レジェンド・オブ・イシュリーン(サーガフォレスト)

木根楽

The Beggining (2)

 イシュリーンはこれまで指揮下兵力八〇〇で、敵右翼二〇〇〇以上を相手に善戦しているが、地形を利用しての防御戦術であるから可能であると理解している。攻勢に出るならば、兵力の補充は絶対だと顎を引き、士官達には警戒を命じてジグルドだけを従え、グラミア王国軍中央後方の本陣へと急ぐ。

 王女は白銀の甲冑を鳴らして霧の中を歩き、銀色の髪は水滴と汗に濡れた。細い鎖を編み込んで作られた鎖帷子の軽い音と、甲冑の部位がぶつかり発せられる重い音が、混じり連なり二人の足音を消す。

 樹木達が突然に霧の中から現れては二人の歩みを乱し、薄く白い幕に覆われた世界は、王女に彼女の未来を突きつけるようであった。ゆえに彼女は、頬を強張らせる。

 ──私は、それでも戦う。

 イシュリーンは緑玉の瞳に、本陣を捉えた。遠目にも明らかにそうだと分かるほどに、はっきりとそれは見える。

 グラミアの色である青と黄の軍幕が囲う目的地は、大量の篝火(かがりび)で、霧の中でも鮮明であった。

 彼女は我が目を疑う。

「これでは……何かあった時にすぐ場所がばれるぞ」

「敵の……諜報(ちょうほう)が潜り込んでいれば……と考えないのでしょうか……」

 副官の言葉に、王女は頷くも歩みを止めない。

「これを見て、レニアスが軍権を握れていないのは明白だ」

 イシュリーンの発言は、多くの問題を集約してジグルドに伝えていたが、彼はその青い瞳を微かに揺らしただけで返事はしない。

 二人の姿に、本陣の歩哨が背筋を伸ばして敬礼する。

「王女殿下!」

 兵士に片手をあげて応えるイシュリーンは、意識的に笑みを作り、声をかける。

「そのまま。ご苦労!」

 歩哨が本陣へと二人を通し、士官達が慌てて彼女を出迎える。その後方、作戦卓や床几が並ぶ広い場所で、青い甲冑に白く長い顎鬚(あごひげ)が映える老人と、鮮やかな金色の髪を篝火で輝かせる肩幅の広い男が向かい合って話をしていた。二人は士官達の動きに気づき、彼等の視線が集まる先へと顔を向けた。

 老将は苦渋に染まった表情で、イシュリーンに状況を伝えようとするも、金髪の男が口を開き遮る。

「これは王女殿下! 伝令は行きませんでしたか?」

 ジェフリの声に篝火の弾ける音が混じり、王女は軍監たる男に微笑む。

 彼はグラミア人ではない。ウラム公爵バザールが、盟友であるトラスベリア王国の選帝公グレイグ公爵ヴィルヘルムに頼んで譲り受けた用兵家である。ジェフリには兄がいて、その男もグレイグ公爵の幕僚(ばくりょう)であったが、弟のジェフリはグラミア語が堪能であるという理由で、顧問としてウラム公爵の幕下に加わり、今こうしてイシュリーンの前にいる。

 王女は、軍監から目を逸らさず言う。

「参った。であるからここに来た。軍監殿のご指示、承知した。が、攻勢に出るには兵、剣、盾、矢を寄越してもらわねば無理だとも父上に進言したい。父上に会いたい」

 国務卿の幕僚、それも異国人にと彼女の感情は荒ぶり、声に含まれた棘となってジェフリに向かった。

 軍監は不愉快だと鼻を鳴らしたが、直後には優越感で唇の両端をつり上げる。

「私がトラスベリア人であるから、私からの命令には従えないと? そうであっても陛下と宰相閣下から軍監に任じられた私は、国軍にあって必要とあれば将軍閣下よりも強い権限が認め……」

