初恋の美少女が俺を振って、妹になったんだが

瀬尾順

第5話 アイツに惚れた訳を言っておきたいんだが その1

第二章 ウザい妹と同居が始まったんだが

 ここで少し俺の昔話を聞いて欲しい。

 まあ、今となっては意味のない過去かもしれないが、一応、俺が南野に惚れた理由を語っておきたい。ちょい重めなところもあるが、さらっと流してくれればありがたい。

 俺が南野遙花を意識し始めたのは、五年ほど前の、今と同じ葉桜の季節からだ。

 その春は俺にとって、最悪の春だった。

 母が交通事故で他界したのだ。

 俺は一人っ子で、父はいつも深夜まで働いていて、会社に一週間ほど泊まって家に帰ったと思ったら会話すらなく、ただ寝ているだけだった。実質当時の俺にとって家族といえば母だけという感じだ。母は一見大人しく物静かで柔らかな印象を周囲に与える人だったが、芯の通った強い女性でもあった。

 たとえば俺と一緒にスーパーに行って買い物をする際、俺がちょっとふざけてカートに飛び乗って、他の人にぶつかってしまった時なんて、家に帰るなり正座させられて、それはそれは厳しく叱られたものだ。

 ――彼方、周りの人の心の痛みを分かる人になりなさい。

 それが母の口癖だった。

 だが、そんな母が急逝したことにより、俺は心をズタズタにして、これ以上ないほど心を痛めてしまったのだから、皮肉なものだ。

 俺自身の記憶にはないが、当時の俺は病室で母が息を引き取る瞬間、あまりに激しく泣きわめいた結果、痙攣を起こしてそのまま気を失ってしまったらしい。

 俺が目を覚ました時、もう母の笑顔は遺影でしか見ることができなくなっていた。

 仏壇の前で呆然とする俺を、喪服を着た父が黙って背中から抱きしめてくれた。

 父が必死に泣くのを我慢して俺を慰めようとしているのが分かった。

「……父さん、俺、もう大丈夫だよ」

 本当は全然大丈夫じゃないけど、そう答えるしかなかった。

 父の心の痛みが分かったからだ。

 さて、そんな俺の悲惨な事情とは関係なく、時間は待ったなしで進んでいく。

 俺は母の初七日を終えた次の日から、小学校への登校を再開した。

 クラスには友達はおろか、口を利く相手すら一人もいなかった。

 だけど、それは俺が皆にハブられていたとかではなく、進級した俺のクラス替えと母が亡くなったタイミングが重なったせいだ。今まで仲良くしていた友達は皆、他のクラスになり疎遠になった。周囲の新しいクラスメイト達は一週間遅れでクラスに合流し、母親を亡くしたばかりという俺に対して、どんな風に接したらいいか分からないようだった。

 小学生なりに空気を読んで、そっとしておいてくれたということだ。

 だが、その善意が俺がクラスで孤立するという事態を招いた。

 誰が悪いわけでもない。

 あえて言うなら、運が悪かったのだ。

 俺の人生、初の暗黒時代の到来だ。

 そんな時、俺の前に一人の空気を読まない(読めない?)女子が現れた。

「沢渡くんって、いっつも無口でダンディーだね!」

「……はっ? え?」

 給食を食べ終えた昼休み、いつものごとく机で一人頬杖をついて窓の向こうを眺めていた俺の視界を淡いブルーの布地が遮る。顔を上げると、にこにこと満面の笑みを咲かせている女子が両手を腰に当てて立っていた。

 南野遙花。

 俺が唯一名前を知っているクラスの女子だった。何故、名前を知っていたのかといえば、南野遙花はこのクラスの学級委員で、かつ一番目立つ生徒だったからだ。

「あっ、初めてだね、沢渡くんがしゃべったの。そんな可愛い声してたんだ」

 ブルーのワンピースを着た南野が、何故か嬉しそうに弾んだ声を上げて、大きな瞳を一層見開いて俺を見る。

「……何か用?」

 俺はわざと無愛想な表情を作り、突き放すような声を彼女に返した。正直、俺は南野と話したくはなかった。容姿に優れ、成績も優秀なクラスの人気者。今の俺とはまったく逆の立場の生徒だ。今の俺が闇属性なら、南野は光属性。そんなヤツと俺が何を話すというのか。

「用はないけど、ヒマだったから」

「だったら、その辺の女子とでも話せよ」

「沢渡くん、ぱよぽよ得意なんだって? 対戦しない?」

「おい、俺の話を聞けよ!」

 何なんだ、この女はっ。

 人のテリトリーに、平気でずかずかと入ってきやがって。

 顔が可愛ければ、どんな男でもお前を好きになるとでも思っているのか?

 残念だったな、俺は内面重視なんだよ!

