元帥閣下は勲章よりも男装花嫁を所望する
男装の私と元帥閣下 (2)
「だがお前も軍人だ。皇帝陛下に仕える義務がある。そして、上官である私の命令に従う義務も」
「命令ですって?」
「ルカ・クローゼ少佐。お前に、姉・エルザの代わりに式典に参加することを命ずる。皇帝陛下の御為に。ばあやにはルカを無事に女装させることを命ずる」
腹の中で煮えたぎる怒りが、血まで沸騰させそうだ。私ももちろんだが、ばあやが父上の〝命令〟を裏切れば、罰されることは必至。私だけならまだしも、ばあやは巻き込めない。
結局、父上の言う通りにするしかないということか。
口から外に出かけていた怒りを、唾液と一緒に無理やり溜飲する。
黙ってにらんでいると、父上も黙って部屋の外に出ていった。扉が閉まると、ばあやがホッとため息をついて私から離れる。
「あんまりでございますね……突然『今日だけ女性に戻れ』だなんて」
「もういいよ、ばあや。一日だけだろ」
思いきって寝間着を脱ぎ捨てる。いつも目立たないようにさらしで潰している、私には無用の乳房が揺れた。
「さあ、なるべく苦しくないようにやっておくれ」
ばあやは、私が男として生きるための苦労や葛藤を知っている。小さな頃からこっそり私の愚痴や泣きごとを聞いて、励ましてくれた唯一の人だったから。
私があまり機嫌を損ねていると、ばあやが私に気を使って疲れてしまう。彼女のために笑顔を作り、なるべく爽やかな声を心がけて言う。
「任務だと思って乗りきるさ」
こうして私は、生まれて初めて女装して公の場に出ていくことになったのだった。
軍の式典が行われる、宮殿中央にある大広間。
今日は、一ヵ月前の戦闘で武勲を立てた人たちに勲章を授与する式典らしい。本当なら私は後方勤務部隊の一員として、この式典の運営側に参加しているはずだった。
後方勤務部隊は山ほどいても、姉上の代わりは私しかいない。本来務めなければいけない役目が、どうしようもなく些末なものに思えて悲しい。
我が帝国は、大海を経た別の大陸にあるエカベトという王国と、百年越しの戦争をしている。攻めては退けられ、また攻められては退け、それを何度も繰り返し、なかなか決着がつかない状態が続いていた。
今回の式典は、あるひとつの部隊同士の戦闘に我が帝国が勝利したお祝いを兼ねている。
コルセットとドレスと化粧で、肺と皮膚の両方から呼吸を損なわれた私は、扇で口元を隠しながら懸命に息を吸い、前方を眺めた。
皇帝陛下が玉座に座っている。これといった特徴もありがたみもない顔だ。その正面に、勲章を授与される軍人たちのための赤い絨毯が敷かれていた。そこを取り囲むように、侯爵以上の貴族や軍の将官が座っている。
伯爵以下の貴族や下士官たちは、さらに後ろに雑然と立っていた。私はその中で、早く帰りたいと心から願っていた。
周りを見ると、自分の他にも美しく着飾った年頃の娘が何人かいる。彼女たちも皇帝陛下の花嫁候補なのだろうか。
「海軍上級大将、レオンハルト・ヴェルナー。前へ」
皇帝陛下の近くに控えていた父上に名前を呼ばれ、ひとりの男性が群衆の前に出る。その姿が網膜に映った瞬間、私は息を呑んだ。
金色のボタンや刺繍、肩当てがついた長い紺色の軍服が翻る。髪は黒く、襟足はスッキリと短く切られていた。日焼けしすぎていない健康的な肌に、アンバーの瞳がきらめいている。
すらりと伸びた四肢。そして端正すぎるその顔は、軍人らしくなかった。まるで生きた彫刻だ。
一年のほとんどを海の上で過ごしている海軍の人間とは、接する機会がほとんどなかったけど、こういう綺麗な人もいるのか。いつも見ている陸軍将官たちはことごとく筋骨隆々だったから、余計にそう思うのかな。
