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信長の弟 織田信行として生きて候

ツマビラカズジ

第一章 戦国の世のならい

第一章 戦国の世のならい


「痛っ……」

 俺は鈍い痛みを感じ、目を覚ました。それは後頭部から発していた。

(いてててて……。こりゃ、たんこぶが出来てるな。オフィスチェアにもたれ掛かったまま居眠りして、運悪く椅子から落ちたってとこか?)

 痛む場所に手を伸ばしてみると、濡らした布切れの感触。誰かがハンカチを水に浸し、腫れた後頭部に被せてくれたらしい。

 その後頭部を圧迫しないように、俺はうつ伏せになって寝かされていた。

(誰だろ? 総務のお局様かな? 寝かせてくれたのはビルの警備員? いずれにしてもみっともないところ見られちゃったなぁ……。その所為かな? 嫌な夢を見たのは……)

 俺は悪夢を記憶から追い出すかのように、大きくため息をついた。

 すると、俺のその一連の動きを目にしていたのであろう、ごく近くから慈愛に満ちた声が掛けられた。

「信行殿、大事はありませぬか?」

「えっ!?

 刹那、俺の体がビクリと跳ねた。

(の、の、の、信行!? う、嘘だろ!)

 聞きたくもない名前が耳を打ったからだ。

 俺の体が石のように固まった。今動くと悪夢に喰われる、そんな気がしたからだ。

 しかし、悪夢もさる物である。

「信行殿? 如何しましたか?」

 母親の如く優しい声音を使い、慈しむ子に対して囁くように俺に話し掛けてきたのだから。

「信行殿? まだ痛むのですか?」

 執拗に繰り返される優しげな問い掛け。このまま無視をするのは容易いだろう。

 しかし、何故だか……

(な、何だこの罪悪感は!?

 妙な気持ちが湧き上がってきた。それは瞬く間に胸の内を占める程に膨らんだ。

 やがて、張り裂けそうになる直前、俺は意を決して声のする方へと顔を上げた。

(やはり……か……)

 そこには美しく歳を重ねたのであろう、四十代前後の大和撫子がいた。それも鮮やかな色をした着物を纏い、日除けの為なのだろうか? 布をつばから垂らした妙な帽子を被った女性が。

(明らかに現代ではない、戦国時代や江戸時代の衣装だよな……)

 その女性は、

「あ、貴女は?」

「はて? 信行殿、そなたは自らの母御をお忘れになったのですか?」

 織田信長や織田信行の産みの親である、土田御前であった。

 どうやら俺はまだ、夢の中にいるらしい。


 さて、どうしたものか?

 俺は土田御前の問いに答える事なく、上体を起こした。すると分かった事が一つ、俺は輿? の上に寝かされていたらしい。

 その側に土田御前。この輿には彼女が乗っていたのだろう。

 俺と土田御前の周囲を、お供の侍達であろう、背を向け立ち並び囲っていた。

 俺は、その侍と侍の合間をぬい、あらぬ方角へと目を向ける。未だ、頭がはっきりしない風を装う為に。そして、懸命に頭を働かせた。

 まずは状況整理だ、とばかりに。

 史実と同様に、俺は兄である信長に殺されかけている……と思われる。このまま清洲に向かえば、俺は間違いなく暗殺されるのだろう。

 が、史実や以前プレイしていた歴史シミュレーションゲームとは違い、ここで選択権が俺に移った。もっとも、その選択肢は少ないがな。

 一つは、史実通りに清洲城に入る事だな。必死になって、「謀反の企みなど事実無根である」と「兄である信長に生涯の忠節を誓う」と訴えれば生き延びられるかもしれん。

 ……無理か。

 信行が家老、柴田勝家が裏切り、信長の下に降ったのだ。当然、信行が謀反を企んでいる証拠も携えて行ったのだろうからな。

 次に挙げられるのは逃げおおす事だ。それも尾張国外に。

 今川義元が治める駿河や、さいとうどうさんの息子であり信長の仇でもある斎藤よしたつが治める美濃に行けば、厚遇されるかもしれんからな。

 ……が、やはりこれも無い。あの信長が、信行が国外に逃げる事を許すとは思えない。他国に攻める口実を、大義名分を与えるようなものだからだ。

 ゆえに、よしんば逃げられたとしても、暗殺に怯える日々が待ち受けている。心の安寧は叶いそうもない……

 ならどうする?

 無論、正面切って戦うしか残された手は無い。一戦交え、その後、再び信長にこうべを垂れるのだ。それで許されれば……俺は今暫くは生き延びられるはずだ!

