いじわる殿下は花嫁を逃がさない~ツンデレ溺愛王子の甘すぎる罠~

芹名りせ

第一章 (3)

 聡明な彼女の視線は、挙動不審なルージェナと、先ほどその姿を見つけた壁の窪みを見やり、それからまたまっすぐに前方へ向け直された。



 レスニツア王国の第二王子──エリアスと、ルージェナは、いわゆる幼馴染(おさななじ)みだ。
 正確には、生まれてすぐに母王妃を亡くしたエリアスの乳母として、ルージェナの母が王宮に住んでいたため、その子供であるルージェナと兄のバージミルも、幼い頃は王宮で育った。
 特にバージミルは、エリアスと兄弟のように、切磋琢磨(せっさたくま)して学問や剣術を学び、今ではその片腕として働いている。
 二人より三つ年下のルージェナは、いつも彼らのあとをついて回っていた。


(でも……)
 夜の宮殿を、オリヴィエを追いかけて歩きながら、ルージェナは窓の硝子(ガラス)に映る自分の姿へ目を向ける。
(いつまでもあの頃のままではいられない……)
 成長するにつれ、この国の王子であるエリアスと自分たちの間には身分の差があるということを知り、接し方を考えさせられた。
 それで、母が王子の世話を教育係へ託し、乳母の職を辞したのを機に、ルージェナも伯爵邸へ帰ったのだが、それがどうやらエリアスは気に入らなかったらしい。
 一人王宮に残り、今では彼の補佐役として働いているバージミルは、厭味(いやみ)ばかり言われるとしょっちゅうぼやいているし、ルージェナも顔をあわせるたびに、辛辣(しんらつ)な言葉を投げかけられる。
 終始エリアスの傍におり、彼に引けを取らないほどにさまざまなことができるバージミルならば、時には言い返すこともしているのだろうが、ルージェナはそうはいかない。エリアスに厭味を言われるのが嫌で、王宮のさまざまな(もよお)しから足が遠のいた。
 以前は本当の兄のように慕っていた相手であるので、なおさら辛かった。なんとか態度を軟化してもらえないだろうかと、勇気を出して近づいては拒絶されて、を何度もくり返している。
(今夜こそは……と思ったんだけどな……)
 十八歳になったのを機に、大人の女性として対等に見てもらおうという目論見(もくろみ)も外れ、(むな)しいだけになってしまった真新しいドレスが、真っ暗な窓硝子に映る様子を見ながら歩き続けていると、バージミルの部屋の前へ着いた。
「はい、どうぞ」
 ノックに対して扉の向こうから硬い返答があり、妹であるルージェナよりも先に、オリヴィエがさっさと中へ入ってしまう。
「バージミルさま、私、決めましたわ」
 開口一番の宣言に、部屋の中央に置かれた長椅子に腰かけていたバージミルは、カップを手にした格好のまま、右目につけた片眼鏡の奥の瞳を(するど)く光らせた。
「なんの話だ?」
 高圧的な態度、相手を突き放すようなもの言いには、妹であるルージェナでも(ひる)む時があるのに、オリヴィエにそういう気配はまったくない。
「結婚前の行儀見習いとして、しばらく王宮で働きます」
「え──っ!」
 突然の話に、ルージェナが驚きの声を上げたのと、バージミルがちょうど口に含んだところだった紅茶をぶっと噴きだしたのは、同時だった。
「な、なんっ……何を言ってるんだ……ごほっ、ごほっ……」
 手にしていたカップをテーブルに置き、肩を震わせてむせる兄に、ルージェナは慌てて駆け寄り、広い背中をさする。
「お兄さま……大丈夫?」
 しばらくむせたのち、バージミルは頬に乱れかかった癖のない黒髪を大きな手でかき上げ、右目の片眼鏡の位置を正した。
「大丈夫だ、ルージェナ。それで……? なんだって? オリヴィエ」
