第01話　落とし穴

　

　９月の終わり、土曜日の午後。放課後だ。

　高等部校舎と中等部校舎を繋(つな)ぐ道から外れて５分ほどの森のなか、ぼくはシャベルを手に、泥にまみれて落とし穴を掘っている。

　ひとの背丈よりずっと深い穴だ。

　３つ目の穴だから、だいぶ要領よく掘れていた。埋めなおした穴も含めると、５つ目になる。これだけ掘れば、多少は手際がよくなるものだ。

　もう充分だ、というところで用意していた槍(やり)を刺す。竹を斜めに割って、切り口を鋭くした簡単な槍(やり)だ。それを、上向きに刺す。何本も。執(しつ)拗(よう)に、何本も。

　先を近くの木に結んだロープを伝って、穴を登る。落ち葉を慎(しん)重(ちよう)にかぶせて、カモフラージュする。

　急がなくてはいけない。そろそろ時間だ。

　あいつが来るはずの時間だ。

　額の汗をぬぐう。現在、午後２時半。

　ぼくはあいつのために、手がかりを残した。あいつがこの場所に来るように、メッセージを残した。

　もっとも、あいつはそれをメッセージだと気づかないだろう。ぼくのミス、落ち度だと思うだろう。ぼくがここに大切なものを隠していると思うだろう。

　そのために毎日、ここに通っているのだと。

　最近、放課後になるとぼくが消えるのは、ここに通っているからなのだと。

　ある意味、その考えは合っている。ぼくはここで、ずっと、穴を掘っていたのだから。

　最初の穴は、不満足な出来だったので、埋めてしまった。

　次の穴はまあまあだったけど、計画には万(ばん)全(ぜん)を期したかったので、やはり埋めた。これから行うことに、失敗は許されないからだ。

　ぼくはいまから、ひとを殺す。

　この落とし穴にあいつを落として殺す。

　ただ槍(やり)の上に落下しただけじゃ、死なないかもしれない。だからそばの木(こ)陰(かげ)に、ポリタンクをいくつか用意している。タンクのなかにはガソリンが入っている。

　あいつが穴に落ちたら、上からこいつを流し込み、最後に火(ひ)種(だね)を投げ込む。

　それでも、あいつはしぶとい、死なないかもしれない。

　だから５メートル以上ある長い竹槍(やり)を用意した。穂(ほ)先(さき)は斜めに割って、さらに鋭く研(と)いである。これで上から突き刺す。何度も突き刺す。動かなくなるまで突き刺す。

　それで終わりだ。復(ふく)讐(しゆう)は完了だ。

　あとのこと？　知ったことか。

　このままだと、ぼくはいずれ、あいつに殺される。

　いじめ殺される。社会的にも抹(まつ)殺(さつ)される。

　あいつにはちからがある。腕力もあるけど、それだけじゃない。

　あいつの親は学校に資金を出している有力者だ。

　漫画みたいな話だけど、現実にそうなのだ。

　学校の教師の誰も逆らえない生徒。そんなものが、うちの学校には存在したのだ。

　そんな最悪の人間に、ぼくは目をつけられた。

　この学校は全(ぜん)寮(りよう)制(せい)だ。しかも、学校そのものが山のなかにある。

　閉(へい)鎖(さ)社(しや)会(かい)だ。ムラ社会だ。そのムラのボスに、ぼくは目をつけられた。

　あいつはぼくをいじめ抜くことに生きがいを見出している。

　いつかぼくは、いじめ殺される。

　だったら、殺られる前に殺るしかないじゃないか。

　

