レジェンド・オブ・イシュリーン(サーガフォレスト)

木根楽

The Beggining (3)

風聞(ふうぶん)を気にすると?」

「そうだが……風聞だけには収まらない。ウラム公爵バザールといえども、これまでの行いから敵は多く、対立する諸侯は少なくない。これは私が生まれた時よりも強まっていて……だから私は反ウラム公の諸侯と、ウラム公の間に立ち、両者の調整にこれまで務めてきた。そうしなければ、今日まで生きられることは無かっただろう。私が変死すれば、諸侯が黙っておらぬ。彼等にとってみれば、ウラム公に対抗するに大義は私だ。私という……王家の人間でいながら、ウラム公家の血が混じっていない王位継承権を持つ娘は、ウラム公を牽制する武器として、彼等諸侯には必要なのだ」

 青年は悲しみで微笑むも、それは誰にも見られない。

 ジグルドが、イシュリーンの近くにいながら、何も理解していなかった自分への怒りで、歯軋りに頬を震わせた直後、グラミア軍左翼陣地が霧の中から現れ、王女、副官の順で歩き入った。

 青い幕を跳ね上げ現れた王女に、士官達が一斉に姿勢を正す。それに微笑み、イシュリーンは言った。

「攻勢に出る。我々左翼が敵陣形を崩し、中央と右翼がその隙を突く。皆、持ち場に戻れ。敵が動き出す前にこちらから仕掛ける」

 士官の一人が、不安を口にする。

「姫様、魔導士の数が足りませぬ」

 彼女は「案じるな」と言い頷く。

「私がいる。私も前に出る。私の結界魔法で、お前達を敵の魔法から守る。安心して戦え。やるぞ!」

 王女の声に士官達が動き出し、金属音の連なりだけが霧の中から二人に届いた。

 二人だけとなって、イシュリーンが副官に横顔を見せる。

「ジグルド、あの場でお前がジェフリを斬れば……国軍の兵達は私に味方をしてくれるかもしれんが、我々は帝国と王都からの軍に挟まれる。我々は目の前の敵を倒さねばここから動けない。これは良くない……しかしバザールめ……今このような時に、表に出すことではないはずだ」

 王女の声は、これまでジグルドさえも聞いたことのない類のもので、ただ怒っているのではないと青年は察した。ゆえに彼は、ただ黙り聴くと決めた。

「グラミアがどうなっても……己の野心か? バザール……。父上様も……どうしてこうまで……」

 情けないとは言わない彼女は、銀色の髪を指で梳かし、誤魔化す。

「とにかく、帝国を退けなければ先はない。目の前の敵を破り、私心で国を乱す国務卿と、彼に頭の上がらない父上様をお諫めするのはその後だ」

「行動に移されると?」

「レニアスにはまた苦労かけるが、私は死ねと言われたのだ。実の父親に……もちろん父上様が言うはずがない。これは……バザールの言葉に決まっている」

 イシュリーンの緑玉の瞳が強く光り、副官は頬を強張らせた。

「私は死ねない。この国を守るまでまだ死ねない。母上様が……母上様の愛した美しいこの国を、宗教狂い共に汚されてたまるか! バザールの好きにさせてたまるか!」

 王女は霧の向こう、神聖スーザ帝国軍が潜んでいるであろう西を睨み吐き捨てる。

 イシュリーンはこの時、一筋の涙をこぼした。

 ──私はまだ死ねない。母上がそうであったように、国と民の為に私はまだ戦わねばならない。

 銀髪の王女は、霧の中に溶け込むほどに白い頬を、いつ以来かの恐怖に激しく震わせたが、それをジグルドに見られないようにと、歩き離れる事で隠した。

       

「矢を放て! 前進を止めるな!」

 イシュリーンの声は掠れていたが、士官達の耳にはよく届き、彼等の指示で兵士達が一斉に矢を放つ。敬愛する姫君に指揮されたグラミア王国軍の左翼前衛が矢を敵にぶつけ、軽装歩兵が盾で身を守り、進み始める。彼等の手には、薄まった霧の中で鈍く輝く長剣があり、斬るというより叩き割る為に刀身は厚い。

 攻撃を開始してすでに半刻。

 神聖スーザ帝国軍右翼は、初めこそ動揺を見せたがすぐに陣形を整え、グラミア軍中央と右翼の攻勢が激しくないとみて、次々と部隊をイシュリーン率いるグラミア軍左翼へと向ける。

 グラミア人達の白刃がスーザ人達の盾を叩く。その音が戦場となったクローシュ渓谷の中に乱れ飛び、人間達の怒声が続く。

 グラミア語とスーザ語の罵声が飛び交い、それぞれの神に祈り武器を振るう。

「女神ヴィラの娘を勝たせろ!」

 グラミア人達の戦意は凄まじく、それは彼等のすぐ後ろに、銀髪を甲冑から溢し揺らす王女が結界魔法で彼等を守っているからだ。

 物理には物理、魔法には魔法。

 敵の魔法を防ぐには結界魔法しかなく、これがないと魔法の攻撃に無抵抗となり、たちまち戦局は不利となる。もちろん、グラミア軍左翼に魔導士はいるが、防御戦と攻撃では違う。

 攻勢に出た場合、敵に魔法攻撃をぶつける魔導士と、敵からの魔法攻撃を結界で防ぐ魔導士が必要となる。つまり、数がいるのだ。

 イシュリーンは今、優れた魔導士でもあることを存分に主張していて、旗下の魔導士の多くを攻撃に回し、数人の魔導士と共に、指揮下部隊全体を守る結界を維持していた。

「姫様、後退すべきです」

 王女の隣で盾を持つ副官が進言する。彼は飛来する矢から彼女を守っていて、今もイシュリーンに当たると見た矢を防ぐ。

「敵の陣容がとんでもなく厚い……これ以上は勇敢ではなく無謀ですぞ」

「レニアス、アルドゥランが、中央と右翼から敵を撃つ。それまで耐えねば意味がない」

「しかし、部隊の交代もできず、こちらは戦いっぱなしです。疲弊すると一気に押し込まれます」

「少なくとも、ここで勝たねば先はないのだ!」

 叫んだイシュリーンは、感情の高ぶりを声に乗せた。

「皆! あと一息だぞ!」

 だが、実際のところ、彼女でさえジグルドとは同意見である。

 ──味方の攻め上がりが遅い。何をしているのだ!?

 甲冑の下、鎖帷子の内側はすでに汗まみれで、下着を今すぐにでも脱ぎ捨て、水を頭から被りたいという欲求すらある王女は、熱のこもった息を吐き出す。

 結界魔法は、魔導士であれば最初に修得するもので難易度は高くない。一応、種類はあるが、ほとんどの場合、一種類の結界で足りる。今、彼女が張っている結界も初級のそれで難しくないものだが、維持するというのは別の話だ。

 魔法を発動し続ければ、精神力、体力を少しずつ削られていく。

 ジグルドはこれを心配していて、魔法を行使している間は無防備となる魔導士を守るのは常識であり、王女の為に迫る矢を全て防ぎながら説得し続ける。

「今なら後退するだけの戦力があります」

「姫様、どうかお聞き入れください」

「今、後退を始めねば疲れ切った兵から倒れます」

 これまでジグルドがここまでしつこく王女に進言することは無かった。それはイシュリーンが、彼の進言を拒んだことが少ないという理由と、拒んだとしてもそれは自分が間違いであると、イシュリーンの説明で彼が理解できていたからだ。

「レジェンド・オブ・イシュリーン(サーガフォレスト)」を読んでいる人はこの作品も読んでいます