くねくねと腰を左右に揺らすディーネちゃん。
知るか!? 流石に、このパターンも慣れたよ!
そもそも、ルナと歩むと決めた以上、この程度の事は、想定済みです。
「いやぁ~ん! ツバサちゃんのいけず!!」
そう言いながら、言葉とは裏腹に、大質量物質に俺を埋め込みにかかるディーネちゃん。
もう、面倒なので俺は、ディーネちゃんのやりたいようにやらせる事にした。
いや、あの胸に溺れたいとか……そ、そんな事では、無いんだぞ?
「もう少し素直になってもいいと思うなー。お姉さんは。」
お、俺は少し小ぶりの方が……いや、だが、しかし……なま……あぶ……。
「とりあえず、そのままで聞いてね? ツバサちゃん。」
俺がその豊満な脂肪の塊に、意識を刈り取られそうになった時、突然、ディーネちゃんが小声で俺に語りかけてきた。
俺は、とりあえずそのまま首を縦に動かす。弾力が……ボヨンって、いや、負けるな、俺!
「判ってると思うけれど……ルナちゃんとの事は、今は聞かないで置いてくれると助かるわ。」
俺はそのまま、顔で胸を泳ぐ。そう、俺は……って、駄目だ。思考が逸れる。小さく首肯するに止めるが、それがまた……。
「ふふ……。ありがとう。まだ、ルナちゃんは話せないと思うから……察してあげてね。大丈夫、お姉さん達が、ツバサちゃんを守るから。」
了解……しましたから、離して……いや、もっと……いや……。って達??
「あら? 言ってなかったかしら? 今ね、お姉さん、頑張って、ツバサちゃんに力を貸してくれる精霊たちを募ってるのよ? 結構、皆、興味を持ってくれてるわよ~。」
その言葉に、俺は安息の地を離れ、体を起こす。
そこには満面の笑みでこちらを見るディーネちゃん。
ちょっと!? 何、さらっと、大事な事言ってるんですか?
精霊たちって、微精霊の事ですよね? よもや……。
俺はディーネちゃんを見つめながらも、心で叫びつつ、汗を垂らす。
「うふふふ、そんなわけ無いじゃないのぉ。」
ああ、良かった。ですよね。幾らなんでも……そこまで無茶な事はしませんよね。
「勿論、大精霊達よ!」
判ってねぇ!? つか、さらりと、何やってるんですか!?
「あ、そうそう。フィーちゃんは、強制参加として……リタちゃんが、結構、ツバサちゃんに興味を持ってるから、今度呼んであげてね?」
誰よ……そのリタちゃんて。それ以前に、フィーちゃんって、この前のシルフィードさんですよね?
リリーと契約してその後、どうなんですか?
「それが、凄い大人しくなって可愛くなったわよ! もう、リリーちゃんのお陰ね! 泣き顔が特に素敵になったのよ!」
……何してるんですか。軽く引きますから、あまり人……じゃないな、精霊を虐めてうさ晴らししないで下さいね?
「失礼ねぇ。お姉さん、そんな事しないわよ! ……たまにしか……。」
もう、聞かなかった事にしますから、程ほどにお願いしますよ?
呼び出したら、泣いてたりしたら、リリーが可哀想ですし。
「わ、判ったわよぉ。お姉さんも、リリーちゃんの事も好きだから、気をつけるわ。」
そう言った時に、ディーネちゃんの姿が少し薄まった気がした。
いや、良く見ると、少し向こう側が透けて見える。
はぁ……。また、この精霊様は無理をしてるな?
「うふ。やっぱりばれちゃったかしら? 色々、問題もあったけれど……楽しかったわ。」
それなら良かったです。
「また暫くお別れね。咲耶と此花の事、宜しくね? ツバサちゃん。」
ええ、相変わらずの駄目親っぷりですが、何とか頑張ってみます。
っと、ディーネちゃん、髪の毛に屑がついてますよ? 取りますから、目を閉じて下さい。
「あら、そうなの? そんなの……あっ……。」
こういう時、心覗かれるって損だなぁ。もう、良いでしょ?
