偽りの婚約者に溺愛されています

鳴瀬菜々子

気持ちが混乱しています (1)


気持ちが混乱しています


「夢子。お見合いをしなさい」

 夕飯が終わってくつろいでいると突然、父にそう言われ、私は思わずお茶を吹き出しそうになった。

 それを無理やり堪えてき込みながら、父のほうを見る。

「うっ。……ごほっ! な! なにを言うのよ、急に。びっくりするでしょ」

 驚く私を真剣な顔つきで見ながら、父はさらに言った。

「わかっているとは思うが、お前と結婚する男は会社の次期後継者となる。誰でもいいわけじゃないんだ。最近のお前の様子を見ていたが、恋人がいるわけではなさそうだ。ならば今のうちに、初めからふさわしい相手と付き合ったほうがいいと思ってな」

「そんな。無理よ。お見合いなんて嫌。好きな人くらい自分で見つけるわ」

 強がって抵抗する。

 確かにこのままでいたら、恋人になるような人にはなかなか出会えないだろう。だけど、親が決めた相手だなんて絶対に嫌だ。

「自分で見つける前になんとかしないといけないんだよ。お前の結婚相手には、もれなく会社がついてくるからな。お前ひとりの問題ではないんだ」

「でも私にだって夢はあるの。結婚するなら恋愛結婚がいいと思っているのよ」

 父の言うことはもっともだ。恋人もいないし、会社のこともあるのだから、私が夢見るような簡単な話ではない。

「お前の気持ちもわかるが、年齢もあるしな。最近だと二十六歳ならばまだ結婚は早いと思われるかもしれないが、お前と結婚する後継者には早々に経営学を学んでもらう必要がある。簡単なものではないから、一から学ぶには時間がかかるんだよ」

「そうだけど、お見合いだなんて……」

 ダメだ。正論すぎて言い返せない。だとしたら、父が言う通りにお見合いをしなければならないのか。

「実は、『グローバルスノー』の社長の息子さんとの縁談が来てな」

「え? グローバルスノー?」

 有名なスポーツ用品メーカーだ。私が学生時代にバスケ用品を買うときは、いつもグローバルスノーブランドだったのでみがある。

「彼は次男だ。だからうちを継いでも問題ない。もう自社で経営学を勉強し始めているそうだ。年齢もお前と同じだし、付き合いやすいと思うぞ。とても社交的な男性だと聞いている」

 父の用意周到ぶりに絶句する。条件に合う男性を、もう見つけただなんて。

「一度会ってみなさい。彼ならば問題ない。家柄も学歴も条件も申し分なしだ」

 どうしたらいいのか、必死で考える。

 もうあとがない。このまま黙ってお見合いをするのが正しいのだと思えてならない。

 でも松雪さんの顔が、頭の中を大きく占めていく。完全なる片想いで実るはずもない恋だ。だけど今はまだ、静かに彼を想っていたい。そんな欲求に駆られる。

 最後の悪あがきなのかもしれない。たとえこのまま引き延ばしても、彼と結ばれることなどないことはわかっている。私はたくさんいる部下の中のひとりでしかない。

「好きな人が……いるの」

 思わず口にしてしまう。不毛な片想いでは、認めてもらえるはずなどないのに。

「ほう? そんな人がいるのか。初耳だな。社内の人間か?」

 父は意外にも威圧的な態度ではなく、興味深そうな顔をした。初耳の娘の恋愛話を聞きたいだけかもしれないけれど。

「そう。だから、もう少し待ってほしいの。気持ちの整理をしないと、とてもそんな気にはなれないわ。中途半端じゃお見合いの相手の方に失礼でしょ」

「そうか。そんな人がいるのなら、その彼の言い分も聞かないといけないな。急にお前が見合いをすると言えば驚くだろう。彼の気持ちが本気かどうか確かめないと」

「ちが……。そうではなくて」

 父は私に恋人がいると勘違いしたみたいだ。訂正しなければと思ったが、父はそれを遮るように話を続ける。

「一度父さんと彼を会わせてくれないか。誰かは聞かないで楽しみにしていたほうがいいな。社内で会うとお互いに意識するだろうから」

 恋人ではないと知られたら、見合いを進められてしまうに違いないと考えた私は、もうなにも言えなかった。

 父は松雪さんのことをもちろん知っている。他社から引き抜いてきた張本人なのだから。

「だが、相手次第では交際は認められないかもしれないぞ。もしも彼がいい加減な気持ちでいるのなら、もちろん見合いのほうを進める。夢子を本気で好きなら、会社の事情を理解してもらわないといけないしな」

「わ、わかったわ」

 とりあえずは縁談が保留になったことに、ほっとする。だがこの先どうしたらいいのか考えがあるわけではない。

 恋人などいないと正直に打ち明けて謝れば、今ならまだ父は許してくれると思う。だけどそれも勇気がない。

 お見合い相手と一度会ってしまったら、おそらく簡単に断ることなどできないはずだ。だいたい私には断る理由もないし、政略的な兼ね合いもあるのかもしれない。

 お見合い相手は、私が女性に好かれるような女だと知っているのか。社内の男性と同じように、私を男オンナだと思うだろうか。私を見てがっかりするかもしれない。たとえどう感じようが、会ってしまったらそんな私と結婚しなくてはならないなんて、お見合い相手の男性が気の毒な気もする。そんなことまで考えた。

「お前にとっては急な話でいろいろ混乱するとは思うが、そろそろ決めていかなくてはならないことだ。よく考えて決めなさい。父さんはお前を不幸にしたいわけじゃないんだ。お前の恋人が後継者にふさわしければ、もちろん賛成するさ。そうなれば見合いは白紙に戻すよ」

「うん。わかったわ。ありがとう」

 父の気持ちはわかる。私が周囲にどう思われているかを知った上での親心だということも。まさか私に恋人がいるとは、父は思ってはいなかったはずだ。実際はいないけれど。

 だけどどうしても、今回の縁談に素直に応じきれない私がいる。

 松雪さんを好きでなければ、なんの問題もなかったのかもしれない。おそらく、お見合いをすることを逆に喜んだだろう。だがもうすでに彼に出会ってしまったから。

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