ホテル御曹司が甘くてイジワルです
穏やかな日常と気になるあの人 (3)
静かな坂道を下り、ひとり暮らしのアパートへと帰る。
簡単に食事をとり、お風呂に入り、窓からぼんやりと星を眺め、眠たくなったらベッドに潜り込む。
そして朝になればまた職場に行き、ドームの天井に浮かぶ星空を見上げながら星座解説をする。
明日も明後日も変わらない、平穏な暮らし。
恋人がいなくても、寂しいなんて思ったことはなかった。
「お客さん、なかなか来ないねぇ」
館長が事務所のカウンターに頬杖をつきながらそうぼやいた。
「平日ですからね」
外国人居留地だった名残があるこの辺りだけど、駅から少し離れているせいか知る人ぞ知る穴場的なスポットで、残念ながらとても活気があるとはいえない。
そんな場所にひっそりと建つプラネタリウム。
観光客もあまり来なければ、地元の人でも何度も足を運んでくれる常連さんはごくわずかだ。
館長の優しい語り口の星座解説はとても人気があって、地元だけでなく全国からお客様が来てくれていたそうだけど、最新の投影機を備えた大型施設や、プラネタリウム以外の娯楽施設がどんどん増え、わざわざ坂の上天球館に遠くから足を運んでくれる人は減る一方。
「夏休みや冬休み、それから流星群が話題になるような時期になると、星に興味を持つ人が増えて、少しは賑やかになるんですけどね」
なんて話しながら、待合スペースに掲示する資料の準備をしていると、「そういえば……」と館長が思い出したように顔を上げた。
「どうしました?」
首を傾げる私に、館長は窓の外を指差してみせる。
「隣の商館、来週から工事が入るって」
そう言われ、窓から三百坪もある広い敷地の中に建つ木造二階建ての洋館を見る。
明治時代にイギリスの貿易商によって建てられた豪華で美しい建造物。
海を望む大きな庭に面して、一階には広々としたテラスが、二階にはバルコニーがあり、それを中心として左右対称に繊細な細工が施されたいくつもの窓が並んでいる。
十数年前までは、このプラネタリウムの元の持ち主でもあった地元企業が事務所として使っていたけれど、大きく豪華すぎる建物は使い勝手が悪いということで、移転してからはずっと空き家になっていた。
「取り壊しちゃうんですか?」
たしかに管理や維持が大変だろうけど、せっかく素敵な建物なのにもったいないと、顔を曇らせると、館長が首を横に振った。
「改装して、レストランかなにかになるらしいよ」
「へぇ、レストランですか!」
交通の便は悪いけど、この辺りの景色はすばらしい。
あの商館の二階のバルコニーからは、うちから見るよりももっと綺麗な海や街並みが楽しめるんだろうな。
「素敵ですね」
できたらぜひ一度行ってみたい、なんてわくわくしている私の横で、館長がのんびりと口を開く。
「レストランに来たお客さんが、ついでにこっちに寄ってくれるといいなぁ」
ほのぼのとした口調で、他力本願なことを言う館長に苦笑しながらも同意してしまう。
「本当ですね」
今みたいにのんびりとしたプラネタリウムの雰囲気も好きだけど、どうせだったらもっとたくさんの人に訪れてもらいたい。
隣にできるレストランが繁盛するといいですね、と笑い合ってから作業をひと段落させ席を立つ。
「私、入口の掃除をしてきます」
今日は少し風があるから、商館の前の大きな庭から葉や花びらが飛んできて、入口の石畳に溜まっているかもしれない。
もしお客様が足を滑らせたりしたら大変だ。
「夏目さん、よろしくね」
館長の言葉に「はい」と返事をしてから、私はほうきとちりとりを持って外に出た。
石造りの倉庫を改築した事務所は、入口は自動ドアに取り換えてあるけれど、その他はほぼ作られた当時のままの状態だ。
赤く錆びた鉄製の鎧戸がついた窓に、百年雨風にさらされところどころ苔むした鈍色の壁。
歴史を感じさせる事務所の佇まいと、その奥に建つ白壁のプラネタリウムドームの対比がとても美しくて大好きだった。
自分の職場に少しの間見惚れてから、気持ちを切り替えてほうきを持つと、ちょうど下校途中の小学生と目が合う。
近くに住んでいる小学四年生の男の子、大輝くんだ。
ときどき家族でプラネタリウムを見に来てくれるし、こうやって学校帰りに顔を合わせることがよくあるから自然と顔なじみになった。
「こんにちはー!」
大輝くんは背負ったランドセルをガチャガチャさせながら、こちらに駆けて来て私を見上げる。
「大輝くん、こんにちは」
「ねぇお姉さん! 俺、この前UFO見たよ!」
「UFO?」
私が首を傾げると、大輝くんは目を輝かせて口を開く。
「サッカークラブの帰りにね、あっちの方に明るく光る丸いのがあったんだ。あれ絶対UFOだよ!」
彼が指差す方向を見れば、西の方角。
好奇心で顔を輝かせる大輝くんがかわいくて、私は思わず微笑んでしまう。
「そっかぁ。でもそれ、もしかしたらUFOじゃなくて、金星かもしれない」
「金星?」
「そう。宵の明星って聞いたことないかな。この時期、太陽が沈む頃に西の空に光る一番星なんだよ」
「えー。でも家に帰って星座盤見たけど、載ってなかったよ」
不服そうな彼に、私は膝を軽く折って視線を合わせた。
「そう、金星とか木星とかの惑星は、星座盤には載ってないんだ」
よく気づいたね、と笑いかけると、膨らんだ頬が赤らみ、尖っていた口元が照れくさそうに緩む。
「いつも決まった場所に昇る星座たちとは違って、気まぐれに場所を変えて現れるから、昔の人が『惑わせる星』っていう意味で、惑星って名前をつけたんだって。何千年も前の人たちも、明るく光る金星を見て『なんだあの光は?』って不思議に思っていたのかもしれないね」
「へぇー!! おもしろーい!」
目を真ん丸にした大輝くんに、「興味があるなら、プラネタリウムで詳しく教えてあげるよー」と誘ってみる。
「うーん、でも俺、今日はサッカーがあるから」
あっさり振られてちょっとしょんぼりすると、小さな手によしよしと頭をなでられてしまった。
「でも今度、お母さんとか友達とか誘って来てあげるよ」
「本当? ありがとう」
「うん。約束!」
そう言って大輝くんが小指をぴんと立てる。
無邪気さがかわいいなぁ、なんてほっこりしながら指切りをして「じゃあね」と手を振る。
「お姉さん、バイバーイ!」
「サッカー頑張ってねー!」
見えなくなるまで手を振り続ける彼を見送ってから、掃除を再開する。
石畳の隙間に入り込んだ落ち葉一つひとつを取り除くように丁寧にほうきで掃いていると、こつりと固い靴音が聞こえた。
顔を上げると、広い歩幅で歩いてくる背の高い人影。
「あ……」
よくプラネタリウムを見に来てくれる、あの男の人だ。
いつもはひとりなのに、今日は彼の後ろに女性がいた。
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