ぼくには孤独に死ぬ権利がある――世界の果ての咎人の星

ゆずはらとしゆき

B_001「死体置場への宇宙船」(3)

 永田香名子が工場跡へ着くと、夕暮れは満月の夜に変わっていた。

 無造作に散乱しているコンクリート製のブロックに座った少女は、買ってきた弁当を広げ、くしゃみをひとつ。

「風邪……なのかな? でも……どうでもいい」

 自問自答——陽が落ちれば、極端に気温が下がるのは承知の上。祖母がいた日常で夕飯を食べる気になれなかった。

 不在の家には新しい家政婦が来ているのかも知れないが、それはそれで不愉快だ。

(何も期待しない。どうせ、新しい家政婦も……だったら、独りでこうしていた方がよっぽどマシです)

 思春期にさしかかった香名子は、急速に自我を形成しつつあったが、同時に現実への無力感にも苛まれていた。

 先天的に賢かった彼女は、祖母が体現している田舎者の土俗的な体質──厚顔無恥な俗物さを嫌悪していたが、将来的に決別するための「突出した才能」を欠いていることも自覚していた。

 誰かを身代わりにすれば、この煉獄しがらみから逃れられることは知っている。

 だが、母親の身代わりにされた娘が、別の誰かを身代わりにすることは、それこそ厚顔無恥な振る舞いだ。

(何も欲しくない。どうせ、この世は……死ぬまでの退屈しのぎです)

 すべて食べ終え、発泡スチロールの弁当箱を包み直すと、思い出したように思考が止まらなくなった。

(綺麗な夜空。でも……地上は、息が詰まりそう……)

 無表情だった香名子は、月を見上げるとわずかに微笑んだが——ひどく乾いた笑いだった。

(これって、緩慢なる自殺……なのかな?)

 彼女はこの地上から消失する日を待っていた。わずかに燻っている自分のタマシイが、ついに消え失せる日を。

 思春期の内向きな女の子らしく、自殺の方法もいくつか考えてはいた。

 でも、実行する気はなかった。

 いや、内実は怠惰と臆病で一歩も動けないだけで。

 それに、彼女が死んだとしても、彼女の祖母は『ろくでなしの屑はァ、いずれ仏罰が当たり、野垂れ死ぬのよッ!』という思考停止の言葉を繰り返し、のうのうと生き延びていくはずだ。

 そう考えると、自死を選ぶことも馬鹿馬鹿しかった。

(少なくとも、祖母の死を確認するまでは、ぼんやりと生きていく……)

(それからの人生は、改めて考えましょうか……生き延びることができたら、ですけど)

 そうして思考を続け、飽きた瞬間——彼女の視界が大きく揺らいだ。

 再び見上げた瞳に映ったのは、満月ではなかった。

 赤と黒の紋様が浮かび上がった〈巨大な髑髏の月〉のように思えたが、次の一瞬には、それがひどく不気味な球体だと認識していた。

(あれは……〈鉛色の卵〉……?)

 そんなものが、自分に向かって墜ちてきたような気がした。

 しかし、正しく認識することもできないまま、香名子の意識は失われた。

†††

「あいたたた……」

 奇妙な響きを伴う呻きと共に、円盤から這い出してきたは液体と金属の中間のようなもので、ぐにゃりぐにゃりと蠢いていた。

 やがて、銀色に光る不定形——泡を立ててぐちゃぐちゃと蠢いている粘液体スライムから、うさみみを形成したが、次の段階へはなかなか移行できなかった。

 長く伸びた耳をゆらりゆらりと動かしているうちに雨が降ってきた。

 細かい霧のような雨は、風を伴うこともなく静かに降っていたが、耳の白い体毛を湿らせるには十分な量だ。

「なんですか、これは?」

「あはは……〈幸福号〉が……故障しちゃった……」

 先に降下していた犬耳の青年が駆けてきて呆れたように呟くと、うさみみの生えた粘液体は気まずそうに答えた。声帯は復元していたが、口蓋の形状が不完全のため、台詞には壊れたラジオのような夾雑音ノイズが混じっている。

 青年が見上げると、陳腐な形状の円盤は上下逆さま——地面と接触する寸前の最低高度でふわりふわりと浮いていた。

「見ての通り、〈自動保護装置〉で被害は最小限に抑えたんだけどねー」

 装置が展開した〈不可視の力場〉は、周囲への被害を最小限に抑えると同時に、連続性を帯びた空間振動——波動を放っていた。

 波動は星の各地に配置された〈黒衣〉たちを増幅中継器とする〈黒衣通信網〉を介して、原住民——〈蛮族〉たちの感覚器を操り、その思考に干渉する。この〈波動式情報操作〉によって、現実認識は改変され、不祥事は隠蔽される。

 エーテル体やアストラル体を使った波動エネルギーは、地球人にしてみれば、疑似科学オカルトでしかない電波妄想スキゾフレニアでしかないが、この異星人たちはそんなものをまともに実用化していた。

 それにしてはあまりに似通っているから、むしろ、異星人の文化や技術がなんらかの形で地球人に伝えられ、理解されなかったのかも知れないが、地球人の立場からすれば正気の沙汰ではない。

 もっとも、現実にはひっくり返った〈幸福号〉と、落下の衝撃波で破壊された工場跡の残骸が宙に浮かんだまま固定されていたのだが。

「あれ……? ハヤタくん、〈奉仕対象〉へ降下したんじゃなかったのー?」

「留守だったので、現場に残っていたを辿って来たんですが……」

「ひょっとして、あの娘?」

 不規則に蠢く〈液体金属〉を寄せ集め、とりあえず形成した触手で指し示した先には、気を失ったおさげ髪の少女が横たわっていた。

「特に外傷はないので……〈治療塔〉へ入れる必要はないかと……」

「ううっ……なんて、幸先の悪い始動なのぉ……」

 ようやく全身を復元した幼女が、涙目で大きなため息をつく。

「えっとぉ……〈幸福号〉の損傷はこっちでなんとかするから、ハヤタくんは〈奉仕対象〉を日常生活に戻して。あと、念のために〈レンズマメ〉を経口投与しといてねー」

 ハヤタと呼ばれた青年は、おさげ髪の少女——永田香名子を抱え上げると、人間離れした驚異的な跳躍ジャンプで立ち去った。

†††

 意識を取り戻した香名子がいたのは自宅の自室——自分のベッドだった。

 いつの間に帰ってきたのか——見慣れた自室を改めて見回しつつ、無造作に散乱しているはずの脱ぎ捨てた衣類や本がすべて片づけられていたことを不思議に思っていた。祖母の入院は半月ほど前だったが、彼女の個室は既に荒廃していた。それは、生来のだらしなさというより、むしろ、強いられていた規律からの反動だった。

 5階の窓から外を見ると、団地群の中心に立っている給水塔に激しい雨が降っていた。

 闇の中から浮かび上がった頂の円盤も、老朽化でところどころ茶色く錆びていて、子供の頃の妄想もすっかり色褪せていた。

 彼女が住んでいたのは、1960年代から70年代にかけて建てられた無数の団地群の中でも比較的新しい5階建ての棟で、六畳の和室を洋室に改装リフォームした勉強部屋兼寝室はパイプベッドと学習机と小さな本棚があるだけの矮小な部屋だ。

 もっとも、自分の部屋を持つことが許されたのは、祖母が祖父の痕跡──書斎を徹底的に潰したかったからだ。

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