　ぼくは、じっと息を殺して待ち構える。

　気のせいか、いつもは騒(さわ)がしい鳥の鳴き声も、虫の声も、今日に限って聞こえなかった。森が、しんと静まりかえっている。

　もうすぐだ。もうすぐ、あいつが来る。

　足音が聞こえてきた。

　枯れた落ち葉を踏みしめる音だ。あいつが歩いてくる音だ。

　ぼくは緊(きん)張(ちよう)して、震える手をそっと押さえた。汗が頬を伝う。

　９月の終わりとはいえ、山のこのあたりはそれほどの暑さじゃないはずなのに、さっき運動したばかりだからか、全身汗だくで、いまも汗が止まらない。

　いや、これは緊(きん)張(ちよう)しているせいか。

　そりゃあ、そうだ。緊(きん)張(ちよう)もする。これからひとを殺すのだから、手足も震える。そう考えて、ぼくは――。

　にやりとした。

　あいつを殺せる。そう考えるだけで、嬉しくて嬉しくて仕方がない。

　だって、あいつは――。

　と、身体がぐらりと揺れた。ぼくは、慌(あわ)てて落ち葉の上に手をついた。

　はっとする。いまの音はあいつに聞こえなかっただろうか。

　いや、そもそも、これは――。

　寄りかかる木が、振動していた。枝がしなって、葉を揺らしていた。

　地震だ。しかも、かなりでかい。

　腹に響(ひび)く衝(しよう)撃(げき)。それが最大で、でもそれだけだった。

　揺れが終わる。木が倒れるようなことも、土(ど)砂(しや)崩れが起こるようなこともなさそうだった。ほっと安(あん)堵(ど)の息をつく。

　落とし穴も無事だった。これも、いい。だが問題がひとつ。

「地震かよ！」

　舌打ちとともに、そんな、あいつの声が聞こえてきた。

　まずい、とぼくは思う。

　あいつの気が変わったら、せっかくのお膳(ぜん)立(だ)てが――。

　はたして、足音が遠ざかっていく。

　舌打ちをしたいのはこっちだ。ぼくはぐっと唇を噛む。拳(こぶし)をかたく握る。

　いや、まだだ。

　あいつは、土(ど)砂(しや)崩れとかそのへんのことを心配しただけかもしれない。

　しばらくすれば戻ってくる可能性もある。

　ぼくは祈った。じっと、待った。

　

　何分経っただろう。

　すごく長い時間に感じたけど、たぶん10分くらいだと思う。

　ふたたび足音が近づいてきた。

　やった！　ぼくはぐっと拳(こぶし)を握った。ガッツポーズしたかった。

　あいつが、戻ってきた。今度こそ、ここまでやってくるだろう。

　足音が、近づいてくる。なんだかさっきより、足音が重い気がする。

　けどまあ、そんなことは気のせいさと首を振り、神経を研(と)ぎ澄(す)ます。

　なんだか、あいつの鼻息が荒い気がする。ぶひぶひ、という豚のような鼻息だ。

　なんだ、疲れているのか？

　情けないやつめ。普段は威張っていても、しょせん、その程度なのか。

　ぼくはにやりとする。好都合だ。

　疲れているなら、注意力も落ちているに違いない。

　足もとも、おろそかになるだろう。

　そら。

　落ちた。

　

　鋭い悲鳴と、うめき声。

　ぼくは素早く木(こ)陰(かげ)から飛び出し、ポリタンクを手に、穴に駆け寄る。穴のなかを見もせず、タンクのなかの液体を流し込む。

　どしゃどしゃ流し込む。これでもかと、湯水のように流し込む。

　あとは、火(ひ)種(だね)だ。紙(かみ)屑(くず)にライターで火をつけ、なかに放り込む。

　絶(ぜつ)叫(きよう)があがる。

　あいつの断(だん)末(まつ)魔(ま)だ。いい気味だ。

　ぼくはとどめとばかりに、竹槍(やり)を構え、穴のなかに突き入れる。

　肉をえぐる、感触。ひとのお腹は、思ったよりずっとやわらかかった。

　ぼくは目をつぶり、無我夢中で何度も、何度も槍(やり)を突く。

　

　やがて、抵抗がやんだ。

　ぼくはおそるおそる目を開け、穴のなかを覗(のぞ)き込む。

　そこには、あいつの死体が――。

　なかった。

　かわりに、豚に似た二足歩行の太った生き物が、全身から血を流して死んでいた。

　赤茶けた肌(はだ)の、太った生物だった。

　しかもその血の色は、青だった。全身から青い血を流していた。

「は？」

　ぼくは思わず、間抜けな声を出す。

　竹槍(やり)を、ぽろりと落とす。

　その拍子に、太った豚人間が、喘(あえ)ぐような声を出した。

　豚人間の身体が、ぶれる。いや、霞(かすみ)のように消えようとしている。

　ぼくは目をしばたたいた。

　あっけにとられて見守るなか、豚人間の身体が完全に消えて……。

　ファンファーレが、耳のなかで鳴り響(ひび)いた。

「あなたはレベルアップしました！」

　中性的な声が聞こえてきた。視界が白に染まる。