陛下、そこはいけません!~愛しの花嫁はやわぷに令嬢~
プロローグ (3)
父にはああ言われたが、使用人たちに任せきりにはしておけない。ジャムを作りはじめたのも、慈善バザーで販売しようと決めたのもシャルロットなのだ。
在庫のジャム瓶を、せっせと店先に並べる。
すると突然、トランペットの音が高らかに鳴り響いた。
「国王陛下の御成でございます!」
厳かに告げられた先触れに、庭園中がどよめく。
(陛下が? ここにいらっしゃるの?)
シャルロットも驚きに目を丸くした。
なにしろ慈善バザーに国王が顔を見せるのは、シャルロットが知る限り初めての出来事だ。というのも、慈善バザーといえば妃殿下が主催する、女性が主体となるべき催し──。
妃が早逝した先王の時代も、その妃の名を冠し、大臣の妻たちが取り仕切っていたほど。
新王はまだ独身のため、同様の運営がなされているのかと思ったが……自らお出ましになるということは、ちがったのだろうか。
(もしかして、お父さまが陛下にお勧めしたのかしら。慈善バザーの見学……)
シャルロットは低頭し、一行が通り過ぎるのを待った。
大仰な鎧をガチャガチャと鳴らして、衛兵たちが左から右へ流れていく。国王が目の前を通り過ぎるというだけで恐れ多いことだ。じっと耐えていると、足もとに丸い影が差した。縁には、かすかに揺れる房飾り──新王マティアスのための日傘の影だ。
シャルロットの緊張は高まる。目の前に陛下がいらっしゃる……。数か月前の即位以降、こんなに近づくのは初めてだ。
そうして頭を下げ続けていると、視界の端にいきなり足が現れた。艶が出るまできれいに磨かれた、上等な男物の黒い革靴だった。
「面を上げよ」
誰が誰に対してそう言ったのか、咄嗟にはわからなかった。
やけに低く、のびやかで堂々とした声だ。かすかに横隔膜に響く心地よい感覚には、確かに覚えがあった。以前、とても近くで聞いたような……。
「面を上げよと言っている」
すると痺れを切らしたのか、じりっと距離を詰められる。ああ、自分に対しての命令なのだとようやく悟って、シャルロットは慌てて頭を上げた。
「は、はいっ」
しかし直後、口を閉じるのも忘れて固まってしまう。
目の前には、絵画から飛び出してきたような雄々しい人が立っていたからだ。
額の真ん中で分けられた銀の髪はほんのりと青みを帯び、まるで真夜中の月のよう。前髪は厚く、凜々しい眉と紺碧色の瞳に影を落としている。
なめらかな輪郭には無駄がなく、彫刻と見まごうほど。そのうえきっちりと着込まれたフロックコート姿には威厳があって、ぞくっとするほどの気高さを感じる。
「国王……陛下……」
シャルロットに声を掛けたのは、新王マティアスその人だった。
──マティアス・デュロワ、御歳二十八。
王太子時代には水源豊かな隣国と交渉し、国に灌漑設備を整えた辣腕だ。
「し、失礼いたしました!」
頭が高すぎた。シャルロットは慌ててまた頭を垂れようとしたが、できなかった。
「下げるな」と額のど真ん中に人差し指を押し当てられ、阻まれたからだ。
「形式的な挨拶などいらぬ。頭を上げよと私は言ったのだ」
「……っは、はい……?」
「せっかく目が合ったというのに、伏せられてはたまらない。私を見ろ、シャルロット」
シャルロットは恐れ多くも国王陛下に額の中心を押さえられた状態で、固まってしまう。
(見ろと、言われても……っ)
今、自分の身になにが起きているのだろう。何故、国王に額を押されているのか。どうやって身を引けばいいのか。いや、そのまえに陛下はシャルロット、と名を呼んだのか。
王太子時代だって数回しか目通りしていないのに、名前を覚えていてくれたとは。
「まさか、額からしてこのように吸いつくような柔らかさとは……たまらんな」
するとマティアスはぼそっと呟いたあと、まるでなにか、とても抑えがたい衝動をこらえているかのように長く息を吐いて、言った。
「まずは礼を言わねばなるまい。先王の頃からの、そなたの慈善バザーにおける多大なる貢献、心より感謝している」
「も、もったいないお言葉です」
反射的に下げようとした頭は、頑なな指にぐぐっと押し戻されてその場に留まる。
陛下の背後でこちらを窺っている衛兵たちは、さぞや戸惑っているだろう。宰相の娘が国王陛下に額の中央を押され、固まったまま会話をしているのだから。
「このジャムはほぼすべてそなたがレシピを考案したものだとか。私もぜひ、味を見てみたい。コケモモのジャムはあるか?」
「あっ、はいっ。すぐに試食をご用意いたします!」
急ぎシャルロットは振り返ろうとしたが、九十度回転しても陛下の指はついてくる。
「あの」
「ああ、いや、すまない」
シャルロットの額を解放するマティアスは、あからさまに名残惜しそうだ。もうすこし触っていたかったのに、とでも言いたげな目で人差し指を見つめている。
(陛下って、すこし変わった方……? いえ、そんな失礼なこと、思うだけで不敬よね)
緊張しながら用意したジャム瓶に、銀のスプーンを添え「どうぞ」と差し出す。
「こちらがコケモモのジャムです」
すると、そこにすかさずマティアスの側近らしき黒髪の男が割って入った。
「陛下、おやめください。お毒味が済んでおりません」
険しい表情も厳しい口調も、どことなく事務的だ。杓子定規というより、言い慣れている印象だった。
「心配ない」
と、マティアスのほうも飽き飽きした様子で言う。
「シャルロットの身元は確かだ。宰相の娘だぞ。それに、このジャムは彼女自身も口にしていたものだ。毒など仕込んであるはずがない」
「ですが、万が一ということもあります」
「そなたは心配しすぎだ、エリク。彼女に限って、その万が一はありえない」
言いきって、マティアスは瓶に差してあった銀のスプーンを手に取る。エリクと呼ばれた側近が不安そうに見守る前で、コケモモのジャムを口に運ぶ。毒など入っているわけはないが、それでもシャルロットはどきどきしながらその様子を見守った。
「うまいな」
こくりと喉仏を動かして、冴え冴えとした細面をふっと柔らかくする。
「なるほど。これは塩気のあるものにも合いそうだ」
「はい、おっしゃるとおりですわ。先ほど鴨のサンドイッチに挟んでみたのですが、絶品でした。あの、よろしかったらイチゴのジャムもご試食なさいませんか。マーマレードとブルーベリーも。ここ一年、果樹園が豊作だったのでどれも美味しくできたのです」
「ああ、もらおう」
気さくに試食をする国王を前に、低頭している人々は緊張しながらも感じ入っていたはずだ。自分たちと同じものを国王陛下が口にする姿など、滅多に見られるものではない。
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