「え、ええ。はい……お願いします。」
そう言ってディーネちゃんは、そっと目を閉じる。
そして俺は、ディーネちゃんに軽くであるが……数秒だけの口づけをした。
俺が出来る、精一杯の感謝。
そして、彼女が望んでいるであろう、最大級のお礼。
俺は、それを実行した。
そう、初めて俺は、ディーネちゃんに俺から口づけをしたのだ。
お互いの顔が離れ……そして、最後に見たのは、満面の笑みの大精霊様。
「ありがとう……ツバサちゃん。」
そうして、彼女は音も無く粒子となって消えた。
それは名残惜しそうに、俺の周りを舞い……そして、消えたのだった。
俺は、そんな彼女の頭を代わり映え無く、一定のリズムであやす様に、撫で続ける。
そういや、春香もこんな感じだったなぁ。
ふと、元の世界でも、そうやって妹である春香を、良くあやしていた事を思い出す。
彼女は、ああ見えて、とても臆病で繊細だ。
一見するとぶっきらぼうだが、あれは殆どが虚勢であるし、その裏に隠された素顔は兄として心配になるほど無垢で、純粋である。
まぁ、肉体言語だけは何とかして欲しいが、あれがあるからこそ、彼女は強さを演じることができる訳で……なかなかに難しいものである。
と言うか、女性でも時々、そういうツンとした人がいることがある。
しかし、そんな人こそ、実は結構、中身が乙女な方が多いと、俺は経験則で知っていた。
そして、時折垣間見える、その乙女な部分が、男性には何とも眩しく見えるものなのである。
俗にいうあれだな、ツンデレとか、ギャップ萌えとか、そういう部類の物だろう。
まぁ、狙ってやってる人も多いから、良し悪しではあると思うが……。
俺は、そんな詮無い事を脳裏で垂れ流しつつ、ふと視線を感じディーネちゃんに顔を向ける。
「ツバサちゃん……こういう時に、他の女の子の事を考えるのは無しだと思うの。」
見ると、数えきれないほどの泣き腫らした目が、俺を一斉に貫いた。
う……流石に、凄い罪悪感が。ただでさえ潤んだ瞳が、倍率ドンである。
いや、ちゅーか、めっちゃ怖い。いっそ、呪われてしまっても、おかしくないと思える光景である。
そんな潤んだ瞳たちの視線に晒された俺は、背中に汗をかきながらも、
「はい、すいません……。」
と、素直に謝った。もう、全面降伏である。
確かに、この状況では、迂闊だった。
俺だって逆の立場だったら、あまり面白くは無いだろうし。
心が読まれているからこその弊害……と言うところだろうか。
「もう……。女の子はね、そういうの敏感なのよ? 私はまだ良いけど、ルナちゃんの時には、特に気をつけるのよ? あの子、一途だから……お姉さん、心配だわ。」
うん、俺も心配です。
あれだな、言葉を話せなくなってから、あまり目立たなくなっていたが、元来、ルナはかなりの焼きもち焼きである。
声に出てないだけであって、彼女だって色々、感じ取って考えているはずなのだ。
そう思えば、兆候は至る所にあったような気がする。
この辺り、やはり、恋愛経験値の少ない俺だからこその、朴念仁っぷりなのだろうか……。
「ふふ……そこが、またお姉さん的には、たまらないんだけどね。」
それは、とどのつまり、初心な俺が良いと言うことでしょうかね……。
「そう! 最近、少し慣れて来ちゃったみたいだけど、根っこは、やっぱり変わらないわ。そこが、お姉さんの心をくすぐるのよねぇ。」
そんな風に、恐らくニヤニヤと言う擬音がつきそうなほど、満面の笑みで俺を見ているであろう、ディーネちゃんだが、逆に俺は、改めて現実を突きつけられた気がしていた。
だって、それって、俺があまり進歩してないってことだろう?
