お気の毒さま、今日から君は俺の妻

あさぎ千夜春

タカミネコミュニケーションズの魔女 (3)

 珠美は双子で、兄のことは有名外資系ホテルのパティシエとして働いている。珠美をとても大事にしていて、過去何度か会社の飲み会帰りに迎えに来た彼と話したことがある。まだ若いのに彼の腕はかなりのもので、甘いもの好きな澄花も何度かおしょうばんにあずかっていた。

「じゃあ決まりですっ。レッツゴーです~!」

 珠美はニコニコと笑って澄花の背中を押しながら、総務部へ続く廊下を歩き始めていた。


 午後六時五分前にもなれば、社員はみな立ち上げていたパソコンを落とし、帰宅の準備を始める。国内有数のIT企業で残業が多いと思われがちだが、タカミネコミュニケーションズは基本的にどのチームも部署も、差し迫ったプロジェクトがなければ速やかに帰宅することが推奨されている。

「先輩っ! 事件ですっ!」

 そんな帰宅ムードの中、隣の席の珠美がスマホを握りしめて叫んだ。

「どうしたのタマちゃん」

 事件とは大げさだなと笑いながら、澄花は黒のアンゴラのコートを着ながら立ち上がる。

「お兄ちゃんの勤めてるホテルでケーキが食べられますっ!」

「食べられますって……いつだって食べられるでしょ?」

「あーん、そうじゃなくてぇ、今日ホテルでパーティーがあってっ、お兄ちゃんがメインのケーキをだいぶ手伝わせてもらったんですってっ……! これは行かないわけにはいきませんね、行きましょう!」

「えっ?」

 澄花は目をパチパチさせながら首をかしげる。

「でも誰かのパーティーなんでしょう?」

 ホテルで開催されるパーティーなのだから、招待客がいてしかるべきだろう。そこに招待されていない自分たちが入れるはずがない。

 だが珠美は人差し指をピンと顔の前に立てて「チッチッチッ」と言いながら、左右に振る。

「それがですね、なんと、そのなんとかいうパーティー、うちの営業も招待されてるみたいですっ、だから私たちがいても大丈夫ですよっ! ささっ、先輩準備してくださいっ!」

(なんとかいうパーティー……?)

 主催も目的もさっぱりわからない。大ざっぱなことこの上ないが、珠美は兄の晴れ舞台だからと行くことを決めたようだ。そこに澄花が同行することも決定事項になっているらしい。

(まぁ、いいか……)

 今日は水曜日で、週の真ん中ではあるが特に予定があるわけでもない。帰宅して、夕食を食べ、本を読み寝るだけだ。

「そうね。真琴くんのケーキなら絶対に食べに行かなくちゃね」

 澄花は笑ってうなずいた。


 パーティーは六時ちょうどに始まっていた。澄花と珠美が受付を済ませ、会場である『てんくう』に入った七時には挨拶はすべて終わり、スーツ姿で名刺交換をしていているビジネスマンや、ドレスアップした女性が歓談する姿で溢れ返っていた。

(これって KATSURAGI カツラギのイベントだったのね)

 会場の入り口に、生花と緑で縁どられた大きなパネルが飾られ、デコラティブな書体の英字で『KATSURAGI』と書いてあったのを澄花は見逃さなかった。

 KATSURAGI といえば関東を中心に、ありとあらゆる駅や商業施設にテナントが入っているフラワーショップの最大手で、タカミネコミュニケーションズの社内植物の世話も、確か KATSURAGI の提携店だったはずだ。今回のパーティーは、新規事業の立ち上げのマスコミプレスリリースを兼ねているらしかった。

「ずいぶん華やかね」

 澄花は思わず笑顔になって、料理やスイーツがブッフェスタイルで並んでいるフロアを見回す。

「ですねー! 結婚式みたい!」

 はしゃいだように珠美もうなずいた。

 彼女の言う通り、普段は披露宴やパーティーが行われている天空の間は、いつも以上に花と緑で飾られている。さすがフラワーショップ最大手と言うべきか、会場の壁回りや、テーブルの上は見たこともない量の花や植物で埋め尽くされ、さながら植物園といった雰囲気でもあった。

「先輩っ、あれですっ!」

 スマホを片手に持った珠美が、弾んだ様子で会場の前方にあるケーキののったテーブルへと向かい、目を輝かせた。

「わーっ、すっごい!」

 真琴が手伝ったというケーキは、色とりどりののつぼみや花をかたどった大きなえんすいの形をしていた。ケースに入っているが、ケーキ自体は高さ一メートルはありそうだ。白い生クリームのケーキの上に、白、赤、黄色、薄いピンクや濃いピンク、ブルー、グリーンの花びらがデコレーションされている。大変な力作だ。

「本当……とてもきれい……お花のケーキなんて素敵ね」

「先輩っ、こっちの小さい方は食べられるみたいですよ~!」

 珠美が指さした先のテーブルには、紫陽花あじさいの花びらの形をしたケーキがシルバートレイの上に並べられていた。虹をイメージしているのか、全部で七色ある。

 テーブルの側に立つ給仕の前には、ケーキを取り分けてもらうために、ずらりと行列ができていた。見た目の華やかさと愛らしさで、ずいぶん人気があるらしい。女子がきゃあきゃあ言いながらトレイの側に集まっている。

「あ、そうだ! お兄ちゃんのケーキと一緒に写真撮らなきゃ~! ほら、先輩もっ!」

 珠美は花のケーキをじっと眺めている澄花の腕を取って引き寄せると、スマホでパシャリと自撮りをおさめる。

「先輩のスマホにも送っときますねっ」

「うん、ありがとう」

「はーっ、それにしてもいきなり不意打ちで撮っても先輩はきれいですねぇ~」

 珠美はスマホの画面を眺めながらニコニコと笑っている。

 どれどれと彼女の手元を覗き込むと、きょとんとした自分と笑顔の珠美、そして背後にケーキがきちんとフレームインしていた。

「そう? 相変わらず変な顔して写ってると思うけど……」

「それは先輩がカメラ目線に慣れてないだけで、変な顔ではないですっ。むしろ違った魅力で、キュンキュンですっ」

 珠美は真剣に言いつのる。

「目は外国人みたいにぱっちり平行二重だし、鼻はしゅっと高いし、唇は口角が自然に上がってるし、フェイスラインは卵型だし、首はすらっと細くて長いし!」

「もうそのへんでいいから……」

 彼女の褒め殺しはいつものことだが、さすがに人目が気になる。恥ずかしい。

 けれど珠美は「私、きれいで美しいものはみんなだーい好きですっ」とくったくなく笑って、甘えるように澄花の腕にしがみついてきた。

「もう、タマちゃんったら……」

 珠美はいつもこんな感じなので、澄花は毎回びっくりしてしまうのだった。

 澄花には珠美以外、友人らしい友人はいない。もちろん学生時代の知り合いはいるが、意識して連絡を取らなくしているうちにすっかりえんになった。

 ではなぜ珠美と親しくしているのかというと、彼女はまったく噂話をしないからだ。入社してから一度だって、彼女の口から他人のことを悪く言うのを聞いたことがない。そのことに気が付いたのは、彼女が入社してすぐのことで、親しく話すようになっても、珠美は澄花が聞かれたくないことを一切詮索してこなかった。

 普段はおてんばな子供のような珠美だが、その中身はかなりクレバーなのだろう。そうでなければ、珠美だって澄花に踏み込んでくるはずだ。

『どうして栫さんは黒い服しか着ないの?』

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