一兵士では終わらない異世界ライフ
平原の攻防
–––オーラル皇国軍・イガーラ駐屯地–––
オーラル皇国軍……およそ十五万人を集めたトーラの町の領主邸にて、此度の戦いの元凶となったゼフィアン・ザ・アスモデウス一斉は高価な椅子に座り、葡萄酒を煽っていた。
「うふふ……結構、美味しいじゃない」
あまりお酒を好まない彼女は、こうして酒を煽るのは珍しかった。どうして飲んでいるかというと、例の【ゼロキュレス】の発動に必要な億の命が、残り一千万を切ったからだった。
ゼフィアンが【ゼロキュレス】を発動させるために動き始めたのは、もう何年前のことだろう……その悲願の達成が間近ともなると、彼女もらしくないことをするものだ。
「【ゼロキュレス】……」
これはこの世界でゼフィアンと……そして、ゼフィアンの知らない誰かもう一人……つまり、世界で二人しか知らないという魔術である。
発動すれば、世界を一夜にして滅ぼす災害を引き起こすというのだが、実は詳しいことはゼフィアンも知らなかった。ただ、ゼフィアンの目的は【ゼロキュレス】を使って世界を壊すこと……それだけだった。
「あと……少し……」
と、ゼフィアンがワイングラスに注がれた葡萄酒を再び口につけたところで、コンコンと扉を叩く音が鳴り、ゼフィアンは悲願の達成まてあと少しという喜びの渦から現実へと引き戻された。
ゼフィアンがいるのは、トーラの町の領主邸のある一室であり、デスクと椅子……それに幾らかの書物があるくらいの質素な部屋だった。だが、ゼフィアンとしては無駄にキラキラした装飾があるよりも、こういった質素なものが好ましかった。
それは、ゼフィアンの派手な見た目からは想像出来ないようなことだがゼフィアン自身は本来、このような露出の多い服も身に付けたくもなかった。
しかし、こういった服を着た方が色魔としての力を効果的に使えるために仕方なく着ていた。
このように彼女が、質素なめのを好むのには理由があるが……とゼフィアンは扉の先にいるであろう人物に対して、「入りなさい」と一言いって入室を促した。
入ってきたのは恍惚した顔でゼフィアンを舐め回すように見る一人の男だった。
どうやら、ゼフィアンの魅了の力が効きすぎてしまったばかりに、自分の欲望を抑えられずにいるらしい……色魔てまあるゼフィアンは、このような相手から生を吸い尽くすのがその種族の在り方であり、生きるために必要な食事だ。
だが、ゼフィアンは汚物を見るような目で男を見据えるとそのきめ細やかな白い肌の手をゆっくりと前方に突き出し、【念動力】を使って男を圧死させた。
血は飛び散ることなく、【念動力】の檻の中で男はハエのように潰れて死んだ。
「ふぅ……」
虜となった異性を、こんな風に扱うのはゼフィアンくらいなものだ。生を吸わずに殺す……この行為は【ゼロキュレス】に関係はなく、ゼフィアンの心理的な問題だった。
ゼフィアンは色魔としては異端である、男嫌い故に生を吸うことを心の底から拒絶していた。
「男なんか……この世界から消えてしまえばいいのよ……」
薄暗い部屋の中で、ワイングラスの葡萄酒を煽った彼女は殺した男を窓から捨てた。
–––グレーシュ・エフォンス–––
あれから三日ほど……遂に、戦いの日はやってきた。
俺の配置…というか俺がいる義勇軍の戦闘部隊の配置は平原。前回の密林から東にずれたナンゴル平原が戦の舞台だ。敵兵は前回の戦闘である程度弱っているものの、その数はこっちよりもずっと多い。
厳しい……。
だが、やるしかない。生き残るため……何よりもここで敵を通してしまったら、ゲフェオンの町にいるソニア姉やラエラ母さんが……。そう思えば戦場に出ることに躊躇いもなくなる。
開戦は二日後……その間に平原の方では作業が進んでいる。バリケード作ったりとか、投石機を用意したりとか。
