花咲く神楽坂~謎解きは香りとともに~

じゅん麗香

第一話 一日一本のリコリス (2)

「俺、さっきコンビニのバイトをクビになったんです。無愛想だからって」

 顔つき自体は十人並みだと思う。若干、眉と目尻が上がっているので、目つきが悪く見えるかもしれないが、問題は顔の造形ではない。

 これだけ話していれば、俺が無表情なことに薊さんも気づいているだろう。小学生の時につけられたあだ名は、〝能面〟だった。

 大学に入ってから始めた軽貨物ドライバーは人とほとんど話さないので都合が良かった。体力にも自信がある。高収入だったから、免許費用をなんとか捻出して取得したのだ。

 しかし二年も経たずにその会社が潰れてしまい、すぐにコンビニで働き始めたのだが、二日目の今日、客が怖がるからとお払い箱になってしまった。

「俺は接客業に向きません。裏方の仕事を探そうと思っていました」

「接客は嫌い?」

「嫌われているのは、俺の方です」

 しかも俺はデカイ。なにもしなくても圧迫感があるのだろう。無愛想な巨漢なんて、花屋から一番遠い存在に違いない。

 花屋といったら、可憐な女性のイメージだ。男性だったら薊さんのような、物腰の柔らかい人が似合う。

「花屋は体力勝負だよ。これから冬に向けては特にね。あまり暖房を使えないけど、寒さには強い?」

 俺の勘違いでなければ、採用の方向に向かっているようだ。

「本当に、俺でいいんですか? 履歴書も見せてないのに」

「人を見る目はあるんだ。それに、アルバイトさんが続かなくて困っていたんだよ。待雪クンは真面目そうだし、煙草を吸っていないようだし」

 薊さんは俺の胸元に鼻を寄せた。俺はまたドキリとして後退った。この人はパーソナルスペースが狭いようだ。俺は人と距離が近いのが苦手だった。

「未成年なので」

「そうなんだ、成人しているように見えるよ。待雪クンは大人っぽいね」

 そう笑う薊さんはいくつなのだろうか。年上だろうけど、俺とそんなに変わらないようにも見える。

「煙草はダメなんですか?」

「吸う予定があるの?」

「いえ、気になっただけです」

 よかった、と薊さんはにっこりと微笑む。

「煙草はエチレンガスが含まれているから、植物の老化を早めてしまうんだ。少量なら問題ないと言われているんだけど、ちょっとだって可哀想でしょ?」

 薊さんは再び俺に右手を差し出した。

「じゃあ改めて。よろしくね」

 柔らかな笑顔の薊さんの顔を、不思議な感覚で見返した。こんなに花屋に向かない男を、いともあっさりと受け入れてくれるなんて。人がいいのか、懐が深いのか、それともこの人独自の別の尺度を持っているのか。

きのした待雪です。大学二年です。精一杯頑張ります」

 俺はその白い手を握った。外気で冷えているはずの俺の手より、さらに冷たい。

「そうだ待雪クン、今から時間ある?」

「ありますけど」

「じゃ、入って」

 店の中に招かれる。そのドアにはいつの間にか〝closed〟の札が下がっていた。どうりで立ち話をしている間、客が来なかったはずだ。

 店に一歩足を踏み入れると、花々の甘くみずみずしい香りに包まれた。天井の高い店内には、大型の観葉植物と大小色鮮やかな切り花がバランスよく配置され、アンティーク家具にはプリザーブドフラワーや雑貨も並べられている。一瞬で街の喧騒が遠ざかり、異世界に迷い込んだ気分になった。

 誰もが息をのむような美しいディスプレイだと理解はできるのだが、あまりの花の多さに、俺は頭を抱えたい気持ちになった。花を見ていると母親を連想してしまい、なんとも言えない気分になる。

