魔王の娘と白鳥の騎士

天ヶ森雀

第一話  魔王の策略 (1)

第一話 魔王の策略



 革張りの表紙にタイトルが赤銅金で箔押しされた、いかにも手の込んだ装丁の本を、ぱたんと閉じて目を閉じる。背表紙にはやはりタイトルと繊細に絡み合う薔薇のシルエットが銀で箔押しされていた。

 むふー……。

「オディール様? いらっしゃいますか?」

 げ。

 使い魔のアンドリューが窺うように私の名を呼んだのはふかふかの長椅子カウチに行儀悪く寝転がって、そんな風に読み終えた耽美小説の余韻に浸っていたところだった。

 は~~~、今回も倒錯と官能が渦巻くめくるめく世界だったわ(美しい女主人と肉体系奴隷との秘恋物よ!)。と、うっとりしてたのに。

「お父様が──、ロッドバルト様がお呼びです」

 父の名前を聞いて、堪能していたほわほわの心地よさが一気に四散する。

 ……ったくー、せっかくいい気分だったのに、台無しじゃないの!

 そう思って無視を決め込もうとしたら「あの、オデット様のことでお話があるそうで……」と続いたからしぶしぶ観念する。ちっ。父は彼女のこととなるとしつこいことこの上ない。

 私はうんざりした気分で読み終えた本をベッドの上に放り投げた。





 耽美小説に限らず、例えば『昔々あるところに~』で始まる古典的御伽噺だって、ヒロインは大抵美形と相場が決まっている。『とても美しいお姫様が』とか『愛らしい女の子が森に住んでいて』みたいな。

 白雪姫にシンデレラ、親指姫や赤ずきんのような美女や美少女、思わずむしゃぶりつきたくなるような、瑞々しくて可愛い可愛い女の子。

 そりゃそうよね。絶対的に美人が主役の方がお話が盛り上がるもの。その美しさや可憐さゆえに、本人が望むと望まざるとにかかわらずドラマティックで波乱に満ちた人生に放り込まれたりするのだ。王子様や狼に見染められたり、逆に継母に憎まれて命を狙われたり。……ちょっと違うかしら。まあつまりは美人て大変てことなんだけど。


 でも、それってお話の中だけとは限らない。実際、そんな物語的危機的状況に陥る羽目になったとんでもない美貌の持ち主を、私は一人知っている。

 魔王である我が父、ロッドバルトが誰より執着した、夢のように麗しい人間の娘、オデット姫。

 彼女の場合、見初められた相手が『魔王』だったというのが最凶最悪の不運だろう。

 魔王、と言っても魔力が誰より強い者の呼称だから、角や羽が生えてるわけじゃないし(生やそうと思えば魔力でできるけど)、魔界があって父がそこを統治しているわけでもない。人と同じ世で暮らす便宜上、爵位や領地を持っていたりもするが、魔族は自由気ままが信条だからお互い統治したりされたりなんかはしない。

 ただひたすら絶対的魔力主義の魔族たちの中にあって、父はやたらめったら強いから、逆らう者は誰もいないというだけだ。なんせ、指一本振るだけで山一つ吹っ飛ばすような力の持ち主なのだからぞっとする。

 とにかく魔族においては、力こそが絶対の正義なのだった。

 そんな善悪の思想や倫理観とは無縁の魔族が、例外として無条件で弱い唯一の対象が『美』だ。

 それは生き物でなくても、例えばものや風景、歌声や概念なんかでもなんでも構わない。ただ『美しい』という一点のみにおいて、魔族は心を奪われる。そしてどんなことをしてもその美しいものを手に入れようとする。

 父、ロッドバルトもそうだった。

 気まぐれに遊びに行った人間たちの社交界で、この世の者ならぬ美貌を持つオデットに釘付けになった。白く透き通る練り絹のような肌と、滝のように流れる落ちるしなやかな金の髪。光を秘めた宝石のような濃紺色の瞳と艶を含んだ紅い薔薇の唇。

