クールな王太子の新妻への溺愛誓約

紅カオル

華麗なる氷の王太子 (3)

 決定的な決別の言葉に思えた。結婚はするが、愛さない。これほど寂しいことがあるだろうか。

 王族の結婚は国同士のつながりを強固にするためのものであり、なによりもそれぞれの発展に重きを置かれ、当人同士の気持ちが二の次になることは決して珍しいことではない。だがしかし、マリアンヌは会う前からレオンとの結婚を楽しみにし、フィアーコへやってきたのだ。

 レオンのひと言は、そのマリアンヌの淡い期待を打ち砕くものだった。

 途方もない寂しさに包まれるマリアンヌ。しかし、持ち前の明るさでなんとか持ちこたえる。

(きっと、ちょっと人見知りをされているだけ。何度となくお話ししていけば、レオン様も打ち解けてくださるはずだわ)

 マリアンヌは自身が明るく接していけばどうにかなると楽観的に考えることで、この窮地をなんとか脱しようとしていた。


 フィアーコの宮殿は大きく東西に分かれ、東の館は王族の居住区、西の館は大臣や侍従たちの部屋、そして公務を行う政務室が設けられている。

 晩餐会を抜け出してきたレオンは、東館にある自室に戻っていた。

 深紅を基調としたベッドには金銀の糸を使った豪華な錦織の装飾が施され、アルコーブと部屋との間には金箔の塗られた欄干が設けられている。背の高さ以上の大きな置時計は、有名な職人によって細工がなされた世界にひとつだけのものだ。

「殿下、なぜあのようなことを?」

 そう尋ねたのは、続いて部屋に入った侍従のマートだ。王宮に仕えるようになって半年になるが、二ヶ月ほど前に剣の腕前をレオンに見出され、ほかに類を見ない早さで側近となった経緯がある。癖のある栗色の髪は綿毛のようにふわふわとしており、丸い目をした親しみやすい穏やかな顔立ちだ。

「立ち聞きとは悪趣味だな」

「いえ、自分はそのようなことは決して!」

 レオンにいさめられ、マートが背筋をピンと伸ばす。

 レオンとマリアンヌから距離を置いていたものの、静かな通路とあっては囁き声さえ反響してしまうのだから、聞こえても無理はない。耳を澄ませて懸命に聞こうとしていたわけではないのだ。

 すぐに「冗談だ」とレオンに言われ、マートはふぅと長く息を吐く。

「しかしなぜですか? マリアンヌ様のようなお美しい方を私は見たことがございません。それを愛さないなど……」

 そこまで言ってしまってからマートはレオンの冷ややかな視線に気づき、ハッと口元を押さえる。

「出すぎたことを申しました」

 そう言ってうなだれたマートを横目で見てから、レオンは窓へと歩み寄った。ホールの方からは、まだ賑やかな音楽が聞こえてくる。主役がひとり足りない晩餐会は、まだ続いていた。

 レオンはふと、マリアンヌのことを思い出す。

 翡翠色の瞳と同色のドレスを着た彼女の美しさに見入ったのは確かだ。マートの言うように、あれほど可憐な輝きを放つ女性はそうそういないだろう。鉱山を抜きにしても、列国がこぞって迎え入れたいと望んでいたのも今となってはうなずける。

 謁見の間で初めて会った彼女に目を奪われたのも事実。だがそれは、マリアンヌにどことなくクレアの面影があったせいだ。

 クレア――。それは幼い頃に許嫁いいなずけとして決められていた五つ年下の愛くるしい少女。レオンが二十歳になる年に結婚することが決まっていたが、ある事件により、彼女は若くして命を落としてしまったのだ。

 クレアもマリアンヌと同じように翡翠色の瞳をしていた。レオンを慕い、レオンもまた、まだあどけなさの残る少女であったクレアを愛しく思い、婚礼の日を待ちわびた。国王同士の決めた相手ではあったが、互いに気持ちを通わせていた。それが暗転したのは、忘れもしない七年前のこと。そのときのことを思い出し、レオンは胸に襲った痛みを押さえるように心臓に手をあてた。


 晩餐会のあと、マリアンヌはこれから住むことになる宮殿の一室へ案内されていた。

 大理石の床はがくようが描かれ、足で踏むことを躊躇ためらうほどに美しい。バラが描かれた豪華な壁紙は、ところどころに金箔が貼られているのか立つ位置を変えると異なる光が放たれる。天井は扇形をしており、大きな窓の外から広大な庭が見渡せた。てんがい付きベッドには手の込んだ刺繍の真っ白いレースが掛けられていて、並んでいる調度品はどれを見てもピエトーネより高級品に見えた。

(私、とんでもないところに嫁ぐみたいだわ)

 マリアンヌが口元に両手を当てその部屋に見入っていると、「コホン」という咳払いが背後から聞こえた。ピエトーネから同行してきたマリアンヌの侍女ベティだ。

 歳はマリアンヌよりも二十歳上の三十九歳。当初はピエトーネの王妃ヴァネッサ付きの侍女であったが、マリアンヌが生まれると同時に彼女の侍女として仕えている。

 栗色の髪をいつも後ろで緩く束ね、大きな目が印象的な顔立ちだ。今でも面影を残しているが、若い頃は相当美しかったことがうかがえる。品行方正でヴァネッサの信頼も厚い。

 ただマリアンヌにしてみると、もう少しくだけてもいいのにと思わなくもない。とにかくまじめなのだ。そして、ときに手厳しくもある。

「マリアンヌ様、あまり呆けて見ていてはだらしなくございます。大国フィアーコの王太子妃となられるのですから、もう少しお口元を引き締めたほうがよろしいかと存じます」

 ベティは姿勢を正し、胃の辺りで両手を美しく重ねてマリアンヌを諌めた。

「はい」

 マリアンヌは顎を引いて唇をキュッと閉じる。

 ピエトーネからただひとり侍女としてここにいてくれることになったベティだけが、今のところは頼みの綱。マリアンヌは、ひとまずは忠告を素直に聞き入れなければと思った。

「では早速でございますが、このお部屋のご案内をさせていただきたいと思います」

「え? ベティはもう把握しているの?」

 マリアンヌが目を見開いて尋ねる。フィアーコに到着してから数時間しか経っていない。

「もちろんでございます。マリアンヌ様が陛下と謁見しているときに、ざっとではございますが、ここの侍女たちから説明をしていただきました」

「さすがはベティ! 仕事が早いのね」

 マリアンヌが感心すると、ベティは胸を張り誇らしそうに微笑んだ。ベティは褒め言葉に弱い。

「さぁ、こちらでございますよ」

 ベティが右手を前に向けながら、マリアンヌを案内する。

 部屋には三つの扉があった。そのうちのひとつの前に立ち、ベティがドアを開ける。すると中には、色とりどりのドレスが所狭しと掛けられていた。左端の棚には、靴が入った箱や帽子などが整理されている。衣裳部屋のようだ。

 マリアンヌが思わず「まぁ!」と黄色い声を上げる。

 どれも新たにあつらえたようで、キラキラと輝いてさえ見える。マリアンヌが今着ているものも、この日のためにピエトーネで一、二を争う裁縫の技術者が作ったものだが、それにも勝るとも劣らないドレスが掛けられている。色といい模様といい、どれをとっても素晴らしい。

「とても綺麗だわ!」

 両手を胸の前に組み、マリアンヌの表情がパッと花開いたように明るくなった。

「すべてマリアンヌ様のためにお作りしたものだそうです」

 ベティが得意そうに言う。

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