偽りの婚約者に溺愛されています

鳴瀬菜々子

いきなりですが、婚約成立です / 本当はあなたが好きです (1)




いきなりですが、婚約成立です


本当はあなたが好きです


ささおかさん。これ……よかったら食べてください。お礼は、食事に付き合ってくれたらいいな、なんて」

 れいにラッピングされた箱を差し出して、彼女は言った。中身はクッキーかケーキといったところか。

 赤く染まった頬を見て、明らかにそういう意味で好意を持たれていると確信した。

「いや、困るんだけど。だって……」

 やんわりと断ろうとすると、その目がうるうると潤み始めた。

「受け取ってくれないんですか。もしかして、私と食事に行くのが嫌だからですか」

「そうじゃなくて、だから……」

 どう答えたらいいものか。

 食事に行って、それからふたりでどう過ごしたいのか。彼女の意図が読めない。

「いいじゃないですか……女同士でも。私は笹岡さんが好きですから! 愛に性別なんて関係ないですよ」

 彼女の手から箱がドサッと落ちた。その瞬間、私は彼女に抱きつかれていた。

「う……! さわさん、ちょっと」

 彼女を押しのけようとしたが、すごい力でしがみつかれて動けない。

「本気なんです! 私とのこと、真剣に考えてください。お願いですから」

「こ、困ったな。どうしたら……」

 辺りを見回す。偶然誰か通ってくれたらいいのに。この状況をどうにかしてほしい。

 そう思ったが、いつもは混み合う昼休みの自販機コーナーに、今日に限って人影はない。

「さ、沢井さん。落ち着いて。できれば離してくれるとありがたいんだけど。もしも誰かに見られたら……」

 私が言うと、彼女は私を抱く腕の力を緩めた。その隙に、サッと彼女から距離を置く。困惑する私を見ながら彼女の表情が曇る。

「やっぱり……迷惑なんですね。こんなに好きなのに」

 そんな私を見上げるその目からは、とうとう涙がこぼれ落ちた。

「迷惑というか、やっぱり、同性同士はちょっとまずいかなぁなんて……。そう思わない?」

 警戒して、さらに後ずさりをしながら言う。

「わかりました。笹岡さんのことは諦めます。でも笹岡さんは、性別なんて気にしないで真剣に考えてくれると思っていたのに。だったら初めから、私に優しく笑いかけたりしないでください!」

「えっ。そんなこと――」

「なにも言わないで!」

 彼女は私の話を聞かずにそう言うと、くるっと私に背を向け、そのまま走り去っていく。嵐のようなひとときだった。身体中から力が抜けていくような感覚になる。

 その後ろ姿を見ながら、ひとり残されてぼうぜんとする。足を動かすとなにかにこつっと当たり、見下ろすと先ほどの箱が落ちていた。それをそっと拾い上げて見つめた。ピンクのリボンが丁寧に結ばれている。

