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辺境暮らしの大賢者 魔王を倒したので弟子と共に隠居生活を過ごそうと思う

戸津秋太

プロローグ


プロローグ


 少女は、この理不尽な世界を恨むよりも先に、あるかどうかもわからない奇跡にすがった。


「……っぁ」

 押し潰された家屋の下敷きになりながら、少女はれきの隙間からわずかに見える真っ赤な空へと手を伸ばした。

 頭から流れる血で染まった視界には、空へと昇っていく黒煙が見える。

 この日、この瞬間、少女の穏やかな日常は余りにも唐突に奪われた。

 家も、家族も、友人も、そして今、唯一残った少女の命さえも──。

「んあ? まーだ生き残りがいやがったか。見逃がすところだったぜ、あぶねえあぶねえ」

 地獄のようなこの場所で、いやに間延びした声が辺りに響く。

 そして、空を映していた少女の視界を、一転、全身から黒いオーラを放つ男の姿が覆った。

 瓦礫の隙間から伸びた手を見て少女の存在に気付いた男は、そして今、命の灯が消えようとしている少女に近付き、ぎゃくてきな笑みを浮かべて唇を舌で濡らす。

 立ち上る黒煙、潰れた家屋の山、辺りに漂う死臭、壊された日常。

 少女は知っていた。

 この男が、自分から一瞬にして何もかもを奪い去った元凶であると。

 この男が、人類の敵──じんであると。

 男──魔人は、見せつけるようにゆっくりと少女に向かって手を伸ばす。

 その手には全身を揺蕩たゆたうソレよりも一層どす黒いオーラがまとわりついている。

「っ、ぅぁ……」

 迫りくる死。

 だが、それを前にして無力な少女はもんの声を上げることしかできない。

 抵抗する力など、彼女には一切残されていなかったし、何よりそもそもからして持ち合わせてなどいなかった。

 空へと伸ばされた少女の手がパタリと地面に落ち、代わって魔人の手が少女へと伸びる。

 そして、魔人の手が少女に触れようとした時──、

「グボガァ……ッ!?

 魔人が突如、地面にし潰された。

 魔人の真下にいつの間にか出現した白く光る魔法陣。

 その光は増していき、光量に比例して片膝を立てるのみで辛うじて耐えていた魔人が更に地面にめり込んでいく。

 ついには、その膨大過ぎる力に耐えられずに地面が砕け、割れていく。

「そこまでにしておけよ、ド畜生が」

「──ッ!」

 突如辺りに響いた何者かの声に、魔人は顔を上げて空を仰ぐ。

 そこには、怒りに満ちた瞳でこちらを見下ろす一人の青年がいた。

「キ、貴様ァ……! 人間風情が、この俺を見下ろすんじゃねぇ……!」

 魔人はそう吠えながら右手から黒いオーラを放つ。

 膨れ上がる死の気配。それを纏う魔人は、その手で地面に浮かび上がる魔法陣に触れた。

 直後、白い光を放っていた魔法陣はガラスの割れるような音を立てて砕け散り、白いりんこうとなって虚空へ溶けて消える。

 拘束から解放された魔人は立ち上がり、自分よりも遥かに上空で悠然とこちらを見下ろすわいしょうな存在へこうしょうした。

「──死ねぇッ!!

