花咲く神楽坂~謎解きは香りとともに~
プロローグ 桜の下に眠るもの / 第一話 一日一本のリコリス (1)





プロローグ 桜の下に眠るもの
縁側で胡坐をかき、俺はぼんやりと、色とりどりの花々を眺めていた。
木造りの廊下はガラス戸越しに暖かい陽光が差し込んでいるが、庭の草花は冬が間近だと知らせるような冷たい風に揺れていた。
そよぐ葉の奥には、紅葉した葉を散らし始めている大きな桜の木。
俺はその木に目を向けたまま、何度も読むうちによれて色あせたA五のノートを手探りで引き寄せた。
秘するもの眠る桜の下なりし
──母が遺した俳句だ。
何度も読み返してすっかり目に焼き付いてしまった、神経質さが伝わるようなその文字を目で追って、パタンとノートを閉じた。
今日だけで何回繰り返しただろう。
俺は考えることを放棄して縁側に寝そべった。背中に木の温もりを感じる。
「桜の下に、眠るもの、とは」
呟きながら、庭の中央奥にそびえ立つソメイヨシノに視線を戻した。
いつか読んだ小説の冒頭には、「桜の木の下には屍体が埋まっている」と書いてあった。
この桜の下には、いったいなにが眠っているというのだろう。
それを確かめる勇気は、俺にはまだ、ない。
第一話 一日一本のリコリス
昼間は暖かかったのに、日が落ちると急激に気温が下がる。秋も終わりかけとなると寒暖差が激しい。
明るいネオンに照らされて、やや勾配がきつい神楽坂通りを上りながら、防寒のために片手をジャケットに突っ込んだ。
「この人ごみ、どうにかならないのか」
坂道も階段も、迷路のようだと言われる裏路地も、この神楽坂で生まれ育った俺にとっては慣れたものだが、人波には辟易してしまう。
神楽坂は昔に比べると活気がなくなったと言われているそうだが、芸妓で知られる花柳界の最盛期なんて昭和のことだ。俺の知るここ十年で言えば、どんどん店も人も増えている。
「きゃっ」
そんなことを考えていると、歩きスマホをしていた女性が俺にぶつかってきた。ふらつく女性を支えようと手を伸ばすと、俺を見上げた彼女は怯えたように身をすくませた。
そして、「ご、ご、ごめんなさいっ」と言いながら、脱兎のごとく人をかき分けて姿を消した。
あまりの反応に俺はそのままに立ち尽くし、伸ばしていた手で額をおさえた。
そこまで俺の人相は悪いのだろうか。
ついさっき、愛想も人相も悪いとバイトをクビになったばかりだ。ふいに追い打ちを受けてしまった。
二歳くらいの男の子を肩越しに抱く女性が俺を追い抜いて行った。背中を向けている女性の首に手を回した子供と目が合う。俺は笑顔を浮かべてみた。
すると、みるみる子供の顔が歪んでいった。
「あらあら、急にどうしたの」
女性は歩みを止めず、泣き出した子供を胸の前に抱っこし直してあやし始めた。
「やっぱり、だめか」
俺は肩を落とす。子供には申し訳ないことをしたと反省するとともに、またも心にダメージを受けた。
どうやら俺は表情が硬いだけでなく、無理に顔の筋肉を動かそうとすると恐ろしい形相になるようだ。改善しようと努力はしたが、もう諦めている。人相が悪くても生きてはいけるだろう。
俺だって生まれた時から無表情だったわけではない。きっかけがあったのだ。
「アルバイト募集」
ふいに目の前の壁にある、印刷された張り紙の文字が目に飛び込んできて足を止める。近寄ると、紙が貼られたレンガ造りの外壁を隠すように背の高い植物が並べられ、その前には階段状に色鮮やかな切り花が配置されていた。
神楽坂通りを通るたびに気になっていた店だった。
なぜなら、そこが花屋だから。
「アルバイト希望?」
「っ!」
突然後ろから声をかけられて、驚いて振り返った。そして、もう一度驚いた。
その人が、あまりにも綺麗だからだ。