確かに、考えれば考えるほど、ディーネちゃんだけでなく、ルナにも……そして、我が子達にも、気を配れていない現実が浮き彫りになっていく気がする。
状況に流されている感は多々あるが、こんな状況でルナは今、水球の中で、何を思っているだろうか?
どう考えたって、楽しい状況じゃないだろう。
我が子達だって、一生懸命、俺に尽くそうとしてくれているが、俺はそれに応えられているのだろうか?
いや、全然駄目だろう。そもそも、俺はどうしても自分自身が元の世界で理想とする、子供と言う価値観から脱却できないでいる。それは、ある意味、当たり前のことなのだが……それでも俺が何とかしなければ……と、焦燥にも似た、縮れた気持ちが、浮かんでくるのを、俺は止められないでいた。
ティガ親子に至っては、完全に頼りっぱなしだし、何も返してやれてない気がする。
ペットの延長上の対応じゃないのか? 俺はクウガとアギトにちゃんと何かしてやれているのか?
何も出来てないじゃないか。
リリーだって、そうだ。
あれだけ、一途に俺に好意を向けてくれるのに、俺は何ができていると言うのだ?
中途半端な力を与え、更に過酷な状況に引きずり込んでいるだけだ。
……やはり、俺には過ぎた状況なのだろうな。
俺一人の力で、これを纏め上げ、そして率いていく事自体に、無理があるのでは無いか?
そんな疑問が俺の脳裏に浮かび、そして、こびり付いたように、残る。そして、そんな思いに完全に俺の意識が囚われた時、
「こーらー。ストップ。駄目よ? ツバサちゃんの悪い癖。」
突然、ディーネちゃんに額をうりうりと突っつかれる。それで俺の思考は、現実へと引き戻された。
そして、俺の視界は、目に埋め尽くされたディーネちゃんの顔に覆われているわけで……。
うお!? いつの間に……って言うか近い! 近いですってば!?
俺が焦った事で、彼女はその顔を離すと、腰に手を当てため息をついた。その表情を視認する事は叶わないが……呆れたような物である事はすぐに分かる。
ディーネちゃんは、腰に手を当てたまま、少し胸を……おおう、揺れる揺れる……じゃなくて、胸を張ると、
「いい? ツバサちゃんは、万能じゃないの。だから、全部自分でやろうとする必要は無いのよ?」
そう、俺に言い聞かせるように、ゆっくりと語りかけてきた。
そんな風にディーネちゃんに言われ、俺は、はっとする。
それは、確か、あの糞勇者と対峙した時にも言われた事だったはずだ。
『全く~。ツバサちゃんは~一人で~~頑張り過ぎなの!』
『そうよ? もーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと周りをいっぱい頼った方が良いわね。』
遠い記憶の端から、そんな彼女の声が、思い起こされた。
うん、そうだった。確かに、そんな事を言われた。
そして、俺もその言葉に共感し、実践してきたつもりではいた……が、どうやら、また俺は、同じ過ちを繰り返そうとしていたのだ。
改めて、俺は自分の行動を振り返り……そして、自分が思う以上に、背負い込みすぎていた事実を認識する。
例えば、宇迦之さんの事はどうだ? 俺は、全て自分で背負おうとしなかったか?
