元帥閣下は勲章よりも男装花嫁を所望する

真彩-mahya-

男装の私と元帥閣下 (3)

「貴様、なにをする! この私をピコスルファート公爵と知ってのろうぜきか!」

 首元のスカーフまでれてびちゃびちゃになった痴漢公爵が、顔を真っ赤にして怒鳴る。何事か、と周りの視線が集中し始めていた。

「あなたが誰かはどうでもいい。その大層な名に恥じない行いをすることだ」

「なんだと」

「自分の立場を利用し、逆らえない婦女子を辱めるなど、言語道断。顔を洗って出直すがいい」

「この……!」

 言葉で言い返すことができなかったのか、痴漢公爵が手を振り上げた。

 いいだろう。それが振り下ろされる瞬間、股間に膝蹴りをお見舞いしてやる。

 どう反撃するか思案していると、その手がピタリと止まった。

「あっ!」

 思わず声が出る。手から焦点を外すと、痴漢公爵の後ろに、ある長身の男性が立っているのを見つけたから。彼は痴漢公爵の手首を握っていた。

 そう、彼は先ほど元帥に昇進したばかりの人物。黒髪のレオンハルト・ヴェルナー。のようなアンバーの瞳で痴漢公爵を見下ろしている。

「婦女子に手を上げるとは何事です」

「くっ、手を放せ! この子供に礼儀を教えてやるだけだ」

 よほど地位の高い貴族なのか、海軍トップとなったヴェルナー元帥に牙をむいて抵抗する痴漢公爵。

 するとヴェルナー元帥は小さく舌打ちをして、公爵の耳元に顔を寄せた。好奇の視線を投げかける周囲に聞こえないような音量で、そっとささやく。

「皇帝陛下はこの広間を監視しておいでだ。これ以上家名に泥を塗ることもあるまい」

「なっ……」

「去れ」

 低い声でおどされた痴漢公爵は腕を放され、ぶつぶつ言いながら会場から出ていった。

「あーあ」

 あっさり逃がしちゃった。あれじゃ、またいずれ同じことを繰り返すだろう。再起不能にしてやりたかったなあ……。

 ため息をついた私にヴェルナー元帥が視線を移す。そのとき、会場の前方から父上が駆け寄ってきた。

「なにをしているのだ、お前は」

 怒気をはらみながらも、周りを気にしてボリュームを控えめにした声で言いながら、私をにらむ父上。

「クローゼ閣下。もしやこちらはあなたの?」

 ヴェルナー元帥に話しかけられると、父上は苦々しい顔でうなずく。

「恥ずかしいが、私の娘だ。お前さんには助けられた。礼を言う」

 言いながら、にこりともしない父上。愛想笑いさえしないのは、私が原因だろう。

 肝心の私はといえば、反省などしていない。あれは絶対に、痴漢公爵が一方的に悪かったんだから。

「美しいお嬢さんですね」

 アンバーの瞳を細め、ヴェルナー元帥が私に微笑みかける。視線が合うと、私の胸が銃で撃たれたようにビクンと跳ね上がった気がした。

 美しいだなんて、生まれて初めて言われた……。

「お世辞はけっこうです。ル……いや、エルザ。お前はもう帰りなさい」

 ぐいっと私の手を引く父上。

 さっきは皇帝陛下のために、もう少しこの場にいるよう命令したくせに。反感を覚えるけど、変に注目を集めてしまった以上、ここは退散するしかなさそう。

「あの……」

 最後に、ヴェルナー元帥になにか言わなければならないような気がした。

 そうだ、お礼を言わなきゃ。望んでいなかったとはいえ、私を守ってくれたことには変わりないんだから。

 だけど父上に強い力で引きずられ、なにも言うことができない。元帥の方をなんとか振り返る私に、彼は一歩踏み出す。その顔には、もう笑みは浮かんでいなかった。

「お嬢さん、いつか、またどこかで」

 低い声が耳の中でこだまする。

 ――いつか、またどこかで。

 返事はできなかった。私がこの姿でいるのはこの日だけと定められている。明日からは、私はエルザと名乗ることはできないのだから。

