一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

甘味

「…………」
「………グレイくん」
 弱々しくも、語気の強い凛とした声が響く。俺とクロロは互いに視線を外すことはなく、瞳を覗き込み合う。彼女の瞳に写っているのは俺であり、同様に俺の瞳に写っているのは彼女だ。
 やけにうるさい鼓動の音……聞こえてしまうのではないかとさえ思ってしまうような距離感。クロロは、朱色に染めた頬で俺を見つめたまま……その女性らしい唇を柔らかに開く。
「グレイくんは、先ほど……私と恋人にらなってもあまり変わりばえしないと……言いましたよね?」
「言った」
「なら……そうじゃないことを教えてあげます」
 そう言って、クロロがゆっくりと動く。俺はこの後のクロロの行動を予測し、そして心臓が早鐘を打つのが分かった。俺も所詮は男で……きっと期待している。今、彼女の想いを全て受け入れることができないというのに、俺は拒まない。拒めない。
 自分という存在が彼女を縛っているのだと思うと、独占欲が満たされる。愛おしいさは膨れ上がり、俺は思う……あぁ、彼女のことが好きなんだな……と。
 夜色の髪が俺の頬を撫でながら、彼女は再び俺と視線を交じり合わせる。その頬はさっきよりもずっと赤く、濡れた瞳が彼女の綺麗な瞳をより鮮明にする。
「どうですか……?これは……恋人同士ではないとできない……ですよね……?」
 悪戯が成功した子供のように、それは無邪気に微笑むクロロ。人差し指を己の唇に当てて、らしくもなくフッと不敵に笑む。
「いや……まだ足りない。それじゃあ、変わらない」
「…………あっ」
 クロロはその大和撫子な装いに反し、とても可愛らしい声を上げる。だが、クロロは拒まないかった。ただ、沈黙し……俺を受け入れる。互いの熱を交わし、想いを通じ合わせる。
 さっきよりも長く……彼女よりも長く。長く長く……もっともっと……と。
 やがて、どちらからともなく離れる。
 俺とクロロは、互いに頬を染め、そして荒い呼吸を繰り返す。二人とも、呼吸が上がり、その吐息はどこか甘い。
 クロロと三度視線を合わせれば、その瞳はトロンとしていて……惚けているように見えた。
「こ、これ以上はちょっと……」
「俺もちょっと……」
 互いに、さすがにこれ以上はと顔を背ける。まだ、踏み越えられないラインだ。クロロもそれが分かっていて、そっと俺から離れていく。
 咄嗟に捕まえたくなる衝動を抑え、俺たちは困ったように笑い合う。
「初めてですか……?」
「どうだろう……?クロロは?」
「どうでしょう……?」
 何があっえも昔のこと……俺は気にしない。まあ、互いに何も言わないのなら……その方がいいのかもしれない。
「随分と慣れているように思えましたよ?」
 クロロは再び悪戯するかのように問いかけてくる。俺は肩を竦めるだけで、とくに答えることはしなかった。
「クロロもだろ?」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
 もう何度目か分からない問答を交わす。何度も交わしているはずなのに、その言葉の一つ一つは新鮮で、色褪せることはない。彼女の一言一句を、この耳で、身体で感じられる。
 久しく感じていなかった感覚に、俺はついと笑みを零してしまう。
 それに釣られるように、クロロも幸せそうに笑顔を零す。
「きっといつか、受け入れられる時がきたら……私からまた言わせてください」
「いや、そこは普通……俺からだろう?」
 どんだけ男らしいんだか……。
 クロロはクスリと笑い、続ける。
「だって、グレイくんの周りには魅力的な女性が多いですから……私だって油断できませんよ」
「お前なぁ……」
「ふふ……私一人で独り占めはできませんから……」
 ポツリと呟かれた言葉に、俺は目を背ける。正直、まだ後のことはよく分からない。ただ、両手が一杯な俺にとってクロロという存在がどれだけ大きいのか……それを俺は再度認識するばかりである。
「私以外にも、グレイくんのことを想っている女性はたくさんいるんですよ?」
「…………」
「グレイくんがよければ……受け入れてあげてくださいね……?私、重婚なんて気にしないですし」
 この世界全般で重婚に関して、特に何か規制はない……それは神聖教が多神教であり、一人の神を信仰する習慣がないあまりないからだ。そのため、男性も女性も……双方重婚が広く認められている。もちろん、全てに限ったことではない。
 まあ、だからといって地球生まれの俺が「はいそうですか」と頷くことのできることではない。そもそも、重婚なんて貴族くらいしかしない。平民が重婚したとしても、経済的に厳しくなるだけだからだ。現実的じゃあない……。
「グレイくん」
 答えを求めるように、クロロが囁く。正直、今答えを出せと言われても困るばかりだ。今はクロロだけが好きだと思っている。その気持ちに嘘偽りはなく、重婚がどうこう言われても困るのだ。
 まあ、そもそもの話として……、
「結婚……まで考えてくれてるんだな」
「っ!?」
 それを伝えると、クロロが赤かった頬を更に真っ赤に染め上げる。
「わ、私が心変わりすることはないんですから……いいんですよ!それよりも、グレイくんの気持ちが私から離れたら……」
「それはないから安心しろよ……」
「え……?」
 俺の言葉にクロロが惚ける。
「俺も心変わりはしない。クロロしか考えられないんだ……この両手はもう一杯なんだ……だから俺と一緒に守りたいものを守ってくれるのは……お前しかいない。だって、俺ら対等なんだろう?」
