いじわる殿下は花嫁を逃がさない~ツンデレ溺愛王子の甘すぎる罠~

芹名りせ

第一章 (2)

「ルージェナだって、もう大人です。真摯(しんし)に愛を捧げてくださる貴公子たちの中から、一番心通わせられる相手を見極めたなら、すぐにでも結婚しますわ。ね、ルージェナ」
 突然同意を求められ、ルージェナは目を()いた。
「な、何を言ってるの、オリヴィエ!」
 それではまるで、ルージェナが現在、数多の求婚者の中から結婚相手を選んでいる最中であるかのようだ。決してそういうことはなく、結婚などまだ先の話だと思っているのに、エリアスにもかん違いされてしまいそうで(あせ)る。
「へえ……そうなんだ」
 予想どおり、エリアスの声の温度が下がったようにルージェナは感じた。
 オリヴィエにはわからないらしく、ルージェナの肩を掴んだまま、きりっとエリアスに向きあっているし、彼を取り囲む令嬢たちも、態度を変えずにうっとりと彼を見つめているが、ルージェナは血の気が引く思いがする。
(まずい……このままじゃまずいわ……)
 どうやってこの場を取り繕うかと考えているうちに、オリヴィエの気が済んだようで、ようやく歩き出してくれた。
「それでは失礼します」
 扉へ向かって一緒に移動を始め、ルージェナはほっと胸を()で下ろす。
 しかし、ぴんと背筋を伸ばして部屋から出たオリヴィエに続き、扉を通り抜けた瞬間、背後から伸びてきた腕に小柄な身体を抱きかかえられ、軽々とその場から連れ去られた。
「え? あれ? ルージェナ?」
 ふり返ると後ろに親友の姿がなかったらしく、驚いたように呼んでいるオリヴィエの声が広廊下の中央から聞こえる。
 それは、たった今出てきたばかりの応接室も同じで、令嬢たちが驚いたように声を上げている。
「え? エリアス殿下?」
「どこへ行かれたの? 部屋を出て行かれました? 私、全然気がつかなかったのですけど……」
「私も!」
「私もですわ!」
 それらの声を聞きながら、ルージェナは応接室を出てすぐ脇にある、壁の(くぼ)んだスペースで、そのエリアスと向きあっていた。二人のいる場所は巨大な彫像の陰になっており、廊下からは見えない。
 狭い場所で、壁に背中を預けた格好のルージェナの目の前にエリアスが立ち、小さな顔の左右には、たっぷりと膨らんだ袖のシャツに包まれた彼の腕が、動きを止めるように突かれている。
 腕の中に(とら)われた状態でどこにも逃げ場がなく、焦るルージェナに、ごく近い距離からエリアスは問いかけた。
「誰かと結婚を考えているの?」
 射るような眼差(まなざ)しは、つい先ほどまでの優美そのものといった風貌とはまるで別人のようだ。ルージェナは身の竦むような思いがしたが、すぐにぶるぶると激しく首を左右に振る。
「ち、違います! そんなことなくって、あれはオリヴィエが勝手に……!」
 そのオリヴィエに、今の状態を見られるわけにはいかないと、極力声を落として説明した。
 ルージェナの必死の形相だけで、ことの真偽(しんぎ)はすぐにエリアスには伝わったようだ。
「そんなことだろうと思った」
 鼻で笑って軽く頭を振り、目にかかった前髪を払い除けた次の瞬間には、もういつもの表情に戻っている。彼は少し目を細めて、人の悪い笑い方をした。
「ルージェナみたいなお子さまに結婚なんて……百万年早いよね」
 かけられる言葉はとても失礼なものだったが、両腕の包囲網が解かれたので、ルージェナはこの隙に、頭を下げて彼の前を辞そうとする。
「失礼します」
 しかしすぐに腕を掴まれる。
「送るよ」
「え? でも……」
 突然いなくなったルージェナを、オリヴィエは驚いて探しているようだし、それはエリアスを見失った令嬢たちも同じだ。
「ルージェナ?」
「エリアス殿下ー!」
 みな自分たちを探している。それなのにエリアスはいったい何を考えているのかと(いぶか)しみながら、ルージェナは首を振った。
「私たちは兄に送ってもらうので大丈夫です。エリアス殿下は、もう部屋へ帰られて……」
 しかし最後まで言うことはできなかった。
「『です』? 『殿下』?」
 背筋も凍りそうな冷たい声で語尾をくり返されるので、ルージェナははっとエリアスの顔を見上げる。
「あ……お兄さまに送ってもらうから大丈夫。エリアスはもう部屋へ帰って……」
 一国の王子に対して、ごく一般的な伯爵家の娘が使うにしては失礼な口調に言い直すと、エリアスがようやく掴んでいた手を離してくれた。
「そう……」
 納得してくれたようなので、ルージェナはほっと息を吐く。
 その瞬間、軽く身を(かが)めたエリアスに、素早く(ひたい)に口づけられた。
「────!」
 息を呑んで目を剥いたルージェナを見て、彼は満足そうに麗しい紫色の瞳を細める。
「気をつけてお帰り、仔猫ちゃん」
 子供の頃から決まって自分をからかう時に使われていた呼び名を耳にし、ルージェナはようやく彼の真意に気づいた。
 ──からかわれたのだ。
「エリアス!」
 (とが)めるように呼んだルージェナに手を振り、エリアスは壁の奥へと消えていく。
「え……? ええっ?」
 まさかそこに隠し通路でもあるのだろうかと、ルージェナが真っ暗な空間を凝視していると、背後から肩を掴まれた。
「いたー! もう、こんなところで何しているのよ!」
 唇を(とが)らせたオリヴィエが、ルージェナの両肩を掴んで、小柄な身体をがくがくと前後に揺さぶる。
「ルージェナとはぐれたなんて言ったら、私がバージミルさまに殺されるでしょ!」
 バージミルというのは、ルージェナの兄だ。三つ年上の二十一歳で、王宮内に部屋を(たまわ)り、宮廷勤めをしている。才色兼備の将来有望な貴族の子息だと、周囲からの評価はすこぶる高い。
 そのバージミルが、何よりも大切にしているのが、妹であるルージェナだ。
 いくら妹に関することでは冷静さを失いがちな兄でも、王宮ではぐれたぐらいでその親友を殺しはしないだろうと、ルージェナは思う。しかし、オリヴィエに心配をかけたことは確かなので、素直に謝った。
「ごめんね、オリヴィエ」
「すぐに見つかったからいいけど……」
 気を取り直して壁の窪みから出るオリヴィエは、どうやらエリアスには気がつかなかったようだ。ほっとしながらルージェナもそのあとを追う。
「知ってる人を見かけたと思ったけど、人違いだったの……」
「ふーん……」
 何事も深く追求せず、さっぱりとしているところも、ルージェナがオリヴィエを好きだと思うところの一つだ。
「ごめんね」
 その彼女に(うそ)を吐いてしまったことが申し訳なく、もう一度くり返すと、背中をぽんと(たた)かれる。
「もういいわよ」
 長い濃茶色の髪を(ひるがえ)して大股で歩くオリヴィエを小走りで追いかけながら、ルージェナはそっと自分の額に指で触れてみた。
(エリアス……)
 先ほど、あの形のいい唇がわずかに触れた場所。感覚もわからないほどかすかな口づけだったが、確かにそうされたと思うだけで、火が点いたように頬が熱くなる。
(思い出しちゃだめ! からかわれただけなんだから!)
 ぶるぶると首を振りながら、俯き加減で歩き続ける姿を、オリヴィエが少しふり返って、ちらりと見たことには気がつかなかった。

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