伝達兵の報告によると魔道機械の存在が確認されているらしい。一つは自動四輪……って車じゃん。そしてもう一つは大型の、これぞロボットというやつ。聞いた話だとね。
これファンタジーじゃなくてSFだったのかしら……じゃなくて、今はそんなこといい。
一日や二日じゃ出来ることは限られているが、バリケードやら物資搬入の手伝いくらいはやらないとな。
って、思ったら……
「んー?ダメだよボーヤ?ここは今から戦争が…………」
というような、大人の対応をされた。子供の自分が恨めしい……と、たまたまクロロが一人で木箱を運んでいたので手伝うために声を掛けた。
「持ちますよ」
「ん……?あぁ、グレイくんですか。大丈夫ですよ。それより、他にもあるのでお願いできますか?」
さっすがクロロ!俺は元気よく返事をして、馬車に積まれていた木箱を持ち上げた。
「うっわ……」
めちゃくちゃ重い……。
よくもまあクロロは、平然とした顔で運んでやがるなぁ……。
木箱を指示されたところまで運ぶとクロロが、「お疲れ様です」と言って水で少し冷えた布を貰った。今日は戦争前だってのに晴天で、日差しが眩しい……というか暑い……これは嬉しいサービスだ。
俺はクロロにお礼を言って布を受け取り、首筋や顔を拭いた。クロロは自分の頬に当てて目を閉じて、涼んでいた。
絵になる姿……闇色の髪も夜に見るのと晴天の下で見るのとでは違った印象がある。久しぶりにクロロを大和撫子だと思った。そういえば、俺が前世で死んだあの日もこんな晴天の空だったな。俺は変わっただろうか。
外に出れるようになった。家族との仲は良好……父さんは死んでしまった。大切にしようと……そう決めたのに。あの時の俺は無力だった。人を殺すことに躊躇いがあったからいけないんだ……。
今度は絶対に躊躇わない……もう迷わない。大事なものをこれ以上奪われてたまるか。友達もトーラの町の人も……この町の人もみんなを、全部……。
「グレイくん」
「………っ。ん?なんですか?」
俺がボーッと考え事をしているところにクロロが眉根を寄せて、怪訝な顔で俺の顔を覗き込むように見ていた。
「今……凄く怖い顔をしていましたよ」
「そ、そうですか?あはは……」
普通に笑おうとしたが、乾いた笑いしか出てこなった。何かがおかしい気がする……おかしくなったのは何時からだ?
何かがおかしい……と理性が訴えている。でも、本能がそれを認めないような……噛み合わない感じ。
「まあ、その歳で戦争の…しかも前線に出るわけですから色々と考えてしまうのも無理はないかもしれませんね。グレイくんはその歳に合わないほどの才能があります。私はグレイくんと一緒に戦って来ましたから…大丈夫ですよ。グレイくんは強い…グレイくんが危なくなったら私が守ってあげますから」
ただの口約束だったけれど…守ってくれるという言葉に俺の肩が少し軽くなった。
あぁ…そうか。俺は自惚れてたのかもしれない。俺一人で全部守る気でいた。だからか、肩が凄く重かった…でもクロロが俺を守るって言ってくれた。
俺が全部守る必要はない。みんないるじゃないか。でも…それでも俺の中の違和感が無くならない。ちくはぐとしていて、ネットリとした…。
密林でも、そしてトーラの町でもそうだった。人を殺すことに躊躇いが無くなって、それを簡単に割り切ってしまう…人だけじゃない。魔物を殺していたときもそうだ。申し訳ない気持ちとは裏腹に問答無用で殺していた。グリフォンがあの時、来なかったら全て殺すまで止まらなかったんじゃないか?
何かがおかしい。
なんだ?警報は…アラームは鳴っていないのに、この戦争に出たらとても良くないことになる…そんな予感がした。
そう考えたら途端に寒気がした。思わず両腕で自分の身体を抱く。
ど、どうして…こんなに寒いんだよ…怖い…のか?何が?分からない…分からない……。
もしかして、戦争に行くのが?
