オオカミ御曹司に捕獲されました

滝井みらん

同級生で、同期で、御曹司の彼 (2)

 高校時代に杉本君にしつこくつきまとっていた女の子は、なぜかみんな自主退学していったし、彼に逆らった生徒は親の会社が乗っ取られて悲惨な目に遭った。

 杉本君が裏で何かしたに違いない、と私は疑っている。

 そんな彼と同じ会社の同じ部署になるなんて『運命のいたずら』とでも言うべきか。

 三十社以上の採用試験を受けて、唯一受かったのが杉本商事。わらにもすがるような思いで入社した。

 だって、うちは貧乏だから、就職浪人するわけにはいかなかったのだ。

 部署は総務を希望していたのに、私はエネルギー関連事業部の石油・天然ガス開発課に配属された。

 エネルギー関連事業部はうちの会社の主軸で、石油や資源エネルギー事業に投資し、現地の政府や企業と連携して原料の生産・調達から販売までを行う、商社マン憧れの部署。四つの課に分かれていて、私のいる石油・天然ガス開発課は九名と大企業にしては少なめだが、少数精鋭で社内トップの収益を誇っている。

 そんなエリートぞろいの部署に配属されて、最初は不安でいっぱいだったけど、英語はわりと得意だったから、仕事は意外にもうまくいっている。ただ、杉本君と同じ部署ですごく気が重いのだ。

 私の想像通りだったけど、杉本君は仕事もデキる。エースの彼は、社運をかけたロシアのソーンツァ社とのパイプラインプロジェクトの契約を成立させた。

 ロシア政府高官からき落としていったといううわさだが、人脈とか交渉術とかがないとそんな真似はできないだろう。子供の時から各界の著名人が集まるようなパーティーにも参加していたようだし、政治家や官僚として活躍している母校の帝和OBの強いコネもあって、まだ二十六歳という若さなのに政財界にも顔が利くらしい。

 そのうえ、アメリカ留学の経験もあって語学も堪能。英語以外にロシア語、ドイツ語、フランス語、中国語などを普通に話せるというのだから驚きだ。

 そして何より、杉本君の最強の武器はその王子様のような甘いルックス。彼の笑顔は、ろうにゃくなんにょすべてを魅了する。杉本君がほほむだけで、場が和やかになってどんな難しい交渉もうまくいくらしい。まさに杉本マジック。

 当然、会社の女の子が杉本君を放っておくはずがなく、彼を狙う女子社員がハイエナのように集まる。お昼休みや定時後に、受付や秘書室の美人のお姉さんにつきまとわれている杉本君を見かけるのは、日常はん。私は彼と全然親しくないのに、同じ部署というだけで彼女たちにひがまれる。

 彼と関わるのは極力避けていたのに、まさかこんな場面にまた出くわすなんて、私は呪われているのだろうか?

 佐藤さんが怒ってコップの水を杉本君にかけようとしたんだろうけど、彼は全く濡れていない。

 彼がよけたせいで私に水がかかったのだ。とんだとばっちり。

「この最低男!」

 佐藤さんは杉本君を思い切りののしると、持っていたコップをバンッと音をたてながらテーブルの上に置き、カツカツとヒールの音を鳴らしてこの場から去った。

 なんで私が水をかけられなきゃいけないのよ。漫画だって濡れちゃったし……。

 そう心の中で悪態をつきつつも、このふたりが相手では文句も言えない。返りちにされて、会社にいられなくなってしまうのが落ちだ。

 ハーッと長いため息をつくと、杉本君がそれに反応して私のほうを振り返った。

 彼とバチッと目が合う。

 げげっ、ヤバい! 関わったらロクなことにならない。逃げなきゃ。

 バッグと本を持って席から素早く立ち上がるが、運悪く杉本君に私だと気づかれてしまった。

「五十嵐さん?」

 彼は私を見て少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を取りつくろった。女の子をとりこにするあの王子スマイルだ。だが、私にはその笑顔は恐怖でしかなく……。

