元帥皇帝のお気に入り~没落令嬢は囲われ溺愛に翻弄されてます~
プロローグ / 第一章 (1)

プロローグ
深紅のベルベットの内装、カーペット地のクッション、ハミに鋲を打って飾り付けられた立派な馬、天蓋の縁には金糸のフリンジが等間隔にぶら下げられ、ぴかぴかに磨き上げられた蝋燭灯のホヤガラス――。
金銀刺繍を施した黒いベルベットで外装した箱馬車もあれば、鉄のロッドが白鳥の首のように湾曲した優美なデザインもある――。
サンドラ邸周辺には今日も多くの馬車が並んでいる。
二百年の年月と風雨に研磨された木製の扉は濃い飴色をして艶があり、錆びた鉄細工の飾り金は、老朽化というより、血筋と伝統の威厳を放っているようにみえた。
実は破産寸前のサンドラ家に、今もこうして人々が集まるのには理由がある。
「サンドラ邸のパーティーに出れば、とてもいい縁談に恵まれるんですって」
社交デビュー間もないであろう初々しい笑顔を浮かべた少女が顔を赤らめてそう言うと、彼女に付き添いでやってきた年配の貴婦人がつけ加えた。
「でも、なかなか招待状をいただけませんでしたのよ」
すると、また別の淑女が孔雀の羽をあしらった扇を口元に当てて囁いた。
「そのとおりです。でも、ようやく手に入れましたわ! ここで娘を素敵な男性に巡り合わせるために、他の縁談を随分たくさんお断りしてしまいましたの」
「それでは本末転倒ではございませんの?」
そこで、まるで花が開いたかのように女たちの笑い声がさざめいた。
「あっ、扉が今開きましたわ!」
それまでお喋りに霧中だった貴婦人たちの視線が一点に注がれる。
それはまるで、彼女たちにとって幸福な世界への扉に思えた。
第一章
――今シーズンも、なんとか終わったわ。
ローズリーヌはへとへとに疲れた体に鞭を打つように、階段を上がった。
昨晩から明け方まで続いたパーティーの後、酔いつぶれた客は控えの間で介抱し、宿泊客は寝室へと案内した。メイドたちは大広間の後片付けに大わらわだ。
マホガニーの扉をゆっくりと叩き、彼女は呼びかける。
「お母様、起きていらっしゃる?」
彼女は、「ええ」というか細い声を聞き届けると、その扉を開いた。
母はベッドに上半身を起こしていた。
その黒髪は今は艶もあせてしまい、肌色は青白く、痩せて生気がないというのに、若い日はいかほどかと思うほどの美貌の名残をとどめている。
ローズリーヌもそうありたかったが、髪と瞳の色だけは譲り受けたものの、他はほとんど父譲りである。
「お母様、万事やり遂げました。今年は本当に盛況で――」
彼女は微笑みを浮かべ、小走りに母のベッドへと近づいていった。
「ご苦労様、ローズリーヌ」
母は静かに娘をねぎらってくれた。
絶望の淵にたたずんでいた母が、いつあちらの世界に逝ってしまうかと、いっときはずいぶん心配したものだが、どうにか留まってくれている。
「ほら、お菓子をお上がりなさい」
そう言って、母は銀の皿に入った砂糖菓子を差し出した。
母の目には、ローズリーヌはいつまでも子どもなのだろう。そう思われていて、かえってよかったかもしれない。
母には気苦労をさせたくない。彼女は無邪気に喜んでそれを口に頬張った。
「聞いて。お母様のお見立てどおり、ファンガス様とメアリー様は近々婚約発表にこぎつけそうですって。それから、ハートリー様とジュリア様もとてもいい雰囲気だったわ。きっとうまくまとまるはずよ」
「そう。よかったわね……」
「あと、シャルドン夫人とヴィヴレー伯爵は、どう見ても相思相愛なのに、おふたりともとてもひどく遠慮がちで、ちょっともどかしいと思ったわ。お母様はどう思う?」
「あの方たちは申し分なくお似合いねえ。未亡人とはいえ、シャルドン夫人はまだお若いのですから、躊躇なくおつきあいしたらいいと思いますよ」
母は社交界からは姿を消したというのに、人を見抜く直感が優れていて、こうした相談事にいつも的確なアドバイスをくれる。『サンドラ家のパーティーに行くといい縁談に恵まれる』という評判が立ったのは、ひとえにこの母の助言のおかげだ。
「グリーグが騒がしいことになっているから、うちはおこぼれをもらって大繁盛よ」
「そうなの……?」
自室に籠もりきりの母には、世情のざわつきは伝わっていない。おっとりと相づちを打つのみで、話は続かなかった。
ファランク皇国は今、重要な節目を迎えている。
半年前に皇帝アラゴン四世が身罷られた後、空位のまま今に至っている。
首都グリーグでは、新皇帝の座を巡る紛争が起きていた。
後継者候補のひとりは、皇帝の庶子である、若き元帥マクシミリアンで、もうひとりは皇帝の妹婿の甥、サイラス公である。
サイラス公は直系の皇族ではないものの、皇帝の姻戚に当たり、血統は問題ない。彼は大の異民族嫌いで、その所領ではたびたび外国人が処刑されていた。ヤペスという異民族の高利貸しに苦しんでいるサンドラ家にとっては、サイラス公が即位すれば、現状を打開できるかもしれないという期待があるが、一歩間違えば恐怖政治を布きそうでもある。
かたやマクシミリアンは、皇帝が農家の娘に生ませた庶子で、それゆえに庶民寄りの統治が予想され、ヤペスにも柔軟な対応をとると見られていた。
彼は傭兵から元帥にのし上がり、小国を次々に征服してファランク皇国の領地の拡大に多大に貢献した強者だが、公的に認知されてはいないため皇帝の実子かどうかが疑わしいという抵抗勢力も多い。
国内はサイラス派とマクシミリアン派の二つに分かれ、街では敵勢力の家が焼かれ、派閥絡みの蛮行がまかり通り、暴動が頻発しているという。
こうして世間が不穏な中、郊外に避難してきた貴族たちのおかげで、サンドラ家の邸の中では例年以上に多くの舞踏会が行われた。
明日はいっせいに宿泊客たちが帰っていき、晩夏でありながら冬が来たような静けさとなる。
――明朝の見送りまでは、まだまだ気が抜けないわ。
そんなことを考えて、ローズリーヌの気もそぞろとなった頃、母は言った。
「今日はベカスがまだ一度も顔を見せないの。あなた、見かけた?」
ベカスというのは黒い猟犬で、父の存命中から飼っていたものだ。
「いいえ。ここにいるとばかり思ってたけど……、いいわ、わたし、探してくる」
ローズリーヌが立ち上がって辞去しようとした時、母が呼び止めた。
「それと、モントンを呼んでちょうだい」
「わかったわ。お母様」
ローズリーヌは書斎を出て広間へとうねる大階段を下りていった。
「昨年より増収には違いないけど、それでもまだ全然足りないわ。……お金、ああ、お金が欲しい……! 三千ルブランあれば……」
中央の踊り場でローズリーヌが少々下世話なひとり言を呟いていたところ、上がってきた執事と行き会った。
「モントン。お母様が呼んでいるわ」
「私を、でございますか?」
「ええ、そう」
「ベルでお呼びくださればよろしいものを」
「お母様はそういうのを好まないのよ」
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