一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

人間関係

 〈王城・軍事塔執務室〉


 ノーラント・アークエイは自身の上司であるマリンネア大師長の執務室で書類仕事を片付けていた。
 内容は様々だが、主にマリンネア大師団の分隊ごとの報告書やら……まあそんな感じである。
 ノーラはグレーシュと別れて以降八年間……トーラから離れた王都にて剣術に励んでいた。ノーラの剣術の師匠は、剣術の達人だった。しかも、ライバルともなるエリリーと一緒に学んでいたこともあり、切磋琢磨しながら達人である師匠の下で修行を続けたノーラたちは、達人クラスの剣士にまで成長していた。
 ノーラはその実力も相まって、父親が兵士であることもあり自身も兵士となり、それに続くようにエリリーも兵士に……剣術の達人である『剣聖』ギルタブのお陰で剣術の達人が優遇されている王国軍で、彼女たちは直ぐに出世していった……。
 とまあ、そんな感じでマリンネアからの信頼も厚いノーラとエリリーはこのように執務を手伝わされたりするが、決して無理矢理ではない。彼女たち自身が望んでいることである。
 同じく執務室で書類仕事をしていたマリンネアは、気まぐれに紅茶を淹れるとノーラの分も淹れて、そっとノーラの仕事机に置いてやった。すると、ノーラはバッと顔を上げると申し訳なさそうに立ち上がって腰を折った。

「すみません……気が利きませんでした」
「いや、構わないさ。私が君に仕事を手伝ってもらっているのだ。このくらいはさせてくれ……それに、私はこれでも伯爵家の出だぞ?一応、紅茶には自信がある。ほら、一口飲んでみろ。おっと、砂糖はいるかな?」

 マリンネアは得意げに笑いながらノーラの仕事机に軽く腰掛けて、角砂糖の入った容器をノーラに差し出した。

「そ、それでは二つほど……」

 昔……甘党であった幼馴染のグレーシュの影響か、甘いものを好んで口にしていたノーラは苦いものが苦手になっていた。まあ、マリンネアの淹れた紅茶が苦いとは言わない……が、飲めるなら甘いものというのがノーラの考えである。
 ノーラは角砂糖の容器を受け取り、二つほどカップに落とすと軽くティースプーンで回して、それから紅茶に口を付けた。

「あ、美味しいです」
「それはよかった。ふむ……今度、ヨリトにでも飲ませるか……」
「……?ヨリト?」

 ノーラがフッと零したマリンネアの発言聞き漏らさず訊くと、マリンネアは少しバツが悪そうにノーラの仕事机から腰を下ろして立ち上がり、誤魔化すように自分の淹れた紅茶を飲んだ。

「ふむ……今回入ってきた新兵でな?なかなかに使える弓兵の男なんだ……」
「新兵……弓兵、男」

 そのキーワードはヨリトという人物のものなのだろうが、ノーラにしたら自分の幼馴染にも当てはまるものだったので、ふと頭に変な跳ね方をした髪型の幼馴染の顔が思い浮かばれた。が、直ぐに半眼になってそれを頭の中から追い出すとノーラはマリンネアに訊いた。

「そのヨリトという人物はどのような?」
「うむ……」

 マリンネアはノーラの質問に暫く逡巡するようにしてから答えた。

「第一印象としては、イケメンだったな」
「…………」

 ノーラがマリンネアをジト目で見つめたので、マリンネアは苦笑した。

「べ、別に良いだろう?知ってるか?女がイケメン好きなのは生物的なことがあってだな」
「あーそうですね。はいそうです。それで?」

 マリンネアはブツブツと他にも言いたそうだったが、仕方なく収めて続けた。

「弓の腕はなかなかだった。あれは熟練級エキスパートか……それ以上の力を隠しているな」
「隠している?」
「うむ……というか、実力を発揮する機会がないのだろうな。まあ、その内……戦もあるだろうから機会はあるだろう」
「そうですか……」

 と、マリンネアとノーラが暫く会話をしているところにコンコンと執務室の扉が叩かれ、直ぐに中へスカッシュ・アプデロイが右頬を腫らせて入ってきた。
 そんなスカッシュをノーラは訝しげな目で見つめ、口を開く。

「呼んだのに遅い……それでやっと来たと思ったらなに?その頬は……奥さんにでも叩かれた?」
「あいーす……そうっす。ノーラント小師兵に呼ばれたの忘れてカミさんと飲みいって途中で思い出してカミさんにそれ言ったら……このザマっす」
「解雇しようかなー……」

