最愛婚―私、すてきな旦那さまに出会いました

西ナナヲ

幸せになります (2)

 ぽかんと見上げる私に、明るい声が降ってくる。

「上げ膳据え膳が当然のお嬢さまなのかな。やっぱり嫁には不足か」

「……行きます」

「根性だけは合格と」

 失礼な人。

 この場を去ることもできたのにそうしなかったのは、このあけすけな人に興味が出てきたのもあるし、その失礼さを補って余りある魅力を持っているように見えたからでもある。

 白状すれば、ただの怖いもの見たさと言える。

 私はバッグとコートを持って立ち上がった。


「なに食おうね」

「私、このへんまったくわからないんです」

「あ、そうなんだ? 俺、職場が近いから少しわかるよ。騒がしくないところだと、焼き肉、韓国料理、和食……イタリアンもある。どれがいい?」

 テレビ局やイベントホールなどがある街を歩きながら、うーんと考えた。

 食べたい度合いで言ったらどれも同じくらいだ。けれど今日は白いブラウスなのだ。汚してしまいそうなものは避けたい……。

「和食がいいです」

「了解」

 高塚さんはにこっと笑い、路地を入った。

「あの、高塚さんは」

「久人でいいよ」

「久人さんは、お仕事はなにを? 経営コンサルタントをされているんですか?」

「コンサルもしてるし、自分で経営もしてる」

「身上書はシンプルでしたよね、一社しか書かれていなくて」

「いろいろやってるから、ああいうところに全部書くのめんどくさくて。資格とか細かく列挙されてると引くじゃない?」

「わからないでもないです」

 一度、まったく脈絡のない資格を山のように取得している方がいて、なにに使うのかな、と首をひねったことがある。

 十分ほど歩いたところで目的地に着いた。そこにお店があると知らなければ見落としてしまいそうな、控えめな店構え。看板はなく、白いあんどんだけが戸口の前に置いてあり、白木の引き戸の前には踏み石がひとつ埋まっている。

 ちょうど店主らしきおじさまが、あいぞめののれんを手に引き戸から出てきた。久人さんに気づくと、うれしそうに顔をほころばせる。

「これは久人さま、ようこそいらっしゃいました」

「カウンター、あいてる?」

「もちろんですとも」

 うなずき、のれんをかけずに店内に戻ろうとする。それを久人さんが手で制した。

「気にせず開けておいて。気楽な相手だし」

 店主さんは頭を下げ、「恐れ入ります」とのれんを入り口に掲出した。

 お店の中は歴史を感じさせつつ清潔な造りで、カウンターとテーブル席の奥に、小ぢんまりとしたお座敷もある。私たちはカウンターの中央に案内された。

「アレルギーとか、食べられないものは?」

「ありません。久人さんは?」

「嫌いなものはいくつかあるよ。わざわざ言わないから、おいおい覚えて」

 そのそんさにあきれたのがばれたのか、彼がこちらをちらっと見る。

「それは、品定めの目つき?」

「そのお言葉、そっくりお返しします」

「けっこう気が強いんだ」

「無礼な方には、それなりの振る舞いをさせていただくだけです」

 くくっと喉で笑う。完全に人をバカにしている。

 私の五年上で、三十歳だったはず。三十代の男の人って、もっとかんようで、ふところが深いものなんじゃないの? こんな子供っぽくていいの?

「そっちのつりがきもスカスカだったじゃない、売り込む気がないの見えてたよ」

「私は実際、書くことがなかったので」

「御園のお嬢さまでしょ? 華道なり茶道なり、免状くらい持ってるだろうに」

「好きでやっていたわけじゃないので」

「じゃあ好きでやってたことってなに」

「…………」

 なんだろう。

 時代とともにかつてのえいは手放したとはいえ、御園家は名士録に親族のほとんどが載るような家系で、両親の亡きあとも私は祖父母のもとでそれなりの教育を受けた。

 久人さんの言うとおり、世間一般では〝お嬢さま〟に分類されると思う。

 私は自分の過去を振り返った。

 中学高校と新体操部だった。楽しかった。幼い頃から習っていたバレエも活かせたし、仲間もできた。けれど、部活に入ることが強制だったから選んだまでで、好きでやったかと言われると違う。