あ……。
「ど、どうしましたかグレイくん?」
クロロは心配そうに俺の肩に手を置いた。肩に乗る彼女の手は別に暖かいとか、ひんやりとかしてなかった。
誰だよ、女の手は柔らかいとか言った奴は…クロロの手は剣を握っているから硬いし、剣だこだって出来ている。
でも…それでも俺は安心できた。
今更だよな…戦争が怖いだなんて。戦うのが怖いだなんて本当に今更だ。今まで、やらなきゃやられるなんて割り切っていたわけじゃない…そうやって自分を騙さなきゃ精神を保てなかった。
戦うことを肯定することで恐怖から逃げていた。そして、俺の本能が理性を飛ばし殺人狂とも言えるくらいおかしくなった。
簡単なことだ。
おかしくなったのは戦争が始まってからずっとだった。
「大丈夫…ですよ。クロロさん」
ゴツゴツとして硬いクロロの手に自分の手を重ねた。とても女らしいとは言えないが、ギシリス先生もこんな感じだから今更って感じで慣れた。もしも彼女が側にいてくれなかったら俺は自我を保てなかったかもしれない。或いは本能に飲み込まれたかもしれない。
彼女は偶々俺の側にいただけだけれど…俺は彼女に感謝しきれない恩を受け取ってしまった。
ありがとうございます…クロロさん。
「そうですか?大丈夫ならいいんですけど…って、なんですか?」
俺がクロロの顔を満面の笑みで見つめているとクロロが頭上に疑問符を浮かべた。
「秘密で」
よし……覚悟は出来た。ラエラ母さんやソニア姉を守るために頑張るぞ!
–––ゲフェオン伯領北部ナンゴル平原–––
「敵軍確認!全軍戦闘準備いぃぃ!!」
馬に乗った伝達兵の伝令が後方から前線にまで駆け抜けていく。先ほどまで座って待機していた兵士達は立ち上がり、各々盾や槍を構えた。
俺はいつものように剣と矢筒と弓を背負い、腰には短剣を装備している。
クロロは腰に帯びている刀の柄に手を触れて、ふぅっと息を吐いた。ナルクも剣に触れて集中しているようだ。
アルメイサさんは魔術師のため、とくに準備はしなかったが目を伏せて集中しているし、ワードンマさんは大槌を構えている。
その他、前線を担当することとなった義勇兵達も立ち上がり武器や防具の確認をしている。
準備は整った。
そして暫くの静寂が訪れる……開戦前の静寂。空は荒れており、雲が倍速で駆け抜けていっている。いつでも天気が崩れる……そんな天候だ。
やがて、前線にいる俺たちの目に人影が見え始めた。皮の鎧にオーラル皇国の軍旗が上がる。
俺が悶々と思考を巡らせていると伝達兵より前進の命令が下った。
いよいよか……。
俺は背中から剣を引き抜いて、構えた。
–––グレーシュ・エフォンス–––
敵軍と自軍の前線がぶつかり合う。俺もその中で戦っている。
「ハァッ!」
既に視点は戦闘モード全開で【ブースト】も使っている。補助動作を受けながら剣を振り、敵を切り倒していく。
中には皮の鎧が切れず、骨だけ粉々に粉砕して行動不能にした敵もいたが止めは刺さない。ここでそんなことをすれば、今度こそ理性が飛ぶ。
必死に理性を働かせて、俺は敵を倒していく。殺す覚悟はしているが、だからといって人を殺すことに躊躇いがなくなったわけじゃない。
「うぉぉぉ!」
また一人斬った。血が飛んで、俺の頬に生暖かい液体が付着する。
み、みんなこんな中で戦ってるのか?