ルナにサポートを頼みこそしたが、他の皆には、特に何も言わなかった。
勿論、憶測の域を出なかった事もある。
皆を危険に巻き込みたくない思いもあった。
だが、こうも思っていたのだ。
俺がやってしまった方が楽だ。
何故ならそれは……。
「そう。その方が、ツバサちゃんにとっては……簡単だったのよね。普通は逆なんだけれど。」
ディーネちゃんが、困ったような、そして、どこか哀しい響きを滲ませて、溜息と共に、その言葉を吐き出した。
そう。俺一人が背負った方が、責任の所在も、全て俺の中で、完結できる。
そうしてしまった方が……自分自身で全てを終わらせる方が、俺にとっては、遥かに労力が少ないのだ。
しかし、そんな俺の行為が意味する所は……とどのつまり……。
「そうよね……もう少し、皆を頼ってもいいと思うの。勿論、ツバサちゃんが、皆を巻き込みたくないって思う気持ちは判るわ。けど……それって、裏を返せば……皆を信頼して無いって事にならないかしら?」
ディーネちゃんには珍しく、はっきりと言い切ったその言葉が、俺の胸を切り刻む。
「そんな事は……。」
「本当に無い……と言い切れるのかしら?」
「それは……。」
言い切れない。
そう。本当に皆の事を信じているならば、俺は全てを任せても良い筈だ。
此花だって咲耶だって、戦闘力だけで見れば、俺より遥かに上だ。
宇迦之さんの時だって、二人でなら多分、勝てただろう。
勿論、あれは力試しの意味合いもあったから、二人が戦って勝ったからと言って、それに意味があるかどうかは別だが。
先ほどの試験の件だって、俺は自分自身でやろうとした。
それは何故か? その方が楽だったからだ。
不確定な要素が多いから? それもある。
子供達を戦わせるのが忍びない? それもある。
だが、本当のところ、根っこにあるのは……皆に苦労をかけたくないと言う我侭な思いに他ならない。
そもそも、森を発たねばならなくなった時……あの状況下で、急かされた部分があるにせよ……俺は、森の皆を半ば、放棄する形で出てきてしまった。
普通であれば、俺はそんな事はしないし、出来ないが……あの時、俺は思った。
この森は俺がいなくても、もう大丈夫だ。
それは、宇迦之さんの言葉や、レイリさんの後押しによって、ようやく認めることの出来た、俺の偽らざる思いであった。
そして、それは、裏を返せば、皆に森を任せても良いという、いわば俺の勝手な信頼の証でもあったのだ。
勿論、そんな事、俺は懇切丁寧に、皆にふれて回った事は無い。
しかしだ……きっと、桜花さんや、カスードさんを初め、他の皆も判ってくれるだろうと、確信めいた物が俺の中にあったのは事実なのだ。
だから、状況に乗っかる形ではあったが、俺はある種、皆を信頼して……もっと言えば、皆の好意に甘えて、自分のやりたい事を優先させた。
だが、外に出た後、俺は基本的には、皆の力を積極的に頼る事は無かった。
より正確に言うならば、皆の力を当てにする事を、恐れたのだ。
何故ならば……。
「良いのよ。ツバサちゃん……。自覚できるなら、それ以上は良いの。私はただ……。」
「いえ、ちゃんとハッキリさせておかないと、俺は先に進めません。」
「ツバサちゃん……。」
ディーネちゃんの声に、少しだけ哀しさが混じる。恐らく、言い過ぎたと思っているのだろう。
そして、表情こそ見る事は叶わないが、彼女が俺のこの状況を臨んでいないのは、百も承知だ。
だが、俺と言う不器用な人間は、こうでもしないと変われない。それは、経験からいやと言う程、知らしめられてきた。
自己否定と再生。
それが俺の処世術だ。駄目だと思った事は、それを駄目な自分として自覚して受け入れる。
必要であれば、俺は今までの自分ですら否定する。
世界が俺を受け入れられないのであれば……俺は、世界にあわせて自分を変える。
世界が変わらないのなら、俺が変わればいい。
その方がずっと楽だ。
だからこそ、俺は自己否定を望む。
そうすれば、俺はまた一つ、生まれ変わることが出来るのだ。
そうして、俺がそれを心に深く意識し、決断として心に刻んだ時……
―――― 比翼システムから通知 シンクロラインを形成 ――――
ふと、聞きなれないが、どこかで聞いた声が響いた。
―――― シンクロライン解放 不確定因子を排除 ――――
その瞬間、俺の心にわだかまって停滞していた、ある感情が薄れるのを感じる。
そして、そんな不思議な感覚に戸惑う間も無く、その声は更に無機質なアナウンスを続けた。
―――― 不確定因子排除に伴いシンクロラインの安定化を確認 ――――
……何だか判らないが、俺は自分自身の変化に戸惑っていた。同時に、深く納得もしていた。
そう。これこそが、このシステムの……このシステム?
