花咲く神楽坂~謎解きは香りとともに~

じゅん麗香

第一話 一日一本のリコリス (3)

「どうも、坂の下フラワーです。花を届けに来ました」

 俺が頭を下げる位置よりはるかに下にある婦人の顔は、初めて巨人を見たとでもいうような表情だった。これが俺を初めて見る人の普通の反応だろう。さっきの二軒もそうだった。やっぱり薊さんは飄々としすぎなのだ。

「ありがとう、いつもの人と違うのね」

 緊張したような手つきで、婦人は俺からリコリスを受け取った。左手の薬指にはシルバーリングがはまっている。

「これから俺が来る機会が増えると思います。木下待雪です」

 よろしくお願いしますと、もう一度頭を下げた。せめて礼儀正しくしておかなければ。怖いからよこさないでくれとクレームにでもなったら、またクビになってしまう。

「一つ、聞いていいですか?」

 婦人がドアを閉めようとしているところを止めた。

「なぜ毎日一本なんですか?」

 一瞬、婦人の目が泳いだように見えた。しかし、すぐに笑みを浮かべる。

「花は新鮮な方がいいでしょ。また明日もお願いね」

 ドアが静かに閉まった。

「そりゃそうだけど」

 納得のいく答えではなかった。

 喉に小骨が刺さったような違和感を抱えたままマンションを後にした。お言葉に甘えて車で自宅に帰り、ガレージに入れる。俺は免許はあるが車を保有していない。

 車から降りると、一人暮らしの戸建ての我が家から光が漏れているのに気づき、俺は額に手を当てた。

「またあいつか……」

 植木鉢の下から家の鍵を取って、ドアを開けた。

「お帰り、マッツー!」

 甲高い声で俺を出迎えたのは、福笑いで失敗したようなお面だった。

「どう、力作でしょ。笑えない?」

 隣に住む幼なじみのうすマリアが、おかしな動きも添えてお面を手で動かした。マリアは俺の〝能面〟を治そうと躍起になっているようだが、俺の笑いのツボには響かない。

 因みに、俺をマッツーなんて呼ぶのはマリアだけだ。

「笑えない。変な面を被るのはやめろ」

「今日はいけると思ったのにな」

 マリアが面を外すと、今時っぽいメイクをした顔が現れた。拗ねたように唇を尖らせている。

 クリッとした大きな瞳と、小ぶりで整った鼻と唇が小さな顔にバランス良く納まっている。明るい茶色に染めた巻き髪はあざといほどフェミニンで、マリアによく似合っていた。モテ人生を歩んでいるだけあって可愛らしい容姿だが、お互いオネショをしている時代からの知り合いなので、今更見た目でときめくことはない。

「不法侵入もやめろ。いい加減、警察に突き出すぞ」

 植木鉢の下に鍵を隠していることを知っているマリアは、勝手に家に入り込むのだ。そのあと、丁寧にも鍵を元の場所に戻す。

「ひどい、こんなにマッツーのために頑張ってるのに!」

 細い眉をつり上げたマリアは、次の瞬間、半眼になってニタリと笑い、玄関を上がった俺に迫ってきた。

「ねえマッツー、お風呂にする? ご飯にする? それとも、ワ・タ・シ?」

「帰れ」

 スルーして洗面所に向かうと、マリアが追いかけてきた。

「ちょっと、健全な大学男子なら、迷わずマリアちゃんを選ぶところでしょ!」

 毎度のことながらマリアはうるさい。

 手洗いとうがいをすませて居間に入る。室内にもかかわらず、花に囲まれる。

 正確には、花の写真だ。

 十二畳ほどある和室の長押なげしを支えにするように、三百六十度ズラリと額に入った花の写真が飾られている。お歴々のご先祖様か音楽室の作曲家たちの肖像画のような配置だ。

 この花の写真は、庭に咲いている花を写したものらしい。らしい、というのは、俺が物心つく前に母が飾ったものだし、庭にどんな花が咲いているのか、きちんと確認したことがないからだ。直射日光が当たらない場所だとはいえ、写真はかなり色あせていた。