あぁ…ヤバいかも…。
俺が戦場の殺伐とした空気に飲み込まれそうになっていると…そこへ敵が一人近くへ迫って来ていた。
俺が敵の接近に気がつかなかった!索敵スキルは敵を本能的に察知するようなものだ。本能を抑えて理性で戦っている今の状態だと、以前の俺の半分くらいしか索敵出来ないのか!
俺が咄嗟に敵の攻撃を避けようと下がると、横からクロロがその敵をぶった切ってくれた。
「クロロさん…ありがとうございます!」
「お礼は後ですよ!ここは前線です!集中してください!」
「は、はい!」
と、再び敵が四人ほど迫ってきた。クロロは俺の横に並び刀構えた。
「行きますよ!」
「はい!」
俺とクロロはほぼ同時に地面を蹴る。左右に分かれるように走りだした俺とクロロのそれぞれに二人ずつ敵が向かって来た。
俺は敵だけに集中して剣を握る。
まずは一人目…二人で挟み込むように敵が襲ってきたためにまずはその挟撃から逃れるために前方へ逃れる。それで敵は方向転換して俺の方へ一直線に向かってくる。俺は地面に手をついて地属性魔術で落とし穴を作る。
「〈……導け〉【アースフォール】!」
地属性の初級魔術【アースフォール】だ。
地面に大穴が突然開き、こっちに走ってきていた二人の敵は落とし穴を見て直前で押しとど待ったが後ろの二人目が勢いを殺せず一人目を押して踏みとどまった。
「あ…」
と、いうのは押された一人目。一人目は二人目に突き落とされたのだ。やがて突き落とされた一人目の絶叫が聞こえてくるのを俺は聞かずに弓を引き、呆然と穴を見ていた二人目の足と腕に矢を射る。
「ぐっわぁ!」
これで動けないし、攻撃も出来ない。戦闘不能。クロロに目を向けるとクロロは凄まじい剣速で問答無用に敵を斬った。皮の鎧なんていとも簡単に斬れてしまっていた。
二人を斬り伏せると、クロロは刀についた血を払うように刀を振り払った。チラリ…とクロロは俺の方に目を向けて殺していないのを見ると苦笑した。
「甘いですね」
「すみません…」
小心者なんですよ…。
俺は次の敵を倒すために剣を構える。今度は五人…クロロの方にも結構来ている。援軍は期待出来ない。
俺がやるしかない!
「やぁぁぁ!」
剣を握りしめ、俺は特攻した。
敵の剣を受け流し剣を滑らせて敵の両腕を切り落とす。まずは一人目…。二人目と三人目が同時に襲ってくる。少しのタイムラグ……その間隙を突いて、二人目の攻撃を避けながら三人目の首を撥ねた。
そして、そのまま振り抜いて次の攻撃をしようとしている二人目の首も撥ねた。よしっ!やれる!やれるじゃないか!
後、二人……こいつらの首も撥ねよう。生かすなんて甘い。いくら甘党でもそんな甘いのは嫌いだ。
こっちは弓で二人とも首を飛ばした。首を唐突に無くした身体は暫く歩行した後に膝から崩れ落ちた。
何が覚悟だ、バカバカしい。
簡単じゃないか人を殺すのなんて……さぁ?