 ぎゅっと胸が締めつけられるような思いを、生まれて初めて味わった。私は、ただ小さくうなずいた。

 名乗ることはできなくても、またどこかでまみえることもあるだろう。そう信じて。


* * *


 ――そして、一年後。

 一年前の回想から、思考は現在に戻る。

 あの日に再会の約束を交わした相手は、目の前にいる。けれど私に気づく気配は全くない。

「どうぞおかけください」

 応接用の椅子に座れるのは父上だけで、お供としてついてきた私は父上の後ろに控える。ふたりの元帥の間にあるテーブルに、先ほどの少年がワインを運んできた。私は父上の頭越しにヴェルナー元帥の端正な顔を見つめる。

 ……気づかれなくても仕方ないよね。彼と言葉を交わしたのはたった一瞬だったし、今の私はあのドレス姿の女性と結びつかないだろう。

 頭で納得するのとは反対に、心の方は大きな落胆からなかなか回復できない。

 一年間、もしかしたら彼が私を迎えに来てくれるんじゃないか、って……ひそかに夢を見ていた自分が愚かで恥ずかしい。

「今日訪ねたのは他でもない。ヴェルナーよ、この時期に退役を申し出たと聞いたが、まさか真実ではあるまいな」

 父上が話を切り出した。

 今でも戦争の決着がつかないアルバトゥスとエカベト。両国の間には大海があり、海軍の働き如何いかんによって国の運命が左右される。

 その海軍トップであるヴェルナー元帥が突然、皇帝陛下に退役を願い出たのは三日前。これは困ったことになったと、お偉方に泣きつかれた父上が、彼を説得しに来たというわけ。

「本当ですよ」

「いったいどうして。二十代で元帥になれたのはお前さんが初めてだ。我が帝国が誇る『不敗の軍神』が、これからも皇帝陛下のために尽くしてくれなくては困る」

 不敗の軍神とは、敵軍を相手に勝利を重ねるヴェルナー元帥を称賛するあだ名。彼は天才的な用兵の才能を持ち、艦隊を任されるようになってからは負けを知らないという。

「ありがたいお言葉ですが、私はもう疲れてしまいました」

 父上が訪ねてくると知ったときから、ヴェルナー元帥は質問の内容を予測していたのだろう。少しも言葉に詰まる様子がなかった。

 すました顔でワイングラスを口元に運ぶ優雅な元帥に合わせるように、父上もワインをひと口飲み下した。

「疲れたとは、いったいどういうことだ?」

「そのままの意味です。私は戦争に疲れました」

 グラスを下ろしたヴェルナー元帥の顔は、疲れているようには見えなかった。体には表れない心の問題が彼にはあるのかもしれない。

「クローゼ閣下なら想像できると思います。砲弾を受けて木っ端じんにされ、海の中で沈んでいく船、叫びながら波に呑まれていく味方や敵兵を」

「まあ、それは……」

 そこまで落ち着いていた父上の声が、苦々しいものに変わった。ヴェルナー元帥の語った光景を思い浮かべると、たしかに凄惨。胸が悪くなる。

 私の主な任務は後方勤務。父上の秘書のひとりとして事務的な仕事をこなすこと。訓練には参加しても、実際に敵兵と剣を交えたことは一度もない。

 それも今日まで、海軍が海上での勝利を重ねてくれたから。彼らが負けたり、うっかり敵を逃したりすれば敵は我が帝国に上陸し、陸軍との戦闘になったことだろう。

「そういうものを見なければいけない毎日に疲れてしまったのです。どうかこれからは、民間人として静かに余生を送らせてください」

 ヴェルナー元帥は形のいい頭を下げた。

 余生って。まだ二十八歳なのに、余生……あと何十年あるのか。

 彼の言葉を聞いていると、気づいてもらえなかった落胆とは別の意味でがっかりしてくる。一年前のあの日はあんなに輝いて見えたのに。こんなに情けない人だとは思わなかった。

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