彼の姿に圧倒されたのは私だけではないらしく、あちこちで感嘆の吐息が漏れる音が聞こえた。それは主に、女性のもののようだった。
こんな容姿端麗な軍人、初めて見た。彼の動作はそれ自体が音楽を奏でているかのように優美で、目が離せない。
皇帝陛下の前に彼が跪くと、顔が見えなくなった。今度は女性たちから嘆息が聞こえる。皇帝陛下が先の戦争での彼の功績を称え、勲章と、元帥の称号を与えた。
座っているだけの皇帝陛下の代わりに勲章を運ぶ下士官から、恭しくそれを受け取ると、ヴェルナー元帥は優雅に退場していった。
ああ、今日の式典のメインがいきなり終わってしまった……。
落胆したような気持ちになり、余計に息苦しくなった。次々に呼ばれる他の軍人たちの名前も、皇帝陛下の声も、耳に入ってこない。
私も軍人の端くれ。他人の階級がどうでもいいわけじゃないけど、あの卓越した美貌の元帥に比べると、どの人物も見劣りしてしまう。
退屈な式典が滞りなく終わると、続いて隣の広間で戦勝祝いのパーティーに移行する。皇帝陛下はその場からはいなくなった。
皇帝ともあろう人物が、下々の者と一緒に食事をすることは、帝国が始まって以来一度もない。今回も例外ではないということか。
「私はいったいなんのために来たんでしょう。もう帰ってもいいでしょうか」
会場の隅で、父上にこっそり話しかける。
「皇帝陛下はお姿こそここにないが、どこからか私たちを見守ってくださっている。もう少しいてくれないか」
なんだそれ。ひそかにこの会場をのぞき見るからくりがあるのか、誰かが皇帝の代わりに花嫁候補を観察しているのか? どっちにしても気持ち悪い。
もちろん、皇帝陛下の悪口を公の場で言うわけにはいかず、落胆して父上から離れた。料理や飲み物が置かれたいくつかの丸テーブルを囲み、貴族や軍人が談笑している。私は自分の上官に見つからないように、父上がいる方とは反対側の隅っこに、こそこそと移動した。
きついコルセットをつけた体では、胃まで圧迫されて食欲も湧かない。手持ち無沙汰だったので、白ワインのグラスだけを持って壁にもたれかかっていると、すぐ近くにいた貴族らしき男女が目に入った。
豪華なドレスを着た女性が、恥ずかしげにうつむいている。ただうつむいているだけではないような不自然さを感じ、扇でこちらの顔を隠しながら、隙間から詳しく様子をうかがう。
若い女性は眉間に深いシワを寄せていた。まるで声を殺すように、厚い唇を噛みしめている。やっぱり変だ。
男性の方に視線をやると、彼はなぜか楽しそうに、優越感に満ちた顔をしている。その手元を見て、ギョッとした。彼は壁際に寄って、誰にも見られないように女性のお尻を触っていた。
男性の手が、女性の腰からお尻にかけて、円を描くように執拗になで回している。彼女の膨らんだスカート部分が不自然に揺れていた。
それ以上は考えるより先に、体が動いていた。私は慣れない女性用の靴で男女に近づく。
「なんだ、きみは」
突然目の前に立った私を不審に思ったのか、痴漢貴族が私を見下ろす。
不審なのは、お前の方だ!
「その手を放せ!」
持っていたグラスを勢いよく彼の方に突き出す。すでにぬるくなっていた白ワインが、痴漢貴族の顔面に直撃した。
「わっぷ!」
男はたまらず、女性のスカートから手を放して顔を拭う。
「お嬢さん、今のうちにお逃げなさい」
「あ、ありがとう。あなたは……」
「いいから、急いで」
涙目になっていた女性は、私が指示した通りに、控えていた侍従と共に逃げるように走り去っていく。その姿を最後まで見送る余裕はなかった。
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