俺は血の付いた剣をさっきクロロがやった風に振り払い血を飛ばす。すると、また敵がやってくる気配を感じた。
索敵スキルが完全に戻ってきた。
敵の位置が見なくても分かる……振り返るのも面倒だと思い後ろからくる敵は矢を上に放って仕留める。
上に放った矢が少し後ろへ向かい極端な放物線を描いて俺に斬りかかろうとしていた敵の頭上からその矢が降ってきて脳天をぶち抜いた。バタリと敵は倒れる。俺は敵の脳天に突き刺さった矢を抜いて、前からくる三人に向けて放った。
「【フェイクアロー】」
矢が途中でブレて三本になる。その三本が敵の頭を的確に射抜いた。
ふと、周りを見ると敵と味方で入り乱れている。
さて、この戦争を終わらせるにはどうしたものか……俺は剣を肩に担ぎ、敵陣の中を一人歩いた。
オーラル皇国軍……およそ十五万人を集めたトーラの町の領主邸にて、此度の戦いの元凶となったゼフィアン・ザ・アスモデウス一斉は高価な椅子に座り、葡萄酒を煽っていた。
「うふふ……結構、美味しいじゃない」
あまりお酒を好まない彼女は、こうして酒を煽るのは珍しかった。どうして飲んでいるかというと、例の【ゼロキュレス】の発動に必要な億の命が、残り一千万を切ったからだった。
ゼフィアンが【ゼロキュレス】を発動させるために動き始めたのは、もう何年前のことだろう……その悲願の達成が間近ともなると、彼女もらしくないことをするものだ。
「【ゼロキュレス】……」
これはこの世界でゼフィアンと……そして、ゼフィアンの知らない誰かもう一人……つまり、世界で二人しか知らないという魔術である。
発動すれば、世界を一夜にして滅ぼす災害を引き起こすというのだが、実は詳しいことはゼフィアンも知らなかった。ただ、ゼフィアンの目的は【ゼロキュレス】を使って世界を壊すこと……それだけだった。
「あと……少し……」
と、ゼフィアンがワイングラスに注がれた葡萄酒を再び口につけたところで、コンコンと扉を叩く音が鳴り、ゼフィアンは悲願の達成まてあと少しという喜びの渦から現実へと引き戻された。
ゼフィアンがいるのは、トーラの町の領主邸のある一室であり、デスクと椅子……それに幾らかの書物があるくらいの質素な部屋だった。だが、ゼフィアンとしては無駄にキラキラした装飾があるよりも、こういった質素なものが好ましかった。
それは、ゼフィアンの派手な見た目からは想像出来ないようなことだがゼフィアン自身は本来、このような露出の多い服も身に付けたくもなかった。
しかし、こういった服を着た方が色魔としての力を効果的に使えるために仕方なく着ていた。
このように彼女が、質素なめのを好むのには理由があるが……とゼフィアンは扉の先にいるであろう人物に対して、「入りなさい」と一言いって入室を促した。
入ってきたのは恍惚した顔でゼフィアンを舐め回すように見る一人の男だった。
どうやら、ゼフィアンの魅了の力が効きすぎてしまったばかりに、自分の欲望を抑えられずにいるらしい……色魔てまあるゼフィアンは、このような相手から生を吸い尽くすのがその種族の在り方であり、生きるために必要な食事だ。
だが、ゼフィアンは汚物を見るような目で男を見据えるとそのきめ細やかな白い肌の手をゆっくりと前方に突き出し、【念動力】を使って男を圧死させた。
血は飛び散ることなく、【念動力】の檻の中で男はハエのように潰れて死んだ。
「ふぅ……」
虜となった異性を、こんな風に扱うのはゼフィアンくらいなものだ。生を吸わずに殺す……この行為は【ゼロキュレス】に関係はなく、ゼフィアンの心理的な問題だった。
ゼフィアンは色魔としては異端である、男嫌い故に生を吸うことを心の底から拒絶していた。
「男なんか……この世界から消えてしまえばいいのよ……」
薄暗い部屋の中で、ワイングラスの葡萄酒を煽った彼女は殺した男を窓から捨てた。
–––グレーシュ・エフォンス–––
あれから三日ほど……遂に、戦いの日はやってきた。
俺の配置…というか俺がいる義勇軍の戦闘部隊の配置は平原。前回の密林から東にずれたナンゴル平原が戦の舞台だ。敵兵は前回の戦闘である程度弱っているものの、その数はこっちよりもずっと多い。
厳しい……。