このシステムとは何だ?
―――― ロック解除 比翼システムは第二段階へと移行 ――――
それは遠く、彼方より降り注ぐ。その声は……俺に何かの予感を抱かせる。
同時に、俺は、一瞬にして自分の中の何かが変質したのを実感した。
だが、それが何だったのか? そもそも、それがどういう意味を持つのか、考える事が出来ない。
それは霞の彼方へと連れ去られるように……その考え自体がそもそも、存在していなかったかのように……それは……あれ? それって何だったっけ?
「……ツバサちゃん?」
ふと遠慮がちな声に振り向くと、ディーネちゃんが、心配そうな表情で、俺の様子を伺っていた。
「ああ、いえ、ちょっと考え事を。」
「え……考え事って……。だって、お姉さん、途中からツバサちゃんの考えが、何も読めなくなっちゃったのよ? こんな事初めてだから……。」
ん? そうなのか?
そう言えば、ディーネちゃんに、俺の悪いところを指摘されて……その後は……。
ああ、そうか。皆の力を頼らない事が、そもそもの問題なんだもんな。
それをディーネちゃんに指摘されたんだった。そうだそうだ。
ならば、話は簡単だ。皆の言うとおり、もっと色々と役に立ってもらおう。それがお互いの為に良いだろうし。
「……えっ? ちょっと、ツバサちゃん?」
うーん、そうすると、俺も、皆の思いに応える為に、もっと意見を聞かないとな!
これは、宿を取ったら、皆と話し合いだなぁ。
さて、どういう形で纏めるのが良いんだろうか?
「ちょっと! ツバサちゃん!!」
何故かディーネちゃんが、大声で俺に呼びかけてくる。
ど、どうしたんですか? ディーネちゃん? いきなり大声で。
「どうしたじゃないわ? どうしたはこっちの方よ。ツバサちゃん、いきなりどうしちゃったの?」
え? いや、どうしようもないんですが……何の話でしょうか?
俺は突然のディーネちゃんの、詰問に近い勢いに押され、思わず腰が引ける。
見ると、ディーネちゃんは、何か焦ったような、困ったような……いや、それ以上に心配そうな表情で、俺を見ていた。
真剣な目で俺を見るディーネちゃんと、何が何だかわからない俺。
暫し、そんな睨み合い……と言うより、一方的に俺が睨まれる構図が続く。
「本当に、自覚が……無いのね。」
それは、ディーネちゃんの溜息共に吐き出された言葉で終了した。
自覚……? 何の話だろうか?
ディーネちゃんに言われた事は、俺なりに考えているつもりなのだが……まだ、何か俺は考え違いでもしているのだろうか?