 キーンコーン、カーンコーン

 俺が何と言い返そうかと考えている内に、予鈴が鳴った。

「あっ、五時間目だ。残念。沢渡くん、勝負はいったんお預けだね。ぼっこぼっこにしてあげるから楽しみにしてるがいい!」

 うわははは! とアニメに出てくる悪の組織の女幹部のような高笑いを上げて、南野は自席へとスキップしながら戻っていった。何がそんなに楽しいんだ。あいつ成績はいいけど絶対ちょっとおかしい。

「な、なあ、沢渡」

「ん?」

 遠慮がちな隣からの声に、俺はつい声を上げて声の主を見る。

 俺の隣に座っている背は高いが痩せていて全体的にひょろっとした印象の男子だった。名前は……分からない。

「俺、篠塚。篠塚公平」

 俺の内なる疑問に答えるかのように、隣の男子は目を細めて、自己紹介をしてくれた。

「あっ、俺は沢渡。沢渡彼方」

 俺もすぐに彼に習って自己紹介する。

「あはは、良かったよ。やっとお前としゃべれて。ずっと声かけなきゃって思ってたんだけど、きっかけがなくってさ」

「へっ? 篠塚は俺と話したかったのか?」

「そりゃそうだよ。隣の席なんだから、仲良くやりたいじゃん。二学期の席替えまでずっと今のままなんて嫌だっての」

「いつでも話しかけてくれれば良かったんだけど」

「そうなんだけどさ、お前ずっと負のオーラ出してたし、怖い顔してたし。でも、俺らも事情は知ってたし、皆どうしたらいいか分かんなくってさ。何とか一番近くの俺が突破口を開けよって、皆につつかれてたんだぜ」

「……そうか、気を遣わせて悪かった、ごめん篠塚」

 そうかなって思ってはいたけど、改めて言われると胸にどすん、と来た。どうやら俺は相当周囲に嫌な空気をまき散らしていたらしい。反省だ。

「謝ることないって! 何だよ、お前めちゃくちゃ素直じゃん! あはは、今まで構えてて馬鹿みたいだったぜ。放課後遊ばね? クラスの他のヤツらにも紹介するし!」

 俺の様子を見て、篠塚のテンションが急に上がった。俺は嬉しかった。ようやく俺の暗黒時代に終止符を打てそうだ。

「いいけど、何やって遊ぶ? やっぱゲーム?」「野球だな!」

 俺の言葉とかぶり気味に、篠塚が即答した。細い目だが、そこからはキラキラとした輝きが溢れている。そんなに野球が好きなのか。

「俺はいいけど、そんなに人数そろわないんじゃ……」

「いいんだよ本式じゃなくたって、いるだけの人数でやれば。最低六人居ればいい。ピッチャーとキャッチャーとファーストで一チーム」

「内野右方向以外にボール飛んだら、全部ヒットじゃねーか」

「そこはピッチャーとファーストが根性で守るんだよ!」

「随分過酷なスポーツだな、おい」

 もはや野球とは違う競技になっているぞ。俺はついおかしくて笑ってしまった。

「ん? やっぱ嫌か? ならゲームにするか?」

「いいよ、今はゲームより身体を動かしたい気分だし」

「よし、決まり! 放課後、黒川の河川敷な! あ、グローブ持ってるか?」

「二つもあるよ。父さんが買ってきたのが。ほとんど使ってないけど」

 俺と休日にはキャッチボールをすると言って、一緒にスポーツ用品店に行って買って来たんだよな。もっとも、出版社で編集長なんてやってる俺の父さんにはほとんど休日などないが。ていうか、家でも原稿読んでるが。

「それにしても、やっぱアイツすげーよな」

 篠塚が、俺達の席から左斜め後ろに座っている女子を見る。俺も釣られて後方に視線を送るとそこには、あの南野遙花が、携帯ゲーム機を持って「はっ!」とか「来た来たー!」とか声を上げながら遊んでいた。あの電子音は、ぱよぼよだ。学校にゲーム機持ち込んできてたのかよ。校則違反じゃん。優等生じゃなかったのかよ。

 あの女、普段、猫被ってたんだな。騙された。

「確かに、予鈴が鳴ってもゲームに興じるアイツの度胸には、見るべきものはあるな」

「そうじゃないっての。俺らが、今こうしてしゃべってるのアイツのおかげじゃん」

「はあっ?! 何でだよ?」

「南野がお前への突破口を開いてくれたんだって。だから、俺も話しかけられたんだよ。アイツやっぱ俺らのクラスの中じゃ一番大人だよ。一年からずっと学級委員やってるだけはあるな」

「いやいやアイツは、ぱよぽよやりたかっただけだって」

 どう考えても篠塚の過大評価だと思う。

 あの女、確かに顔は可愛いし、成績もいいかもしれないが――絶対変わってるんだ。

 俺はつい、後ろでゲームに夢中になってる南野をじっと見てしまう。

 ふいに、南野が顔を上げる。目が合ってしまった。

 南野は、にんまりと笑うと、ゲーム機をしまって、ノートに何かを書くと俺に見せた。

 『ほれるなよ』

「惚れるか!」

 俺は立ち上がって、大声で叫んでしまう。すると、何かが飛んできて後頭部に当たった。

「沢渡、今は女子じゃなく、俺を見ろ」

 教壇に立つ担任教師が投げた白いチョークが、床に転がっていた。

「す、すみません!」

 知らぬ間にもう授業が始まっていた。

 教室の中で途端に爆笑の渦が巻き起こる。周囲の篠塚以外のクラスメイト達が、

「沢渡、おもしれー」「沢渡くん、マジウケる!」と俺にこぞって声をかけてくる。

 俺は顔が熱くなるのを感じつつ、乾いた笑いを浮かべて席につくしかない。

 おかげでクラスメイト達となじむきっかけにはなったが、まさかこんなカッコ悪い形になろうとは。

 くそっ、分かっててやったな、南野!

 そうでなかったら、こんな絶妙なタイミングで、仕掛けられるはずがない。

 教室がようやく静けさを取り戻した頃、俺はまたこっそりと南野の方をのぞいてみた。

 南野は熱心にノートを取っていたが、俺の視線に気がつくと、小さくウインクをして笑った。今度はにんまりではなく、にこにこの笑顔だ。

「……チクショウ」

 一瞬、可愛いと思っちまったじゃねーか。

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