だが、やるしかない。生き残るため……何よりもここで敵を通してしまったら、ゲフェオンの町にいるソニア姉やラエラ母さんが……。そう思えば戦場に出ることに躊躇いもなくなる。
開戦は二日後……その間に平原の方では作業が進んでいる。バリケード作ったりとか、投石機を用意したりとか。
伝達兵の報告によると魔道機械の存在が確認されているらしい。一つは自動四輪……って車じゃん。そしてもう一つは大型の、これぞロボットというやつ。聞いた話だとね。
これファンタジーじゃなくてSFだったのかしら……じゃなくて、今はそんなこといい。
一日や二日じゃ出来ることは限られているが、バリケードやら物資搬入の手伝いくらいはやらないとな。
って、思ったら……
「んー?ダメだよボーヤ?ここは今から戦争が…………」
というような、大人の対応をされた。子供の自分が恨めしい……と、たまたまクロロが一人で木箱を運んでいたので手伝うために声を掛けた。
「持ちますよ」
「ん……?あぁ、グレイくんですか。大丈夫ですよ。それより、他にもあるのでお願いできますか?」
さっすがクロロ!俺は元気よく返事をして、馬車に積まれていた木箱を持ち上げた。
「うっわ……」
めちゃくちゃ重い……。
よくもまあクロロは、平然とした顔で運んでやがるなぁ……。
木箱を指示されたところまで運ぶとクロロが、「お疲れ様です」と言って水で少し冷えた布を貰った。今日は戦争前だってのに晴天で、日差しが眩しい……というか暑い……これは嬉しいサービスだ。
俺はクロロにお礼を言って布を受け取り、首筋や顔を拭いた。クロロは自分の頬に当てて目を閉じて、涼んでいた。
絵になる姿……闇色の髪も夜に見るのと晴天の下で見るのとでは違った印象がある。久しぶりにクロロを大和撫子だと思った。そういえば、俺が前世で死んだあの日もこんな晴天の空だったな。俺は変わっただろうか。
外に出れるようになった。家族との仲は良好……父さんは死んでしまった。大切にしようと……そう決めたのに。あの時の俺は無力だった。人を殺すことに躊躇いがあったからいけないんだ……。
今度は絶対に躊躇わない……もう迷わない。大事なものをこれ以上奪われてたまるか。友達もトーラの町の人も……この町の人もみんなを、全部……。
「グレイくん」
「………っ。ん?なんですか?」
俺がボーッと考え事をしているところにクロロが眉根を寄せて、怪訝な顔で俺の顔を覗き込むように見ていた。
「今……凄く怖い顔をしていましたよ」
「そ、そうですか?あはは……」
普通に笑おうとしたが、乾いた笑いしか出てこなった。何かがおかしい気がする……おかしくなったのは何時からだ?
何かがおかしい……と理性が訴えている。でも、本能がそれを認めないような……噛み合わない感じ。
「まあ、その歳で戦争の…しかも前線に出るわけですから色々と考えてしまうのも無理はないかもしれませんね。グレイくんはその歳に合わないほどの才能があります。私はグレイくんと一緒に戦って来ましたから…大丈夫ですよ。グレイくんは強い…グレイくんが危なくなったら私が守ってあげますから」
ただの口約束だったけれど…守ってくれるという言葉に俺の肩が少し軽くなった。
あぁ…そうか。俺は自惚れてたのかもしれない。俺一人で全部守る気でいた。だからか、肩が凄く重かった…でもクロロが俺を守るって言ってくれた。
俺が全部守る必要はない。みんないるじゃないか。でも…それでも俺の中の違和感が無くならない。ちくはぐとしていて、ネットリとした…。
密林でも、そしてトーラの町でもそうだった。人を殺すことに躊躇いが無くなって、それを簡単に割り切ってしまう…人だけじゃない。魔物を殺していたときもそうだ。申し訳ない気持ちとは裏腹に問答無用で殺していた。グリフォンがあの時、来なかったら全て殺すまで止まらなかったんじゃないか?
何かがおかしい。
なんだ?警報は…アラームは鳴っていないのに、この戦争に出たらとても良くないことになる…そんな予感がした。
そう考えたら途端に寒気がした。思わず両腕で自分の身体を抱く。
ど、どうして…こんなに寒いんだよ…怖い…のか?何が?分からない…分からない……。
もしかして、戦争に行くのが?