「違うのよ。そうじゃないの。ツバサちゃんはついさっきまで、皆の力を頼る事に消極的だったでしょ? 勿論、それをお姉さんは、指摘したわ。けど、そもそも、ツバサちゃんが皆の力に頼りたがらなかったのは、皆の事を思っての事でしょう?」
ああ、なるほど。確かに、俺は何故か皆の力を使う事を躊躇っていた。
だが、今の俺にはそのような気持ちが、不思議と沸いて来ない。
俺は、皆の力を使うことで、皆にかえって危険が及ぶことを懸念していたのだ。
それぐらいなら、俺がなるべく矢面に立った方がいいと考えていた。
考えてみたらアホらしい話である。
そもそも、俺が矢面に立ったとしたって、俺に危険が及べば、皆が黙っていないだろう。
どの道同じ事なら、最初から連携していた方が、後々、何かあった時に良いだろうし。
何より、今の人族程度の力なら、俺達の力でどうにでもなる事は判っている。
それこそ、いざとなれば、強引に押し通れるのであるし。
勿論、力任せになるのは不味いが、最悪仕方がないだろう。
まぁ、そんな事したら、色々と悲惨な事になりそうなのでしたくないが。
そんな俺の考えを読んだのだろう。ディーネちゃんは、真っ青な顔でこちらを見た後……徐に水球に視線を向けた。
その水球が突然、破裂し、中からルナが吐き出されるように地に落ちる。
「ルナ!? ちょっと、ディーネちゃん何を!?」
「ツバサちゃんは黙ってて!!」
俺の言葉を遮るように、鋭く声を上げるディーネちゃん。
その声には、今まで聞いた事も無いような、大きな感情が宿っていた。その迫力に気圧され、俺は思わず息を呑む。
な、なんだ? どうしたって言うんだ?
そ、そうだ、ルナは……大丈夫か?
見ると、ルナはうな垂れる様に、ずぶ濡れの床に座り込んでいた。
その長い白銀の髪が水を吸って、うねる様に顔を隠して地へと這っている。
とりあえず、ルナの状態を確認し、怪我も無さそうだと知れ、俺も一安心する。
しかし、良く見ると、その表情が髪で隠れている事もあり、いつもの快活さがまるで感じられない。
そんなルナの前まで、ディーネちゃんは滑るように移動すると、見下ろすようにルナの前に立つ。
それは、まるで……王と罪人のような、隔絶した者同士の光景に、俺には思えた。
「ルナちゃん…………何をしたの?」
冷たい声がルナへと静かに振り下ろされる。
それは、今まで穏やかな海のような包容力のある声を出していたディーネちゃんから発せられたとは思えないほど、冷たく鋭く……そして容赦が無かった。
そんなディーネちゃんの容赦の無い声に、ルナは弱々しく首を振る。
「あれは……ルナちゃんがやったんじゃないの?」
その言葉に、ルナはまたも弱々しく首を振る。
「じゃあ、誰がやったの?」
その問いに……ルナは答えなかった。
いや、良く見ると、拳を握り締めていた。それは、まるで何かに耐えているようにも見える。
「ルナちゃん……。お願い……。」
それは、本当に心からの懇願だった。
ディーネちゃんが何を思って、ルナを執拗に問い質しているのかは、俺には全くわからない。
だが、彼女はそれが本当に必要で、一歩も引かない覚悟で、その問いを発しているのが判ってしまった。
だから、一見、ルナを一方的に追い詰めているようにも見えるこの状況にも、俺は手を出せなかったのだ。
暫くの間、静けさが場を包む。
そして、少し経った後、ルナがポツリと、口を動かしたように見えた。
丁度、俺の位置からでは、ルナの口元は見えないが、濡れた髪が少しだけ動いた気がしたのだ。
いや、気のせいじゃなかった。どうやら、ルナは声こそ出ないものの、口を開いて話しているようだ。
そして、それをディーネちゃんは黙って聞いている。時々、頷いていることから、どうやら何故かルナの言葉は伝わっているらしい。
しかし、そのディーネちゃんの表情は、段々と険しくなっていく。
そして、ポツリと
「なんて……事を……。それじゃあ……。」
そう、ディーネちゃんが一言呟いたのを皮切りに、ルナは髪を振り乱し、その素顔を見せた。
