神籤世界の冒険記。~ギルドリーダーはじめました~
第1章 決算期からの逃亡ーー上司は死ぬーー
「決算とかこの世から滅びねえかなぁ」
天気予報を見て、冬が遠ざかろうとしているのを感じるようになる季節。それはこの国の企業の半分以上が決算期というものに突入していることを意味する。
彼、郡上立太が営業の下っ端として属している会社もまた、この季節は大切な決算期を迎えようとしていた。
「今さら営業利益上乗せは無理でしょうよ。他の会社も決算なんだぜ? うちだけじゃないんだぜ? もっと視野を広く持とうぜ課長」
朝礼の中で気炎を吐いていた課長の前では絶対に口に出せない、しかし偽らざる本音である台詞を口から垂れ流しつつ、スーツのポケットからスマートフォンを取り出す。
そのまま流れるような動作でロックを解除すると、会社のトイレで見たままの画面がそこにあった。
累計ガチャ回数五二回という表示を見て、彼は手札を交換したばかりの賭博師のような表情を浮かべた。
自分は決して負けないと確信している表情だ。
「——はっ、五〇回か。ウォーミングアップにはちょうど良いくらいだな」
『夢幻神話大戦』————古今東西の神々をモチーフにしたキャラクターを対戦させるスマートフォンアプリだ。
そこそこ歴史のあるゲーム会社が制作しただけあってイラストやシナリオの出来映えは平均以上。宣伝もそれなりに上手くいき、二年ほど前まではスマートフォンでゲームをする人ならば誰でも名前は知っているような作品だった。
だが、それも昔の話だ。
メインシナリオを進めながら手札となるキャラクターを集め、育て、別プレイヤーとの対戦に用いる形式のアプリは、この『夢幻神話大戦』以外にも数多く存在する。
というよりも、数多くリリースされたのだ。
売れるゲームは模倣される。そうすることで消費者の選択肢が増え、ひとつひとつのゲームの売上は自然と落ちていく。
後発のゲームは先発のゲームの問題点を最初から解消してあるのが当然で、中にはこのアプリよりも遥かに盛り上がっているものも少なくない。また、こうした活気のある業界では次々と新たな技術が生み出されていく。
どんな最新の技術を用いたアプリであっても、ものの数ヶ月で旧式扱いされてしまうような場所なのだ。発表から数年を経過したアプリなど、もはやアンティークの一種といっても過言ではない。
だが、立太はこのアプリを好んでいた。
大学時代から続けているという理由もあるが、流行っているアプリをプレイすると、そこはかとない敗北感を感じてしまうからだ。
ゲーム仲間との会話のために有名どころのアプリは一通りプレイしたが、継続して遊ぼうとは思えなかった。ログインだけを続けているゲームも少なくない。
「はぁ、こいつも何年か前はランキング上位の常連だったのになぁ」
アプリのストアには当然ランキングというものが存在する。人気のゲームはランキングの上位を占め、これが一種の面白さの保証となってさらなる新規ユーザーを呼び込む。
だが、この流れに乗り続けることは簡単なことではない。
彼がこのゲームを始めた頃、『夢幻神話大戦』はランキングの上位一〇位に入るほどの人気アプリだったのだ。しかし、今となっては一〇〇位以内に入ることも珍しい。
ごくまれに強キャラクターや人気キャラクターが実装されたとき、瞬間的に入り込む程度だ。
「まあ、いいか。変なプレイヤーがいないのはいいことだし」
プレイ人口の多いアプリには、当然妙なプレイヤーも紛れ込む。
そうしたプレイヤーたちの悪行を聞かずに済むというのは、ある種日々の生活に疲れた社会人にとっては意外と重要なことかもしれない。
「カードの在庫は確か、家の祭壇に六万円分だったか……足りるか怪しいな。ちょっと買い足しておくか」
ぶつぶつと独語し、これからの予定を考えながら、立太の足は自然と自宅近くのコンビニエンスストアへと向かう。
そこでこれからの戦いに必要な物資を補給するのだ。ついでに電子データの神々に捧げる供物も用意しなければならない。
彼のようなある種の凝り性な性格の持ち主は、キャラクターの好物などが設定されているゲームの場合、ほしいキャラクターの好物を供え物として用意することもあった。
「いい感じのカードがあればいいけどな」
課金用カードには複数の種類があるが、立太が気にしているのはそこではない。裏のバーコードを確認し、その数字をひとつひとつ確認していく。
店員も最初こそは万引きの品定めかと警戒してたが、それを行っているのが常連客の立太だと気付くとすぐに発注用端末の処理に戻る。
「お、これはゾロ目か、んんん? こっちはケータイの番号か、ならこっちだな」