あ……。
「ど、どうしましたかグレイくん?」
クロロは心配そうに俺の肩に手を置いた。肩に乗る彼女の手は別に暖かいとか、ひんやりとかしてなかった。
誰だよ、女の手は柔らかいとか言った奴は…クロロの手は剣を握っているから硬いし、剣だこだって出来ている。
でも…それでも俺は安心できた。
今更だよな…戦争が怖いだなんて。戦うのが怖いだなんて本当に今更だ。今まで、やらなきゃやられるなんて割り切っていたわけじゃない…そうやって自分を騙さなきゃ精神を保てなかった。
戦うことを肯定することで恐怖から逃げていた。そして、俺の本能が理性を飛ばし殺人狂とも言えるくらいおかしくなった。
簡単なことだ。
おかしくなったのは戦争が始まってからずっとだった。
「大丈夫…ですよ。クロロさん」
ゴツゴツとして硬いクロロの手に自分の手を重ねた。とても女らしいとは言えないが、ギシリス先生もこんな感じだから今更って感じで慣れた。もしも彼女が側にいてくれなかったら俺は自我を保てなかったかもしれない。或いは本能に飲み込まれたかもしれない。
彼女は偶々俺の側にいただけだけれど…俺は彼女に感謝しきれない恩を受け取ってしまった。
ありがとうございます…クロロさん。
「そうですか?大丈夫ならいいんですけど…って、なんですか?」
俺がクロロの顔を満面の笑みで見つめているとクロロが頭上に疑問符を浮かべた。
「秘密で」
よし……覚悟は出来た。ラエラ母さんやソニア姉を守るために頑張るぞ!
–––ゲフェオン伯領北部ナンゴル平原–––
「敵軍確認!全軍戦闘準備いぃぃ!!」
馬に乗った伝達兵の伝令が後方から前線にまで駆け抜けていく。先ほどまで座って待機していた兵士達は立ち上がり、各々盾や槍を構えた。
俺はいつものように剣と矢筒と弓を背負い、腰には短剣を装備している。
クロロは腰に帯びている刀の柄に手を触れて、ふぅっと息を吐いた。ナルクも剣に触れて集中しているようだ。
アルメイサさんは魔術師のため、とくに準備はしなかったが目を伏せて集中しているし、ワードンマさんは大槌を構えている。
その他、前線を担当することとなった義勇兵達も立ち上がり武器や防具の確認をしている。
準備は整った。
そして暫くの静寂が訪れる……開戦前の静寂。空は荒れており、雲が倍速で駆け抜けていっている。いつでも天気が崩れる……そんな天候だ。
やがて、前線にいる俺たちの目に人影が見え始めた。皮の鎧にオーラル皇国の軍旗が上がる。
俺が悶々と思考を巡らせていると伝達兵より前進の命令が下った。
いよいよか……。
俺は背中から剣を引き抜いて、構えた。
–––グレーシュ・エフォンス–––
敵軍と自軍の前線がぶつかり合う。俺もその中で戦っている。
「ハァッ!」
既に視点は戦闘モード全開で【ブースト】も使っている。補助動作を受けながら剣を振り、敵を切り倒していく。
中には皮の鎧が切れず、骨だけ粉々に粉砕して行動不能にした敵もいたが止めは刺さない。ここでそんなことをすれば、今度こそ理性が飛ぶ。
必死に理性を働かせて、俺は敵を倒していく。殺す覚悟はしているが、だからといって人を殺すことに躊躇いがなくなったわけじゃない。
「うぉぉぉ!」
また一人斬った。血が飛んで、俺の頬に生暖かい液体が付着する。
み、みんなこんな中で戦ってるのか?
あぁ…ヤバいかも…。
俺が戦場の殺伐とした空気に飲み込まれそうになっていると…そこへ敵が一人近くへ迫って来ていた。
俺が敵の接近に気がつかなかった!索敵スキルは敵を本能的に察知するようなものだ。本能を抑えて理性で戦っている今の状態だと、以前の俺の半分くらいしか索敵出来ないのか!
