お気の毒さま、今日から君は俺の妻
お気の毒さま、今日から君は俺の妻/プロローグ / タカミネコミュニケーションズの魔女 (1)

お気の毒さま、今日から君は俺の妻
プロローグ
「私をいくらで買ってくれますか」
彼女は涙に濡れた瞳で、まっすぐに俺を見つめた――。
結婚式当日の朝は天気に恵まれた。四月に入ったばかりでちょうど桜が咲き始め、神社の境内は薄桃色の花びらが舞っており、誰もが「本当にいいお天気でよかったですね」と微笑み合った。
静粛な雰囲気の中、粛々と式は進んでいくが、俺はずっと隣にいる彼女だけを見つめていた。
「――今日のよき日に、○×神宮の大御前において私たちは結婚式を挙げます」
三三九度の盃を終え、指輪の交換をし、俺が誓詞奏上を読み上げ始めると、右隣に立つ彼女から息をのむ気配がした。
こっそり盗み見ると、緊張しているのだろうか……彼女の庇のように黒く長いまつ毛の先が震えている。
神前式にしたいと言ったのは、彼女の方だ。
当然、叶えてやるつもりだったが、なぜ神前なのか知りたくて理由を尋ねると、『亡くなった母の白無垢が着たいんです。でもお披露目を兼ねて、ホテルで披露宴をするのでしょうか』と不安そうに尋ねられた。
『仕事の関係上、披露宴は盛大にホテルでやるが、挙式は神社でも教会でも構わない』と告げると、彼女はホッとしたように微笑んだ。
ただその微笑みは俺に向けてのものではなく、あくまでも亡き母の形見を身にまとえることへの喜びでしかない。
残念ながら、彼女が俺に心から微笑むことなど今後もないだろう。
それでも俺は後悔は微塵もしていない。なぜなら今彼女は、俺の隣に立っているからだ。
「――今後はご神徳のもと、相和し、相敬い、苦楽を共にし、明るく温かい生活を営み、子孫繁栄のために勤め、終生変わらぬことをお誓いいたします。なにとぞ、幾久しくご守護くださいますようお願い申し上げます」
スラスラと誓詞奏上を読み上げる俺は、そこでいったん言葉を切る。
いよいよだ。
軽く息を吸い込み、それからゆっくりと自分の名前を読み上げた。
「夫。葛城龍一郎」
次は彼女の番だ。
「…………」
一瞬の間が空いた後に、
「……妻。澄花」
震える声を抑えて、己の名を読み、覚悟を決めたように顔を上げた。
その横顔は震えるほど美しく、かわいそうなくらい悲壮感に満ちていて、俺はふと慰めの言葉をかけたくなった。
だが彼女はそんなものは必要としていない。七年前と同じように、自分の心の中ですべての決着をつける。心の問題を他人に頼ったりなどしない、そう顔に書いてあった。
そんな彼女だからこそ、俺は彼女に心底惚れてしまったのだ。
心まで手に入らないとわかっていても、どうしても欲しかった。
式を終えた後、控室で俺たちはふたりきりになった。
とはいえ披露宴は二時間後の午後一時から、近くの老舗ホテルで催されるので、すぐにタクシーで移動だ。
「――澄花」
俺が名前を呼ぶと、畳の上に置かれた小さな椅子に腰かけていた彼女は顔を上げる。
「今日から君は俺の妻だ」
すると彼女は、真面目な表情で俺を見据える。
「約束、守ってもらえますよね」
「ああ。それ相応の対価は払う。約束は守る。お気の毒としか言いようがないが……契約は契約だ」
俺の言葉を聞いて、彼女は神妙な面持ちでうなずいた。
「それなら安心しました。どうぞよろしくお願いいたします」
彼女はそっと椅子から下りると、畳の上に手をついて、深々と頭を下げる。
大安吉日の今日。
俺は、愛されたいとまったく考えていない彼女と夫婦になった。
タカミネコミュニケーションズの魔女
季節は三月上旬。春と呼ぶにはいささか寒い朝だった。
「あ……」
唇がわななくと同時に、目の端から溢れた涙がこめかみを伝い落ちる。
ざわりと耳の側で不愉快な音がして、栫澄花はゆっくりと瞼を開け、指で目元を拭った。濃くて長いまつ毛の先に涙がひっかかったせいで、視界がおぼろげだ。
だが、今自分がなにを見たのか、澄花は理解していた。
(こっちが現実……)
時折、自分の涙で目が覚めることがある。
夢を見たのだ。
目を開けた瞬間、淡い蜃気楼のようなそれらの夢は影も形もなく消えてしまう。繰り返し見続けすぎて、記憶が擦り切れ始めているのかもしれない。