 華奢な体型は、本当は骨なんか入ってないのではと思わせるほどしなやかで魅惑的な曲線を描いている。

 どこか愁いを秘めて揺れる眼差しの前に立てば、大抵の者はたちまち魂を奪われることだろう。思うに儚げな雰囲気も美貌を強調する要素の一つじゃないかしら。近寄りがたいほど美しいくせに、どうにかして傍にいたい、彼女のために何かしたいって思わせちゃうのよ。本人の真意がどうかはともかく、だけどね。

 とにかくオデットは綺麗だった。身に纏う空気ごと、他者とは異なる雰囲気オーラを漂わせていた。

 そして人を狂わせるほどの美貌、それを持つことがオデットの悲劇だったともいえる。

 オデットと出会い、父はありとあらゆる手を使って彼女を手に入れようとした。実際、人間たちの中から連れ去るのはいとも容易たやすかった。

 でも──、問題だったのは手に入れるのが心ごと、魂ごとじゃなければ意味がなかったってことだ。

 心を封じた人形状態で手に入れることはいくらだってできる。それこそ魔力を使えば父の言いなりにすることだって簡単だ。魔力で操れば彼女は父だけを見つめ、いくらでも愛を囁くだろう。

 けれどそれじゃあ意味がないのだ。彼女の美しさは彼女の魂を以て成り立っているのだから。

 誇り高く聡明なオデットはそのことに気付いていた。だから決して簡単に父の意のままにはならない。

 そんな彼女でもどうしても独占したくて、父は彼女に呪いをかけてしまう。他のどんな者も近付かないように、彼女を白鳥にして、領地内の湖の周囲から出られない呪いを。なるほどこれなら確かに独占できる。

 ……って、違うでしょ! 結局魂ごと手に入ったわけじゃないんだから!

 それでも父は満足らしい。バッカじゃないのかしら!

 夜だけ人間の姿に戻して、水晶に映して嬉しそうに眺めてるってんだから、我が父ながら本当になんつー変態ヤンデレ

 まあね、かくいう私だって魔族の血が流れているし、綺麗なものに弱いのは同じだから気持ちは分からなくもないけれど。でもでもでも! そんなの不毛としか言いようがないじゃない!

 たとえ多少気持ちが理解できたとしても、私は父とは違うのだ。私は魂なんてものを持っている、面倒くさいことこの上ないものには執着しない。

 だってこの世に綺麗なものは人間以外にもいっぱいあるでしょ? 金銀細工や宝石だって、うっとりするほど綺麗じゃない? それ以外にも痺れるほど美しいものはいっぱいある。

 だから動物や植物ならともかく、私は人間にだけは執着しない。だって、手に入るかどうか分からないものに、心が囚われたって不毛なだけだもの。そもそもオデットみたいに綺麗な人間がそうそういるとも思えないけどね。

 私は誰も愛さない。魔王である父の不毛な執着を間近に見ているからこそ。

 それが、魔王の娘オディールとしての私の不文律だった。


 ──筈だったのだけど。





「お呼びでしょうか、お父様」

 断崖絶壁にそびえ立つロッドバルト城の、趣味のよい調度品に溢れた父の私室を訪れる。本当は心底来たくはなかったけど、使い魔のアンドリューが怯えながら呼びに来たから無視するわけにもいかなかったのだ。

『お願いしますよ、姫様~。姫を連れて行かなきゃ私が魔王様にぱっくり食べられちゃうか、石ころに変えられてその辺にポイされちゃいます~~~~』

 私の使い魔であるアンドリューは、私が物心付く頃から仕えてくれている、ハムスターの体躯に蝙蝠の羽を持つキメラだ。小さくて小回りが利くのが取り柄なんだけど、一定以上のストレスがかかると思わず輪車に入って走りだすのがちょっと難点。なんせ落ち着くまでかなり長い時間回り続ける羽目になって役に立たなくなる。それに正直、輪車を回している音もカラカラカラカラうるさいし。

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