一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

変化する姉の日常

 –––ソニア・エフォンス–––


 あたしは弟が嫌いだった……でも、それは九歳になったころには好きに変わっていた。きっと、あの森での一見からだと思う。あの時は恐怖からか一瞬だけ心臓がビクンと跳ね上がって、身体が全く動かなくなった。それから、なにも考えられなくなって意識がなくなった。そして、気がついたらお父さんがあたしを抱きしめていて、あたしは安心して、たくさん泣いた……もう、あれから三年も経っていると思うと、時間が過ぎ去るのは早いものだと思う。
 今日は学舎の祭と言って、トーラ学舎で行われる祭の日だ。一般開放された学舎の広い敷地に沢山の人が来て屋台を開き、色んな催しをする。あたしも、かれこれ祭はこれで七回目となる。ここまでくると慣れも出てくるものだが今年は弟がいるからかいつもと違って、不思議で新鮮な感じがした。
 あたしがそんなことを言うと弟は、楽しみましょう?なんて言いながら紳士のような仕草で手を出してきた。あたしはそんな弟の仕草に思わず笑ってしまいながら、その弟の手を取った。
 今年の学舎の祭は先日の勉強会で知り合った弟のお友達であるエリリーちゃんとノーラちゃんを含めた四人で回ることになった。
 ノーラちゃんが持ってきてくれたカミュルスパイダーの糸は、とても甘くて美味しかった。あたしは甘党だったからとても嬉しい。そういえば、弟も甘党だったはずだ。あたしはそう思ってチラリと隣の弟に視線を向けると、至福の笑みを浮かべていた。小声で、「綿飴」と言っていたけれどなんのことだろう?
 それから弟は射的屋さんに目を向けて、薄く笑ってから射的屋さんに行った。あたしは弟がなにか欲しいものでもあるのかと思い、「頑張って」と応援した。
 すると弟は嬉しそうに笑ってくれた。
 お、弟だけど………カワイイ。
 いけないいけない。弟なんだから!ダメっ!絶対!
 弟は射的屋さんから弓と矢を受け取ると、弓を引いて矢を放つ。矢は吸い込まれるかのごとく景品に当たった。景品は黒色のブレスレットだった。ジャストヒット……狙い通りのようで、弟は悠々と景品を受け取った。
 弟は弓術が得意だ。学舎内では「百発百中」と言われるくらいで、授業で外したことは一度もなく、その精度と安定した矢の軌道は学舎一番と言われるほどだ。一学年にしてその実力……もちろん、学舎内では弟を知らない人はいない。六歳なのだから噂になるのも当然だ。そのために、弟と歩くと妙に視線を感じてしまうのだ。
 しかし、どういうわけか本人はそのことを知らない。噂が本人の耳に入っていないようだ。どういうことだろう?
 ちなみに弟は弓術だけじゃなく、魔術や剣術でもかなりの実力がある。剣術に関してはあたしと同じ学年で、剣術では一二を争う実力のある男の子を手合いであっさり倒したのだ。
 魔術はまだ魔力が少ないし、覚えているの魔術も初級のもので少ないが……その練度の高さが凄いのだ。単なる初級魔術とは思えないような威力で有名だったりする。
 本当に……六歳なのか疑いたくなる。
 黒色のブレスレットをとった弟がどうするのかと思って眺めていると弟は、あたしの方にきてブレスレットを渡してきた。
 私が黒色が好きなことを知っていて、とってくれたらしい。嬉しくないわけがない。
 だって、これは弟があたしのためにとった景品なのだ。当然だ。
 その後、弟は最後の矢でヌイグルミをとってエリリーちゃんとノーラちゃんに贈った。二人が取り合いをしていたので、あたしは苦笑まじりにそれを見つめた。
 再び四人で屋台を見回っていると、道の奥の方からアリステリア様と、その後ろを追従するアイク様が歩いてきていた。
 アリステリア様はいつ見てもお美しいことこの上なく、アイク様に関してはとても紳士的だと感じた。実はあたしは密かにアイク様お慕いしているのだ。
 あぁ……アイク様……一度でいいからお話したい。と、そんなことを思っていたらチラリとアリステリア様が弟を見たかと思うと突然、お辞儀をして挨拶を交わしてきたのだ。
 あたしは突然のことで固まってしまった。だってあのアリステリア様があたしに……というか、あたしたちにだよ?しかも、それに倣うようしてアイク様まで……。
 あたしは、まるでとろけそうになった。そんな感覚がしたのだ。あたしがぼけっとしている間にも弟は普通にお二人に挨拶を交わしていた。どうも知己の仲であるようだ。すぐに我に返ったあたしもお二人に挨拶をする。ノーラちゃんとエリリーちゃんは帰ってこなさそう……。
 暫く、アイク様とアリステリア様と弟、そしておまけのような形であたしを含めた四人で談笑した後に、アリステリア様が、「それではまた後で」と言い残して優雅に歩いていった。
 あぁ……あたし、あのアリステリア様とアイク様とお話したんだ……とろけちゃう。
 それにしても、あのお二人と知り合いだったなんて我が弟ながら恐ろしい。この弟の交友関係はどうなっているのだろうか?あたしはふと気になった。そんな折に、三回目の鐘の音がトーラの町に鳴り響く。お昼の時間を知らせているのだ。
「あんまりお腹空いてない」
 あたしはその弟の言葉に同意した。先程から歩きながら食べているためお腹が減るわけもなく……しかし、ノーラちゃんとエリリーちゃんはまだまだ食べられると言って再び屋台で食べ物を買っていた。
 どんな胃袋をしているのだろうか。
 カミュルスパイダーの糸のときのようにノーラちゃんはいくつかあたしと弟に渡してこようとしたが、もうお腹がいっぱいだったので、あたしたちはさすがに遠慮した。
 二人はたくさん食べられて幸せそうな顔をしている。太るよ……と、思ったところでノーラちゃんが思い出したように、「あ」と声をあげた。
「どうしたの?」
 あたしが聞くとノーラちゃんがあたしの方に目を向けた。
「闘技大会の席のチケットとらなくちゃ」
「あーそういえばグレイが出るんだもんね。応援しなくちゃね」
「ウチとエリリーでチケット買うんで、グレイお願いしてもいいですか?」
「うん。お願いね〜」
 そう言うと二人は急いでパタパタと走っていった。カワイイ……いけないいけない。
「元気がいいなぁー」
「グレイもあれくらい元気な方がいいんじゃない?」
 弟がふたりを眩しそうに見ながら言うので、私は少し皮肉交じりに返した。
「僕は十分元気だと思うけど?」
「そうだけど……グレイって同年代の子に比べたら大人しいから。お母さんも心配してたよ?」
「えっ」
 あたしの言葉に弟は顔を曇らせた。弟はまだ六歳なのに、家族に心配をかけまいとしているようなのだ。まったく子供らしくないとあたしは思う。
「それより闘技場の方にいかなくていいの?」
「うん、そうだね。じゃあ行こうか、お姉ちゃん」
 あたしは弟が歩き出すと同時に、その隣を歩き出した。こうして並んで歩く日が来るなんて九歳までのあたしは考えもしなかっただろうね。


