婚約破棄は蜜愛のはじまり~ワケあり公爵と純真令嬢~

華藤りえ

第一章 婚約者と唇を奪われた夜 (3)

 ついでに誰もが羨む美人とくれば、白鳥(はくちよう)と野鳩を比べるようなもの。
 駄目押しに、伯父の根回しで、カラムの領地に対して鉄道招致案が提出された。
 決定して鉄道が走るようになれば、地方伯領は莫大(ばくだい)な収入が見込めるため、カラムの両親が是が非でも、伯爵との縁を(つな)ぎたいと動くのは当然だ。
 それでも、少し考えさせてほしいと伯父に告げ、カラムを問い詰めた。
 だが不機嫌に怒るカラムと、彼を愛しているのと泣きながらかき口説くシェリアに挟まれ、リズリーの肩身はあっという間に狭くなった。
 カラムの父親であるバロケット地方伯も、リズリーと息子の婚約は口約束だと吹聴(ふいちよう)し、「本気にさせてすまなかった」と話を濁しだし、気持ちがぽっきりと折れてしまった。
 恋愛結婚かと言われれば違う。ただカラムから捨てられ、周りのだれ一人として味方してくれず、自分が無力だと感じるのが辛いだけ。
 大したことじゃない、時が過ぎれば痛みも消える。
 悪いのは自分。至らない自分。努力が足りない自分。だから、わがままはいけない。そんな風に自己暗示を掛けながら我慢した。
 内々とはいえ、リズリーと婚約予定であった相手が娘婿となることに、多少の罪悪感と申し訳なさがあったのだろう。
 伯父はグレヴィル伯爵としての権力を使い、リズリーを女王陛下の拝謁(はいえつ)にねじ込んだ。
 即日、王宮に招かれ、女王陛下から王都社交界に参加する許しが与えられた。
 しかし実情は、純白のデビュタント・ドレスはシェリアのお古に申し訳程度に手を入れたもの、銀のティアラだってシェリアからの借り物。唯一、リズリーのために新調されたのは、白絹の長手袋と扇だけ。というお粗末さだった。
 借り物だらけのデビューということは、すぐにばれた。
 今日の舞踏会でも面白おかしく語られており、みじめさは最高点に達す。
 一部の者は身勝手な推測をし、「ギア男爵令嬢リズリーは、王都の上流社交界への切符と、婚約者を交換する打算的な女性だ」とまで言いふらしている。
(社交の季節である夏の間は伯爵家に滞在して、舞踏会で出会いを求めればいい。きっと良縁は見つかるって、伯父様は応援してくれたけれど……そんなの、無理)
 婚約を直前で破棄され、その()びにお古のデビューを与えられたと(うわさ)の自分に、まともな花婿は寄って来ない。
 幸せな結婚生活を夢見る従姉妹と元婚約者を見つつ、(うつ)ろな笑みを浮かべるだけで、リズリーの夏は終わるだろう。
 まだ春なのに、心の中はすでに吹雪が吹き荒れている。
 それでも、わずかな誇りをかき集め、胸の痛みをやり過ごす。
 従姉妹という立場で出席しているのに、涙や溜息(ためいき)で迷惑を掛けてはいけない。婚約を祝福している様子を見せるべきだ。
 背筋を伸ばして前を向く。最初の音楽が鳴り始め、シェリアとカラムの二人がホールの真ん中で踊っていた。
 心を殺して、二人が幸せそうにしているのを、穏やかな笑みを浮かべ見守っていると、主催である伯父から踊りに誘われた。
 淑女にとって最高の栄誉は、舞踏会で主催からエスコートされることと教えられたが、今のリズリーにとっては義務でしかない。
(伯父様は私に(はく)をつけたいだけ。良縁を作りやすいようにしているだけ)
 愛娘(まなむすめ)のわがままを退(しりぞ)けられなかったことを、付け焼き刃の名声で取り繕おうとする伯父の計算を感じながら、ぐっと気持ちを抑える。
 正直、ステップをちゃんと踏めたかもわからない。
 お下がりの青いドレスを着た自分が、どう見えているかはもっと謎だ。
 ――ただ、早く舞踏会が終わればいいと思う。
 一組、二組と踊りに参加する若者が増え、会場が本格的に盛り上がりだすと、リズリーは人混みを抜けてテラスから外へ駆け出した。
 最新式のガス(とう)を備えているため、館の周囲は夜にも関わらず明るい。だが庭園の向こうに見える木立は暗く、舞踏会が始まって間もないからか、うろつく人も少ないようだ。
