出雲の阿国は銀盤に舞う

つるみ犬丸

一章(4)

 そんな父さんを好きか嫌いか分からないけど、たぶんいまの俺の気持ちを表す一番近い言葉は『悔しい』だと思います。『寂しい』もあるかもしれません。

 だからなんとか、また父さんに認めさせてやりたいです。

 そのために、自分のあがり症という体質をどうにかして克服したいと思っています。母さんにもそろそろ受験とかも言われ始めているし、このままでは負けっぱなしで終わってしまうかもしれません。だから神様をこんな区切りに利用して申し訳ないですが、今後、『あの体質は気のせいだった』と思えるような力を貸してください。

 どうか宜しくお願いします。

 俺は最後に一礼すると、隣の愛姉に目を移す。

 しかし彼女はまだ手を合わせたまま、真剣な表情をして口の中でブツブツ言っていた。飛び入りのクセに願いが俺より長いとは厚かましいヤツである。

「あ、トモちゃん終わった?」

 待つこと一分。愛姉は一礼すると、機嫌が良さそうに俺を見た。

「とっくに済んでるよ」

 じゃあ次は八足門に行こうか。と振り向き、拝殿の屋根から出たそのときだった。

「おうわっ!」

 突然の衝撃。周りの空気が青白い光に染められると、たったいま跡にした背後から、空気を引き裂くような炸裂音が鳴り響く。

 まるで周囲を揺るがすような、耳を聾する轟音。あえて喩えを用いるなら『地震のような』って表現がピッタリだ。俺は脊髄反射で飛び退くと肩を竦ませ、

「な、な、な、なになになになにっ?」

 と、拝殿の方へ振り返る。するとそこではさっきの白いデブネコが、まるで焦がしたように所々を黒くし、微動だにせずそこに横たわっていた。

「トモちゃん!」

 愛姉は凄まじい反射神経で、ネコから守るように俺の前に立ちはだかる。そして体を硬くして警戒するが、ネコは動かずじっとしたまま。

「え、愛姉、なにこれ、なにこれ。なんか爆発?」

「わ、分かんない……。爆発するようなもの、なかったし……」

 愛姉は動かないネコを確認すると、慎重に辺りを見回す。俺も倣うと、数少ない他の参拝客も驚きの色を浮かべてこちらを見ていた。折悪く警備の係員はそこにいない。

「……カミ、ナリ……、かな? こわ……」

 愛姉は警戒を混じらせてそう口にすると、早くこの場を去ろうと俺の体を押した。が、しかし――。

 俺は天を仰ぐ。そこには澄み切った青空が広がっていて、雲すらどこにも見当たらない。

 ――この天気で、カミナリ? 

 ちょっと、おかしくないか? まあ異常気象なんて俺がガキの頃から言われていたし、青天の霹靂って言葉もあるし、もしかしたらそういうこともあるのかもしれないけど、でもそれにしたってカミナリは不自然だと思う。

 だいたいカミナリ落ちて、側にいた俺たちって無事に済むわけ? 「じゃあなんだったの?」って質問されても、俺には答えられないけど。

 ……まあ、原因究明はあとでもいい。肝心なことは他にある。

「えっ。……ちょっと、トモちゃん。やめときなよ。なんか、恐いよ」

「でも、ほっとけねえだろ」

 愛姉に言葉を返し、俺は倒れているネコに近づくと手を伸ばした。

 真っ白だったネコには煤のようなものが付着し、体がかなり黒ずんでいる。さっきまでのんきに昼寝していたのに、このままじゃあんまり哀れだ。

「うー。大丈夫? ビリビリするんじゃない? あ、あたしが……」

「いいって」

 と、強がりつつも、愛姉の言葉にビビッて手が恐る恐るになる俺。

 とりあえず指先でちょんと触り、何事も起こらないのを確認。そして「神様、これから善い行いをするので見ていてください」と、心の中で念を押して、ネコの体を手で払った。

 すると煤のようなものは思っていたよりも簡単に取り除け、ネコはすぐに元通り白の毛並みに戻った。カミナリに打たれても体は綺麗なものだな。と思いつつ、俺はネコの体を抱き立ち上がる。

 さあ、あとは……、どうしよう。とりあえず神社の関係者っぽい人に報告しようか。向こうにある社務所なら話も通じるだろう。手も洗いたい。そんなことを思っていると、

「う」

 俺は自分たちの周りに、だいぶギャラリーが増えているのに気が付いてしまう。

 なんだ、いまの音は。カミナリらしいぞ。あのネコちゃんが。ああ、可哀想に。

 ギャラリーは遠巻きに俺たちを見つめ、ぼそぼそとまるで噂話をするように話をしていた。競技中を彷彿とさせるこのシチュエーション。そしてまた硬直してしまう俺の憎い体。

「ちょっと! 見ないで! こっち見ないでくださいっ!」

 愛姉が大声とオーバーリアクションで周りに退散を促すが、どう考えてもかえって耳目を集めている。ますます凍ったように動かなくなる俺の体の膝から下。下がる目線。

「トモちゃん、もう行こ。肩貸してあげるから」

 ギャラリー相手にしばらく戦っていた愛姉も、やがてムダを悟ったのかこちらに振り向き、心配を眉に浮かべた。

「あ、いや、いい。これくらい……」

 これくらいできないと、これからだってなにもできない。そもそも、こういう体質を克服するためにここに来たんだ。それにこれはもしかしたら、神様からの試練かもしれない。

 俺は愛姉の助けに手の平を向ける。そしてギャラリーから逃げるように目を横滑りさせ、腕の中のネコを見た。

 するとネコも俺を見ていた。

 視線が合い、目が点になる俺。そして愛姉。

「へんぎゃあ!」

 思わず放り出すように手を離すと、ネコはデブのクセに宙で上手く体勢を整え、音もさせず鮮やかに着地した。そしてまたこちらを見つめる。

「な、なんだよ……」

 俺は呟き、ネコを見返す。するとその目が左右で色の違いに気が付いた。右目が黄色で左目がライトブルー。これ、オッドアイって言うんだっけ。

 ――いや、いまはそれどころじゃない。

 そもそも、なんなんだ、この状況。ネコの体ってカミナリとか爆発とか喰らっても平気なのか? 飼ってないから分からないけど、そういうもん? いやいやいやいや、落ち着け。そんなわけない。

 俺はつばを飲み込んで、ネコを見守った。愛姉も拳を握ってたぶん迎撃体勢を取りながら、じっとしてネコの出方を窺っている。周りのギャラリーもだ。

 周囲はシンと静まり返る。

 そのまま、どれくらい時間が経ったろう。十秒かもしれないし、一分くらい経っていたかもしれない。やがてネコは睨めっこに飽きたのか首をプルプルと震わせると、体を伸ばしてアクビをした。そして再びこちらを向くと、

『ああ、驚いた』

 と、確かに言った。死ぬほど俺のセリフだった。

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