 –––☆–––


 闘技場につくとあたしたちは控え室に通された。ちなみに、あたしは特別に通された。選手以外は普通は入れないんだけどなぁ……でも、弟が頼んだら快く通してくれた。
 なんだったんだろう?
 あまり弟のことで深く考えるとドツボにはまるので考えないことにする。
 控え室には数十人ほどの学舎の生徒がいた。その誰もが、あたしよりも上の学年の上級生だ。弟はこんな強そうな人達と戦うことになるのか……大丈夫かな?
「ねぇ、グレイ」
 と、あたしが弟の方へ視線を向けると、弟は全く気にしていないような顔であたしを、「ん?」と見返してきた。頼もしすぎるんだけどあたしの弟……。
 あたしは、「なんでもない」と答えて、また視線を控え室の方に戻した。すると、アリステリア様がアイク様をつれてあたしたちの方へやってきた。
 あ、アイク様……。
「失礼しますわ」
 アリステリア様とアイク様は、あたしたちに一礼した。あたしも慌てお辞儀し、グレイもお辞儀した。
 アリステリア様は学舎内でとても有名ないお方だ。そんな人が話しかけたのだ。控え室の人達の視線がこっちに集まってきた。うっ、あたしの場違い感がヤバイ……。
「どうでしょうか調子は」
「ええ、普通です」
「それは何よりですね。例の件……お願いしますわよ?」
「もちろんです」
 アリステリア様と弟が話している……が、何の話をしているのか分からない。暫く、二人でなにやら話している、と、その時である。
 控え室に突如として、とてつもない威圧感が漂い始めた。控え室にいる人々は、あたしたちも含めてその威圧感の主……今、控え室へ入ってきた一人の男の人に注がれた。
 男にしては少し長めな髪だが屈強な身体と相俟ってむしろ威厳を感じる姿。……ギルダブ・セインバースト。この学舎最強の男がそこにいた。
 ギルダブ先輩は最高学年で、学舎で知らないものはいないとされるくらいの有名人だ。知名度でいえばアリステリア様に匹敵する。そんな人が闘技場の控え室へ……まさか参加するつもりなんだろうか?
 確か、ギルダブ先輩は今まで一度も闘技大会には出ておらず、「興味ない」といっていたはずだが……。
 ギルダブ先輩の登場でアリステリア様達も唖然としており、弟も目を丸くしていた。そんなあたし達のところへギルダブ先輩は歩いてきて……、
「初めましてだな。ギルダブ・セインバーストだ」
 ギルダブ先輩はそんなことをあたしと弟に向けていった。あたしは半ば反射的に口を動かした。
「そ、ソニア・エフォンスです……」
「グレーシュ・エフォンスです」
「ふむ。よろしく頼む」
 それだけ言って、ギルダブ先輩はアリステリア様とアイク様に目を向けた。
「どうなさったのですかギルダブ様?闘技大会に出場なさるとはお珍しいですわね」
 アリステリア様は、どこか緊張しているような口調ではあったが、その言葉がまるでギルダブ先輩が今回の闘技場に参加してくるのを織り込み済みだったかのような言い方だった。
「ふむ。実は今回の闘技大会の賞品がアリステリアのキスと聞いてな。いても立っても居られなくなった」
「え?ギルダブ様……?」
 アリステリア様は困惑気味にギルダブ様を見つめている。今の言われ方はまるでギルダブ様がアリステリア様に気があるような言い方だった。ちなみに、アリステリア様を呼び捨てにはできるのはギルダブ先輩だけです。最強の男を後ろから刺せる人は……少なくともこの学舎にはいない。
「俺が優勝したら……楽しみにしている」
 ギルダブ先輩はそれだけいって歩き去っていった。カッコイイ……。
「ぎ、ギルダブ様……」
 アリステリア様のギルダブ先輩の背中を見送る目がとろけていた。もしかして、アリステリア様の思い人って……あたしは、呆然とする弟の肩に手をやってクスリと笑った。
 なんだか今年の祭は今までと違いすぎて楽しいなぁ……あたしはそう思った。

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