 ソファーに座るように二人に目線で示しながら、自らは長い脚を組み直す兄の姿を見ていると、ルージェナはエリアスを思い出す。
 年齢が同じで、同じようにすらりと背が高い二人は、(おおやけ)の場では常に行動を共にしており、それぞれが際立って美しい容姿をしていることもあって、『麗しの王子』と『黒の侍従』と並び称されることが多い。
(確かに似てるところもある……でもやっぱり違う……)
 タイプの違う美青年の兄を二人も持ったようで、得意でたまらなかった幼い頃の心境を懐かしく思い出しながら、ルージェナはソファーに座った。
 その隣に座ったオリヴィエは、ぴんと背筋を伸ばしたまま、もう一度同じ言葉をくり返す。
「ですから……私、結婚前の行儀見習いとして、しばらく王宮で働きたいと思います」
「却下」
 すかさず言い放ったバージミルをむっとした顔で見返し、オリヴィエはソファーから身を乗り出した。
「どうしてですか? 貴族の娘ならば、花嫁修業にはそれが一番ですよね?」
「きみにその必要はないだろう。家事も社交も使用人たちの采配(さいはい)も、誰に学ばずともすでに難なくこなせるはずだ。才女と名高いカドレーツィオ伯爵令嬢」
 きっぱりと言い切られ、オリヴィエの頬がかすかに赤らむ。
「それはそうですけど……」
 口の中でもごもごと返答する親友に、ルージェナは問いかけずにはいられなかった。
「あの、待って……オリヴィエ……どなたかと結婚するの?」
 彼女とは一番の親友だと自負しているが、ルージェナはそういった話を聞いたことは一度もない。それなのに、まるでそれはもう決まったことのように、兄とオリヴィエの間では話が進んでいく。
「あ……」
 軽く目をみはったオリヴィエが困ったように笑ったので、どうやら事実らしいと悟る。
「お兄さまも知っていらしたのですか?」
 兄に目を向けると、彼は不自然なほどに首を(ひね)って二人から顔を背け、真横を向いていた。
「相談を受けたからな……」
「そう……」
 まるで自分だけが取り残されてしまったようで、寂しく俯いたルージェナを、オリヴィエが抱きしめる。
「いつ伝えようって、実はずっと迷っていたの……黙っていてごめんなさい、ルージェナ!」
 申し訳ないという気持ちをこめるように、ぎゅうぎゅうと力ずくで抱きしめられ、ルージェナは息を詰まらせる。
「う、うん……苦し……」
「本当にごめんなさい!」
 裏表がなく、己の感情に正直なところも、ルージェナがオリヴィエを好きな部分の一つだ。
 本当にいつ伝えようか、どうやって伝えようかと考えあぐねていたらしいことは、抱きしめる腕の力強さや声音からも、ひしひしと伝わってくる。
「気にしないで、もう私も気にしないから……」
 このままではオリヴィエに抱き潰されてしまうかもしれないと、必死で背中を叩くと、ようやく腕を解いてくれた。
「ありがとう、ルージェナ。ということで……」
 すぐにバージミルへ向き直ったオリヴィエは、きりっと姿勢と表情を正し、もう一度宣言する。
「私、しばらく王宮で働きます。ルージェナと一緒に」
 こう何度も力強く主張されれば、さすがに兄ももうだめとは言えないだろうと、親友の勇ましい姿に感嘆しながらその言葉を聞き流していたルージェナは、そこに突然自分の名前が出てきて、思わず(ほう)けた。
「え?」
 大きな蒼い瞳を、ぱちぱちと何度も(またた)かせ、呆然(ぼうぜん)(つぶや)く。
「私……?」
 テーブルを挟んだ向かいの席で、バージミルが憮然(ぶぜん)と声を発した。
「そう言うだろうと思った。だから却下だ」

「いじわる殿下は花嫁を逃がさない~ツンデレ溺愛王子の甘すぎる罠~」を読んでいる人はこの作品も読んでいます