 できるだけ人の気配が少ない道を選んで、木立へ逃げ込む。
 満月の青白い光が枝の合間から差し込む中、リズリーは上がってしまった呼吸を整えようと息を吸い、そのまま嗚咽(おえつ)を漏らしだす。
「……ふっ、うぅ、う」
 (かし)の大木によりかかり、声が漏れないように口元に拳を当てる。
 腕が震えて仕方がない。今まで我慢していたものが一気に吹き出したようだ。
 カラムとの間にあったのは恋ではないが、互いを尊重しながら暮らす未来を、疑ったことはなかった。
 なのに一瞬でそれを奪い取られ、優しかったカラムの両親まで、よそよそしくなった。
 故郷に戻れば、お互いにやりにくくなると見越し、今から距離を置いているのだろう。
(なにが、いけなかったのかしら)
 嗚咽を()()みながら考える。
 なにがいけなかったのか。足りなかったのか。どうしてこうなったのか。
 そして行き着く先は一つ。――きっと、シェリアに比べ自分が魅力的でないから。流されるまま、変化を恐れて行動しなかったから。
 だから、シェリアを恨むのも、カラムを恨むのも間違っている。(いや)、正誤ではなく、恨みとか、(そね)みとか言う気持ちを持ちたくなかった。
 醜い自分がいることを認めたくなくて、目を逸らした結果がこれだ。
 悪いのは、きっと、臆病すぎた自分。
 声を殺し泣いているうちに、疲れがどっと(あふ)れてきた。
 二度と動けないほど腕や足がだるい。ここ数日、よく眠れていないせいだ。
(早く社交の季節が終わればいい。もう王都から離れたい)
 本や新聞を読んでは空想し、ずっと夢に見ていた王都なのに、待ち受けていたのは酷い現実だけ。
 こうなった今では、名所を楽しむ余裕も、期待していた演劇にも気をひかれず、田舎に逃げ帰り、息を殺して隠れていたい。
 人の気配を感じ、もう一歩だけ木立の奥へ足を踏み入れたときだった。
 銀の髪を持つ男が、白い仮面をつけた男と話し合っているのが垣間見えた。
「いっそ、伯爵令嬢を殺してやろうか」
 聞き惚れてしまいそうなほど、低く滑らかな美声が告げた。
「それも……手だけど、思いつきじゃなよね?」
 少しだけ若く、どこか鷹揚(おうよう)な青年の声がした。仮面の男だ。
 彼は銀髪の男に尋ねつつ、首を(かし)げている。
「思いつきと言えばそうだが、今は悪くない手だと確信している。婚約で幸せの頂点にいる伯爵令嬢を殺す。いい案じゃないか」
 冷笑しながら銀髪の男が告げ、リズリーとの間にある樫の大木へもたれかかる。
(婚約した伯爵令嬢って――シェリアのこと?)
 シェリアについて、思うところや言いたいことはある。が、殺したいとか、死んでほしいと思ったことはない。
 そう思えるほど強い感情を、リズリーは知らない。
 早く誰かに教えなければ、大変なことになってしまう。
 わかっているのに足が動かない。
「社交界の花に泣かされた男どもの腹いせ……か。それはまた……」
「衝撃的でなければ、世間の話題にもならないだろう」
 犯罪をほのめかせる会話にしては場違いな軽さで最初の男が言い切り、肩をすくめたのが、影の動きでわかってしまう。
 婚約を反故(ほご)にされた悲しみも吹き飛び、突然降りかかってきた災難を切っ掛けに、心臓がうるさいほど騒ぎ出す。
 舞踏会に招待されている貴族だろうか。
 頭を働かせてみても、元々知り合いが少ないリズリーには見当がつかない。
(シェリアに振られて逆恨みとか……そういった、お話なのかしら)
 だとしても、殺すのはやり過ぎだ。
 緊張する身体を掻き抱き、茂みが薄く、逃げ道となりそうな部分に目をやる。
 いざ足を動かそうとしてよろめき、近くの茂みに倒れ込む。
 枝が折れる派手な音に、頭から血が引いた。
 リズリーが蒼白(そうはく)になっていると、誰だ、と鋭く声が掛けられる。
 こわごわと振り返ると、二人の男がリズリーを見下ろしていた。

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