 強烈なじゅほうこうする。

 魔人の全身から黒いオーラが膨れ上がり、青年に向けて突き出された右腕へそれは集約する。

 この村を破壊したものよりも遥かに強大な、超然とした力は黒い光の束となって青年へ放たれた。

 魔人は一層笑みを深める。

 バカな奴だ。一時の正義感に駆られてしゃしゃり出なければ、死なずにすんだものを。

 大きな街すらも破壊しつくす力の奔流を前にして、しかし青年は回避しようとしない。

 ただ、一言。

「うるせえ、お前の相手をしている暇なんかねえんだよ」

 青年はまるでその脅威をどうでもいいと切り捨てるかのように、身に纏う黒いローブをなびかせながら右手に握る杖の先端を黒い光の濁流へと向ける。

 青年の意思に応じて杖の先端から純白の魔法陣が現れ、盾となって魔人の放った攻撃から青年を護った。

「……ッ、バカなッ! あり得ない……!」

 拮抗するでもなく、いとも容易たやすく魔人の攻撃は防がれた。

 人間とは、魔人と比べると遥かにか弱い存在だ。

 種族として絶対的な力の差を持ち、生物として優位にある自分が放った一撃が幼子のように無力化され、魔人は驚愕のあまり硬直する。

 そして、その一瞬の硬直の間に──勝敗は決していた。

「《は世界のことわりを示すもの、せつを司り、万物を支配するもの》」

「──!」

「《我は請う、理を外れしものに、裁きの理を》ッ」

 濃密な魔力が青年から発せられ、彼の憎しみの籠もった声音で放たれた詠唱と共に魔人の上空に黒雲が現れる。

 バリバリバリッと上空で激しい雷鳴が轟き、そのすべてが黒雲の中央へと集約される。

 魔人は、生まれて初めて恐怖という感情を抱いた。

 背筋をう寒気。喉元にナイフが突きつけられたかのような感覚を覚え、魔人はしょうそうに駆られて両手を天に掲げた。

「──《神雷アーサム!!

 直後、黒雲の中から一柱の稲妻が降り注ぐ。と同時に、魔人の手の先からゴウッという音と共に漆黒の光の奔流が放たれた。

 魔人からすれば、稲妻を相殺せんとする一撃。

 相殺し、態勢を立て直すための一手。

 しかし、魔人の放った破壊の力はバリバリバリッと宙を駆ける稲妻にいとも容易たやすく飲み込まれ──稲妻は魔人へと降り注いだ。

「グ、グァァアアアッッ!! バカ、ナァッ! 何故、ナゼ人間ゴトキに、この俺ガァッ!!

 魔人とは、人を超えた超常の力を持つ存在。魔人一体をとうばつするために一国が動くレベルのものだ。

 それを単独で倒すことのできる人間がいるとすれば、それは──。

「……ッ!」

 全身を稲妻で焼かれ、とうに痛みを忘れながら魔人は何かに気付いたようにハッとした表情で、己を空から見下ろす青年をにらみ返す。

「この、魔力……そう、かッ。貴様がッ、キサマがあの大賢者かぁッ!! 後悔するぞ! きっと、我らの王がキサマを呪いこ──」

 魔人の最後の咆哮は降り注ぐ轟音にかき消され、ちりとなって消えせる。

 後に残ったのは壊滅した村と、莫大な力によって砕かれた大地だけだ。

 村一つを破壊しつくした脅威は、こうして一人の青年によって一掃された。

「────」

 魔人が消滅すると同時に、青年はすぐさま地に降り立ち、家屋の下敷きになっている少女の元へと歩み寄る。

 瓦礫の中から少女を救いだす。

 彼女にまだ息があることを認めて、青年はホッと胸を撫で下ろした。

 が、少女の体にそう浅くない傷があり、そこから血が溢れ出していることに気付いた青年は顔をしかめた。

「……っぁ」

 焦点がおぼつかない視界の中で少女は青年を見る。

 そして小さく、「助けて」と呟いた。

「……もう大丈夫だ、心配いらない」

 青年は力強くそう言い切ると、少女の体にソッと手を当てた。

「《其は世界の理を示すもの、摂理を司り、万物を支配するもの。我は請う、理に従いしものに、慈悲の理を》。──《治癒トリート》」

 少女の体に魔法陣が浮かび上がると、そこから暖かな光が溢れ出す。

 そして少女の全身を覆う。

 苦悶に満ちていた少女の表情は一転、安らかなものへと変わる。

 全身を襲っていた激しい痛みが一瞬にして消え去ったのだ。

 驚きのあまり目を見開いた少女を、更なる驚きが襲う。

「……すまない」

 たった今自分を助けてくれた青年が、頭を下げたのだ。

「すまない、本当に、すまない」

 一度だけでなく、何度も。

 その謝罪の意味が少女にはわからなかった。

 わかるのは、目の前の青年が自分を助けてくれたという事実だけ。

 だから、少女は青年の顔に手を伸ばす。

「あり、がとう……」

 血と体力を失ったからか、あるいは助かったことに安堵してか。

 薄れゆく意識の中で、少女は掠れ声で青年に感謝の言葉を告げた。

 その言葉を耳にした青年は、ハッと顔を上げて少女を見る。

 それから何かを堪えるような表情を浮かべると、同時に少女を強く抱きしめた。

 そしてまた、謝罪の言葉を口にし始める。

 すまない、すまない、──助けられなくて、すまなかったと。

 自分の肩がいつの間にか流れ出していた青年の涙で濡れていることに気付いた少女は、永遠とも思えるほどに繰り返される謝罪の言葉を子守歌のようにして、ついに意識を手放した──。

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