 彼女はいったい、どんな気持ちでこれを用意したのか。私と出かける様子を想像したりしたのだろうか。少し気の毒に思う。

 だけど……。

「……気にするでしょ、普通は。どうして本気で好きとか思えるの。私は女なのよ?」

 独りごとをつぶやき、ため息をつく。

 女性に告白されたのは、実はこれが初めてではない。だからあまり驚きはしなかったけれど。

「優しく笑いかけた……? 普通に仕事のやり取りをしただけなんだけどなぁ。いつ誤解されたんだろう」

 若い人は情熱的だ。彼女は二十六歳の私よりも三つ年下で、二十三歳。ようやく仕事に慣れて、恋をする余裕ができたのだろうか。積極的で自信がある。

 彼女のように、自分の想いを素直に打ち明ける行為は勢いがあっていいな、と他人事のように考える。

 私だってまだ若いけれど、そんな勇気も自信もないから、彼女を羨ましくさえ思う。

「く……っ。くくくっ。でかい声の独りごとだな」

 そのとき、自販機の陰から聞こえてきた声に振り返った。

まつゆきさん」

 そこに姿を現したのは、お腹を抱えて笑いを押し殺す、直属の上司だった。

「ずっとそこにいたんですか。ひどい。助けてくれたらよかったのに。本気で焦ったんですよ」

 彼はなにも悪くはないのに、思わず不満をらす。黙って見ているなんて悪趣味だと感じたからだ。本当に困っていたのに。

「ぶっ。あははは。いやー、面白かった。いいものを見たな」

 楽しそうに笑いながら彼は私を見た。にらむように彼を見つめ返す。

「君が女性にモテるってうわさには聞いていたけど、本当に告白する子がいるんだな。驚いたよ。羨ましい」

「私は全然うれしくありません。沢井さんを傷つけたのは悪いと思いますけど、好きになる相手を彼女は間違えていますよ。私はこれでも一応、女ですから」

 私がむくれて言うと、彼は笑うのをやめた。

「そうだな。どこからどう見ても君は女だ。それに背が高くてスタイルもいい。なにより綺麗だしね」

「やっ。な、なにを言っているんですか」

 急に言われ、焦って松雪さんを見上げる。百七十センチ近くある私のことを見下ろす彼は、かなりの長身だ。

「すぐに照れるところもわいいよ」

「またそうやってからかうんですから。やめてください。本気にしますよ? 私に好かれたら困るでしょ」

 私がこう言えば、さすがに彼も引くだろう。そう思ったのに彼は余裕顔だ。

「お? 本気にしてくれるの。君に好かれても俺は全然困らない。嬉しいよ」

「なっ……!」

 ダメだ。なにを言っても通じない。そもそも松雪さん相手に、私が勝てるはずなどないのだけれど。

 仕事で意見が食い違っても、私の意見が通ったことなどない。いつも納得せざるを得ない完璧な説明をされるので、反論できなくなってしまうからだ。

 真に受けちゃいけない。彼が女性を褒めるのは、おそらく挨拶みたいなものなのだ。

 社内のあらゆる女性と噂になったことがある彼は、かなりの遊び人だと言われている。実際モテるし素敵だから、むしろ女性のほうが放ってはおかないだろう。

 高学歴に高身長。仕事はデキるし、モデル並みの甘いマスクと抜群のスタイル。街角で出会っても、一般のサラリーマンだとは誰も思わないだろう。そんな彼に、女性社員たちが憧れないはずはない。

「からかってなんかないのに。笹岡は素直じゃないな。確かに、男が女を褒めるのには下心があるけどね。もちろん俺もそうだよ。君は魅力的だと思うけど」

「下心だなんて、私に抱く男性はいませんよ。松雪さんも例外ではありません。私が魅力的だと本当は思っていないでしょう?」

「面白くないな。少しは照れたりしてほしいのに。まだ口説き足りないみたいだな。君の仮面をはがしたいんだが。はははっ」

 やっぱりからかっていただけだ。おそらくそうだとは思っていたけど、心のどこかでがっかりする自分がいる。

「あ、松雪さん。そろそろ移動しないと」

 時計を見て、もうすぐ午後の就業時間になることに気づいた。松雪さんと並んで歩きだす。

「新商品のサンプルですが、午前中のうちに会議室に運んでおきましたよ。廊下に積んであったので、通行の邪魔になりますからね」

「ええ? まさかひとりであれを全部? ……というか、もう仕事の話かよ。せっかく頑張って口説いたのに、余韻もなにもないんだな」

 顔をしかめた彼に、得意げに言う。

「仕事以外になにを話すんですか。私にとっては段ボール箱の十個や二十個、なんてことないですよ。力には自信がありますから」

「まったく。そんなのは男の仕事だろ。君は女性なんだから誰かに言えばいいのに」

「私が頼んで、おいそれと引き受けてくれる男性なんていません。いいんですよ。実際、私がやったほうが早いんですから」

「俺がいるだろ。今度からは俺に言えよ」

 社内で唯一、私を女性として扱ってくれる松雪さんは、かなり希少な人だと思う。こんな男性は初めてだ。

 学生時代、女子校でバスケひと筋だった私は、痩せてはいるが実際はかなりの筋肉質だ。今はスーツでそれを隠しているが、力はその辺の男性よりも強い自信がある。

「偽りの婚約者に溺愛されています」を読んでいる人はこの作品も読んでいます