デザイア・オーダー ―生存率1%の戦場―
「第一章 限界超越者」1
1
二十年前。
東京は、突如出現した機械生物たちによって奪われた。
金属の身体を持ち、人類を蹂躙した機械生物に占拠されたのは、正確には東京だけではない。日本国内だけでも、東京・大阪・名古屋・仙台・福岡など人口の多い都市に機械生物たちが同時出現し、そのほとんどの都市が奪われてしまった。
機械生物がどこで生まれ、何を目的としているのか。それは未だに解明されていない。
各占拠都市には機械生物による鋼鉄の国が造られ、東京にはあの醜い機械都市が建造された。
機械都市は、かつて東京を周回する形で運行していた電車の環状線路をなぞるように防御金属外壁を構築、その内側の都市環境を改変し、無計画に上へ上へと増築を続けた結果、東京は南から北にかけて段状に高くなっていく三層の階段型巨大構造物に変貌を遂げた。
その歪な形はこの世に再誕した九龍城とも形容でき、その姿はとても不気味だった。
また、機械生物が日本に突然出現した同時刻、世界でも同様の現象が発生していた。機械生物は世界地図全体で猛威を振るい、人類は居住可能地域の確かな一部を機械生物たちに奪われた。
その後、人類が憂慮した、機械生物による占拠都市周辺地域への全面侵攻はなぜか実行されることがなかった。機械生物が都市から外に向けて侵攻し、占拠地を拡大するという事例は一切報告されず、彼らは各占拠都市内部にこもって沈黙を続けており、人類は寡黙な脅威に大きな圧力を与えられ続けている。
だが人類側も機械生物に対し、対抗策を講じていなかったわけではない。各国が独自の対抗策を打ち出して実行に移した。それは日本においても例外ではなかった。
そして、二十年後の現在。
第191機械都市攻撃派遣作戦の一ヶ月前。
機械都市攻撃派遣部隊東京方面本拠地『フェイタル・スピア』の司令部の一室において、黒髪の少年――亜崎陽一は小隊指揮長への昇進辞令を受けていた。
「ボクが第八小隊の指揮長に?」
「不服かね? 亜崎くん」
直属の上官は中年らしい贅肉のついた腹を揺らして無精髭に手を当てた。だが鋭い眼光は陽一を刺したままだ。
「いえ。むしろ好都合です」
陽一のその返答に上官は鋭い目つきをやめて笑顔を見せると、はっはっはと大きな声で笑う。
「好都合、ときたか。だが、それが本音だとしてもそこは光栄です、とでも言っておくのが無難だぞ。他の上官が聞いていれば、確実に良い顔はせん」
陽一の上官は外見からするとただの嫌みな中年男だが、実はよく笑う一面もある。
「お前さんの境遇は知っているし、実戦演習を見ていれば何を考えているのかもわかる。確かにこの辞令はお前さんにとって好都合だろうな」
「ですが、ボクは特別何らかの功績を挙げたわけではありません。この昇進は不可解です」
「何を言ってるんだ、お前さんはこれ以上ない功績を挙げた。そうだろう? 『唯一の生き残り』くん」
上官の皮肉めいた言い方に、この贅肉ダヌキ……と陽一は心の中で悪態をつく。
『唯一の生き残り』。
それはたった十七歳の亜崎陽一という少年を縛り続ける呪いの言葉だ。
だが、それはあくまでも当人にとってのことであり、周囲は一般的に称賛の称号としてその言葉を用いる。
機械都市に実際に突入し、帰還した唯一の人間。
それが亜崎陽一という英雄だった。
機械都市に突入して帰還を果たした人間は、日本で今まで他にいない。数字を見ただけでは想像もつかないほどの、大量の人員を作戦に投入してきたにもかかわらず、だ。
だからこそ、ただ「帰ってきただけ」であるのに、陽一は『フェイタル・スピア』内、また日本国民にとって英雄となった。その帰還過程がどんなに惨むごたらしいものだったとしても。
「ボロボロになって何もできずに帰ってきた無能が一人いた。ただそれだけの話です」