「杉本君……こんにちは。こんなところで会うなんて……き、奇遇だね」

 なんとか普通にあいさつしようと試みるが、顔がどうしても引きつる。

 そんな私の様子をおかしいと思ったのか、杉本君は私を痛いくらい見つめてきた。

 どうしよう~!! なんか怖い。私は何も見てません、聞いてません。どうぞお気になさらず。

 そう心の中でつぶやいてこの場を去ろうとしたら、杉本君がスッと椅子から立ち上がって、突然私の腕をつかんだ。

「五十嵐さん、待って」

 え?

 思いもよらぬ彼の行動に、一瞬心臓が止まった。

 な、なんで手をつかまれるの~!?

 声にならない悲鳴をあげ、おどおどしながら杉本君を見ると、彼はズボンのポケットからブルーのハンカチを取り出した。

「ごめんね。五十嵐さん、濡れちゃったね。これ、使って」

 杉本君はすまなそうに謝り、そのハンカチを差し出す。

 だが、私は彼と関わるのが嫌で、首を横に振って断った。

「だ、大丈夫。たいしたことないから」

 杉本君の手を外して店を出ようとするが、気があせっていたせいか、彼の身体にぶつかってメガネが外れ、持っていた本と一緒に床に落としてしまった。

「ああ~、もうっ」

 小声で自分を罵り、身をかがめてメガネと本を拾おうとしたら、同じタイミングで杉本君が動いてガシャッと嫌な音がした。

 彼のピカピカに磨き上げられた高級革靴に踏まれた、私の安物メガネ。

「あっ……ごめん」

 杉本君はマズいって顔で謝ると、ゆっくりと足を上げた。

 彼の靴の下敷きになった私のメガネは、レンズが外れてフレームがグシャグシャ。

 ぜんとする私の前で杉本君が、もう使い物にならなくなったフレームとレンズを拾い上げる。

「これだと使えないな。本当にごめん、弁償するよ。替えのメガネ持ってる?」

 杉本君が優しく声をかけてくるけど、私は力なく答えた。

「……ない。でも、大丈夫」

 彼が手に持つメガネの残骸を見て、落胆しながら呟く。大丈夫ではないが、それしか今の私には言えなかった。

 今日はきっと、厄日に違いない。

「メガネなしで見えるの?」

 杉本君が、心配そうに私の顔を覗き込む。

 非の打ちどころのない美形の顔が視界にドアップで入り込んできたので、ビックリした私は「ギャッ」と叫んで思わず後ずさった。

「……家に帰るだけだから」

 うろたえながらそう言って、杉本君の手からメガネの残骸を奪い、急いで帰ろうとすると――。途端、テーブルの足につまずき、こけそうになった。

「きゃあ!」

 そのまま無様に転ぶと思ったけれど、杉本君がすかさず私の身体を支える。

「危ない! メガネがないと、よく見えないんだね。送るよ」

「い……いいえ、結構です! ひとりで帰れますから!」

 杉本君の手から逃れて帰ろうとするが、彼は私の腕をしっかりホールドしていて、離してくれない。

 え~、なんで離してくれないの!? 佐藤さんをフるところを見ちゃったから?

 私の頭はパニック状態だ。

「あの……秘書課の佐藤さんのことは誰にも言いません」

 だから、帰らせて~!

 涙目でそう訴えるが、杉本君は面白そうにクスリと笑って、私の耳元でささやいた。

「五十嵐さん、服が濡れて下着が透けて見えてる。服も買わないとね」

 杉本君の甘い低音ボイスに、背筋がゾクッとして身体が固まるも、彼の言葉の意味をワンテンポ遅れて理解した私は、慌てて胸を押さえた。背中にかけられた水が、いつの間にか服の胸元までしみてきていて驚く。

 下着透けてるの見られるなんて……恥ずかしい~!

「大丈夫。これで見えないよ」

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