オオカミ御曹司に捕獲されました

滝井みらん

同級生で、同期で、御曹司の彼 (3)

 杉本君は私から手を離すと、ニッコリ微笑んでスーツのジャケットを脱ぎ、私の肩にかけた。

 この笑顔が怖い。やっぱり私、見ちゃいけないものを見ちゃった?

 どうなるの~? 会社、クビになる? それとも、社会的に抹殺される?

 ブルブルと震えながらおびえていたら、杉本君が身を屈めて私が落として水浸しにしてしまった漫画本を拾い上げた。

「本も濡れちゃったね。カバーしてあるけど、中は大丈夫かな? 五十嵐さんは、どんな小説を読んでるの?」

「あっ……待って!」

 私の制止を無視して、杉本君がパラパラと本をめくる。

「これは……ずいぶんと可愛い本を読んでるね」

 杉本君が、私の目を見て含み笑いをする。

 うわあ、最悪だ。

 私はその笑顔を見て、顔面蒼白になった。

 きっと、『二十六にもなって学園ものの少女漫画を読んで』ってバカにしているに違いない。よりによって、この人に知られるなんて……。

「返して!」

 杉本君から漫画本を奪おうと手を伸ばすと、彼は本をひょいと上げてかわした。

「これも濡れちゃったから弁償するよ。それにしても、五十嵐さんってこういうのが好きなんだね」

 杉本君は、女の子が聞いたらうっとりするような優しい声で言うが、その目は面白そうに笑っている。人の弱みを握って悦に浸るような……そんな感じの目だ。

 この人、私をからかって楽しんでるでしょう?

「悪い? 誰にも迷惑かけてないじゃない!」

 思わずカッとなって言い返すが、ハッと我に返って慌てて口を押さえた。

 ああ……どうしよう。あの杉本君に何言ってるの、私。

 言ってしまった言葉は、もう取り消せない。

 私のバカ。彼に逆らったら、どうなるかわからないのに……。

「からかうつもりはなかったんだ。ごめんね」

 クスッと笑いながら謝られたが、どこか不気味な感じがしてならない。一刻も早くこの場から去りたい。

「ごめんなさい。ごめんなさい。許して」

 何度も何度もペコペコと頭を下げて杉本君から離れようとするが、彼に再び腕をガシッとつかまれてしまった。

「なんで五十嵐さんが謝るの? 俺たち、かなり注目浴びちゃったし、出ようか」

 自席の伝票ホルダーをサッとつかむと、彼は私の席の伝票も手にしてスタスタとレジに向かう。

 そんな彼に連行されるように、ぼうぜんとついていく私。

「すみません。お会計お願いします」

 彼が私から手を離し、内ポケットから長財布を取り出すのを見て我に返った私は、慌ててバッグをあさって小銭を出した。

「す、杉本君、これ私の分」

「たいした金額じゃないし、いいよ」

 杉本君は優しい顔で首を横に振るが、彼の手に無理やり小銭を押しつけた。

 借りなんて作りたくないし、自分の分はちゃんと払わないとスッキリしない。

「そんなのいいのに」

 杉本君が小銭を返そうとするが、私はきっぱり断った。

「でも、自分が飲んだ分だから」

「そう? わかったよ」

 目を細めて笑みを浮かべ、杉本君は小銭をズボンのポケットにしまった。返しても私が受け取らないと、態度でわかったのだろう。

 会計を済ませ、彼がドアを開けて私を先に通し、店をあとにする。

 外は日が落ちて暗くなっていた。

 チラリと腕時計に目をやれば、午後七時を過ぎている。

「ちょっと電話をかけるから待ってて」

 杉本君はスマホを取り出し、どこかに電話をかけた。

 このすきに逃げられないだろうか?

 後ずさりしてこっそりこの場を去ろうとするが、彼の手がすかさず伸びてきて腕をつかまれる。

 ええ~、なんでバレる? 後頭部にも目があるんですか?