 割と本気で考え出したノーラに、スカッシュはカエルよろしく無様な格好で土下座した。

(閑話休題)

「で、今回の掃討作戦のことなんだけど……そっちの隊はどうだった?
「いやー俺に言われても分かんないっすね」
「解雇……」
「すいませんでした!」

 スカッシュは頭を深々と下げて、ジト目のノーラに謝った。それを傍で見ていたマリンネアはボソッと紅茶を含みながら言った。

「これは……スカッシュ上等兵士長の昇級も考え直さねばな……」
「それは……マジ勘弁ですっ!」

 今度はマリンネアへとスカッシュは頭を下げた。
 ノーラはため息を吐いてから、ふと気になったことを訊いた。

「そういえば……そっちに新兵のグレーシュ・エフォンスっていうのがいると思うんだけど……」
「あぁーグレーシュっすか?いい奴ですよ?なんつーか……可愛がりたくなるタイプの後輩っすね」
「……」

 なんというか相変わらず年上に好かれやすいなぁ……とノーラは再びため息を吐いて、もう下がっていいとスカッシュを帰らせた。そしてスカッシュと入れ替わるようにして、執務室に書類の束を胸に抱いたエリリーがやって来た。
 もちろん、彼女もマリンネアの手伝いだ。
 スカッシュとすれ違ったエリリーは首を傾げながらも、執務室に入るなりマリンネアに言った。

「マリンネア伯。これが資料です」
「うむ、ありがとう。助かるよ」

 書類を受け取ったマリンネアは仕事机に戻って仕事を始めると、エリリーとノーラに言った。

「おお、今日は上がりなさい。明日も兵達の訓練を任せたぞ」
「「了解」」

 エリリーとノーラは立ち上がって敬礼すると執務室を後にした。


 ※


「あ、これ可愛くない?」
「んー?ノーラならこっちの色だよ!」
「そうかなー」
「そうだよー」

 と、仕事を終わりの二人は珍しく夜にだけ開店している洋服店に足を運んでいた。
 ここの店主が夜行性らしく、昼間は寝ているらしい……そんな適当な理由で夜に開店しているこの店は果たして経済的に大丈夫なのだろうか……まあ、それはこの際置いておく。
 二人は昼間の格好から普段着になっており、完全にリラックスした状態になっている。
 二人はそれからこの洋服店が経営している酒場でお酒を嗜んだ。なぜ隣接して酒場をしているのか……いや、気にしたら負けがだろうか。

「じゃあ……私は葡萄酒!」
「ウチは林檎酒で!」

 店主に頼んで、向かい合ってお酒を待ち、酒がきたら二人で一斉に飲み干した。

「んー美味しい!」
「そうだねー」

 こんな感じで八年を過ごしてきたことが二人の間に伺える。
 ふと、ノーラは酒と一緒に頼んだつまみを食べながらエリリーに言った。

「……エリリーもグレーシュに会ったんでしょ?」

 その質問にエリリーは頷き返した。それでノーラはため息を吐いた。

「なんだろう……グレーシュ、全然変わってなかったよねー」
「そうだね」

 ノーラの言ったことにエリリーは頷いた。ノーラは酒を飲みながら、少し呆れたような様子で天井を仰ぎ、続けた。

「相変わらず年上に好かれるし、なんか物腰も低いし……ウチ的にはもっとカッコよくなったグレーシュと運命的な再会を果たす予定だったの!」
「ノーラって乙女チックだもんね」
「うるさい!」

 エリリーに嘲笑われ、ノーラはテーブルにジョッキの底を叩きつけながら怒鳴るように言った。だが、エリリーはどこ吹く風で全く意に介していない。それが不満だったようで、ノーラは口をへの字にしてそっぽを向いた。
  だが、すぐにだらーっとテーブルに額を当てると唸るように言った。

「八年か……」

 ポツリと、そう呟かれた言葉にエリリーは困ったように笑った。
 八年という歳月は長く、もう子供のころと同じままではいられない。
 子供のころに思い描いていた夢は、今はもう欠落している。ノーラやエリリーは剣の修行の過程で精神的にも、肉体的にも成長した。
 剣の修行は終始、目標であったグレーシュと肩を並べるためというそれだけは変わることは無かったが、いつからかその目標も揺らぎ始めていた。
 グレーシュよりも強い人間と戦ったりしたこともあった。所詮、自分たちが目標としていた男の子もまた、子供だったのだと気が付いた。
 それでも、グレーシュが二人の中でずっと目標だったのは一重にグレーシュも同じように強くなっていると思っていたからだ。だからだろう、ノーラは少し納得していなかった。
 これはギシリスやエドワードも感じていたことだが、グレーシュにはおよそ強者の纏う覇気が一切感じ取れないのだ。
 だからこその不満。目標としていた相手が、なんだかあまりにも拍子抜けというか……ノーラはやはり口をへの字にすると、ジョッキの中の残りを飲み干した。