〝綺麗〟という形容はおかしいだろうか。二重ではっきりとした瞳は長い睫毛がかぶさっていて、通った鼻梁の下の唇は色づいている。街灯に照らされて紅茶色に光沢を放つストレートの黒髪は肩に届くほど長い。黒いソムリエエプロンを巻いている腰は掴めそうなほど細く、華奢ではあるが、百八十七センチの俺より十センチほど低いだけだから、長身の部類に入るだろう。
つまり目の前の人は中性的ではあるが、間違いようもなく男性だ。
「車の運転免許、持ってる?」
柔らかな声音と表情で俺に問いかけてきた。
「はい。いや、あの」
普通に話を続けられて戸惑った。俺を初めて見る人は、あそこまで極端ではないにせよ、さっきぶつかってきた女性のような反応を大概するものなのだ。
「持ってないの?」
「持ってはいますけど……」
その人は俺を見上げながら細い首をかしげて、黙って続きの言葉を待っていた。前髪がサラリと流れて、その髪を長い指先でかき上げる。そんなさりげない仕草にも色気があり、同性だとわかっていてもドキリとしてしまった。
俺の歯切れが悪い理由は、この美しい店員の態度のほかにもある。
「実は俺、花が、苦手なんです」
そう言うと彼は目を丸くして、パチパチと瞬きをした。
「なぜ?」
なぜか。
理由は山ほどあるが、全て話すと長くなるし、初対面の人に語れるものでもない。
だから俺は、わかりやすい理由を一つだけ話すことにした。
「俺の名前はマツユキです。〝雪を待つ〟と書いて、待雪」
「ああ、スノードロップ。もしかして、一月か二月生まれ?」
俺は頷いた。さすが花屋、話が早い。
待雪草はスノードロップの別名だ。そしてスノードロップは、一月と二月の複数の日の誕生花とされている。誕生花とは、生まれた月日にちなんだ花のことだ。
「誕生花から名付けられたんだね。親が花好きだと、そうなったりするよね」
その言葉に、背筋がひやりとする。
確かに母親は花が好きだった。家の庭に咲き誇る花は母が植えたものだ。
「僕の両親は植物関係の仕事なんだけど、『名前を考えるのが面倒だから、誕生花の薊にした』って言われたよ。友達に『薊って漢字は読めない』って言われるし、よく女の子だと間違われたし、子供の頃は自分の名前があまり好きじゃなかったな」
店員は眉を下げて苦笑した。女の子と間違われていたのは名前のせいばかりではないのでは、と思ったが黙っていた。
「兄も同じ理由で〝満作〟って名前なんだけど、適当につけすぎだって文句を言ってた」
思い出したのか、口元に指の背を当ててクスリと笑う。
「薊さん……、いえ、すみません。名字の方を教えてください」
「薊でいいよ、誕生花同士。ね、待雪クン」
そのいたずらっぽい微笑みは、またも心臓に直接衝撃を与えるような破壊力があった。
「名前の他にも花が苦手な理由はあるんですけど……。それはともかく、花が苦手なのに花屋で働けませんよね」
「花に興味があるから、足を止めていたんでしょ?」
俺は頷いた。
いい加減に俺は、過去と向かい合わなければいけない。そのためには、花は避けて通れない。
「それなら、うちで働けばいいよ。ここにいれば絶対に花が好きになるよ。花好きが増えるのは嬉しい。僕は店長の一之瀬薊。よろしくね」
薊さんが右手を差し出してくる。俺は慌てて一歩下がった。
「俺なんかでいいんですか?」
「どういうこと?」
「だって俺、こんな顔ですよ」
薊さんは不思議そうな表情をして、俺の顔をじっと見る。その顔が少し揺れているのは、『眉と目が二つずつあって、鼻と口は一つある』とパーツをカウントしているかのようだ。
いやいや、違うだろう。自分で説明しなければいけないのか。この人は天然か。それとも、自分の容姿が飛び抜けていいと、人の容姿は気にならないものなのか。
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