験は担げるだけ担ぐ————それが立太の大方針だ。
自分にできるだけのことをしてガチャを引くからこその大勝負であり、それでもなお引けないならばまだ努力の余地があるということの証明に他ならない。
しょせん生まれ持った運の差だという者もいるが、立太は生まれ持った運の上乗せは誰にでもできると思っていたし、それに楽しみさえ見出していた。
「あ、入金は五万で」
課金を継続するためには無理のない課金を続けるのが大切だ。
それが世間一般の感覚とはズレていたとしても、好きなことには金を掛けてしまうのが人間なのである。
「あざーっしたー」
釣り銭とレシートを受け取り、店を出る。
補給完了。
あとは戦いに赴くだけである。
SNSを巡り、ガチャ結果を一通り確認する。
ここで気にするべきは他人の試行回数などではない。時折発生する運営会社のミスだ。
大々的に世に送り出された新規実装キャラクターが、実はゲームに組み込まれていなかったなどということも過去には起きた。
他のプレイヤーが今回実装される新規キャラクターを全種類入手していれば、ガチャは不具合なく動いている証拠だ。
SNS上には事前通知されていたキャラクターの姿が全種類確認できたため、立太は安心してガチャへ挑むことができそうだ。
ごくまれに『うちのゲームには実装されていないらしい』と悲嘆に暮れている書き込みなどもあったりするが、そのときは心中で健闘を称え、仇討ちは任せておけと意気込みを新たにする。
「そうだ、撒き餌をしておかないとな」
撒き餌、つまりは本命前に無料石などを使って目的外のキャラクターを先に引いてしまおうということだ。
一種の禊ぎのようなもので、ここで石を使って自分をギリギリまで追い詰めるという目的もあった。
「はいはい、ガチャガチャっと」
スマートフォンの画面を連続でタップし、次々とキャラクターを引いていく。
中には高レアのキャラクターもあったが、目的以外のキャラクターで喜べば高めた運が浪費されてしまう可能性が高い。となれば、心の中に湧き出そうとする喜びの感情を一瞬で抑え込む。
戦いの中で感情を露わにすることは、すなわち敗北フラグだ。決して許されることではない。
(平常心だ。心を平穏に保て。あのクソ課長に難癖付けられているときさえ、俺にはできただろう?)
立太は努めて無表情を維持しながら、帰宅路でのガチャを続けた。
そうこうしている間に、彼のすむアパートまで一〇〇メートルの場所にある公園に差し掛かる。
それほど大きくない公園だが、周辺住民の手入れによって汚さは感じられない。
もともと不審者なども出ない地域のため、夜の公園は街灯の下でしんと静まっていた。
その脇の歩道を、立太は無言で画面をタップしながら歩いている。
溜め込んだ——と本人が思っている——運を逃してはならないという鬼気迫る様子だ。
彼は画面を睨み付けており、その姿はまさに、警察や携帯会社が警告する歩きスマホの典型的な姿勢だった。
この状態では周囲の様子など分からない。
例えば、彼の進むさきに真っ黒い大穴が口を開けていたとしてもだ。
「お? おおお? 今データのローディング入ったぞ!?」
これまで手に入れたことがないキャラクターをガチャで入手すると、データをサーバからダウンロードするためのローディング表示が出ることがあり、ガチャを嗜む者たちにとっては瑞兆のひとつとして崇められていた。
「来たか!? 来てしまうのか!? こんなところで……!?」
周辺には夜間に開いているような店もなく、立太の周囲には通行人もいなかった。だからこそ彼は思い切り騒いでいたのだが、今回に限ればそれは幸運ではなかったのかもしれない。
彼はぽっかりと口を開けていた大穴に一歩を踏み出してしまった。
「えっ」
立太がスマートフォンの画面から顔を上げると、そこにはこれから自分が落ちていくであろう深い穴があった。
ほんの一瞬、『労災』という言葉が頭をよぎったが、彼がそれを申請することはないだろう。
「うわぁああああぁぁ〜〜……」
彼の身体は闇に吸い込まれ、スマートフォンの画面だけが彼の視界で光り輝いている。立太は無意識にその光に手を伸ばし——美しい虹色の髪に触れた気がした。
「——お願いします。もはやこれしか術はないのです。あなたの命をわたしにください。代償として、わたしの命を差し上げます。わたしの愛する世界を、守ってください」
美しい髪の向こう、震える小さな唇がそう言っていた。
そう、聞こえたのだ。
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