女王様のレシピ~異界の騎士と囚われの花嫁~

ととりとわ

第一幕 降ってきたおっさん (1)

第一幕 降ってきたおっさん


 自分で言うのもなんだけど、今夜の私はやさぐれてる。理由は、昼間に起きたあの事件のせいだ。


さとちゃん、食材の準備しておいてくれる? ナスは多めにあるから各テーブルともリストにプラス二個でいいわ」

「はい、了解です」

 先生からテーブルごとの食材を書いたリストを受け取り、教室を足早に横切った。銀色に輝く大型冷蔵庫の扉を開けて身をかがめると、段ボール箱に野菜を次々と放り込んでいく。「カボチャ、ズッキーニ、ナス……あ、あった。八個×六テーブルは、と……」

 私、よしかわ美里は主婦向け料理教室のアシスタントをしている。先生の指示に従って食材を準備したり、テーブルを見回って生徒さんたちの補助をするのが私の役目だ。短大卒業後、知り合いの紹介で先生のお手伝いを始めたのが三年前。元々料理好きだった私は食べることが好きなのも相まって、今じゃこの仕事を天職だと感じてる。

 今日の課題はナスの料亭風煮びたしと季節の精進揚げだ。ナス、カボチャ、パプリカ、その他の野菜を始め、料理に使う調味料を用意してたところ、後ろから声が掛けられた。

「ヨシカワさん」

 はーい、と振り返ってみれば、先週の教室ですったもんだのあった生徒さん。調理中に煮立ったブイヨンをかぶってやけどしたのを、どうしても私のせいにしたいらしい。

 前回の教室では野菜のテリーヌとジャガイモの冷製ポタージュが課題だった。六人ひとグループの各テーブルでは、とりガラと香味野菜を使ったブイヨンがぐつぐつと煮立っていて、エアコンの冷気が湯気でき消されていたっけ。狭い教室をみんながぐるぐると立ち回るから危険も伴う。だから『両手鍋を使って下さい』と先生が念を押したのに、オバサマのグループは言うことを聞かずに片手鍋を使っていたのだ。案の定、その巨体に鍋の取っ手が引っかかり、おいしそうに煮立ったブイヨンは全て床にぶちまけられ、それを引っ被ったオバサマがやけどを負ってしまった、というてんまつだ。

 悲鳴を聞いた私は別のテーブルから慌てて飛んでいった。そうしたらあろうことか、「あ、あなたのせいよッ」とっぺたをぷるぷると震わせながら、オバサマはいきなり私を指差したのだ。当然先生は「アシスタントに責任はない」とかばってくれた。とはいえ教室内で起きた事故だからと、やけどの治療代だけは教室の運営費から出す、ということで話は丸く収まったはずだった。

 それなのに──。

 ああ、ちょっと嫌だなあ、まだ何か言いたいことがあるんだろうか、なんて思いながら立ち上がり、両手を前で重ねた。

「あの……なんでしょう」

 ド派手な眼鏡をお召しになられたそのオバサマは、子分をぞろぞろと引き連れて私の前に仁王立ちした。そして、ふんっ、と鼻の穴を広げて大きく息を吐いた。

「前回の教室でのことですけれどね。アテクシがやけどを負ったのは、やっぱり先生の助手であるあなたがちゃんと見ていなかったせいだと思うの。ですからアテクシ、あなたを訴えることにしました」

 一瞬何を言われたのかピンとこず、はあ、と言ってからオバサマを二度見した。

「えっ? う、訴える!? はあ?」

「裁判所から呼び出しの通知が行くと思いますから、よろしくね」

「あっ、ちょっ──」

 くるりときびすを返すオバサマを急いで呼び止めた──はずだった。けれど、私の顔に矢のごとく注がれる他の生徒さんの視線があまりにも痛くて、伸ばしかけた手を引っ込めた。来たときと同じように取り巻きを連れて大股でテーブルに戻っていく後ろ姿をぼうぜんと見送ることしかできなくて。

 その後教室で何を話したか、どんなことをしたのか、あまり思い出すことができない。そりゃそうだ、『訴えてやる!』なんてセリフ、テレビの中でしか聞かない言葉だと思ってた。それを言われたのがまさか自分だなんて──。


「……はあ」

 本日何度目か分からないため息をダイニングの椅子に座って吐いた。こんなとき、優しく抱きしめてくれる恋人でもいればいい。だけど、女ばかりの職場じゃそんな素敵な出会いもないわけで。

 だから今夜はひとり寂しく飲んだくれてやるの。だって、明日からせっかくの夏休みなのよ?

