お試し結婚はじめました。イケメン従兄にめちゃくちゃ甘やかされています
お試し結婚はじめました。 イケメン従兄にめちゃくちゃ甘やかされています (1)



春風がふわりと頬をなでた。肩下まで伸びた髪が揺れる。
「あったかい」
碓井香菜美はやわらかな春のにおいを吸いこみ、箱根湯本駅の改札を出た。
三月の下旬。桜が咲き始めたこの季節は、観光にうってつけの陽気である。昼すぎの土産物屋が並ぶ通りは、人がひしめきあっていた。
「お母さんたちになんて説明しよう」
バス停に向かう道すがら、香菜美はつぶやく。
肩にかけたボストンバッグが心にずしりとのしかかっているかのようだ。実家に帰ると決めたときから、毎日気が重い。
一月に彼氏と別れた。
原因は彼の浮気である。それもあろうことか、香菜美の同僚の女性が相手だったのだ。彼は取引先の営業マンであり、香菜美とつき合いつつ、受付をしていた同僚に手を出した。香菜美がそのことを知ったのは、彼に別れてほしいと言われたときだ。
自分は何も悪いことはしていない。だが、ふたりとかかわることに耐えきれなくなった香菜美は、会社を辞めてしまった。
温泉まんじゅうをふかす香りが鼻をかすめる。ひとつ買ってパクリと食べた。やさしい甘みに心がゆるみ、涙がこみ上げてくる。
(ああもう、何もかもイヤ。この状況を説明するのもイヤ。ふた股かけられたから会社を辞めましたなんて、親に言えるわけがないじゃない)
しかし小田原の社員寮を出たいまは、実家に帰るしかないのである。
大学卒業後に就職をして二年弱。突然会社を辞めた香菜美に対し、納得のいかない両親から連日スマホに連絡が入っていた。とりあえず、のらりくらりとかわしていたのだが……
「はぁ」
ため息をついた香菜美は観光客らと一緒にバスに乗りこんだ。
「ただいま」
家のドアを開けた。久しぶりの家のにおいだ。
「香菜美、どういうことなの?」
玄関に入るやいなや、リビングから出てきた母に詰め寄られる。
「いま言わないとダメ? 帰ってきたばかりだし、少しゆっくりしたいんだけど」
うんざりしながら香菜美は答えた。予想通りの展開だ。
「そうは言っても、いつまで経っても理由を言ってくれないんだもの」
「とにかく入りなさい」
あとから玄関にきた父がつけくわえる。
「……はーい」
温泉宿が多いこの地に香菜美の実家はある。香菜美の父親は普通のサラリーマンだが。
いっそのこと温泉宿ならば、忙しさにまぎれて追及されることはなかったかもしれない。などと考えながらリビングに入り、香菜美はドキリとした。
「おかえり、香菜美」
ソファに座っていたのは香菜美の六歳年上のいとこ、河村慧だ。
「あ……ただいま。慧くん、いたんだ?」
「香菜美が帰ってくるって聞いて、名古屋の出張から東京へ戻るついでに寄ったんだ」
「おばさんに聞いたの?」
おばさん、というのは慧の母親であり、香菜美の伯母である。慧と香菜美の母親は姉妹だ。
「香菜美のお母さんづてでね」
「……ふうん?」
自分が帰ってくることと、慧がここへくることのつながりがわからない。
香菜美はコの字型のソファに、慧をななめ前にして座る。
「久しぶりだね」
慧は足を組み直し、香菜美に笑いかけた。
「うん、久しぶり。私、就職してから、あんまり実家に帰らなかったから……」
「一年半ぶりくらいか」
「そうかも」
「会いたかったよ。香菜美に話したいこともあったしね」
端整な顔に優しく笑みをたたえた慧は、香菜美を見つめた。またも香菜美の心臓が音を立てる。そんな表情で思わせぶりなことを言われれば誰だってどぎまぎするだろう。
「そ、そうなの? 何かあった?」
「いいや。……何も」