陽一は無意味なことだと知っていても、皮肉をこぼさずにはいられなかった。贅肉ダヌキはそれさえも笑って、椅子の背もたれにドスンと身を預ける。
「まあ、現実がどうであれ、この不安に溢れた時代には英雄がいる。今まで英雄としてその役目を果たしてきた優秀な兵士、桜木功矢が戦死したことで、現在、東京方面部隊の士気は下がっておるのだ。みんな、新しい英雄を欲しているのだよ。自らの希望を託すことができる存在を」
贅肉ダヌキの言葉に、陽一は頬をぴくりと動かしたが、言葉を返すことはなかった。
「そのため、上層部はプロパガンダとしてお前さんを新たな英雄として担ぎ上げ、小隊の指揮長に任命し、民衆の期待感を煽るつもりでいる。お前さんは訓練兵時、教練機関を座学、実技両方トップの成績で卒業しておるし、何も問題はない」
「それは……光栄なことです」
「はっは、嘘をつくのが下手だな、亜崎くん。不快感が顔に出ておるよ」
贅肉ダヌキは同情的な表情を浮かべたが、この男も今回の件に一枚噛かんでいるのではないか、と陽一は疑いの目を向けていた。
贅肉ダヌキも陽一の指揮長昇進と同じタイミングで、司令幹部の一員へと昇格するらしい。直属の部下である陽一を英雄という生贄に仕立て上げ、司令部の機嫌を取った可能性は充分にある。結果的にこの人事は陽一にとっても良い知らせであるため、あまり詮索する必要もないのだが。
「だが、お前さんだけではプロパガンダの素材としては弱いと上層部は悩んでいてね。だから、わしは司令部の幹部たちに代わって、革新的なプランを提案した。お前さんの指揮する第八小隊に、現時点で日本最強の覚醒者を投入し、話題性を極限まで高めるプランを、な。上層部の人間たちはそれをとても評価してくれてね。おかげで、わしは功績を認められ、この度、司令幹部入りを果たすことができたというわけだ」
「……」
探るまでもなく、自らの関与を自白した贅肉ダヌキにさすがに呆れた陽一だが、笑顔を浮かべた贅肉ダヌキは悪びれた様子がまるでない。
「いいじゃないか、お前さんは希望の配属に。わしも念願の司令幹部の一員に。ということで」
もはや挑発とも取れる言動を繰り返す贅肉ダヌキだが、怒ったところで何か事態が変わるわけではない。目の前の贅肉ダヌキがそういうギリギリのラインを考えた上で発言していると考えると、それはそれで苛つく。
「……で、最強の覚醒者というのはもうすぐ調整を終えるという、あの?」
「そう、彼女はここ『フェイタル・スピア』の覚醒者能力開発部の中央研究所で、全世界で最も高い能力理論値を叩き出した『限界超越者』。現在は最終調整段階で、各所からの期待を一身に背負う絶対的兵器」
「そんな最強兵器を、こんな命を使い捨てにするような作戦に起用していいんですか?」
陽一は皮肉を込めて返すが、贅肉ダヌキはまるで気づかないふりをして続ける。
「もうすでに後続の覚醒者たちが、彼女に続く形で強力な能力を覚醒し始めている。いずれ、第二第三の彼女が現れる。使えるものを使う時はその旬を見極めるべきだ。覚えておくといい、亜崎くん」
笑顔を全く崩していないが、その言動の端々からは命を軽んじる思想が滲み出ている。やはり贅肉ダヌキを相手にする際は、少しも気を抜いてはならない。
「それにお前さんらを使い捨てにするつもりはない。機械生物との過酷な戦闘を経験したお前さんと日本最強の『限界超越者』。この組み合わせであれば、人類未踏の地の突破も不可能ではない、とわしは思っているのだよ」
「……そうですか」
「――ともかく、だ」
贅肉ダヌキはにやり、と悪い笑みを浮かべた。
「現時点を以ってお前さんを第八小隊指揮長に任命する。そして、お前さんの小隊には現時点、最強の覚醒者――『バーン・バリスタ』を送り込むことが決定済みだ。さあ、光栄に思ってくれたまえ? 『唯一の生き残り』くん」
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