「すまぬ。そういうわけではないのだ」

 ジェフリの発言を詫びで遮った王女は、緑玉の瞳を強く光らせ唇を開く。

「攻勢に出るに必要な兵力と装備を求めているに過ぎない。ジェフリ卿にはご理解頂けるものと思うが?」

 ジェフリは分厚い唇を不気味に歪曲させ、次に開く。

「認められません。王女殿下の左翼は囮。本命は中央と右翼! 予備兵力はここに投入します。これは王陛下のご命令です」

 イシュリーンが右腕を後方へと突き出す。そうしなければ、ジグルドが腰の剣を抜き放っていた。

 彼女の行動で制された剣士は、王女の肩が震えるのを見て舌打ちを発した。が、篝火の音に邪魔され、それは誰にも届かない。

 ジェフリだけで、これを決められるはずがないと、イシュリーンは知っている。同時に、父親がこれをするとも思えない。妃と国務卿の鸚鵡(おうむ)である王とジェフリが、イシュリーンに囮になれと命じるあたり、黒幕である王妃ベアドラと、ウラム公バザールの目論見は何であるか、王女は悩む必要が無かった。

 睨みあうイシュリーンとジェフリに、居並ぶ士官達も固まった。彼等の内心を代表したレニアスが、怒気に染まった表情で軍監を睨んだが、王女の微笑(びしょう)に色を失う。

「承知した」

 短く言い、踵を返した王女は、銀色の髪をふわりと舞わせる。

 彼女の背中にレニアスの驚愕とジェフリの苦笑がぶつかり、それを視認したジグルドが一礼し侮蔑を隠すと、去るイシュリーンに続く。

 動揺する士官達の中で、右翼を預かるアルドゥラン・レヴィが、王女を追おうとしたが、彼女自身が手の動きでそれを制した。

 イシュリーンは唇を結び、士官達が譲った道を軽やかに歩いた。

 本陣を出てしばらく後、彼女は溜め込んでいた憤りを、溜息で外に出す。

 ジグルドが彼女に確認した。

「よろしいので?」

「よくはない。が、ジェフリが一人で考えていることではない。私はどうやら、ここで死ねと言われているようだ」

 ジグルドには分からない。しかし怒りは抑えられない。

 前を歩く姫君は、いつからか本当の笑顔を誰にも見せなくなった。

 心からの笑顔を見たものは、はたしてどれだけいるだろうかと、青年は彼女の置かれる環境、状況が、彼女に原因がないことに苛立つ。また、イシュリーン自身がそれを口にすることはなく、だから彼は辛いのだ。

 大きくうねった木々の根が、地面から張り出し這っている。それを踏み越え、王女に続く副官は、こんな時にイシュリーンの死を願う国務卿と、操り人形でしかない王を脳裏に描いて、双眸を細めた。

 ──だが、どうして今なのだ?

 王宮内で彼女をよく思わない妃と、彼女の父であるウラム公爵バザールが、どうして今、彼女を排除しようとしているのか。これまでも王宮内でその機会はあったはずだ。問いただしても返ってくることがない故にジグルドは推測するしかできない。

 無言の副官に、王女は歩きながら口を開く。

「不思議か? 王宮で私を殺そうと思えばいくらでも機会があった彼等が、そうせず……今を選んだ事が」

 青い髪を揺らして顔をあげた青年は、振り返りもせずに言葉を続ける王女の背中を眺める。

 銀髪が、霧の中で揺れ輝いた。

「私とお妃様の不仲は、グラミア人であれば誰でも知っている。戦働きをしていた母上と、王陛下であられる父上様との間に生まれた私は……あのお方にしてみれば、下賤で王家にふさわしくない者の血を引いている犬のような娘だそうだ……犬も気の毒だな。その私が王宮で変死すれば、疑いが生じ、それはお妃様と国務卿殿に向けられるだろう。だからだ」

「レジェンド・オブ・イシュリーン(サーガフォレスト)」を読んでいる人はこの作品も読んでいます