副社長のイジワルな溺愛

北条歩来

副社長のイジワルな溺愛 / はじめまして、冷徹副社長様 (1)




副社長のイジワルな溺愛


はじめまして、冷徹副社長様


 今月も月末がやってきた。数日すれば月初になって、さらに追い込まれる。

「一、十、百、千……」

 経理室の片隅、私は今日も数字と戦う。社員小口申請については、しょうひょう原本の日付やただしがきも確認が必要だ。

 会社の基盤となる重要な部署に配属され、任されている作業は一見地味でも、やりがいはある。

 ここ、『かどけんせつ』は日本一のスーパーゼネコン。

 ゼネコンとは、自社で建築・土木の設計から施工管理を一括で請け負うことができる総合建設業社の略称で、とりわけ売上高が一兆円以上の企業は〝スーパーゼネコン〟と区別される。働いている人たちにも特色があって、本社内で設計、積算、営業や安全などを管轄する〝内勤〟と、現場に赴き施工管理や工事を担当する〝外勤〟に分かれている。

 私、さとが所属する管理部経理室は一般職の内勤。私はその経理室の隅で地味にひっそりと働いている。半数以上の社員は、建設業に興味があって勤めているけれど、私は五年前の就活でどういうわけか運よく内定をもらえただけ。二十六歳になった四年目の今も数字は苦手だし、経理の仕事に日々四苦八苦している。

「深里さん、これ通せないやつ」

 先輩の女子社員から返されたデータと証憑を見比べつつ、先に途中だったものを終わらせようと手を伸ばす。

 あれ? さっきどこまで数えたっけ……領収書の枚数も多いし、桁が多くて数えるのも一苦労だなぁ。

「ちゃんと見えてるの? その瓶底」

「あはは、これですか? バッチリ見えてます」

 瓶底と言われているのは、私の眼鏡のこと。昔から読書が好きで暗い部屋で読んだりしていたから、視力が一気に落ちてしまったのだ。遺伝もあるけど、私ほど視力が悪い家族はいない。

「……ん? 〝ミカド様〟になってる」

 領収書の宛名が〝御門建設〟ではなく、カタカナで〝ミカド様〟と記載されているものを見つけた。このままでは処理できないから、一度差し戻して対応してもらわなければいけない。

 この領収書の提出元は……。

 データの申請者と所属部署を確認して、私は「ひっ!」と小さく悲鳴をあげてしまった。

【代表取締役副社長 かどけい

 副社長が、この領収書を?

 ということは副社長に確認を取りに行かなければいけないわけで……。

 周りを見ても、代わりに頼めそうな人はいない。この時期の経理室はいつも以上にさつばつとしていて、話しかけることすら気が引ける。

 私は渋々腰を上げ、領収書の原本を持って副社長室へと向かった。


 御門建設本社は、とうきょうまるうち中央口から徒歩三分の好立地にある。周辺環境や景観との調和を考えた三十五階建ての社屋は、防災拠点にもなる最先端の免震構造が活かされており、真っ白な外観が美しい。

 最上階は会長室と特別応接室になっていて、三十四階は社長室と副社長室、秘書室などがある。私みたいな一般社員が普段立ち入ることはないので、高層階に行くというだけで緊張して、背筋に冷汗が伝う。

 エレベーターの到着音が鳴ってドアが開くと、下階から乗ってきたスーツ姿の営業マンや作業着姿の外勤社員、お洒落で華やかな内勤女性たちの視線が向けられた。

 私のような、黒のスキニーパンツと白いシャツという簡素な服装の社員は少なく、注目をされるのは日常茶飯事。でも、今はそんなことを気にしている余裕すらない。クリアファイルに挟んで持ってきた領収書を副社長に確認してもらって、今日中に対応してもらうことで頭がいっぱいだ。

 上昇に従って、乗り合わせていた人が降りていき、とうとうひとりになってしまった。副社長室のある三十四階が近づくたびに、一層気が重くなる。

 副社長は、御門家の次男で三十二歳。三年前、若くして副社長に就任したのは一族優遇ではなく、彼の実績が正しく評価されたものだというのは有名な話だ。

 モデル顔負けの百八十五センチの長身に小さな顔、長い脚と完璧なスタイルの持ち主で、鋭さと艶っぽさが共存する視線に魅了された人は数知れず。

 そして、海外の有名高校と大学を卒業して帰国し、英語とスペイン語をりゅうちょうに操るトリリンガル。

 家柄もよく、高学歴、高収入。そんな彼は、多くの女子社員たちに恋人の座を狙われていて、『次の創立記念日までに生涯の相手を決めるらしい』という噂まで出回るほど話題に事欠かない。

 ただ、社内ではとても仕事に厳しい姿勢と冷たそうな人柄から〝プライドがエベレストよりも高い、冷徹な御曹司〟として恐れられている。

 私は言葉を交わしたこともないけれど、以前見かけた時に、クールで近寄りがたい圧倒的な雰囲気にのまれ、一気に苦手意識を持ってしまったのだ。

 三十四階に到着して、まずは秘書室に寄っておくことにした。副社長室を突然訪問するのははばかられるし、役職者の経費精算作業は各々の秘書が担当している。つまり、秘書に対応してもらえたら一件落着で、副社長に会うことなく話は済むはずだ。

 秘書室のドアをノックすると、華やかで知的そうな秘書が顔を出し、思わずれてしまった。

「はい、どのようなご用件でしょうか?」

 彼女の胸元には、自前の真紅の本革IDケースが揺れている。かたや私の胸元には、入社時に会社から貸与された味気ないビニールが提がっているだけ。

「経理室の深里と申します。副社長付きの秘書の方はいらっしゃいますか?」

「申し訳ありません。昼休憩で席を外しておりますが、ご用件は?」

「経理関係なのですが……」

「一度、副社長にお取次ぎしましょうか。その方がきっと話は早いでしょう。お待ちくださいね」

「え、いやっ、あのっ!!

 秘書は、迷うことなく自席から内線で副社長と話している様子だった。

 せっかく顔を合わせずに用が済むと思ったのに……。

「深里さん、通路の左奥にある副社長室へどうぞ」

 にこやかに送り出された私は、不器用な笑顔を見せて背を向ける。

 最悪だ……。今日はツイてない。

 これから副社長に会うと思うと、とてつもなく気が重い。

 副社長室のドアはりガラスになっていて中の様子は見えないけれど、柔らかい明かりが漏れている。

 軽く握った手でノックしようとするも、緊張して自然と腕が下がってしまった。

 でも、仕事で来ているんだからと気を取り直し、ドアを二回叩いた。

「――はい、どうぞ」

 冷静で抑揚の少ない低い声が、私の緊張を最大まで引き上げる。

 恐る恐るドアを引くと、ガンッと鈍い音がして内開きだと気づいた。

「失礼いたします」

「騒々しいな、ドアを壊す気か」

「もっ、申し訳ございません!! 経理室の深里と申します」

 初対面の副社長は前評判通りの冷徹さで、苦手な雰囲気だ。睨んでいないと分かっていても、力のある瞳に見つめられると足が竦むし、話し方にもとげを感じる。

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