 後はこの夢から醒めるのをただただ眺めて待つのみ。ゲームで言うところの〝ムービーシーン〟って訳だ。

 だが、その選択肢にも問題はある。一つは、いや唯一つの問題か。

 それは俺に戦うだけの力が、もっと言えばあの信長と戦いうるだけの戦力があるのか否か、という事だ。こればかりは俺には分かりようが無い。

 となると……俺が暗殺から逃れる所為で、何の罪も無い、関係の無い人々が、侍、いや武士や民が犠牲になる?

 …………そう考えると、心が痛むなぁ。

 その時、決して忘れていた訳ではないのだが、俺の側にいる女性が再び話し掛けてきた。

「信行殿、そのように顔をしかめて……一体どうしたと言うのです?」

 声の主は勿論、土田御前である。俺の顔を目にして、土田御前は更に心配を深めたようだ。

 その証拠に、彼女の声に焦りの色が見え隠れする。

 まぁ当然か。信長が倒れたと耳にした直後に、その弟である信行まで様子がおかしいのだから。

 にしても、不憫な女性だ。自ら腹を痛めた子らが、はかりごとを駆使して命の取り合いをする。如何に〝戦国の世の習い〟とはいえな……

 俺は意を決して、彼女に答える事にした。

「すみませぬ、母上。どうにも頭がはっきりしませなんだ……」

 それらしい口調となるように気をつけながら。

 その直後、

「あぁ、信行殿! 信行殿! よう、よう戻られた! いくさで頭を強く打った者の中には、魂が脱け出たまま戻らぬ者もいると聞いておりましたから。本当に! 本当に心配していたのですよ!」

 土田御前が俺ににじり寄り、そのかいなで俺の頭を包んだ。懐かしい香りが俺の鼻腔を満たした。

(あぁ、俺は本当にこの女性の子供なのだな)

 俺は心が、不安に満ちた心が安まるのを感じていた。


 土田御前の話によると、俺は馬から落ちたらしい。それも頭から。どうりで、オフィスチェアから落ちたと勘違いした訳だ。

 その一部始終を彼女は隊列の後方、輿の中から見ていた。正直、肝を潰したとの事。

 俺の家臣達も慌てふためき、土田御前は俺の名前、つまり〝信行〟を連呼し、一時など往来が騒然としたらしい。

 もっとも、今では平穏を取り戻している。少しばかり時間が経過したのと、刀を佩いた武士らが周囲に睨みをきかせている所為だ。

 そんな事よりもだ、

「母上、私は一度城に戻ろうかと思います」

 一刻も早くこの場から立ち去るべきだ。

 那古野城と清洲城の距離は短い。直線距離にして二里しかないらしい。馴染みのあるメートル法に直すと、僅か八キロメートル。

 あまりグズグズしていると信長直々に、それも速さを重視しうままわりしゅうだけを引き連れ、襲って来そうな気がする。杞憂かもしれないがな。

「ええ、それが宜しいでしょう。信長殿に続いて信行殿に何かあっては、尾張はおしまいですからね。信長殿にはこの母から伝えおきますゆえ」

かたじけない、母上。よしなに」

 俺が軽く頭を下げると、土田御前は不思議そうな顔をした。

(な、なんかやばい! まさか、俺の、信行の態度に、何らかの違和感を抱いたのか!)

「と、時に母上!」

 俺は大きな声を出して、彼女の思考を止めた。

「えっ、あ、はい! 如何しましたか?」

「母上には兄上に会う、会わないにかかわらず、必ず我が下に戻られるよう伏してお願い申し上げます!」

「はて、それは如何なる所存で?」

「はい、実は先日、兄上が私めを誅殺する、そのような噂を耳にしたものですから」

 刹那、土田御前は悲しげな顔をした。掛ける言葉に迷う仕草をした。やがて彼女は、悲哀を帯びた声で俺に語り掛けた。

「……そうでしたか。ですから信行殿は……。分かりました。もし……、もし、妾が日が落ちるまでに戻らぬ場合は……」

 俺は小さく頷きを返した。

 彼女は全てを悟った、そういう顔をした。その大きな瞳が震えていた。自らの行動が、自らが腹を痛めて産んだ子の行く末を決めると知って。

 万が一史実と異なり、信長による信行暗殺が計画されていなかった場合、土田御前は信長の病状を見舞い、俺の待つ城に戻って来られるだろう。

 俺はそこで、真偽を確認すればよい。逆に信長が病を装い、俺の暗殺を企んでいた場合、土田御前が清洲城を出る事は敵わない。結果、非常に残念だが、俺は本当に暗殺計画があったと知る事が出来る。

(…………悲しいけどこれ、戦国なのよね)

 夢の中であるはずなのに、胸の内が酷く痛んだ。

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