王太子殿下の溺愛遊戯~ロマンス小説へトリップしたら、たっぷり愛されました~
0日目 ロマンス小説の前夜 (1)

0日目 ロマンス小説の前夜
ウィルフレッド・ランスが死んだ。
その報せを受けて、瑛莉菜は男の部屋へ乗り込むことを決めた。むろん、事情聴取のためだ。
「俺もまずいとは思ったよ。でもこいつ、あんまり言うこと聞かないし。嫌いなんだもん」
季節は菊花の香る十一月の初旬。特別に肌寒い日ではないけれど、暖房のかかったマンションの一室には冬が忍び込む隙間もない。
テーブルを挟んで瑛莉菜と向かい合う男は、骨張った手で器用に紙飛行機を折っている。チラシには無精髭の男に似合わない乙女らしいイラストが描かれていた。
「嫌いなんだもん、じゃないですよ! そんな曖昧な理由で彼を殺してどうするんです。ヒーローですよ」
瑛莉菜は音を立てて椅子から立ち上がると、男の手の中にある紙飛行機を乱暴に引っこ抜く。
「いいですか!」
ぐしゃぐしゃになった紙を広げ、男の顔の前に突きつけた。
そこに描かれた金髪碧眼の美少女は、騎士服の青年に大切そうに抱き上げられて微笑んでいる。来月からアニメ版の放映が予定されているヒストリカル・ロマンス小説の主人公だった。
作品の題名は『結婚しナイト! ~プリンセスの花婿さがし~』。大人女子向け恋愛小説レーベルであるミエル文庫で三年間にわたり人気を博し、ついにはレーベル初のアニメ化まで掴み取った全六巻に及ぶシリーズものだ。物語の作者、「やよいはる」は、今やレーベルを代表する作家として大注目を浴びている。
瑛莉菜は、そのやよいはるの担当編集者なのだ。増刷に次ぐ増刷、そしてアニメ化まで決定した今だからこそ、次なるヒット作を書いてもらわなくてはいけない。
「この『結婚しナイト!』がヒットした今、先生に書いてもらわないと困るんです。編集部も期待しています!」
「えー、でも俺疲れたし。三年も書いてたからもう書けないよ。そろそろふたりで慰安旅行でもどうかな、宇野ちゃん」
ところが当の売れっ子作家やよいはるは、首を傾げながらウインクつきで休みをねだってくる。
瑛莉菜は鼻を鳴らしてウインクを跳ね返した。
「却下」
「宇野ちゃんのケチ! 俺、この前三十五歳になったんだよ。休まないと死ぬし、乙女の恋愛なんてもう書けないもん」
駄々をこねて泣き真似を始める担当作家に、痛むこめかみを押さえてため息をつく。
ミエル文庫きっての人気作家やよいはるは、乙女心をキュンとさせるかっこいいヒーローと、女子なら一度は憧れるロマンチックな物語構成で多くのファンを獲得し続けている。そのやよいはること竜田弥生が実は三十五歳の独身男性であるということは、編集部のトップシークレットだった。
弥生はイケメンと評しても差し支えない部類の男だ。あっさりとした顔立ちを造形するそれぞれのパーツは美しく、これ以上ないほど絶妙なバランスで配置されている。着実に年齢を重ねた大人の男にだけ許される渋さも持ち合わせていた。
けれど外出するのは週に一度で、訪問者といえば担当編集の瑛莉菜か、弟だけ。髪はボサボサ、髭の手入れも適当とくれば、せっかくのイイ男も台無しだった。当然、恋人と呼べる女性はいない。
瑛莉菜だって、できることならこんな頑固で聞き分けのない男の相手はしたくなかった。それでも、弥生の書く小説がおもしろいのは事実だ。その物語に一番惚れ込んでいるのが自分であるという自負は、編集者としての矜持でもあった。だからこそこうして、新作は書けないと言い張る弥生の部屋にまで押しかけてきている。
「三十五歳になったんですから、もっと素敵な乙女の恋愛が書けるようになっていますよ。一緒に考え直しましょう。基本のプロットはおもしろいんですから」
瑛莉菜は手にしていたアニメ『結婚しナイト!』のチラシを丁寧に折りたたみ、テーブルの隅に置いた。椅子に座り直して、ふて腐れている弥生と向き合う。
「まず、ウィルフレッド・ランス公爵が暗殺されるなんて展開はナシです。彼はこの物語のヒーローなんですから。勝手に悲恋物にしないでください」