 私が驚きで目を丸くしたら、杉本君はフッと微笑した。

 その笑顔がダークで怖いんですけど……。

 怯える私を面白そうに眺めながら、彼は電話の相手と話をする。

「杉本だけど、今日の同期会、急用ができたから欠席する。悪い」

 手短かに電話を切ったと思ったら、彼はまたどこかに連絡した。

「俺だけど。おりの使ってるブティックを教えてくれる? ん? ああ、理由はあとで話すよ。うん、あおやまのあそこね。ありがと」

 優しく目を細め、杉本君が電話を切る。

 かなり親しげに話してたけど、『詩織』って誰だろう?

 ジーッと顔を見ていたら、目が合い、彼はニッコリと微笑んだ。

「今話してたの、俺の二歳下の妹なんだ」

 なぜ私の考えることがわかるのだろう? 杉本君ってエスパー?

 妹さんにお店を聞くって、相当仲がいいんだろうな。

「五十嵐さんは、同期会はいいの?」

 柔らかな笑顔で聞いてくる彼の質問を、笑ってごまかす。

「ハハハ。ああいう集まりは苦手で」

 漫画を読むために欠席したなんて、とても言えない。でも、本を見られたからバレバレだろうな。

「そういえば、今までの同期会でほとんど見かけなかったね。じゃあ、行こうか」

「行くってどこへ?」

 杉本君の目を見て、問いかけるように首をかしげた。

「まずは、その服をなんとかしないとね」

 杉本君は、私の服にチラリと目を向ける。

「いや、ほんとに気持ちだけでいいから。私の服なんて安物だし、すぐに乾くだろうから気にしないで。タクシーで帰るからいいよ」

 丁重にお断りしたが、杉本君は納得しなかった。

「五十嵐さんって謙虚だね。でも、俺が気になるから」

 杉本君は通りに出てタクシーを捕まえると、私を先に乗せてから自分も乗り込んだ。

 あなたが気になっているのは、私に本性をバラされるんじゃないか、ってことじゃないの? そう考えると悪寒がするんですけど。

「ねえ、杉本君、今日のことは誰にも言わないよ」

「俺も五十嵐さんがあんな乙女チックな漫画を読んでたなんて、誰にも言わないよ。それにメガネを取ると、こんなに可愛い顔してたなんてね」

 杉本君のひんやりした手が、私のほおに触れる。

 ひえ~! お願い~。早く家に帰らせて~。

「か、可愛くなんかないよ」

 私はおどおどしながら否定すると、彼と距離を取り、車のドアにへばりついた。

「ねえ、なんでそんな隅っこに行ってるの?」

 不思議な顔をして、杉本君が問いかける。

「ち、ちょっと寒気がして」

 歯をカチカチ鳴らしそうになりながら答えれば、「ああ」と杉本君は納得したようにうなずいた。

「氷水かけられたら、それは寒いよね」

 私を気遣うようにそう言ったかと思うと、杉本君は突然私をジャケットごとギュッと抱きしめてきた。

 ギャー! 何をするー!

 一瞬にして石化する私。

 かすかに香る甘いムスクの香り。この匂いには、何か人を硬直させる魔力でもあるのだろうか。

 あなたはメドゥーサですか? それとも魔術師? やっぱり……怖い。

「これで、少しは温かくなるかな」

 杉本君は優しい言葉をかけるが、私の身体の震えはますますひどくなる。心臓もバクバクしてきた。

 暗に『逃がさないよ』って言われているようで、身の毛がよだつ。

「お、お、おかまいなく」

 杉本君の腕を振りほどこうとするが、彼は離してくれない。

「ダメだよ。震えているじゃないか」

 それは、杉本君が怖いからだよ……なんて、本人に言えるわけがなく……。

 これはなんのごうもんなの? ・監禁なんてされないよね? ああ、早く家に帰りたいよ~。いつになったら解放してくれるの?

 私は彼の腕の中で、恐怖のあまり震えていた。

「オオカミ御曹司に捕獲されました」を読んでいる人はこの作品も読んでいます