俺が咄嗟に敵の攻撃を避けようと下がると、横からクロロがその敵をぶった切ってくれた。
「クロロさん…ありがとうございます!」
「お礼は後ですよ!ここは前線です!集中してください!」
「は、はい!」
と、再び敵が四人ほど迫ってきた。クロロは俺の横に並び刀構えた。
「行きますよ!」
「はい!」
俺とクロロはほぼ同時に地面を蹴る。左右に分かれるように走りだした俺とクロロのそれぞれに二人ずつ敵が向かって来た。
俺は敵だけに集中して剣を握る。
まずは一人目…二人で挟み込むように敵が襲ってきたためにまずはその挟撃から逃れるために前方へ逃れる。それで敵は方向転換して俺の方へ一直線に向かってくる。俺は地面に手をついて地属性魔術で落とし穴を作る。
「〈……導け〉【アースフォール】!」
地属性の初級魔術【アースフォール】だ。
地面に大穴が突然開き、こっちに走ってきていた二人の敵は落とし穴を見て直前で押しとど待ったが後ろの二人目が勢いを殺せず一人目を押して踏みとどまった。
「あ…」
と、いうのは押された一人目。一人目は二人目に突き落とされたのだ。やがて突き落とされた一人目の絶叫が聞こえてくるのを俺は聞かずに弓を引き、呆然と穴を見ていた二人目の足と腕に矢を射る。
「ぐっわぁ!」
これで動けないし、攻撃も出来ない。戦闘不能。クロロに目を向けるとクロロは凄まじい剣速で問答無用に敵を斬った。皮の鎧なんていとも簡単に斬れてしまっていた。
二人を斬り伏せると、クロロは刀についた血を払うように刀を振り払った。チラリ…とクロロは俺の方に目を向けて殺していないのを見ると苦笑した。
「甘いですね」
「すみません…」
小心者なんですよ…。
俺は次の敵を倒すために剣を構える。今度は五人…クロロの方にも結構来ている。援軍は期待出来ない。
俺がやるしかない!
「やぁぁぁ!」
剣を握りしめ、俺は特攻した。
敵の剣を受け流し剣を滑らせて敵の両腕を切り落とす。まずは一人目…。二人目と三人目が同時に襲ってくる。少しのタイムラグ……その間隙を突いて、二人目の攻撃を避けながら三人目の首を撥ねた。
そして、そのまま振り抜いて次の攻撃をしようとしている二人目の首も撥ねた。よしっ!やれる!やれるじゃないか!
後、二人……こいつらの首も撥ねよう。生かすなんて甘い。いくら甘党でもそんな甘いのは嫌いだ。
こっちは弓で二人とも首を飛ばした。首を唐突に無くした身体は暫く歩行した後に膝から崩れ落ちた。
何が覚悟だ、バカバカしい。
簡単じゃないか人を殺すのなんて……さぁ?
俺は血の付いた剣をさっきクロロがやった風に振り払い血を飛ばす。すると、また敵がやってくる気配を感じた。
索敵スキルが完全に戻ってきた。
敵の位置が見なくても分かる……振り返るのも面倒だと思い後ろからくる敵は矢を上に放って仕留める。
上に放った矢が少し後ろへ向かい極端な放物線を描いて俺に斬りかかろうとしていた敵の頭上からその矢が降ってきて脳天をぶち抜いた。バタリと敵は倒れる。俺は敵の脳天に突き刺さった矢を抜いて、前からくる三人に向けて放った。
「【フェイクアロー】」
矢が途中でブレて三本になる。その三本が敵の頭を的確に射抜いた。
ふと、周りを見ると敵と味方で入り乱れている。
さて、この戦争を終わらせるにはどうしたものか……俺は剣を肩に担ぎ、敵陣の中を一人歩いた。
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