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美しき放蕩貴族の悩ましき純愛

泉野ジュール

第1章「君を探していたんだ」 (2)

「そうそう、それに年収は二百万ルピーもあるんだって聞いたわ!」

「それがどうしてまだ独身なのかしら。ねえ、アマリアさん、あなたはなにかご存知?」

「えっ? さ、さぁ……そこまで親しいわけではないので……」

 戸惑いながらアマリアは言葉をにごした。

 実際アマリアは、ロンデル伯爵であるサイモン・ビショップ卿の年収など聞いたこともなかった。彼がまるで競売にかけられる種馬のように値踏みされているのにも、当惑せずにはいられなかった。

 だって、アマリアにとってのサイモンは……。

「まあ、見て! 見て! ロンデル伯爵がこちらを見ている気がするわ! ほらっ!」

 今にも飛び跳ねかねない様子で興奮したベリンダが、べバリーとアマリアに耳打ちする。三人の娘たちはベリンダの示す方角にこっそりと顔を向けた。

 誠実そうな黒髪に、真面目さを形にしたようながっしりとした顔つきと体つき、しかし茶色の瞳は優しげなアーモンド型……礼服姿のロンデル伯爵サイモン・ビショップ卿が、こちらをじっと見ていた。

 彼はアマリアたちを目にすると、柔らかく微笑んでみせた。

 ベリンダとべバリーは手を握り合って騒ぎはじめる。

「彼、わたしのことを見ていらしたのよ! わたしに向かって微笑んだんだわ!」

「なに言ってるの、わたしの方に決まってるじゃない!」

 ベリンダとべバリーは盛んに言い争っていたが、アマリアにはわかっていた。

 きっと彼は、アマリアに向かって微笑んでくれたんだ……。

 ロンデル伯爵邸とハートランド家は隣り合っている。郊外の田舎いなかだから、一軒一軒は遠いけれど。でもそのおかげで、サイモンは小さい頃からアマリアを妹のように可愛がってくれていた。数年前、若くして伯爵位を継いでからのサイモンは忙しく、だいぶ疎遠になってしまっているけれど……まだ隣人、友人としての交流はあった。

 そして今夜、アマリアがはじめて舞踏会に出ることを知って、ワルツを一曲、誘う約束をしてくれた。

 子供の頃の遊びとは違う、大人のダンスを……!

 いつまでも騒いでいるベリンダ・べバリー姉妹とは適当に話を合わせながら、アマリアは内心、わくわくと胸を躍らせていた。

 ロンデル伯爵とダンスの約束をしていることは、この噂好きの新しい友人たちには言わない方がいいだろう。あまり詮索せんさくされても困るし、アマリアは感情を隠すのが上手うまくないから、なにか失敗や失礼をしてしまうかもしれない。

 そう。

 真面目で誠実なロンデル伯爵サイモン・ビショップ卿は、アマリアの密かな片思いの相手なのだ。


 それからしばらく、アマリアはなんとか周囲と会話をこなしつつ、時々声をかけてくる若い紳士を習ったばかりの礼儀作法通りにあしらっていた。

 アマリアは生来、人が好きだ。誰かと会話するのを苦痛に思ったことはない。

 でも、こんなふうにひっきりなしに知らない人と引き合わされるのははじめての経験で、気がつくとすっかり疲れ切っていた。

「ごめんなさい、わたし、ここは少し失礼して、外の空気を吸ってきます」

 そう伝えると、会話の輪に加わっていた若者のひとりがエスコートを申し出てくれたが、アマリアはそれを丁重に断った。

 お目付け役の叔母は、同じお目付け役の女性同士で固まって噂話に夢中で、遠くからアマリアたちの言動をチラチラとうかがっているだけだ。ひとりになりたかった。

 ダンスの時間はもうすぐだ。

 アマリアはますます盛り上がる招待客たちの間を不器用に進んで、ベランダへ向かった。サイモンに手を取ってもらえる時、すっかり疲れ切った青白い顔でダンスフロアに入りたくない。夜気に冷えた新鮮な空気を吸って、できるだけ顔色をよくしないと……。

 そんなことばかり考えていたアマリアは、他よりいっそう派手で声の大きいグループが急に目の前に現れたことに、すぐには気がつかなかった。

 大勢の人間が集まれば、どうしたって中心になる者たちとそうでない脇役たちに選別される。

 アマリアはこの舞踏会では脇役だ。脇のさらに脇。末席。

 でも、目の前に固まっているこの十人ほどのグループは、まごうことなき主役級ばかりだった。美しさ。豊かさ。経験。会話の上手さ。そういったものに特に秀でた者たちが集まっているのがひと目でわかった。

 アマリアのようなデビューしたてのウブな男爵令嬢が、関わるべきではない人種……。

 アマリアは彼らを避けようと、慌ててかいをはじめた。

 宝石の散りばめられた華やかなサテン布のドレスを着た女性と、自信ありげに声を張り上げて演説している礼服姿の紳士の後ろをすり抜けようと決め、身をかがめる。彼らの近くにいると、それでなくても地味だと感じていた自分のドレスがますます貧相に思えてしまう。

 早くこの一団から離れたかった。

「失礼します……」

 小声でつぶやいて、そのまま逃げ去ろうとした、その時だった。

 アマリアは見てしまった。

 そのグループの中でも群を抜いて美しい、ひとりの男性が立っているのを。

 品良く後ろに撫でつけられた濃い金髪。目の覚めるような青い瞳を縁取る、豊かで長い睫毛まつげ。形のいい額と適度に高い鼻、彫りの深い顔立ちは男らしいのに、唇だけがふっくらと官能的だ。見事な着こなしの礼服は、アマリアのような経験の少ない娘でもひと目で最高級品とわかり、純白のシルクのクラヴァットが洒落しゃれた結びで首元を引き締めている。

 彼は明らかに主役の中の主役だった。

 それなのに彼はどういうわけか、グループの者たちとは一線を引くように、一歩後ろにたたずんでいた。物憂げな表情でどこかを眺めながら、慣れた身のこなしでグラスからなにかを飲んでいる。

 見事なおとこぶりなのに、なぜか疎外感があった。まるで猫のおりに入れられた獅子のようにどこか浮いている。不思議なひとだった……。

 れいな、ひと。

 その男性に見惚れていたせいで、アマリアの歩調はにぶった。実際、アマリアはすっかり足を止めて放心していた。すると人混みに揉まれて、アマリアの体がよろめく。

「あ……きゃっ!」

 アマリアは勢いで押され、なんと例の、見惚れていた男性のすぐ横に放り出されるような形で近づいていた。彼の……すぐ隣に。

 途端に顔が赤くなり、思考が止まる。

 間近で見上げる彼は離れたところから見るよりずっと背が高かった。そしてさらに美しかった。アマリアとはあまりにも違う世界のオーラを放っている。

 離れなきゃ!

 誰かは知らないけれど、きっと彼はただ者ではない。王家のゆかりとか公爵とか外国の王子とか、そういう階級の人間だ。そうでなければ説明がつかないくらいの風格がある。

 彼自身はといえば、アマリアの方など見向きもしないで思考にふけっているようだったけれど、無言で走り去るのはさすがに無礼すぎる気がした。

「すみませんでした、ひとに押されてしまって……。失礼します」

 すると美しい青い瞳がこちらを向き、静かにアマリアを見下ろした。

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