「…………そうですね」
 クロロはそう言って、ポスッと俺の胸に収まる。その頭は軽く、鼻先を夜色の髪から香るいい匂いが擽る。
「私も……グレイくんしか考えられません。私の物を一緒に背負ってくれるのは……そう思えるのは、信じられるのは……あなただけです」
 顔を見られるのが恥ずかしいと言わんばかりに、俺の胸に顔を埋めて口にする。だが、見下ろせば耳が真っ赤になっているのが見えるのだ。あまり意味はない。
「そっか……えーっと、まあこれからも宜しく……?」
「ふふ……そうですね。これかも、宜しくお願いしますね……?」
 そう言葉を交わし、思い出されるのは昔の記憶……クーロン・ブラッカスだと名乗った彼女を初めて見た時、その感想は最初から大和撫子だった。
 強く、気高く、誇り高く、清くあろうとする姿に俺は憧れていたのだ。だが、そんな風に振る舞う彼女でも心の内には闇を抱えていた。本当の彼女は、弱く、脆く、不安定で、既にボロボロの崖っぷち……何かに依存しなければ自分も保てなかった。
 あぁ……そんな彼女だから、俺と背を預けられるのだろうか。憧れたのだろう……本当は脆いのに強くあろうとする姿に憧れたのだろう。目を奪われたのだろう。
 俺は弱いことを否定しない、むしろ肯定していく。自分の存在はとてもちっぽけで矮小なもので……吹けば飛ぶ紙切れだ。弱いことを恥ずかしいとも思わず、むしろ弱いことに胡座をかき、庇護されることが当然のように日々を怠惰に過ごす。それが許された。許されてしまった。
 俺はもう弱いことを理由に逃げないと誓ったのだ。弱くとも、努力次第で必ず道は開けると信じている。例え、どれだけ時間が掛かったとしてもだ。
 俺は心身共に未熟者だ……だから、そんな俺だからこそクロロが必要なのだ。
「クロロ……さっき以上のことは、今はできないけど……これだけはもう一度だけが伝えておく」
「……はい」
 俺から離れ、目と目を合わせる。クロロの眼光には月光が宿り、ユラユラと彷徨う。そして、ピタリと探し物を見つけたかのように止まる。
 俺はフッ笑むと、口を開いた。
「愛してる……とても好きなんて言葉じゃ言い表せない。俺には、お前が必要だ」
「はい……私もです。私にもあなたが必要です。ですが、もう……あの時みたいに依存はしませんから……負んぶに抱っこでは対等とは言えないでしょう?」
「そうだな」
「そうですね」
 真の意味でクロロと心が通い合う。
 思い返せば、さっきまでの出来事は練乳入りの例の激甘コーヒーのホットくらいには甘かったように思う。もはや、口から砂糖が出てくるかもしれない。
 俺も、この目の前の彼女に依存しないようにしないとダメだな……本当に気を付けよう。
 ふと、クロロが求めるような瞳で俺を見つめていた。そして、艶めかしく光る唇を開く。
「あの……もう一度だけしてもいいですか?」
「ダメ」
「どうしても?」
「ダメ」
「どうしてですか?」
「止まらなくなる」
 俺はキッパリと断っておく。クロロは少しショボンヌとしていたが、気にしないことにする。こいつ……以外とムッツリなのかもしれない。
 と、俺たちが互いの想いを確認し合っていた折に……索敵範囲内にソニア姉の気配を感じる。こっちに焦ったような気配で走ってくる。クロロもそれを感じ取ったのか、俺たちは示し合わせたかのように呼吸を合わせてパッと離れる。
 それから数秒して、ソニア姉がバンッとリビングに入ってきた。
「はぁ……はぁ」
 とても焦ったように呼吸を上げているソニア姉に俺は首を傾げる。
 隣ではクロロが誤魔化すように前髪を弄っていたが、ソニア姉の様子を見て俺と同じく首を捻る。
「はぁ……グレイ!!!」
 ソニア姉は呼吸を整えると、俺の名前を大声で叫んだ。
「どうしたの……?」
 驚いて困惑しながらも訊ねると、ソニア姉が目尻に涙を溜めて叫んだ。
「シェーレちゃんが!!」
「…………」
 これはただ事じゃないな……俺は直感的にそう感じて立ち上がり、急いでシェーレちゃんの気配を辿る。場所はキッチン……台所だ。クロロも立ち上がると、特に言葉は交わしていないが俺の後ろを付いて台所へと急行する。
「えっ!?ちょ……」
 ソニア姉は案内するつもりだったのだろうが、先行した俺たちを見て慌てる。
 俺は早々とした足取りで台所まできて……そこで薄っすらと消えかかった状態で倒れているシェーレちゃんを見つける。それを見て、俺は咄嗟に叫んだ。
「クロロっ!」
「はいっ!」
 クロロがシェーレちゃんに駆け寄り、手足に闇の元素を纏う。そしてシェーレちゃんの様子を調べる。俺がやりたいところだが、今の俺は神気を纏っている。触れるわけにはいかなった。
「どうだ?」
 俺が訊ねると、クロロがシェーレちゃんの容態を俺に伝える。
「力が弱まっているように感じますね……」
「力が……」
 霊的な力が弱まる……死霊などがその力を弱める時は、神気の力が関わっている。
 もともと、この家にはラエラ母さんやソニア姉と神気持ちが複数いた。それだけでも、シェーレちゃんにとっては過ごしにくかっただろう……だが、今……俺とそして精霊となってしまったエキドナも神気を纏った。
 その影響……なのか?
 だとしたら……、
「もう、シェーレちゃんと一緒にいるわけにはいかない……か」
「……え?」
 俺の呟きに、後で固唾を呑んで見守っていたソニア姉が絶句したように固まった。


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