けれどいくら夢が淡く色褪せるようになったとしても、澄花はその夢の正体がはっきりとよくわかっている。
この涙は置いていかれた者の悔し涙なのだ。何年経っても忘れることはできないし、忘れるつもりもない。そんな傷を抱えて澄花は生きている。
「ふぅ……」
深い息を吐き、手の甲で涙を拭い、枕元のスマホを手に取る。時間は目覚ましのタイマーより三十分早い朝の五時半で、カーテンの外は当然真っ暗だった。
寝直そうにも頭の芯が重い。二度寝したところで気分は晴れそうにない。
「起きようかな……」
澄花はベッドから体を起こすと、毛糸のカーディガンを薄いピンクのパジャマの上に羽織り、いそいそとキッチンに向かって、ケトルをガスにかけた。そして紅茶のティーバッグをお気に入りのうさぎのマグカップに入れ、沸いたばかりの熱湯を注ぐ。
「ふーっ……」
立ち上がる湯気に息を吹きかけながらベッドに腰を下ろし、時間をかけて紅茶を飲む。
朝はまだ寒い。一瞬迷ったが、エアコンのスイッチを入れることにした。
次第に1Kの部屋の痺れるような冷たい空気が、じわりと暖かくなっていく。
「よしっ……」
紅茶を飲み終えると、ようやく体が温まった。澄花は室内の鉢植えやベランダのプランターに水をやり始める。部屋の中は緑の植物でいっぱいだが、植物に詳しいわけではなく、あくまでも趣味としてかわいがっているのだ。
水をやり終えてクローゼットを開ける。
よしと気合いを入れたところで、選ぶ服はいつも同じ。黒いブラウスに黒いスカート。多少襟や袖、丈の長さが変わっても、色は常に黒だ。
大きくないクローゼットの中身は、黒一色で染まっている。二十五歳の女性としては、かなり異質かもしれない。
適当にそれらを取り出し、ベッドの上に置いた。
冬の間はよかったが、これから春になると黒ずくめはかなり目立つようになる。あれこれと言われることを思うと少しだけ気が重くなるが、喪に服すのだから黒以外ありえない。
愛する人を喪った澄花は、七年間ずっとこのスタイルを通している。今後も変えるつもりはない。
身支度を整え、チェストの上に置いてある朱塗りのお盆に向かって、にっこりと微笑んだ。
「おはよう」
お盆の上には、写真立てと、水を入れて花を浮かべたガラスの器がのっている。
愛おしいと思う気持ちを込めて、写真フレームをそっと指で撫でる。
「行ってきます」
いつもより早めに家を出たせいか、七時過ぎの社内はガランとしていた。
「さすがに早すぎたかも……」
澄花は苦笑しながら受付のカウンターに飾ってある花瓶を抱えて給湯室に行き、ハサミで水切りをしてから新しい水に替えて戻る。
そうやって、いつものように職場のエントランスやロビーにある花の世話をしていると、
「おはよう。今日も早いね」
ちょうどエントランスに入ってきた副社長と、ばったり出くわした。
「お気の毒さま、今日から君は俺の妻」を読んでいる人はこの作品も読んでいます
-
傲慢社長の求愛ルール
-
59
-
-
政略結婚のその後は?~敏腕秘書は囚われの君を諦めない~
-
35
-
-
王妃のプライド
-
964
-
-
こじらせ御曹司の初恋相手が私だなんて聞いてませんっ!?
-
59
-
-
身ごもり契約花嫁~ご執心社長に買われて愛を孕みました~
-
68
-
-
この世界のイケメンが私に合っていない件
-
9
-
-
焦らされ御曹司がストーカーのように求婚してきます
-
47
-
-
エリート弁護士と蕩甘契約婚~あなたの全てを僕にください~
-
35
-
-
僕の愛しい妻だから
-
28
-
-
美しき放蕩貴族の悩ましき純愛
-
7
-
-
愛され任務発令中!~強引副社長と溺甘オフィス~
-
31
-
-
友情婚!~そろそろ恋愛してみませんか?~
-
19
-
-
幼なじみの騎士様は可愛い新妻にぞっこんです!
-
15
-
-
溺れるままに、愛し尽くせ
-
125
-
-
極上彼氏の愛し方~溺甘上司は嫉妬深い~
-
430
-
-
相愛前夜 年の差社長の完全なる包囲網
-
48
-
-
イジワル外科医の熱愛ロマンス
-
32
-
-
極甘同居~クールな御曹司に独占されました~
-
37
-
-
専属秘書はカリスマ副社長の溺愛から逃げられない
-
29
-
-
冷徹ドクター 秘密の独占愛
-
26
-