僕と狼姉様の十五夜幻想物語 ー温泉旅館から始まる少し破廉恥な非日常ー

稲荷一等兵

第18節29部ーまさかの刺客ー

 黒狼様の様子がおかしい。
 いや、それだけじゃない。この酒屋さんの敷地内が不自然なほど静まり返っていて、僕や銀露を睨めつけるような視線を感じる。

 銀露は小さく喉を鳴らしながら、辺りを見回していて……。

「できれば、穏便にことを運びたかったんだが……」

 黒狼様は立ち上がって、右手を上げた。
 それと同時に、この酒屋さんに居た店員さんの姿が変わった。
 黒狼様の神使であろう、黒い着物に狼の面をつけた方たち。そして、白衣を身にまとった、蛇姫様の神使達。

 さらに……信じられないことに。


「だから言っておいたのに。危ない目に遭っても、知りませんよ……と」
「鬼灯さん……ッ!?」

 巫女装束に身を包み、右手に神楽鈴、左手に何枚かのお札を持った鬼灯さんが僕から銀露に視線を移す。

「お久しぶりです、銀狼様」
「鬼灯の……!! 何をするつもりじゃ、うぬ……!!」
「暴れられると困りますので、神気を封じさせていただきます。申し訳ございません」
「うぬ程度の巫女が、ワシをどうにかできるとでも思っておるのか?」

 銀露の尻尾や耳、髪が怒りで逆立つ。牙を剥いて黒狼様と鬼灯さんと対峙した。
 でも……黒狼様はどこか悲しげに言うんだ。

「久々に酌み交わした酒が無粋なものであったこと、本当に残念に思う」 
「……ッ」

 ひたりと、銀露の動きが止まる。

 銀露が飲んだお酒は神酒。
 しかもそれは、蛇姫様の神気で変質したものだったのだと。

 鬼灯さんが、お札を前に突き出し、その後ろを叩くように神楽鈴を鳴らす。
 その数珠の音は光の矢となって、銀露の額を貫いた。

「銀露ッ!?」

 声もあげず、僕を後ろから抱きしめたまま、一度も動くことなく光の矢を受けた銀露の腕に込められた力が、とても頼りないものに変わった。
 そして、ぐらりと傾いた銀露の体を、僕は振り返って抱きとめた。

 僕の腕の中にすっぽりと収まってしまった銀露の体。
 ぶっかりと垂れ下がる、銀露の着物。
 懐に入れていたであろう、煙管と鉄扇が音を立てて舞台の上に落ち、束ねられていた艶やかな銀色の長い髪が解かれて、ばさりと広がった。

 軽い、小さい。……——幼い!?

 頰を上気させ、苦しそうに肩を上下させている銀露は10歳前後の幼い肢体をさらけ出していた。
 慌てて着物を拾い上げて、雑に銀露の体を包んで……。

「銀露に何を……ッ」
「神気を封じただけだ。しばらく目は覚まさんだろうがな。さあ、一緒に来てもらうぜ、人の子よ」

 そう言いながら、黒狼様は僕の腕を掴みにきた。これだけの数の神使達が囲んでいるんだ。逃げ場はない……。

 でも……、“銀露がずっと一緒にいたいと思えるような男になる”
 僕はそう銀露にそう言ったんだ。

『近づかないで』
「……!!」

 銀露を抱きしめながら、僕は平坦な声でそう言った。特に大きな声を出したってわけじゃない。
 でも、その一言で黒狼様どころか、じりじりと近づいてきていた周りの神使達の動きが時間を止めたかのように、ピタリと止まった。

「お前さん……その言霊、本当にただ人の子か?」
「……?」

 僕にとっては、苦し紛れに出た言葉だった。それだけのはずだったんだ。
 でも、黒狼様は目を剥いて、とんでもないものを聞いたかのようにそう言ってきた。

 僕が銀露を抱いたまま、後退りし逃げようとすると、鬼灯さんの喝を浴びた神使達が息を吹き返したかのように動きだす。

 こんな苦しげにしている銀露を置いて、捕まってる場合じゃない。もう一か八かでもいい、ここから走り出せば……。

 と、振り返った瞬間。僕の視界の端をなにか赤くて丸いものが通った。
 その丸いものは黒狼様の顔を強く打ち付け……。

「ぶぉッ!? 痛ェッ」

「あにさま、にげてっ」
「ここはわたくし達が引き受けましょう」
「子鞠、汰鞠ッ!?」

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