「今から三軒ほど、配達をお願いできないかな」

 早速仕事か。よほど人手が足りないようだ。

 説明を受けると、配達先は全て個人宅で、それほど遠い場所ではなかった。

えんどうさんは毎日行くことになるから、覚えておいてね」

「毎日?」

 受注伝票を見ると、依頼人も届け先も遠藤になっている。配達する花は、リコリス一本。

「一本だけですか?」

「そうだよ」

 リコリスは匂いがあまりしない黄色い花だった。葉のついていない茎がスッと伸び、その先端に七つの花が等間隔で放射状についている。

「こういう花、見たことがあるような、ないような」

 うちの庭には四季折々の花が咲いているので、庭で見たのかもしれない。ただ、花を直視していないため細かい形状まで覚えていなかった。

 ラッピングされたリコリスを持ち上げると、思ったよりも重い。根本に丸い塊の感触があった。

「これ、球根ついていませんか?」

「うん。希望されているからね。仕入れも特注なんだ」

 特注ということは、球根つきの花の依頼は珍しいのだろう。

「どうして球根つきなんでしょうね。しかも毎日一本なんて。まとめて購入したほうが早いのに」

「さあ、事情はそれぞれだろうからね。二年前からのお得意さんなんだ。もちろん通年手に入るわけじゃないから、シーズンだけね。種類によって時期が若干ずれるから、それなりに長期間お渡しできるんだけど」

「二年間も毎日一本?」

「定期的にお届けするお客様は少なくないんだよ。たとえば、月命日にお墓に花を供えてほしいって、一年分料金を前払いするお客様もいるからね」

 そういう明確な理由があるならわかりやすいのに。毎日一本自宅に配送だなんて、どんな用途か気になるじゃないか。

「待雪クン、明日は出勤できる?」

 そう言う薊さんから車のキーを受け取った。

「授業が午前で終わるので、遅くても午後二時くらいにはここに来れます」

「それなら、駐車場所に困らないなら車で帰っちゃっていいよ。鍵は店に来た時に返してくれたらいいから。明日は市場が休みで車を使わないし」

「……」

 俺が驚いていると、薊さんは「どうかした?」と小首をかしげた。

 従業員になると口約束をしたばかりの初対面の男に、車の鍵を預けるものだろうか。そりゃあ悪用しようなんて思わないけど。

 なんだろう。

 薊さんと話していると、胸の奥がもやもやする。

 ──このあと、簡単に今後の仕事内容について話を聞いてから、俺は店を出た。

 俺には配達をメインに働いてほしいそうだ。配送業務なら以前の仕事で慣れているから、少しは気が楽だ。

 それから花の整理や水替え作業。これが地味に大変らしい。花の名前を覚えたりラッピングをするのは難しいだろうと思っていたが、それ以前の雑用が山ほどあるようだ。もっとも、客の前に出る仕事よりはいい。

「これだな」

 店の裏の駐車場に停めてある、〝さかしたフラワー〟と書かれた指定の白いミニバンをみつけた。

 車に手をかけた時、夜の冷たい風に乗って三味線の音が聞こえてきた。そういえば、近くに芸者が稽古を行う見番があった。風情のある音色を聞くと、神楽坂にいるのだと実感する。

 乗車して配達先が近い順に花を届けると、最後に気になっていたリコリスが残った。

「金持ちだな」

 届け先は高級マンションだった。エントランスのオートロックを家主に解除してもらってマンションに入ると、一階がホテルのロビーのようになっていて無駄に広く、管理人というよりもコンシェルジュという言葉が似合う制服の男性二人がフロントに待機していた。「庶民は入らないでください」と言われているようで居心地が悪い。

 毛足の長いカーペットが敷かれた、これまた無駄に長い廊下を大きな絵画を横目に抜けてエレベーターホールへ。依頼主の部屋の前まで辿りつくのに五分はかかった。

「どんだけ広いんだ」

 呼び鈴を鳴らすと、エントランスのセキュリティでも聞いた、品のよさそうな年配女性の声が「はい」と応えてドアのロックが解除された。しばらくして内側からドアが開らくと、声の通りに品のいい白髪の女性が現れた。七十代くらいか、深い皺を刻んだ頬には、薄化粧が施されている。

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