泣いていた。
涙を流しながら、それでも溢れ出る言葉を止められないかのように、狂ったように口を動かして何かをディーネちゃんに訴えかけていたのだ。
それは、俺には読み取れなかったが……それでも、端々での言葉を拾う事は出来た。
その中に、良く知った名前と、ユグドラシルシステムと言う単語、そして、比翼と言う言葉が頻繁に出てきたのは判った。
ルナがディーネちゃんに涙ながらに訴えかけるその姿を見て、俺は少しの嫉妬と、そして、それ以上の安堵を覚える。
漸く、彼女は……自分の抱える物を、一旦下ろせる機会を得たんだと。
それは、俺ではなかったが、それでも、苦しんでいた物を吐き出せる場所が、今ここに出来たことが、何よりも嬉しかった。
まぁ、この状況を見るに、どうやら、ルナが俺に何かをやらかしたんだろう。
実のところ、その事自体は、何となく予想していたし、想像もできた。
どうも、最近の俺の状態がおかしいのである。何がおかしいかと言うと判らないのだが、違和感があるのだ。
元の世界にいた時の自分と、今の自分を比べると、どうにもおかしいのである。
そのズレは、最近になって特に大きくなった事を自覚せざるを得なかった。
だが、上手く説明できないのだ。
自覚はあるが、どこが変わったのかは良く判らない。いや、判らなくなっていると言うべきか。
そして、何より、それがルナのせいだとしたら……それはそれで良いかなと思っている自分がいるのである。
俺の運命は、もう彼女無しには語れないレベルで融合しているんだろう。
それが今回、明確に判ってしまった。
それならそれで望むところである。ルナみたいな可愛い女の子と一蓮托生なのも悪くは無い。
こういう考えがおっさんなんだろうか?
ふと見ると、何故か溜息をついてこちらを見る、水の大精霊様。
そして、少し恨みの篭ったような視線を追加してきた。
あ、そう言うこと? いや、これは不可抗力じゃないの? だって、ルナですよ?
俺のそんな考えがそのまま伝わったのだろうか?
突然、傍から見て、盛大に不安しか沸いてこないような意地悪な笑みを浮かべると、徐にディーネちゃんは、ルナを抱きしめた。
「判ったわ。ルナちゃん……良く今まで頑張ったわね……。お姉さん、良く判ったから。もう良いの。」
それは、聖母のような優しい抱擁であり、まるで光が差し込むような、暖かい光景でもあった。
「そんなルナちゃんにご褒美よ。実はね……ツバサちゃんがね……。」
あれ? 何か、雲行きが怪しく……?
俺の不安はどうやら的中したらしく……ディーネちゃんは聖母の笑みを貼り付けたまま、ルナの耳元で何かを囁き……次の瞬間、ルナの頭から、音を立てて湯気が出る。
いや、ちょい待て。何を吹き込んだ……そこの大精霊様。
そんな慈母の姿を体現しながら、完全にオーバーヒートしているルナから離れると、空中をスキップするかのように、俺の元へと飛んでくる。器用だなぁ。
そんな俺の面白くも無い感想を聞いて、
「もう、ツバサちゃん! そこは、もっと騒いでくれないと! お姉さん、寂しいわ!」
そう、くねくねと腰を左右に揺らすディーネちゃん。
知るか!? 流石に、このパターンも慣れたよ!
そもそも、ルナと歩むと決めた以上、この程度の事は、想定済みです。
「いやぁ~ん! ツバサちゃんのいけず!!」
そう言いながら、言葉とは裏腹に、大質量物質に俺を埋め込みにかかるディーネちゃん。
もう、面倒なので俺は、ディーネちゃんのやりたいようにやらせる事にした。
いや、あの胸に溺れたいとか……そ、そんな事では、無いんだぞ?
「もう少し素直になってもいいと思うなー。お姉さんは。」
お、俺は少し小ぶりの方が……いや、だが、しかし……なま……あぶ……。
「とりあえず、そのままで聞いてね? ツバサちゃん。」
俺がその豊満な脂肪の塊に、意識を刈り取られそうになった時、突然、ディーネちゃんが小声で俺に語りかけてきた。
俺は、とりあえずそのまま首を縦に動かす。弾力が……ボヨンって、いや、負けるな、俺!