『裁判ってどんなことをするんだろう』『負けたらいくら払わなきゃいけないんだろう』なんて、この先一週間もんもんと考え続けるなんて馬鹿馬鹿しい。正体不明になるまで飲んで、ベロンベロンに酔っぱらって、全てを忘れてしまわないとやってらんない!

 だんっ、と激しく立ち上がって、ずんずんとダイニングを横切った。冷蔵庫を開けてワインを取り出して──あ、その前にビールも飲むか。よし、今日はうるさい家族もいないことだ、こうなったら家にあるお酒、全部制覇してやるっ。まずはおつまみになりそうなものをチョイチョイっと作ってしまおう──と、チーズの箱に手を伸ばした瞬間だった。


ズドオオオォォォォォォ──────────オオオン!!!!


 大地を揺るがすようなごうおんとともに、家が縦に跳ねた。床に置いたワインが倒れ、缶ビールがごろごろと床に転がる。

「ぎゃああっ! なにっ、一体なに──っ!?

 反射的にダイニングテーブルの下に潜り込んだ。四つんいになってテーブルの足にしがみつき、大きな揺れを待ってみる。……けれども、待てど暮らせど何事も起こらず、あれきり大きな音もしない。地震じゃないとなると、近くに飛行機でも墜落したか、それとも近所の高架になっている高速道路から車が降ってきたんだろうか。

 急いでツッカケを履いて外に飛び出した。途端に、むん、とした熱気とジージーという夏虫の大合唱に取り囲まれた。申し訳程度にある門の中から音のした方角に目を凝らしたけど、事件や事故の匂いなんてこれっぽっちもしない。

「あ、あれ……?」

 ここはさびれた田舎町で、周りには荒れたまま放置された畑や用水路が多い。ポツポツと点在する古い民家に暮らすのも年配の人ばかりで、普段救急車が近所に止まろうものならみんな一斉に家から飛び出してくるような地域なのに。……おかしいな。あれだけ大きな音がしたのに、誰ひとりとして外に出てこないなんて。

 道路をそろそろと歩いていき、音がしたあたりにある空き地をのぞき込んだ。けれど、夏の盛りで雑草が高くはびこっていたし、暗くてよく見えなかった。もっと近くで見てみようと雑草の中に一歩足を踏み入れたとき──。

「ひゃあっ」

 ガサガサッ、と音を立てて、生い茂った草の中からいきなり何かが現れた。

 見ると、私の目線より大分高いところに燃えるようなふたつの目があった。暗くてよく分からないけど、やたらとでかい男のようだ。

 とにかくその姿をひと目見て、私の頭の中の警戒スイッチがバチン! と音を立てて入った。何せその人物、頭のてっぺんからつま先まで、まるで中世RPGの世界から抜け出してきた、屈強な戦士みたいなで立ちをしてる。鋼でできた銀色のかぶととか、よろいとか、とか、すね当てとか……マジでシャレにならんつーの!

「貴様、なにやつ」

 男──声からするとおっさんらしい──は銀色の肩当ての下からムキムキの上腕二頭筋をチラつかせて私に向かってにじり寄ってきた。

「うわ、いえ、なにって言ったらアレですけどどどど、ぁあ怪しい者ではごごございませんにょよーッッ」

 パニックになってる自分の声を聞いて、更なるパニックに陥った。しかもよく見るとおっさんは、これまたとてもコスプレ用品とは思えないほどリアルに光る剣を右手に握ってる。

 はわわ、ちょっとやばいって。こんな時間にこんな場所でひとりコスプレもあり得ないけど、模造刀でもお外で振り回したら銃刀法違反で捕まることもあるんでございますよ!

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