副社長のイジワルな溺愛
はじめまして、冷徹副社長様 (2)
「用件はなんですか?」
部屋の入口に立ったまま動けずにいると、さらに射るように見つめられ、思わず落としてしまったクリアファイルを慌てて拾い上げた。
「お忙しいところ恐縮なのですが、領収書をご確認いただけますか?」
「領収書? 秘書に一任しているはずだが」
役職者ともなると多忙なのだろう。デスクの上にはあらゆる書類が積んであるし、キーボードを叩く音も、まるで指が駆け回っているようだ。
「それが、お昼で席を外されていたものですから」
「あぁ……」
だからアポイントがあったのかと副社長は理解した様子で、ハイバックチェアにもたれた。
「なにか不都合でも?」
「宛名が間違っているようでして」
「いつの領収書だ?」
手招きされて副社長が座る大きなデスクの前に立ち、原本を差し出した。
「本当だ。ミカドになってるな。まったく、適当に書かれたか……」
領収書の額は約百万円。金額の大小にかかわらず、誤りのある申請は通すわけにはいかない。
「そうか、今日が締日だったな。すまない、面倒をかけてしまって」
「い、いえ……」
さすが副社長だ。社内のスケジュールが頭に入っているようで、卓上カレンダーに目を向けて再確認している。
「悪いけど、君がこの店に行って差し替えてきてくれないか?」
「私がですか?」
「仕方ないだろう? 私はこれから取引先を訪問する予定が入っているし、夜は会食がある。秘書に預けたいところだが、身重なんだ」
事情を聞いたら断るわけにもいかず、渋々了承して部屋を出た。
「君、ちょっと待ちなさい」
下階行きのエレベーターの到着をぼんやり待っていたら、副社長が追いかけてきた。
失礼があったかと、瞬時に嫌な汗が背を伝う。
「私の名刺を持っていきなさい。なにか困ったことがあれば連絡してくれて構わない」
社のロゴマークが入った名刺をありがたく頂戴した。社員の誰もが持っているけれど、役職者のものは一般社員と違って上質な紙が使われている。
それに、副社長の肩書と名前が載っている現物を見たら、特別輝いて見えた。
自席に戻り、領収書に記載されている電話番号に連絡を入れる。『club 藍花』という店名からして、明らかに夜のお店だと分かった。
時刻は十五時過ぎ。呼出音が鳴り続けるばかりで一向に繋がらず、開店は二十時と告げるアナウンスが流れた。一時間前には店員が開店準備をしているかもしれないし、それくらいに出かけられるように予定を立てた。
「室長、こちらの案件で原本差し替えが必要なのですが、先方が夜にならないと対応できないようなので、後ほど外出してから社に戻りたいのですがよろしいでしょうか」
念のため、残業と外出許可を取ったけれど、次から次へと回付されてくる経理決裁の対応に追われている様子で、室長は私を一瞥するだけで了承した。
外出してもう一度社に戻るのも面倒だし、熱気に満ちた夏の夜の街を歩くのも億劫。なによりも、夜の店に行くのは腰が重くて仕方ない。間違いなく私のような地味系女子には縁遠いはずだったのに……。お遣いを頼まれるなんてツイてない。
「香川さん、お疲れ様」
心の中で愚痴をこぼしていたら、優しげな声が耳に届いた。
いつの間にか経理室にやってきていたのは、私が密かに想いを寄せる倉沢さん。私の並びに座る女子社員の香川さんに声をかけている。
入社以来ずっと片想いをしている彼が近くにいるとドキドキして、目の前の作業に集中しようとしても、彼ばかりに意識が向いてしまう。
「お疲れ様です。今日も打ち合わせされていたんですか?」
「もう少し早く終わるはずが、結構長引いちゃって。で、立ち寄ったついでで申し訳ないんだけど、これも追加させてもらえますか?」
香川さんと話している倉沢透流さんは、我が社のエンジニアのひとりで、構造設計グループにいる内勤組だ。
すらっとした百八十三センチの長身に、正統派の整った顔立ちと人懐こい笑顔、そしてソフトな声色の持ち主。眼鏡をかけていることが多く、今日は私が一番好きなべっ甲フレームの眼鏡をしていると、こっそりチェックをした。
「もちろん、いいですよ。倉沢さんのお願いは断れません」
快く引き受けた香川さんにお礼を言ってから去っていく彼を、経理室の同僚女子たちが見送った。
副社長同様、彼も人気が高く、私にとっては高嶺の花。それでも、久しぶりの恋を自覚してからは、可能性のなさそうな片想いでも続けていたくなるのだ。
私みたいな地味女子が倉沢さんに想いを寄せていると誰かに知られたら、間違いなく鼻で笑われるんだろうな。身の程知らずってなじられて、肩身の狭い思いをするに違いない。
「私、倉沢さんとこの前食事に行ったんだけどね」
香川さんが他の同僚と雑談をしている。
「ふたりで?」
「まさか。同期が構造設計グループにいて、倉沢さんの後輩だから誘ってくれただけ。でも、すごく格好よかったし、優しかったし、話もおもしろくて……やっぱり彼って素敵だなって思っちゃった」
羨ましいなぁ、倉沢さんと社外で会えるなんて。私も、もっと堂々と彼と話してみたい。
これ以上のアピールをする勇気もない私には、とても無理だけど……。
十九時前になったのを確認してから、デスクトップのパソコンをスリープにした。
「深里さん、もう終わったの?」
「出かけて戻ってきます。これ、原本差し替えが必要で……」
向かいの席に座っているお局の先輩に帰宅するのかと咎められて説明すると、「大変ね」と労いが感じられない声が返され、私はバッグを持って離席した。
電車に乗って二分で到着する銀座には、今まであまり来たことがない。
七月下旬の夜は、今にも雨が降りそうなほど蒸していて、少し歩いただけで汗ばむし、行き交う人たちも扇子で扇いだり、ハンカチで額を拭っている。
「club 藍花……この辺りにあるはずなんだけどなぁ」
通勤用のリュックサックで背中まで蒸してきて、たまらず手に持ち直し、携帯で地図を見ながら、近隣を彷徨う。
十分ほど歩いてようやく辿り着いたものの、明らかに高級そうな店構えにたじろぎ、様子を窺うように恐る恐るドアを開けた。
静かに流れるジャズの音色が聞こえてくる。壁掛けのシャンデリアが灯る入口に立っていると、黒服を着た男性店員が通りかかって私に気づき、丁寧にお辞儀をしてくれた。
「いらっしゃいませ」
「こちらはclub 藍花さんでしょうか?」
「はい」
百五十五センチの小柄な私を品定めする店員の視線に気まずさを感じ、大理石の床に目を泳がせる。
「大変申し訳ございません。当店はドレスコードがこざいまして、ふさわしくない装いのお客様のご入店はお断りさせていただいております」
「あっ、すみません」
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