 大学時代はいろいろなボランティアをした。けれどそれが必要と思ったからしたわけであって、好きでやったという響きはなにか違う。

 ピアノもバイオリンも長く習っていたし、ある程度のレベルまで上達できた。けれど物心つく前から習っていただけなので、好きでやったかと言われると……。

 答えに詰まった私の前に、前菜の小鉢が置かれる。

 白和え、なます、黄味漬。

「わあ、きれい……」

「仕事は?」

「メーカーの開発機関で、秘書兼庶務のようなことをさせてもらっています」

「辞めてって言ったら辞められる?」

 これにはむっとした。

 口利きしてやるという親族を退け、就職活動をして自力で獲得した職だ。

「辞めたいと思ったら辞めるでしょう。ですが辞めてと言われて辞めたくなるかはお約束できません」

 なにがおかしいのか、またくすくす笑っている。失礼な人、ほんと失礼な人。

「久人さんは、なにがお好きですか」

「今は仕事。学生時代はモトクロスにハマってた」

「モトクロス……」

「ダートコースを、バイクで走るレース」

「じゃあ今も、お休みの日はバイクに乗ったり?」

「休みなんてないなあ。とりあえず時間があれば仕事してるよ」

「……休んでくださいと言ったら、休んでくださいます?」

 頬杖をついた顔が、ぱっとこちらを見た。軽い驚きに見開かれていた目が、やがて楽しげに笑う。

「ね、結婚しようよ、俺たち」

「は……」

「うまくいくかなんてわからないけどさ、どんな相手だろうが、そんなのわからないじゃない?」

 無責任な言葉。だけど私の心には、不思議とすとんと収まって、とても現実的なものに感じられた。

 私もそう思います。

 会ったばかりだろうが十年のつきあいだろうが、結婚してうまくいくかなんて、誰にもわからない。言い換えれば、すべては本人たち次第。

「あ、もっとあれこれ試してから決めたい? それでもいいけど」

 片手で頭を支えるようにして、顔を寄せてくる。少し考え、意味を察した私は、不本意ながら赤くなった。

「そんなこと、考えてません」

「さっきも言ったけど、この結婚は急ぎたいんだ。気の済むまで試してくれていいけど、あまり時間をかけすぎないでね。でも試したところで、意味はないと思う。満足するに決まってるから」

 すごい自信……。

「ご自身が私に不満を持つかもしれないとは、考えないんですか?」

「女の子は、される側だからなあ。感度がいまいちなら開発するまでだし、乱れるタイプならそれはそれで楽しめるし。まあそんな感じには見えないけど」

「なんのお話ですか」

「夫婦の相性の話だよ。自分で聞いたんでしょ」

「もっとほうかつ的な、暮らしの部分についてお聞きしたんです!」

 真っ赤になった私を「あ、そうなんだ?」としらばっくれてからかう。

 もう、なんなのこの人。無礼で勝手で人が悪くて、なのにどうしてか憎めない。この腹立たしいほどの正直さは、いっそ清々しくて、なぜか不快じゃない。

「どう、結婚してくれる?」

 久人さんが右手を差し出した。

 私はちょっと考え、同じように右手を出した。彼がその手を取る。私たちはカウンターテーブルの上で握手をした。

「よろしく。楽しく過ごそうね」

「はい、よろしくお願いします」

 にこっと笑った彼が、私の手の甲に軽いキスをする。触れるか触れないかの、気持ちのいいあいさつのキス。

「俺、けっこう幸せにすると思うよ」

「私も、幸せになると思います」

「してもらわなくてけっこうですって意味?」

「与え甲斐がありますよって意味です」

 お互い、探るように相手の目をのぞき込んで、噴き出してしまった。

 今度こそ久人さんは、私の手にはっきりと唇を押しつけ、礼儀作法を超えたキスをくれた。いたずらっぽい視線が、私が嫌がっていないことを確認してくる。

 ちっとも嫌じゃない。

 笑い返すと、向こうも笑顔になった。

 うん、決めた。

 私はこの人と結婚する。

 そして幸せになる。

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