 この家では母を含めて三人の葬儀をあげているが、本来ありそうな長押の位置に遺影はない。仏壇もない。苦学生にはそんな実用性のないものを購入する金などないので、別室の背の低い戸棚の上に位牌を三つ並べていた。

「マッツー、お腹すいてるでしょ?」

「ああ」

「じゃ、温めてあげるね。今日は肉じゃがだよ」

「自分でする」

「ついでだから。私も一緒に食べるから」

「お前は家に帰って食えよ」

「一緒に食べたいから待ってたの!」

 一人暮らしの俺を気遣って、マリアの母親はよく飯をお裾分けしてくれる。今日のメニューは肉じゃが、シーザーサラダ、ホウレンソウのお浸し、そしてご飯にみそ汁だ。自炊が面倒なのと金がないのとで、袋麺と白飯で終わるような食生活だから本当に助かる。俺は手を合わせてから箸を持った。

「じゃがいも、芯まで味が染みていて美味い。おばさんにお礼言っておいて」

「私にも言って。ママと一緒に作ったんだから」

「感謝感謝」

「心がこもってない!」

 向かいに座るマリアの傍には、大学の教科書とノートが置かれていた。勉強をしながら俺を待っていたようだ。チャラチャラしているように見えて、マリアは真面目な奴なのだ。

「バイトで帰りが何時になるかわからねえから、これからマジで来なくていい」

 時計を見ると九時近かった。

「コンビニってシフト決まってるんじゃないの?」

「コンビニは今日、クビになった」

「早っ! 二日目でしょ?」

「それで、花屋で働くことになった」

「花屋」

 マリアは箸を止めた。俺が花を避けていることをマリアは知っている。気を取り直すようにマリアは笑顔を作った。

「花屋って、もしかして坂下にある〝坂の下フラワー〟?」

 神楽坂通りはどおりの一部で、おおどおりとの交差点〝神楽かぐらざかうえ〟からそとぼりどおりとの交差点〝神楽かぐらざかした〟までの坂道を指す。だいたい四五〇メートルほどだ。

 神楽坂上の周辺を〝坂上〟、神楽坂下の周辺を〝坂下〟と呼ぶことが多く、あの花屋は店の名のとおり、坂下にあった。

「よく知ってるな」

「あのイケメン兄弟の店は有名だよ。私も目の保養に時々行くんだ」

「冷やかしすんな」

「ちゃんと買ってるってば。マッツーの庭の肥料とか」

 俺が触らないのを見かねたのか、うちの庭はマリアが手入れをしている。

「そういえば薊さん、兄がいるとか言ってたかな」

 薊さんの兄なら、確かにイケメンだろう。

「店長さんは癒し系イケメンだけど、お兄さんもビジュアル系でカッコイイんだ! あのお店の雑貨を仕入れているのが、お兄さんのはずだよ」

「詳しいな」

「だから、神楽坂じゃ有名なんだってば。マッツーは人に関心がなさすぎ」

 ご飯のお代わりいる? と聞かれて、俺はマリアに茶碗を差し出した。うるさいだけじゃなく甲斐甲斐しい。

「なあマリア。花屋のバイトで、気になることがあったんだけど」

「えっ、珍しいね、マッツーがなにかに興味を持つなんて」

「俺にだって好奇心はある」

 人受けが悪いことを自覚しているので、自分からは人と関わってこなかった。おかげで友人がいないし、誰からも影響を受けることがなかったから趣味もない。だから何事にも無関心に見えるのかもしれない。

 俺はマリアに、毎日一本ずつリコリスを購入している遠藤さんの話をした。

「なぜだと思う?」

 マリアはウーンと唸って、唇をすぼめた。食べ方なのかリップの性能なのか、唇は艶やかなピンク色のままだ。

「そのおばあちゃん、七十代なんでしょ? 孤独だから話し相手が欲しい、っていうのはどう?」

「一階にはコンシェルジュが常駐してるっぽいから、話し相手には困らないんじゃないか? 俺と話したそうでもなかった」

 怖がっていただけかもしれないが。

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