冷酷王の深愛~かりそめ王妃は甘く囚われて~
花祭りの日 (3)
「例の事件、まだ犯人捕まってないんだろう?」
「ええ」
セルマの言っているのがなんのことかわかったミルザは、眉をひそめてうなずく。
「若い娘さんばかりが殺されるなんて、嫌な事件だね。やっぱり田舎のほうは治安がよくないのかねえ。あんたらも気をつけたほうがいいよ」
本気で心配しているのがわかる目をして、セルマはミルザを見つめた。
「そうね。まだラートで被害者が出た話は聞かないけれど……サーザもいることだし、なにかあったらこちらに頼らせてもらってもいいかしら」
「ああ、いいとも。なんだったら、このままずっと、うちにいてくれてもいいんだよ」
セルマとは、両親が生きている頃からの付き合いだ。ミルザの両親も、細々と作物や織物を作ってはセルマの店に卸してきた。ミルザがパレに出てくるときには、いつもここに泊めてもらっている。ミルザとサーザのことを小さい頃から知っているセルマは、彼女たちを自分の娘のように思ってくれていた。
親のいないミルザにとっては、頼れる大人のひとりだ。
「あれ? ミルザちゃんが来てるのかい?」
ひょっこりと店に顔を出した中年の男が、ミルザに気がついて声をかけた。ミルザも見たことのある常連の男性だ。
「こんにちは」
客の来訪に、ミルザは慌てて店の奥に隠れようとする。その様子を見て男はからからと笑った。
「おや、相変わらず内気なんだね。そういう奥ゆかしいところ、うちのかみさんにも見習わせたいよ。セルマ、いつもの油、あるかい?」
「あいよ。ちょっと待っとくれ」
「おや、ミルザちゃん! 久しぶりだね」
今度は、セルマと同じくらいの年配の女性が声をかけてきた。極力人と関わることを避けているミルザだが、『ウェール』との付き合いが長い分、この店の常連たちの中には少なからずもなじみができていた。
「こんにちは」
小さく答えたミルザに、女性が破顔する。
「まあまあ、しばらく見ないうちに、すっかりきれいになっちゃって。ちょうどいいところで会ったわ。実は私の知り合いに、今年二十歳になるいい男がいるんだけど……」
ずいずいと迫ってくる女性に笑顔を向けながらも、ミルザは少しずつ後ずさりする。
「あの、そういう話はまた……」
「いいじゃないか。例の幼なじみは、パレのお嬢様と結婚しちまったんだろ? だったら……」
ずきり、とミルザの胸に痛みが走るが、顔には出さなかった。
「ちょいと、あんたにはデリカシーってもんがないのかい」
勢いよく話し続けるその女性を、油の缶を手にしながら出てきたセルマが止めた。
「失礼だね、セルマ。あたしはミルザちゃんのことを心配して……」
「そういうのを、余計なお世話っていうんだよ」
「なに言ってんだい。そうやって花の盛りを逃しでもしたらもったいないだろ」
「だからって……」
「あのっ」
自分が原因でふたりの雰囲気が悪くなってきたのを察したミルザは、この場を離れようと慌てて話題を変えた。
「セルマ、ゲルダは奥?」
「ああ。いつもの部屋だ。寄ってっとくれ」
逃げ腰になっているミルザに、セルマは店の奥を示す。まだ話を続けようとする女性と苦笑いをしている男性に軽く会釈をして、ミルザはそそくさと奥へと入っていった。店内が見えなくなったところで、ミルザは大きくため息をつく。
本当なら、この花祭りに合わせて、ミルザは花嫁になるはずだった。
幼なじみのジェイドとの結婚が決まったのは、一年ほど前のことだ。幼なじみではなく婚約者として付き合い始めてから、ミルザは徐々にジェイドに恋をしていった。そうして、花嫁となる日を心待ちにしていたのだ。
だがほんの数ヶ月前、年が明けてすぐのことだ。そのジェイドに別の縁談が持ち上がった。パレの貴族が、自分の娘とジェイドの結婚を望んだのだ。その貴族は没落しかけており、鉄鋼所の経営が軌道に乗っていたジェイドの家の資産に目をつけた。それに対しジェイドの親は、貴族とのつながりが持てるという願ってもない話に、あっさりとその結婚を認めた。
『ごめんな、ミリィ。父さんたちがどうしてもって言うから……本当に、ごめん』
今でも、別れるときのジェイドの言葉と、申し訳なさそうな顔が浮かんでくる。親の言葉を言い訳にはしていたが、ミルザは、ジェイドがその娘に惚れ込んでしまったことを知っていた。
婚約破棄を言い渡されても、ミルザの両親はすでに亡くなっていて抗議する術もなかったし、心が離れてしまった彼にもうなにを言っても無駄なこともわかっていた。だからミルザは、黙ってその別れを受け入れた。破談を聞いて怒り狂ったのは、サーザのほうだ。
もう過ぎたことだ、とミルザは気を取りなおして顔を上げる。
廊下の一番奥の扉が、ミルザの目指す部屋だった。気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸をして、そっと扉を叩いた。
「ゲルダ。ミルザよ。いる?」
短く返答があった。重い扉を開けて中に入ると、そこにはしわくちゃの小さい老婆がひとり、座っていた。隣にミルザが座ると、編み物をしていた手を止めて老婆は顔を上げる。
「花祭りを見に来たのかい?」
「サーザと一緒に、花を卸しにきたのよ。それ敷物? ずいぶんと大きなものね」
「ベッドカバーじゃ。はてさて、これができあがるまで生きていられりゃいいがの」
「ゲルダ」
自虐的な言葉に、ミルザは柳眉をひそめる。ゲルダは、わざとらしく大きなため息をついた。
「わしも年を取った。せいぜいあと四、五十年しか生きられまい」
「……ゲルダって、本当はいくつなの?」
「さてな。七十あたりから数えるのをやめちまったよ」
ミルザは、しわくちゃのその顔を見ながらくすくすと笑う。
「きっとゲルダなら、あと百年は生きると思うわよ?」
「長く生きればいいってもんじゃないさ。あたしには、役目があるからね。それを誰かに渡すまでは死ねないよ」
その言葉を聞いて、ミルザは表情をあらため、ささやくように硬い声を落とす。
「今回はサーザが一緒だから一泊で帰る予定だけど、私の役目は、ある?」
「ない」
今までの声とはまったく違う、厳しい声でゲルダは短く言った。それを聞くと、ほっとしたようにまた表情を緩めて、ミルザは立ち上がる。
「サーザが街を見ているの。無駄遣いをしないうちに、つかまえなくちゃ」
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