そういうわりには意味ありげな笑みを浮かべている。
香菜美はいま二十四歳だ。ということは、彼は三十歳になっているのか。
慧の実家こそ、箱根で有名な高級老舗旅館の「河村屋」なのである。
香菜美の伯母は二十歳で「河村屋」に嫁いだ。いまでは若女将から女将へと昇格し、バリバリ働いている。伯母には息子が三人いて、慧は三男の末っ子だ。河村屋では長男、次男のふたりが働いており、共同で継ぐことになっている。
ゆえに慧は家を出て東京の広告代理店に就職をし、数年後に自分の力で事業を興した。慧が二十六歳のころだったと思う。
あれから四年。慧はいまや、すっかり経営者の顔となっていた。最近では若き社長としてビジネス誌などに載り、テレビやラジオ出演をすることもあるらしい。
母がこれらの情報を逐一スマホに送ってくるため、香菜美も慧のことは把握していた。
(慧くん、しっかりしてる。当たり前だよね、私よりもずっと大人なんだから。大人の男性っていいな。あいつに比べて……本当に雲泥の差)
元カレのことを思い出し、香菜美は小さくため息をついた。
慧は身内の欲目をのぞいても、かなりイイ男である。涼しげな切れ長の黒い瞳に、すっと通った鼻筋、形のよい唇。顔の造形もよいうえに、背は高く、決して貧相ではない細身の体つきが香菜美の好みでもあった。いとこではなく、普通に接していたら本気で好きになっていたかもしれない。などと頭に浮かんだところで首を横に振る。
(昔は、慧くんのお嫁さんになるんだ、なんてしょっちゅう言ってたけど、それとこれとは違うんだから。いくら初恋の相手でも、大人になったいまは、それが現実的じゃないのはもうわかってる)
法律上いとこ同士は結婚できるとはいえ、滅多にそのカップルを見ることはない。世のなかには血縁が近い婚姻を気にする人もいる。タブーではないが微妙な関係だと思う。
「聞いてよ慧くん。香菜美ったら急に仕事を辞めてきちゃったのよ」
淹れたての緑茶を香菜美の前に置いた母は、ダイニングテーブルの椅子に座った。父もとなりに座る。慧はコーヒーを飲んでいたようだ。
「それも、理由は断固として言わないんだからなあ」
やれやれといったふうに、父母は深く息をついた。
「香菜美は、お父さんに似て頑固だものね」
「なんだと?」
「本当のことでしょ」
「まぁまぁ、おじさんもおばさんも落ち着いて。香菜美にもきっと何か事情があるんだろうし。それに、働き口をこれから探すなら、僕の会社にきたらどうかな」
香菜美の両親をなだめながら、慧がこちらを向いた。
「え?」
「ちょうど、といえばいいのかな。総務に空きが出たんだよ。募集をかけようとしていたところなんだ」
「で、でも東京でしょ? あっちは家賃とか物価が高いし、私には無理だよ」
東京は憧れの場所であり、そこで働けるというのはありがたい話だ。だがいまは事情があって貯金がほぼゼロなのである。引っ越し費用すらないし、給料が出るまで生活をするのも無理だ。
「だったら僕のマンションにくればいい。ひとりで3LDKは広すぎてね。ひと部屋まるまる空いていて、もてあましてるんだ」
慧は香菜美の不安を払拭するような笑顔を向けた。
「あら、いいじゃないの! 慧くんが一緒なら安心だし」
「いいのか、慧くん?」
香菜美が返事をする前に飛びついたのは両親だった。
「もちろん大丈夫です。香菜美が社にきてくれれば、人事で人を探す手間がはぶけて助かるし」
言いながら、慧は香菜美の給料の額や保障などを次々と提示する。おまけにタブレットを使って会社の様子まで説明し始めた。
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