 《グレーシュ・エフォンス〉


 はぁ……なんというか久しぶりにも幼馴染にも会って驚いた。なんか二人とも綺麗になっていて大変ドギマギした。しかし、なんだろう……二人の気配から若干ともいえない不満を感じた。なんなんだ……一体。と、俺は教会に戻ってきて直ぐに懺悔室で一人、頭を抱えてそんなことを悶々と考えていた。
 ここはいい……トイレみたいで落ち着く。なんでトイレって落ち着くんだ?あれはあれなのかな?人間には生来から便所飯の習慣が……ないわな。
 単に俺が狭い空間にいると落ち着くだけなんだろうな……というか生き物ってやっぱり閉鎖的空間で安心するらしい。恐怖症は除いて……。
 俺がそのまま懺悔室に引き篭もりニートモードを発動しているところに、隣の個室へ誰かが入る音がした。そして暫くして、俺に語りかけてきた。

「迷える子羊よ」

 なんて言うもんだから、俺は思わず吹き出して笑って言った。

「どうしたんですか?セリーさん」

 俺が隣の個室に入ってきたセリーにそう声を掛けると、暫く押し黙った後に上擦った声が聞こえた。

「き、きき気付いていたの?」

 恥ずかしそうだ。

「迷える子羊よ〜」
「や、やめて!別にいいじゃない!私、神官なのよ?何よ!コッソリ懺悔室でお仕事してもいいじゃない!」
「そんなに大声出すと気付かれますよ……」
「うっ……そうね。ごめんなさい……」

 セリーは慌てて小声になって言った。普通なら最高神官のセリーがここで懺悔室の神官の仕事なんて出来ないんだろうな……ここの教会は比較的にセリーを野放しというか……自由にさせてあげてるみたいだからセリーもこうやってコソコソ動けているのだろう。

「見つかったら怒られるんじゃないですか?」

 言うと、セリーは寂しそうに……だが自信満々に言った。

「それはないわ……多分、『そんな!最高神官様のお手を煩わせるようなことではありません!ささ、こちらでごゆっくりして下さい』って言われるだけね」
「ヒモみたいな生活ですね」
「失礼な……」

 俺がからかうとセリーは不機嫌そうに言った。それでクスクス笑っていると、セリーはもう一度コホンと咳払いして言った。

「それで迷える子羊よ。貴方は何か悩みごとでもあるのかしら?ここに入って随分経つわよ?」
「見てたんですか」
「ええ。ちょうどね……何かあったの?この時間に帰ってきたということは王国兵士になれたんでしょう?」

 俺はその問いに、「うん」と頷いた。

「それで、まあ弓兵隊として雇ってもらったんです。そこで……昔の知り合いっていうか……幼馴染に再会したんです」
「幼馴染に再会?ふふん?それは良いことじゃない。どうして落ち込んでるのよ」
「なんというか……二人から不満みたいなのを感じるんですよね」
「そう……不満ね……それは貴方に求めているものの問題かしらね」

 求めているもの……?

「どういうことですか?」

 俺が訊くとセリーは答えた。

「期待……かしら。どんなに時間が流れても、貴方が周りの人間の期待を裏切らなければその関係は変わらないのよ。人同士の繋がりってね、そういう期待のし合いっこで出来ていくのよ。
『あの子はこういう人』
『彼はこういうことが出来る』
『彼女なら自分と一緒に歩いてくれる』
 そういう期待……願望ね。貴方にもあるでしょう?」

 言われて、俺は頷くしかない。

「まあ、そういうことよ。期待して接して……期待通りの相手じゃなかったら、嫌いだとかそういう風な感情が生まれるの。理不尽極まりないわよね」
「そ、そうですね……」

 俺もセリーのことを最高神官だからこういう人だって期待していたし、それにそうじゃないとわかって接し方が変わった……これが関係性ってことなのか?人同士の……。

「まあ、貴方はまだ若いんだから……沢山期待して人と関わっていくといいわ。その内、その幼馴染ちゃん達が貴方に期待していることも分かるわよ」

 二人が俺に期待していること……昔の俺がその期待に応えられていて、今のまだ俺が応えられていないこと……か。それは何なのか……俺は悶々と再び頭を抱えた。

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