ホテル御曹司が甘くてイジワルです

きたみまゆ

穏やかな日常と気になるあの人 (2)

 星好き、というだけで親近感を持ってしまうなんて我ながら単純だけど、男性がひとりで投影を見に来てくれることは珍しいから、すっかり顔を覚えてしまった。

『今日の投影はいかがでしたか?』なんて声をかけてみたいけれど、なかなか勇気が出せずにいるのは、彼が隙のない容姿をしているから。

 涼しげな黒い瞳や、通った鼻筋。きゅっと引き結んだ綺麗な唇から男らしいあごのラインまで、すべて完璧といっていいほどに整っていた。

 そして彼のまとう人を圧倒するような雰囲気に、いつも気後れしてしまうのだ。

 ドームの出口で鉄の扉を背中で押さえながら、お客様一人ひとりに「ありがとうございました」と頭を下げる。

 ふと、こちらに視線を向けられているのを感じた。

 首を向けると、そのスーツ姿の男性が真っ直ぐに私のことを見つめていた。

 意志の強そうな黒い瞳に見下ろされ、落ち着かなくなってしまう。

 なにか言いたいことでもあるのかな? 星座解説でなにか納得のいかないことでもあったんだろうか。

 プラネタリウムの解説者はいつだってくろだ。

 お客様は星空を目当てに来ているから、背後のコンソールに立つ人間なんて気にも留めない。

 上映が終わった後にこうやって一人ひとりに頭を下げても、星空のいんに浸るお客様が私の存在を意識することはほとんどない。

 素通りされることになれている私は、じっと見据えられるとなんだか居心地が悪くて、思わず一歩後ろに下がろうとする。

 すると、背中で押さえていた扉のドアノブにカーディガンが引っかかり、思い切りバランスを崩してしまった。

 足がもつれ、とっさにかがんだ私に向かって、重い鉄の扉が迫ってくる。

 衝撃を覚悟してぎゅっと目をつぶったけれど、触れたのは温かな体だった。

「え……?」

 恐る恐る目を開くと、たくましい腕の中。

 スーツ姿の男性が、かばうように私を胸の中に抱き、片手で重い扉を支えてくれていた。

「大丈夫か?」

 低い声で確認するように問われ、首筋の辺りが甘くあわつ。

「だ、大丈夫です! すみませんっ!!

 私が焦りながら謝ると、頭上でいきを漏らすような小さな笑い声が聞こえた。そして私を抱き締めていた腕を緩める。

「あ、あのおはありませんでしたか?」

 動揺ではやる心臓を抑えながら尋ねると、彼は冷静な表情で首を横に振った。

 そして何事もなかったように出口へと歩いていく。

「ありがとうございました」

 慌ててお礼を言うと、一瞬こちらに視線を向け小さくうなずいた。

 その彼のスマートな身のこなしに、出口の扉に背を預けたままぼんやりとれていると、事務所スペースにいた館長が近づいてきた。

「夏目さん。あのお客さん、また来てたね」

 シルバーのまるがねに白髪交じりの髪の毛。六十歳手前の穏やかなおじさまという雰囲気の館長は、出ていくその人を眺めながら私に耳打ちするように言った。

「そうですね。最近ちょこちょこ来てくれてますよね」

 深呼吸をしつつ平静を装う。

 今日みたいに平日の日中にひとりでふらりとやって来る彼。

 いつもスーツ姿だから、お仕事をしているのは間違いないだろうけど、一体何者なんだろう。

 私がそんなことを考えていると、館長は腕を組み、真相を明かす探偵みたいな顔をする。

「あの人、夏目さん目当てで通っているのかもしれないねぇ」

「私目当てですか? 私の解説を気に入って何度も足を運んでもらえているなら嬉しいですけど……」

 私が首を傾げると、「そうじゃなくて」と苦笑いされてしまった。

「夏目さんのことが、好きなのかもよ?」

 館長の言葉に、思わず頬がってしまう。

「あ、ありえないです。からかわないでください」

 あんな、地球上のどこへ行ったって女の人が放っておかなそうなかっこいい男の人が、わざわざ私なんかを好きになるはずがない。

 たった今、抱き締められたことを思い出す。肩の辺りにまだ、大きな手のひらの感触が残っている。

 スーツ越しでもわかる鍛えられた体に、端正な顔立ち。その上、身に着けているものはとても高級そうだし、たぶんお金持ちなんだろう。

 それに対して私はというと、仕事中は白いブラウスに黒のカーディガン、膝下までのフレアスカート。こつ辺りまでの長さの髪を後ろでひとつにまとめた姿は、個性がなく、なんの印象にも残らない格好だ。

 顔だって派手なわけでも地味なわけでもないごくごく普通の私を、異性として意識する人がいるとは思えない。

「男と女はなにがあるかわからないのに、すぐそうやって可能性を否定しちゃうなんて、夏目さんは本当に恋愛におくびょうだねぇ」

 あきれたような優しいため息をつかれ、私は少しくされながら館長をにらむ。

「臆病じゃなくて、向いてないだけです」

「たしかに人には向き不向きはあるけど、だからって苦手なことを避け続けて一生ひとりっていうのも寂しいと思うよ」

 片方だけ眉を上げた館長が、横目で私を見ながら笑う。

「そういう館長だって、独身じゃないですか」

 優しくてユーモアがあって、三十歳も年下の私から見たって魅力的な館長は、人生で一度も結婚の経験がないらしい。

 望みさえすれば、一緒に人生を歩みたいという女性はたくさんいそうなのに。

「僕はいいんだよ。星空が恋人だから」

 私の反撃に館長はいつものようにマイペースに笑う。

「じゃあ、私も星空が恋人でいいです」

 その言葉に便乗すると、館長は出来の悪い我が子を見るように目を細めて肩を上げた。

「私はドーム内をチェックするので、館長は事務所でお仕事をしていていいですよ」

 照れくささをすように館長の背中を押し、雑談ですっかり緩んだ気分を切り変える。

 粘着クリーナーを取り出しカーペットを軽く掃除しながら、座席に忘れ物がないかチェックしはじめると、館長も事務所へと戻っていった。

 ドーム内にひとりになったことを確認して、小さく息を吐く。

 私だって、恋をしたことがないわけじゃない。

 大学生のときに一度、同級生の男の子と付き合ったことがある。

 私と同じく星が好きで、物静かで優しくて、なによりも私を大切にしてくれる男の子だった。

 一緒にいることが心地良かったし、隣にいると安心できた。

 だけど……。

『ごめん、真央ちゃん。俺、真央ちゃんのことが好きなのに……』

 自分はなにも悪くないのに、そう謝ってくれた優しい彼。

 悪いのはぜんぶ私なのに、彼にそんな申し訳なさそうな顔をさせてしまったのが悲しかった。

 そして彼と別れてから、自分は恋愛に向いてないんだと諦めた。

 私はきっとこれからも恋人を作ることなく、ひとりで生きていくんだと思う。

 最後の投映を終えて、事務仕事をして二十時過ぎに事務所を出ると、石畳の坂道に沿って立つガス灯が、いつものように淡く光っていた。

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