弥生はしたくもない宿題をさせられる小学生のように、だらしなくテーブルに肘をついて唇を尖らせる。
「だって、本当に分かんないんだよなあ。なんでレディ・ウェンディ・コールリッジがこいつに惹かれるのか。俺、この男あんまり好きじゃない」
ウェンディは、ウィルフレッド・ランスと恋に落ちるヒロインの伯爵令嬢だ。
「それはほら、ウィルフレッドのかっこよくて……優しいところとか」
「優しいところお?」
弥生は眉間にシワを寄せ、疑わしそうに瑛莉菜を見やった。
「ほんとに女はそんなことで男を好きになったりするかね。恋ってのは理屈じゃない。惹かれる理由なんて、説明できるほうが怪しいよ」
とっさに返す言葉が見つからなくて、瑛莉菜はふっくらとした形のいい唇を真一文字に引き結んだ。人並みに恋愛経験はあるつもりだけれど、〝本気で人を好きになる〟ということに関してはイマイチしっくりきたことがない。
なにも手につかないほど骨抜きにされるなんて、ロマンス小説の男女にしか成立しないと思う。だって、手放しでなりふりかまわず他人を好きになる自分は、想像するのも怖いくらいだった。ほかの誰かの一番大事なものになるのは、夢の中でさえ難しい。
二の句が継げない瑛莉菜をよそに、弥生はべたりとテーブルに突っ伏して右手を伸ばす。そしてテーブルの端に飾ってあった写真立てを引き寄せた。
「宇野ちゃんから聞ける恋バナはこの悲しい初恋の話だけだし」
「ちょっと! 私だってそれ以外にもしてますから、恋のひとつやふたつ」
「ふーん。じゃあ、最近彼氏とはどうなの? 彼氏のどこが好きなの?」
弥生がテーブルに左頬をつけたまま、ジトッとした三白眼で見上げてくる。瑛莉菜は視線を泳がせた。
「……一ヶ月前に、別れました」
「ほーらね。宇野ちゃん本気で好きでもないのに告白された男と付き合うから、長続きしないんだもん」
瑛莉菜はろくに反論も思いつかないまま、ただ拗ねたようにそっぽを向いた。
宇野瑛莉菜、今年で二十六歳。
栄樹社第三書籍編集部所属で、ミエル文庫の人気作家・やよいはるの担当編集者。背中に流れるやわらかな黒髪と、アーモンド型の濃い茶色の瞳が人目を引く。
本人としては、付き合う男性のことは皆、今度こそ本気で好きだと思って付き合ってきた。それなのに、初恋の苦い経験がトラウマになっているせいか、どうしても長続きしないのだ。
「もう、私のことはいいですよ。てゆーかこの写真、まだ持ってたんですか」
瑛莉菜は居心地の悪い話を打ち切るように、弥生の手から写真立てを奪い取る。そこに写っているのは七年前の瑛莉菜と、初恋の相手だ。
その頃はまだ、恋とは、お互いにどうしようもなく好きになった相手とするものだと信じていた。抗いようもなく、美しいものだと。
そして見事に、現実を思い知らされた。
いつだったか、初恋の思い出話をさせられた挙句、原稿をダシに弥生に脅し取られたのがこの写真だ。弥生がいったいどんなインスピレーションを得ようとしていたのかは不明だが、『結婚しナイト!』の執筆中にも度々写真を引っ張り出してきては初恋の話をさせられた。しかもそれを、時折訪れる弟にも話して聞かせているという。瑛莉菜にしてみれば、恥ずかしい記憶を大層に飾り立てられているような気分だった。
だけどなにを犠牲にしてでもこの作家から原稿をもぎ取らなくてはならなかったのだから、仕方がなかったのだと思うことにしている。
「宇野ちゃんは恋愛恐怖症だし、稀斗に乙女心を聞いてもねえ。いい答えが返ってきたらそれはそれで複雑っていうか……」
弥生は脱力し、相変わらずテーブルに突っ伏している。
稀斗は弥生の弟で、数少ないこの部屋の訪問者のひとりだ。歳は瑛莉菜よりふたつ上で、大手総合電機メーカーの法人営業部に勤める、兄とは正反対のできた弟らしい。
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