「判ってると思うけれど……ルナちゃんとの事は、今は聞かないで置いてくれると助かるわ。」
俺はそのまま、顔で胸を泳ぐ。そう、俺は……って、駄目だ。思考が逸れる。小さく首肯するに止めるが、それがまた……。
「ふふ……。ありがとう。まだ、ルナちゃんは話せないと思うから……察してあげてね。大丈夫、お姉さん達が、ツバサちゃんを守るから。」
了解……しましたから、離して……いや、もっと……いや……。って達??
「あら? 言ってなかったかしら? 今ね、お姉さん、頑張って、ツバサちゃんに力を貸してくれる精霊たちを募ってるのよ? 結構、皆、興味を持ってくれてるわよ~。」
その言葉に、俺は安息の地を離れ、体を起こす。
そこには満面の笑みでこちらを見るディーネちゃん。
ちょっと!? 何、さらっと、大事な事言ってるんですか?
精霊たちって、微精霊の事ですよね? よもや……。
俺はディーネちゃんを見つめながらも、心で叫びつつ、汗を垂らす。
「うふふふ、そんなわけ無いじゃないのぉ。」
ああ、良かった。ですよね。幾らなんでも……そこまで無茶な事はしませんよね。
「勿論、大精霊達よ!」
判ってねぇ!? つか、さらりと、何やってるんですか!?
「あ、そうそう。フィーちゃんは、強制参加として……リタちゃんが、結構、ツバサちゃんに興味を持ってるから、今度呼んであげてね?」
誰よ……そのリタちゃんて。それ以前に、フィーちゃんって、この前のシルフィードさんですよね?
リリーと契約してその後、どうなんですか?
「それが、凄い大人しくなって可愛くなったわよ! もう、リリーちゃんのお陰ね! 泣き顔が特に素敵になったのよ!」
……何してるんですか。軽く引きますから、あまり人……じゃないな、精霊を虐めてうさ晴らししないで下さいね?
「失礼ねぇ。お姉さん、そんな事しないわよ! ……たまにしか……。」
もう、聞かなかった事にしますから、程ほどにお願いしますよ?
呼び出したら、泣いてたりしたら、リリーが可哀想ですし。
「わ、判ったわよぉ。お姉さんも、リリーちゃんの事も好きだから、気をつけるわ。」
そう言った時に、ディーネちゃんの姿が少し薄まった気がした。
いや、良く見ると、少し向こう側が透けて見える。
はぁ……。また、この精霊様は無理をしてるな?
「うふ。やっぱりばれちゃったかしら? 色々、問題もあったけれど……楽しかったわ。」
それなら良かったです。
「また暫くお別れね。咲耶と此花の事、宜しくね? ツバサちゃん。」
ええ、相変わらずの駄目親っぷりですが、何とか頑張ってみます。
っと、ディーネちゃん、髪の毛に屑がついてますよ? 取りますから、目を閉じて下さい。
「あら、そうなの? そんなの……あっ……。」
こういう時、心覗かれるって損だなぁ。もう、良いでしょ?
「え、ええ。はい……お願いします。」
そう言ってディーネちゃんは、そっと目を閉じる。
そして俺は、ディーネちゃんに軽くであるが……数秒だけの口づけをした。
俺が出来る、精一杯の感謝。
そして、彼女が望んでいるであろう、最大級のお礼。
俺は、それを実行した。
そう、初めて俺は、ディーネちゃんに俺から口づけをしたのだ。
お互いの顔が離れ……そして、最後に見たのは、満面の笑みの大精霊様。
「ありがとう……ツバサちゃん。」
そうして、彼女は音も無く粒子となって消えた。
それは名残惜しそうに、俺の周りを舞い……そして、消えたのだった。
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